蝋燭
ふふふ。
私は笑う。幾億の蝋燭の火がともされている中で。蝋燭の火は一つ一つが小さくだが、確かに風に揺らいで存在を主張している。なんとも素晴らしい世界だろうか。
私はこの蝋燭の見張り番。火を灯すのではなく、守るでもなく、ただここで外部からの侵入を見張るだけの生き物だ。蝋燭の火が灯る場所だけは明るかったが、それ以外の空間は闇に覆われている。私はずっと一人だからこの寂しさにも慣れてしまった。
だが、それ以上に私は誇りを持って仕事をしている。
黒いローブを擦りつつも私は突然の音に振り返る。それは悲鳴と床に尻もちを着くものだった。
「痛い……きゃーすごーい」
五才くらいの女の子が、蝋燭の火を眺めている。女の子の瞳には、細い炎の筋が映りこんでいる。
なっなんでこんなところに女の子が。
「お姉さん、こんなところで何しているの? ここどこ?」
私は額に汗を滲ませながら、女の子の姿を見いやる。
「お嬢ちゃんこそ、どうやってここに来たの?」
「香織はねえ……わかんない」
香織とおぼしき女の子は、しれっとした顔で答えて、それからニカっと笑う。
久しぶりの人間。この生物に会うのは、十世紀以前のことだろう。
「ねえ、お姉さんは? ここで何をしているの?」
私の名はなんだっけかしら。そういえば、誰かに名を名乗るのは、久方ぶりだ。
「私は……ミラウディル。ここで、観察をしているの」
名前は適当に浮かんだ文字を浮かべて繋げてみた。
「そうなんだ。ここって誕生日祝いみたいですごいね」
そう言って香織は、蝋燭の火を一本吹き消す。
「なんてことするの!!」
私はすかさず、ローブの懐からマッチを取り出して、火を灯し直す。
「おじいちゃーん!!」
とある病室の一つで、一人娘のさんざめく泣き声が響いた。白いカーテンで仕切られたベッドの上で、医者と看護師が顔を伏せる。心電図では平行線が動くことはなかった。
「残念ですが、お父様は」
主治医がそう切り出したときに、ことは起こった。
「ふわーあ、よく寝たわい」
老人は寝ぼけ眼をしながら、辺りの様子をうかがう。一人娘が泣きじゃくっていたのに、笑顔になっていた。
「もう、心配したんだから。お父さんにはまだ生きていて欲しいんだから」
老人の背骨が折れてしまいそうに力強く抱き寄せる娘。
「そんな完全に心臓は止まっていたのに」
医者は不審そうな顔をして、次の患者のもとへと馳せて行った。
だっ、大丈夫かしら。死んでる期間は短かったから、埋葬はされていないはず。火が付いたってことは、体がぐちゃぐちゃになるような事故ではなかったはず。
上からなんて言われるか。このことは永遠に黙っておこう。
私は一人でそう結論づけて、それから香織のことを思い出す。
香織は次なる標的の蝋燭の火を見つけて、ほお袋いっぱいに息をため込んでいた。
「ダメ~!!」
私は香織の体を後ろから持ち上げる。香織はなんで邪魔するのと言わんばかりに振り返って、眉をしかめている。
「私はここで外部の者が関わるのを阻止するのが仕事なのよ」
「香織、そんな仕事知らなーい」
「仕事は人それぞれなのよ」
「ふーん、じゃあ邪魔しないよ」
よかった。これが、三歳くらいなら、筋道をわからずやりたい放題だっただろうが、この時分なら聞き分けがいい。
香織がじたばたしなかったので、私はゆっくりと抱え上げていた手を放してやる。香織はじっと私のことを覗きこむ。なんだろうか。この感覚も久しい。
「お姉ちゃんってハーフみたいだね。髪も金髪だし、瞳も紫色してるし。綺麗だね」
綺麗。そんな私が……。鏡なんて見たこともないし、人と接したのも懐かしいからか、ちょっと恥ずかしい。って顔を赤らめている場合ではない。
「ここは特別な人しか来ちゃいけないところなの。だから香織には帰ってもらわないといけないんだけど」
香織はぶんぶん首を振る。
「元いた場所は楽しくなかったから、ここでいいの」
香織は頑なに拒否しているが、こっちもそういうわけにはいかない。人間がこの場にいることは前代未聞のことだからだ。
どうしようかと迷っていたら、上に一筋の光が差した。太陽の光ではない。かといって暖かくなるものでもない。それは単なる光そのものだ。原始からあったまばゆい希望という光だ。そして、そこから一人の天使が下りてくる。
「ここに飛ばされていたんですか。香織ちゃん、さあ元の世界へ帰りましょう」
天使とはこれもまた懐かしい存在だ。ずっと外界から遮断されていたので、まだ健在かどうかもわからなかった。
「おや、あなたがここの番人をしているのですか?」
天使が語りかけてきたので、私は少し戸惑った。一応、職場は違えど階級は向こうのほうが上だからだ。
「はい、香織が来て少し困っていましたが」
「もしや、ここで蝋燭の火をどうこうされた訳ではありませんよね」
私はギクッとした。先ほどの件が思い出される。もしも、上に知れてしまったら、私の首が飛ぶことだろう。嘘をつこうとしたが、思いだけが先行して、なかなか喉の奥から明瞭にならない。すると、香織が私のローブを掴む。
「大丈夫だよ。私いい子にしてたよ」
香織はニッコリ笑っていた。天使は私のほうを向いて怪しそうに目を細めていたが、やがて、思考の決着がついた。
「わかりました。香織ちゃんを信じましょう」
そう言って、天使は香織を抱きかかえる。重力を感じさせないように、羽をバタつかせるでもなく、天使は上の光に向かって浮かんでいる。
「バイバーイ」
香織は、息を落ち着かせた私に向かって、手を振る。光が完全に閉じたとき、私は自分が助けられたことを知った。はた迷惑な女の子だったが、悪い子ではなかったらしい。
「おい、ふざんけんじゃねえぞ! 金どころか、てめえらサツに通報しやがったな。てめえらの行動がどういうことになるか、思い知らせてやる」
覆面を被った男は、車内で怯えている香織に向かって、包丁を手にする。香織はその恐怖のあまり、パンツからシミをつくる。
「漏らしやがったか。言っとくけどな親が悪かったんだよ。恨むとするなら親を恨めよ。こっちだって好きで殺してえわけじゃねえんだからよ」
車内で銀光がきらめいた時、一台の車が信号無視をして激突する。そして、立ち上がる黒煙。出てきたのは一人だった。そして、人間の可視では見えない、天使が降り立つ。
「さあ、香織ちゃん、今度こそ本当のお迎えの時だよ」
しかし、当の香織はケロッとした顔をしていて、天使が見えていないようだった。逆に犯人は、微動だにせず即死だった。
「あれっ、おかしいな。まあいいや、審議をかけるために一人連れて来いと言われただけだったからなー」
そう言って天使は、犯人の魂を持っていく。これから開かれる天上の裁判のために。
蝋燭の火が灯るなか。私はローブの皺を伸ばす。
これで貸し借りはなしだからね。香織。
私は蝋燭の番人。だけど、たまには不正をしたくなるような時もある。




