防御特化と来たる日を待つ。
月日は過ぎて、もうすっかり寒くなり季節の移り変わりを感じる中、白い息を吐きながら楓と理沙は二人学校へと向かっていた。
「いよいよ今週末だけど……どう?」
「大丈夫だと思う!」
「よかった。なら皆で行けるね」
そう。週末は十層の実装予定日なのだ。できることなら【楓の木】全員で予定を合わせて一緒に十層へ向かいたい。十層へ続くダンジョン攻略を一回で終わらせられれば、その分早く十層探索へ移れる。
「楓はもう勉強始めたの?」
「うん。今度のテストが良かったらゲームする時間ちょっと増やしても多分大丈夫!」
「楓からそんな言葉が聞ける日が来るなんてなあ……」
「もー、理沙は大丈夫なの?」
「始めた頃はちょっと禁止されてたけど、あれ以降は成績上げ続けてるから」
「おー!ふふふ、やればできるんだからー」
「まあね。今禁止されるわけにはいかないでしょ?」
色々と気にすることなく遊べる時間はしばらくなくなってしまうだろう。ここから先の数ヶ月はこれまで以上に大事なのだ。リアルのためにもゲームのためにも勉強は手を抜くわけにはいかない。
「理沙は今日はどう?」
「んー……今週末時間かけて遊びたいし、今日は勉強しているところを見せておこっかなって」
「じゃあ今日の夜は一緒に勉強しようよ」
「いいね。週末に体調崩したりしないでよ?」
「うん、気をつける!」
二人は他愛無い話をしながら学校へと急ぐ。
教室にはまだ誰もおらず、二人は荷物を下ろすと話し始めた。
「理沙はどうするの?」
「現状遠くに行くつもりはないかなあ。そっちは?」
「私もー。でも、理沙とは別になっちゃうかも……」
随分長く同じ時間を過ごしてきた。隣にいないことに少し違和感を覚えるくらいに。
「何だか変な感じだね。初めて会った時のこと覚えてる?」
「もちろん!」
元気よく返事をした楓を見て、理沙は懐かしみながらあの頃のことを思い出す。
「こんなに長く遊んでるなんて思ってもみなかったなあ」
「えへへ、そうだねー」
「ここ最近はゲームの中でも一緒だし」
「ゲームの中でなら別の場所にいても会えちゃうもんね」
「うんうん。それがオンラインゲームのいいところ」
オンライン上でなら距離の制約はない。二人同時刻にログインしさえすれば、いつだって会えるだろう。そう、簡単なことだ。
「いつも一緒って訳じゃなくても、週末にちょっと会うくらい簡単な距離だし」
「うん!まだまだ先のことだけどね」
「そそ。楓もちゃーんと勉強して望んだところに行けるよう頑張るように!」
「はーい!じゃあ今日の夜の勉強会、忘れちゃ駄目だよ?」
「もちろん!」
約束を楽しみにしているうちに時間はすぐに過ぎて、下校した二人は諸々の準備を済ませてボイスチャットを繋ぐ。
「とりあえず夜ご飯までかな」
「うん、そうしよ!」
二人はそれぞれテキストを開き勉強を始める。
「理沙、成績どんどん良くなっていくねー」
「スコアアタックみたいな気分でやってる。万が一にも今禁止される訳にはいかないしさ」
「あはは、理沙っぽいかも」
どうせやるならいいスコアを目指すべき。理沙の精神性はいい方向に働いたと言える。
理沙の成績は右肩上がりに伸びていった。それは、今この幸せな時間を余計なことで一瞬でも無駄にしたくないと思っていたからだった。
「でももう大丈夫そうだけどなあ」
「まあ結構厳しいからさ。それに、一度上がると下がった時に目立つから」
「それはそうかも。じゃあ頑張らないとね」
「そういうこと」
楓と理沙は数時間ほど勉強を続け、そろそろ晩御飯の時間といったところで一旦切り上げてテキストを閉じる。
「疲れたー……でも結構頑張ったかも!」
「お疲れ様」
「週末はいよいよ十層だしね!頑張った分楽しまないと!」
「いいね。私もそのつもり」
楓からそんな言葉が聞けるなんて。少し前には考えられなかったことだ。二人、いくつのゲームを遊んだだろうか。一つ言えるのは、これだけ楽しそうにしているのが初めてなのは間違いないということだ。
理沙は嬉しそうに、少し寂しそうに、楓にある提案をする。
「十層はさ。全部一緒に回ろうよ」
「理沙と?……もちろんそのつもり!」
「たくさん隠しエリアを見つけて、強いボスを倒して、綺麗な景色を見よう」
「十層は広いって言ってたもんねー……いろんな場所がありそう!」
「私も楽しみ」
「うんうん!」
遊べるだけ遊ばなければ損だ。
次があるかないか分からないなら。
いや、おおよそないと思っているから。
「……今、目一杯楽しまないとね」
「待ちきれないねー」
「ふふっ、うん。そうだね」
階下から二人を呼ぶ声が聞こえる。晩御飯の時間だと、一旦通話を切ってそれぞれ部屋を出ていくのだった。
