防御特化と回避特化。
サリーからの申し出を受けたメイプルは、その内容が予想していなかったことだったようで目を丸くした。
「わ、私と!?」
「うん」
「で、でも……うーん、サリーが勝つと思うよ?」
「あはは、それでも」
「むむむ……うん、分かった!じゃあやってみよっか!お礼するって言ったもんね!」
メイプルはそんなことでいいのならと言わんばかりの様子でサリーの申し出を承諾する。
「ありがとう。ふー……一回だけ、ね」
「うんっ!」
メイプルはぴょんと立ち上がり、サリーはささっと設定を済ませていく。
他のプレイヤーは侵入できず、観戦カメラはオフ、制限時間はイベント終了までで、どちらかのHPがゼロになるまで。
サリーはメイプルにもルールを見せ、問題がないことを確認させると決闘を開始する。
障害物ひとつない平野に、誰の邪魔も入ることのない二人だけの世界が展開された。
「じゃあ、合図があるから」
「うん。離れて待機だよね」
「そう。ね、近づけちゃ駄目だよ。私はメイプルの偽物に勝ってる。遠距離はメイプルが……ってあんまり言い過ぎても、か」
「うん、りょーかい!」
メイプルはサリーに背を向けて歩き出す。
十分な距離を開けて、サリー相手の戦略を少しばかり考えながら。
そんなメイプルの背に声がかかった。
「……楓!」
「えっ……?」
それはこの世界で呼ばれることのない名前。
その名前を呼ぶ相手はたった一人しかおらず、呼ばれるままに楓は振り返った。
「あ……」
そこにいたのは理沙だ。
後ろから眺め、隣でコントローラーを持ち、そして今日、目の前に立っている。
幼い頃から楓のよく知る最強のプレイヤー。
今、相対するは白峯理沙だ。
理沙の呼びかけが楓をメイプルから引き戻す。
理沙は理沙として、楓は楓として、共に過ごしてきた日々全ての上に、今この瞬間に向き合っている。そんな感覚。
「……遊ぼう、全力で!」
「う、うん!……頑張るよ!」
決闘が始まる。
溢れんばかりの期待と、ほんの少しの不安。
ずっと楽しみにしていたゲームを起動する時、理沙はちょうどこんな顔をしていた気がした。
最初で最後。遠い出会いから今日に至るまでの楓と理沙の旅の果て、奇跡と運命が導いた一戦はここに幕を開けた。
開戦の合図と共に理沙が走り出す。
警戒するのは【ディフェンスブレイク】。
ただ、それ一回では楓は負けない。
落ち着いて、冷静に。常に共に戦い、持っているスキルのことは全て知っているのだから。
「………?」
脳裏によぎる微かな違和感、忘れていること、気づいていないことがあるような感覚。
しかし、理沙はそれが何か考える時間を与えてはくれない。
楓は近づいてくる理沙に向けて、用意してみた作戦のうち一つを実行した。
「【パラライズシャウト】【デッドリーブレス】!」
「いいね」
「えっ!?」
理沙はペインやミィとは違い、麻痺や毒は効くままだ。たがそんなことは理沙も知っている事実、両方が知る情報は決め手とならないものだ。
完璧なタイミングでパキンと砕かれたクリスタル。
楓も持っているイズの耐性付与アイテム。
ここでようやく、楓は理沙が腰にいつもは付けていないポーチを装備していることに気づいた。
理沙が戦うつもりだったのなら、楓が一発で理沙を無力化できるようなスキルは対策済み。
そんな当然のことにようやく気づいた。
「【ウィンドブラスト】」
吹き荒れる風魔法が楓の攻防一体の【デッドリーブレス】を吹き飛ばす。
「【毒竜】!」
「【水竜】」
ペインとの戦闘でもしていたように、楓の放った毒塊を水の塊である【水竜】で受け止め理沙は背後へと流す。
技が全く通じない。
完璧に受け流されていく、楓にとって初めての感覚。
「【水の道】」
「……うわっ!?」
理沙の移動を警戒した楓の足元で【鉄砲水】が弾ける。仕組みは完璧に知っているにも拘らず、理沙の【偽装】による攻撃が避けられない。
仕組みが分かっていても、いつ仕掛けてくるかは分からない。現時点で駆け引きで楓が理沙に勝てる要素は存在しない。
打ち上げられた楓が地面に落ちてくる頃には、理沙との距離はもう数歩まで詰まっていた。
「【古代兵器】!」
楓が素早く展開した【古代兵器】が理沙に複数のレーザーを放つ。
それは的確に理沙の肩を貫き、理沙の姿は薄れて消えていった。
「【蜃気楼】……!」
本物の理沙はどこ。その答えを示すように斜め後ろから鎧に触れる手の感覚。
声が響く。
楓が気づいていないことに気づかせる声が。
「【鎧通し】」
「あ……っ……」
弾ける強烈なダメージエフェクトと共に、楓のHPが全て吹き飛び【不屈の守護者】が発動する。
そうだ。そうだ。やけにスローに感じる時間の中で楓は思い出す。
第二回イベントで偽物に勝って、第七回イベントで楓のスキルを奪い高い防御力を得たボスに勝って、十層の雲上の城で全てを叩きつけた楓より先に防御を固めたらしいボスに勝って。
どうやって。それがようやく分かった。
「…………」
やっぱり理沙は強くてすごいなあ。
全然敵いそうにない。
妥当でもあるそんな納得と諦めと共に、後ろからのかつてない大ダメージの衝撃に押されるまま、楓は理沙の方に顔を向け倒れていく。
「…………」
「理沙……?」
次の瞬間には死が待っているだろう、ほんの僅かな空白。次のスキルを発動するまでの間に、ダメージに霞む視界で楓は理沙を確かに見た。
どこか寂しそうな、悲しそうな、それでも仕方ないと何か諦めてもいるような。
そしてそれら全ての感情を飲み込むように目を伏せ、次の攻撃動作を繰り出す姿を、確かに見た。
その姿が、理沙の寂しげな顔が、何故だか楓にまだ負けてはいけないのだと思わせる。
深い理由はなく、何となくそう直感した。
ただ、それだけのこと。
楓の中の何かが告げる、まだこの勝負を終わらせるな。
諦めるな。
「【暴虐】!」
この日、小さな火が灯った初めての衝動は、考えるよりも早く、最も使い慣れた緊急避難用のスキルを口にさせた。




