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1:転生前記憶が戻った日

 私が転生前の記憶を思い出したのは六歳の時である。

 その時も、別にはやり病で熱を出していたとか階段から落ちて頭を打ったとか、そういう特別なきっかけがあったわけではない。

 図書室で魔術式についての本を読んでいる最中に、これはカントール関数とみなして微分すればもっと判りやすい行列式にできるな、と思いつき、カントール関数とは何か? 微分とは何か? と疑問に思ったのがきっかけであった。

 幸運にも私は、ユールヴェント王国のヴァルトハイム辺境伯の一人娘であり、幼い頃から本に親しむ機会が多かった。

 今読んでいる本も、子供向けに魔術とは何かを判りやすく解説している入門書であり、製紙技術と印刷技術の未発達なこの世界では、貴族かそれに順ずる家の者でなくては触ることもできない貴重な物である。

 頭の中に色々な知識や経験や記憶が溢れ出す中、そばに控えていたばあやに大急ぎでペンと帳面を用意してもらい、おぼつかない手つきで頭の中に沸いてくる代物をひたすら記録し続けた。


「ヒルダ様、それは何でございますか?」

「わからないわ」


 この世界の共通語である「教典語」は、現代日本の諸々の概念や知識を記述するには語彙が不足しており、いきおい書きつけられる言葉も日本語になる。

 表意文字と表音文字で構成される日本語は、音素文字で構成される「教典語」で生活している人間から見れば、規則性を持った文様にしか見えないであろう。

 ばあやには、私が一心不乱に書き続けているそれは、子供の遊びというには随分と異質なものに見えたにちがいない。


「お母様は?」

「東屋にいらっしゃいますよ」


 帳面に今の私とは別人の生活の断片から、相変態による複数成分の原子配列構造の結晶化の機構についてまで、湧き出てきた情報をびっしり書き込んだ帳面を両手で抱え込み、私はばあやに連れられて母のいる東屋へと急いだ。



 私の母は、ヒヨルスリムという名の儚げな佳人である。子供心にも美しい人という印象がまず先にきて、実は魔族であるとか、実は大魔術師であるとか、そういう諸々一切はずっと後になって理解したくらいであった。

 ちなみに私の黒髪と真紅の瞳と艶やかな真白い肌はお母さま譲りであり、密かに自慢に思っていたりする。


「あら、ヒルダ、どうかしたの?」

「お母さま!」


 娘のただならぬ様子に何事かと真面目な表情になった母に駆け寄った私は、日本語がびっしりと書き込まれた帳面を押し付けるようにして手渡した。


「……見た事の無い言葉ね。ここは何と書いてあるのかしら?」

「はい、お母さま。「駆逐艦にもロリ系とペド系と事案系がいて、ハイエースしてダンケダンケしたくなる提督は間違いなく事案系。ケンペイ=サンこっちです」と書きました」

「?? どういう意味なのかしら。ごめんなさいね、お母さまにも全く判らないわ」

「わたしにもまったくわかりません」


 まったく、なんでそんなたわけた事まで書いてしまったのか、随分と後まで時々思い出しては奇声を上げてのたうちまわったものである。この世界の人間どころか、現代日本人の大半にとっても理解不能な内容であろう。

 恥をしのんであえて言い訳すると、この時の私は、とにかく沸いて出てきた情報を記述することのみに意識をもっていかれていて、記録する情報の中身にまで注意が及ばなかったのだ。

 さすがに自分でも意味不明な内容を説明するわけにもゆかず、ページをめくっては、母にも判ってもらえそうな内容の文章を探し出しては説明する。


「「この世の全ての物資は、分割可能な原子によって構成されている」大賢者アウグストゥスの「原論」の原子仮説の事かしら? でも原子が分割可能だなんて誰も主張していないわね。分割できるならば、それはもう原子ではないのではないかしら」

「原子よりも小さな物質は、原子で構成される物質とはまた違った物理法則で成り立っている世界の存在だそうです」

「つまり私達が知覚できる世界の最小単位が原子であり、原子の内部構造はまた別の世界なのね」


 お母さまはこの世界でも有数の大魔導師でいらっしゃって、万物の組成について大変に詳しくていらっしゃるとお父さまからお聞きしたことがある。

 そんなお方だから、この世界の常識を超える内容の話であっても抵抗無く理解できるのであろう。本当にお母さまが素敵過ぎて嬉しくてたまらない。


「「原子は、元素と量子の間の中間構成単位であると同時に化学元素の最小単位であり、下部構造として原子核と電子が存在する。原子核と電子は、クーロン力によって結びついている。また原子核は、更に陽子と中性子から構成されている」」