勉強会翌日。週末に十層が迫る中、【楓の木】の訓練所に轟音が響く。
「【紫電】!」
「朧【黒煙】!」
訓練所ではベルベットとサリーが決闘の真っ最中だ。ベルベットの雷の雨を当然のように避けるサリー。ベルベットを包み込むように展開した煙幕により姿を隠したサリーは、一瞬ののちベルベットの真横から姿を現す。
しかし、ベルベットはこれに応じない。接近を許し、その刃が体に届く直前まで来ても一切の防御行動を取らない。
結果、攻撃してきたサリーは接触と同時にその姿が揺らいで消えていってしまった。
「何度も同じ手でやられる訳にはいかないっす!」
黒煙が晴れると、一旦距離を取ったサリーが遠くに見える。
「本物かどうか分からないならダメージを受けた後で反撃するっすよ!」
「確かにベルベットならそれができるね」
ベルベットスキルを使うことでサリーと同等、いやそれ以上にもなりうる移動速度を持ち、HPと防御力も敵陣に飛び込むために一定の水準まで確保している。
幻影を利用し、巧みに一方的なダメージトレードを行うサリーではあるものの、短剣による強烈な一撃を加える瞬間には本人が近づいている必要がある。
接近するまでじっと待ち、本体だと確信できた後で攻めに転じる。
肉を切らせて骨を断つ。ダメージを与え合った時、先に倒されるのはHPが最低値のサリーとなるのは明白だ。
「どうっすか!」
「それならこっちも別のやり方でいくよ」
サリーは短剣のうち片方を鞘に収めると、スキルによって形状を変化させる。その手には弓。近づけないなら、近づかない。既にサリーの武器は一つではない。
「全部の武器になるってことっすか」
「そういうこと。待ってるっていうならこれで撃ち抜くよ【氷柱】【水の道】!」
サリーの宣言と共にいくつもの氷の柱と、空中を駆け巡る水の道が生成される。
「いくよ!」
サリーはその手から糸を伸ばし、水中と空中そして地上を高速で自由自在に行き来して、ベルベットの回りを跳び回る。
「……!」
今でもなお信じ難いことだが、雷の雨には当たってはくれないだろう。それでも自分から攻撃を仕掛けたくはない。攻撃動作は隙を生む。それはサリーの望む展開だからだ。そんなベルベットは的確に飛んでくる矢と魔法を可能な限り躱しつつ、サリーの様子を窺う。
「痛いっすね……!」
雷を避ける度にサリーが纒う【剣ノ舞】のオーラは強まる。ベルベットにはその効果は正確には分からないが、時折直撃する矢の異常なダメージが、このまま好きにさせていてはいけないと告げている。
サリーから近づいてくることはない。攻撃に転じるしかないと、ベルベットは駆け出した。
「【極光】!」
隙が生まれるのを避けられないなら、それを少しでも小さくする。
自分を中心として光の柱のように雷が発生し、範囲内全てに電撃が弾ける。
手応えはない。しかし、ベルベットにも狙いはあった。【極光】はサリーにとって最悪の攻撃だ。範囲内を円柱状に埋めるダメージ判定はいかに回避能力が高かろうと逃れられるものではない。それがクールタイムに入った。サリーにとって接近戦を仕掛ける理由の一つになる。
用心深いサリーなら弓での攻撃を続け飛び込んでこない可能性は高い。それでも、相手からの異なるアクションを引き出しうる一つの材料を投下したのだ。
結果。光の柱の消失と共にサリーは弓をダガーに変形させて飛び込んできた。少し予想外という風なベルベットは一瞬驚いた後、これが本物でない可能性を考慮し、つい放とうとしたスキルを飲み込む。
一撃ならまだ耐えられる。ギリギリまで様子を見つつ、辺りの気配に気を配る。
そうして肉薄したサリーはダガーを振り抜く。それはベルベットの胸部から腹部にかけてを斬りつけ、ダメージエフェクトを散らせた。
「……っ!?【スタンスパーク】【紫電】!」
正面からの突撃。ベルベットは意表を突かれたものの、範囲外には逃さない。サリーとの距離が開かないようにステップしつつスタンを与える電撃と共に、突き出した拳から前方へ雷を放つ。
それはサリーを確実に捉え、そして同時にその姿を霧散させた。
「っ……!」
ベルベットの視界に次に映ったのは背中側から体を貫いて胸元より伸びる二本の燃え盛る槍と装飾のされていない大剣だった。
いつ、どのタイミングで入れ替わった。その答えは出せないまま、【剣ノ舞】によって強化された三本の武器による攻撃はベルベットのHPを吹き飛ばした。
あくまでこれは訓練所内での決闘だ。負けてもすぐその場で復活し、スキルのクールタイムも解消される。
だからこそ、全力で戦った訳だが。
「いつ!いつっすか!?いつ入れ替わったんすかー!」
