第二九話 出立
その日の夜である。
この日は明日出立するということで、屋敷で一泊となった。我が家となったこの屋敷の内装は、やはり大正から昭和にかけての日本を思わせるもので、俺としては史料館に泊まっているような気がした。
この夜にすべきこと。
それは決まっている。押しかけ守銭奴であるニーカと話をするためだ。どうしてこうも守銭奴なのかと俺はずっと思っていた。後腐れなく旅立つためには彼女から話を聞くべきだろう。
そして今まさに俺は、自室にニーカを呼んでいる。
「もしや、私の体を……」
「いや、そうじゃないから」
勘違いも甚だしい。ニーカの見た目は十代後半。手を出す訳がない。
「じゃあ、何で部屋に呼んだんです?」
「チェッカードさんが、どうしてそこまでお金に固執するのか聞きたくて。というのも、むかむかしたまま旅をするのも嫌なんですよ俺としては」
少し申し訳なさそうにしたニーカは、椅子に座ると語り始めた。兎獣人の闇深さを。
「……あの、私たち兎獣人、カーニヤ族って言うんですけど……いわゆる悪名高い種族でして」
彼女から伝えられた闇はこうだ。
兎獣人は殆ど女しか産まれず多産で、多産であるから必然的に超貧乏であり、そんな兎獣人の女に惚れる男などおらず半ば必然的にニーカのような性格になる。
それを要約すれば、彼女たちは常に婚活に飢えた女性で夫に求めるのは稼ぎの良さのみ。
そんな男を舐めてるような彼女たちの就職先は、貧乏農家か娼婦、給料の安い組合の受付嬢。成功出来て貴族の愛人なのだった。聞いているだけでも悲しい。世が乱れていれば、彼女たちは傭兵になるというのだから哀愁が腐臭を帯びている。
「私の家も貧乏農家で……」
ニーカの実家もまた妹が九人もいる貧乏農家だった。半分は娼婦らしい。俺はどんな顔をすればいいのか分からなかった。
闇が深けぇ……!!
「お、男の人には悪いと思ってますけど、性格が種族由来なんですよ!」
「正直な、聞くんじゃなかったと思ってる」
「……うう」
涙目で俯くニーカに憐れみを感じ始めた俺は、解決策を伝えることにした。
「まあ、聞いてくれ。商人組合のゴブリンが作物の品種改良に精を出してるって聞いたことがあるんだ」
「人参とかですか? あの色の薄い」
「うん。……まあ、高値で取引されてる高級作物の品種改良や生産を、チェッカードさんの実家に任せられないかと、ゴブリンたちに口利きできるかもしれない」
「本当ですか! でも、どうやって……」
俺はニーカにライターを見せた。このライターはガスライターだが、日本人を信奉するゴブリンに見せれば超高級な代価に変わる。
「俺が一筆したためて、ニーカさんは手紙と一緒にこのライターを見せればいい。きっと目の色を変えて承諾するはず」
「……ありがとうございます。まさか、こんなに良くしてくれるなんて」
「不本意ではあるんだがな」
「もしかして私に惚れて……!」
「んな訳ないだろ!」
金目当ての女性に惚れる俺ではない。さらに彼女は聞くところによると、まだ一四歳なのだという。早熟で老化も遅い彼女らの特性なのだが、年齢を聞けば尚更に守備範囲外だ。
そして翌日の朝である。
俺たちはニーカを残して出立した。
「シドーさ~ん! 愛してま~す!!」
手を振るニーカの愛の叫びが聞こえて来るが嬉しくない。小指の爪ほども嬉しくない。
「未だかつてこれほどまでに嬉しくない愛の叫びがあっただろうか」
「お兄さんは、昨日ニーカさんに贈り物をしたんでしょ?」
「え、贈り物をしたのですか?」
御者となった俺の後ろから、顔を覗かせたラハヤとモイモイが聞いて来た。
「贈り物っていうか、手切れの代価?」
「ふーん」
ラハヤが面白くなさそうな顔をした。拗ねているようにも見える。
「シドーさんってやっぱり優しいところがありますよね。鬼になれないと言うか」
「厳しくしてほしいなら、厳しくするぞ?」
「あ、そのままでいてください」
斯くて俺たちは旅立つ。
目的地は帝都から見て、南のトルリア連邦の首都である海ノ都バレーナである。到着する頃には夏になっていることだろう。
だが、今は異世界の道中を楽しもうではないか。
些か楽観的だが、俺は手綱を握りながらそう思い、晴天の最中笑っていた。