「ここでいう元素とは何かしら? 金銀銅鉄や火水空気土といった物質の根源要素や、魔力相の「火」「水」「風」「土」「光」「闇」ではないわね」

「……お母さま、ここに「元素とは性質の特性が異なる、一つ以上の陽子と中性子で構成される原子核と一つ以上の電子によって構成される粒子である」と書いてあります」

「つまり、この世の物質の性質の違いは、原子を構成する原子核の中の陽子と中性子の数と電子の数によって決まるというのね。とても大胆な仮説ね」


 ほほに左手を当てて軽く息をつかれたお母さまは、ぱらぱらと帳面をめくってから私の顔をのぞきこまれた。


「これを書いたのは貴女ね、ヒルダ。何があったのかしら?」

「魔術の本を読んでいたら、突然、色々なことが頭にあふれてきたので、思いつく限り書きだしてみました」

「そう。……この世界の文字でも、この世界の言語でもないわね。もしかしたら」

「もしかしたら?」

「転生前の記憶がよみがえったのかもしれないわね。それも、この私達が今生きている世界とは別の世界での人生の」


 お母さまの言葉に私は本当に驚いてしまい、泣き出してしまったことを今でもはっきりと記憶している。

 何しろ私の魂が別の人間の記憶を思い出してしまったということは、私はもうお母さまとお父さまの子供のヒルデルートではなくなってしまったのだと、その時は思ったのだ。


「お母さま、お母さま、わたし、お母さまのむすめのヒルデルートですよね?」

「ええ、貴女は私達の娘のヒルデルートよ。転生前の記憶を思い出してしまったからといって、それが変わる訳は無いわ」


 お母さまは私を抱き上げ、しっかりと抱きしめて下さった。

 まるで赤ちゃんをあやすようにわたしの頭をなでて下さったおかげで、パニックにおちいっていた私はなんとか落ち着くことができた。

 この時のことを何故にはっきりと覚えているかというと、お母さまの絹のドレスを涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしてしまって、そのことが恥ずかしいやら申し訳ないやらで身の置きどころが無かった心持ちになったからである。黒歴史というのは割りと後々まで記憶に残るものであるのだ。



 しばらくお母さまに帳面の内容を語って聞かせ、一通り中身の説明が終わった頃には、日も落ちかけていて橙色の夕焼け空になっていた。

 私達が暮らしているユールヴェント王国は、この世界に三つある大陸のうち北側のエルシリル大陸の西側にある内陸国である。

 大陸西南にあるミトレントス半島北西の南北にそびえるヴェントス山脈の北東側とそこに隣接する高原地帯を領地にしており、ダヌウィウス河という半島を東西に横断するように流れている大河の水源があり、降水量は多い。

 比較的標高が高いせいもあって、夏は涼しく冬は長く寒い傾向にある。特産物は桃とリンゴで、家畜は山羊が一般的。主食はイモで、いくつもの鉄鉱山のおかげで比較的裕福。

 私の父、ゲオルグ・ヴォルズニアが治めるヴァルトハイム辺境伯領は、王国の北西部にあって魔王国とダヌウィウス河の支流を国境線として接している。魔王国から輸入した産品を王国内に流したり、王国内の産品をヴェントス山脈の西側の西方諸領邦に輸出したりできているおかげでかなり裕福である。


「転生か」


 父は前の国王陛下の近衛騎士団団長で、今の国王陛下に代替わりしてから騎士団長の役職を辞して領地に引きこもったそうである。

 日に焼けた浅黒い肌はしわ深く、切れ長の灰色の瞳のつり目は鋭くて、くせのある濃灰色の髪は短く刈り込まれている。昔は大層な美形であったそうだが、今は危険な老狼といった風情の壮年の武人にしか見えない。

 ちなみに私の髪は軽くウェーブを描いていて、目も切れ長のつり目なのだが、そこは父に似たそうである。と、嬉しそうに母が話していた。

 でも私は、そんなお父さまを大変に好ましく思っている。いくらイケメンであっても、据わらない細い首の若造では見ていて不安でしかたがない。そこ、爺専とかいうな。


「はい、旦那様。ヒルダは、前の人生では錬金術を学ぶ学生で、一人前の術師として認められた祝いの席で酒を飲み過ぎて事故に遭い、転生したそうですわ」


 正確には、旧帝国大学の博士課程大学院生でマテリアル工学を専攻していて、研究対象はもっぱらバネに使われるベイナイト鋼であった。そして、博士号論文審査に合格した祝いの席の帰りに、信号無視のトラックにはねられて瀕死の重傷を負ったところまで記憶に残っていたわけである。

 私が実際に死亡したのか、それとも奇跡的に生き延びられたのかは判らないが、私の魂が今ヒルデルートとしてここで生きているということは、多分死亡したのであろう。折角博士になれたのに事故で死んでしまうとは、前の両親家族に申し訳がたたない。


「異世界の錬金術か。二人とも他言無用とする。使用人にも厳重に言い聞かせる」

「はい、旦那様」

「ヒルダ。お前の知識は、お前の体重と同じ重さの精霊銀よりも価値がある危険なものだ。少なくとも己の身を己自身で守ることができるようになるまでは、口外せぬように」

「はい、お父さま」


 父の懸念は正しいと思う。

 私の脳内には高炉製鉄や各種転炉の技術知識やその他の現代科学知識がしっかり納まっていて、それはこの世界に産業革命を起こすのに十分なインパクトがあるだろう。本来ならば、人類が数々の試行錯誤を経てたどり着くべき技術を一足飛びにもたらすことができるのだ。

 確かに自分の持つ技術を実際に運用してみたい、という欲求はある。だが、それで家族を危険にさらしては元も子もない。

 前世では逆縁の不孝をやらかした身なわけで。せめてこの人生では親孝行をしたいものである。あとできれば彼氏も欲しい。フツメンのリケジョでヲタだったせいで、彼氏を作る暇とかなかった。というより理工系の学生は死にたくても死ねないほど忙しいのだ。


「身体ができてからと思っていたが、明日より戦技の教育も始める。その覚悟をしておくように、ヒルダ」

「はい、お父さま」


 ヲタというか、中二病的ナニカをこじらせていた前世、実は私は剣道少女だったりしたのでした。あと古流剣術の道場とか通っていたのです。二天一流会とか。いや、二刀流に憧れるのは中二病としては正しい方向性のはずで。

 なおそっちの方の才能もあったようで、大学時代は国体ベスト8までゆきましたよ、二刀流で。どうだ、すごいだろう。

 多分、この時の私は、瞳をきらっきらさせていたに違いない。

 おかげさまで、次の日からの父の稽古は非常に厳しかった。

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