プロローグ
精緻な彫刻がほどこされた真白い大理石の柱や壁面には、優美な曲線を描く黄金色の縁取りがなされており、天井には躍動感あふれる「教典」神話の一シーンが鮮やかな色彩で描かれている。
柱という柱にかかげられ、また天井から吊り下げられているシャンデリアの魔法灯の輝きが室内をより幻想的に映えさせていて、私の意識がそちらにもってゆかれそうになる。
「我が友ヒヨルスリムの娘、ヒルデルートよ! そなたの言葉の前にあえて我の言葉を置こう。我が妻となり王妃として魔族を共に統べようぞ!!」
「魔王陛下、そのお言葉を受け入れるわけには参りません。我が身は「勇者」ユウキ・サガラの従者であり、我が心は「勇者」ユウキ・サガラへの思慕で満たされています故に」
「そなたは、我との決闘に勝利したあかつきには、この戦争を終わらせ平和な世を招くことを求めた。それは我とて同じ思いである。魔族と人族の血を共に引く娘よ、そなたこそ両者の平和の架け橋となるに相応しい。故に我はそなたを妻にと望む!」
目の前に立つ、漆黒の全身鎧を身にまとい、ブラックゴールドを想わせる重い黄金色に輝く両手剣を真紅の絨毯の上に突き立て柄頭に両手を置いたその姿は、魔王というよりもまず覇王としての圧倒的な存在感を放っている。
ともすれば膝を屈しそうになるのをこらえ、気合をこめて魔王の紫水晶のような瞳を見つめ返す。
「それに、私が陛下の妻となるわけにはゆかない絶対的な理由があります!」
「ほう、なんだそれは? 言うてみるがいい」
「私の性別は女で、陛下も同じく女性でいらっしゃいます!!」
「なんだ、そんな事か。案ずるな、魔王国では同性婚は法で認められているぞ」
「お世継ぎはいかがなされます!?」
「王配は別に娶ればよい。何、我にとってはそなたが優先する故、そなたの意向も尊重しよう」
随分と未来に生きているな、魔王国! という私の内心の驚愕が表情に出たのか、魔王は愉快そうにその麗しきかんばせを傾けて大笑なさりやがった。
「そもそもが魔族には両性具有の種族もおれば、雄しか生まれぬ種族もおる。雌雄別に生まれるのが当然の人族と同じ法では王国は統治し得ぬ。実は三代目魔王は同性愛者でな、己と共に戦場を駆ける勇士を恋人としてはべらしていたのだ。ちなみに彼が受けでな、なんとか愛する勇士の子を受胎できぬかと魔術に傾倒したそうだ」
「三代目魔王陛下が男性だとするならば、それはさぞや困難な試みであったことでしょう」
「うむ。最後は己の性別を雌に変えて子を為したそうだ」
この剣と魔法の世界に受け攻めなんて単語あるとは寡聞にして知らなかった。知りたくも無かったが。
しかも最後はTSとか、本当に心が折れそうになる。現代日本のネット小説もびっくりだ、魔王国。
「私は女であるこの身に満足しております故、陛下との間に子を為すことはできません」
「うむ。我も雌であるこの身を心地良く思っておる故にな、今更雄になろうとは思わぬ」
「では、婚儀の件はこれで」
「そう急かすな、ヒルデルートよ。そなたも気がついておるのであろう? 何故に今更の「勇者」召喚か」
怜悧な美貌をほころばせ、水晶のごとく透き通ってはいても腰に響くような重みのある声で魔王は言葉を続ける。
やはり賢王として知られているだけあって、こちらの思惑は全てお見通しらしい。
「はい、陛下。異世界より「勇者」を召喚したのは、「教会」の威信をこれ以上傾けないため」
「そして「勇者」に求められているのは、魔王である我と雄々しく闘い華々しく散ることであり、その死をもって「教会」が主導して講和を為さんとしておるわけだ」
軽く頭を傾けた魔王の面に、そのあごの下あたりで切りそろえられた藍色に輝く銀髪が、右側にさらりとかかり流れる。ちなみに左側の銀髪は、神聖金の髪飾りで留められていて後ろに流されている。
正直、魔王のあまりにもお美しいお姿に、お誘いに乗ってもよいかなと弱気になるが、一瞬だけ視線を壁際に立っている「勇者」相良祐樹に向けて心を奮い立たせた。
今、私が恋しているのは、別の平行世界の日本から来たとはいえ、ほぼ同じ日本人としての気質と思考と行動様式を持つ彼であって、目の前の魔王ではない。
ここでなんとしても魔王との決闘を制しなくては、本当に祐樹が死ぬことでしか人類と魔族の戦争を終わらせることができなくなる。
「仰る通りです、魔王陛下。諸国の王侯らは、もはや自ら振り上げた拳を下ろす術を持ちません」
「その尻拭いを、わざわざ異世界よりかどわかしてきた者に押しつけるか」
「いかなる軽蔑をも、この世界の人類の一人としてあまんじて受ける覚悟です。ですが「勇者」が陛下の御前に推参したことは事実」
「哀れみも同情もしはせぬ。だが、幾多の難敵強敵を下し我の元へとたどり着いたそなたらの勲を、何よりも我が認めたのだ。そなたとの一対一の決闘を受けたのも、その武辺を認めてのこと。誇れ」
そういって覇気をまとわせた笑みを浮かべた魔王は、確かに私に好意を抱いていることを確信させてくれた。
最初の母の名前を出して求婚することではっきりとした好意を示し、何故に私を王妃として選んだのか正当性を示し、ユーモアをもって決闘の場に臨む私の緊張をほぐし、この決闘を巡る諸々の政治的思惑をあきらかにすることで我々の立場への理解を示した。
ここまでお膳立てされておいて、魔王の意図に乗らないというのは女がすたるというもの。
私は腰に差した大刀と小太刀を抜き放ち、小太刀を正眼に大刀を上段に構え、ゆっくりと息を吸うようにして全身に魔力を循環させた。
「二天一流剣士ヒルデルート・ヴォルズニア、推して参る!!」
はっしとにらみ返した私の名乗りに、魔王もまた獰猛な笑みを浮かべて全身に魔力をゆきわたらせた。
彼女の漏れた魔力が、まるで横殴りの豪雨のように私を打ち据えようとするのを、気力を振るって耐える。
「我は魔王ルートヴェルナ。我に名乗らせたのだ、精々抗い、我を楽しませよ」
無様をさらすつもりも、道化になるつもりも私にはない。
唯一勝利への道筋を見つけ得たからこそ、私はこの決闘の場に立っているのだ。