「もちろん教えないけど。いつだと思う?」
「うーん……攻撃された瞬間までは本物ってことっすから、その後に……」
幻影と入れ替わり【スタンスパーク】と【紫電】を避けた上で雷の雨をすり抜け背後に回り込み攻撃。
言葉にしてみると不可能なように聞こえるがサリーならばありうる。
「それにあの槍は魔法っすよね!かなりの威力だったっす」
「まあね」
背後だったり、水のカーテンだったり、氷の柱だったり、幻影に注意を引かせたりと、ベルベットの視界外で重要なことが行われており、何かが起こったという事実以外が分からないことばかりだ。
それがサリーの立ち回りの異次元の上手さをひしひしと伝えてくる。
「結局、今回も分からないことばっかりっすよ」
サリーはそんなベルベットの様子を見て、核心には至っていないことを把握する。
イベントの時から、要所で使用された【虚実反転】。ほんの僅かな間【蜃気楼】により生成された幻影はダメージを与えるようになった。
ベルベット、ヒナタとの戦闘中に日付変更までのタイマーをカウントしていたサリーにとって効果時間の管理は苦ではなかった。
あまりに巧みに、真実を把握できないように使用されてきた切り札。お陰で【虚実反転】の正確な情報を持っているのは【楓の木】のギルドメンバーくらいである。
答えは一つ。【極光】直後には入れ替わっていた。これだけだ。
されどこの答えに行き着くには知らないスキルが邪魔をする。
サリーが情報を公開しない限り、しばらくは真実は闇の中だろう。
「相性はいいはずなんすけどねー」
「それはそうだと思う」
「ヒナタも呼ばないとっす!」
「じゃあこっちもメイプルを呼ばないと」
「あはは、それも楽しそうっすね!」
移動制限まで受けては流石のサリーも戦えない。ベルベットとしてもヒナタと二人でフルパワーだ。イベント以来、早くも再戦というのも悪くない。メイプルとサリーの準備した策がほんの僅か上回りはしたが、あの夜の戦いはどちらが勝ってもおかしくないものだった。
「【thunder storm】は十層は?」
「まだ行ってみないと分からないっすけど……私は最速で飛び込むつもりっす!」
もちろんヒナタも連れて、とベルベットは付け加える。ヒナタがいれば重力を無視して自由に駆け回れる。行けない場所などないだろう。
「クエストとかじゃないならラスボスに直行できたりするのかな」
「流石にないとは思うっすけど。ほら、飛べるテイムモンスターも沢山いるっすから!」
空を飛ぶ。これが現実的なものとなっていることはイベントで確認済みだ。亀に乗るのは流石に一人だけだったが、ペインやミィ以外にも、さまざまなライダーが空を駆けていた。
であれば、その辺りの対策はされていて然るべしというものだ。
「そっちはどうなんすか?」
「メイプルと回るのだけは決まってるかな。予定も合わせやすいし」
「イベントの方はどうっすか?対人、出るっすよね」
「そうだね。そのつもり」
「……やるってことっすよね」
「それは……どうしようかなって」
「ええっ!?」
ベルベットは目を丸くする。サリーも問われていることが何なのかは分かっている。
対人戦に出て、メイプルと戦うんだろう?
そう聞かれているのだ。
「イベント辺りでリアルの方が忙しくなって、ログインするのが難しくなっちゃいそうなんだよね」
「だったら尚更……!」
「……ベルベットは対人戦も好きそうだけど、いつから?どうして?」
「えっ?まあ、それは……うーん。私はそこまでゲームをするって訳じゃないっすから、元々競い合うのが好きだったってことになると思うっす」
「私もそう。元々そういうの好きだった。でもそうじゃない人もたくさんいるし、それは別に自然なことだと思う」
「そうっすね」
「メイプルは、嫌いじゃないけど私達ほど好きって訳でもないと思う。だから……それが私達にとって楽しい体験になるか分からない」
二人にとって最後のイベントになるなら、サリーはメイプルに楽しい思い出だけを残していってほしい。
最後まで楽しんでもらえるなら、出会った時から願っていた、ただ一戦も。
「実現しなくても構わない」
「優しいっすね。いや……不器用っすね」
「…………」
「まあまだ時間はあるっすから、のんびり決めればいいと思うっす!で、それまでは私が相手をするっすよ!」
「それ、ベルベットが戦いたいだけじゃない?」
「それもあるっす!さあもう一戦!さっきのを踏まえてリベンジするっすよ!」
「オーケー。返り討ちにしてあげる!」
今はまだ少し遠い夢。
決断はしばし先に送って。
再度向き合った二人は決闘開始の合図と共に互いに駆け出した。




