7 魔法薬
「奴隷?!」
カルロスは、うわずった声で聞き返した。
場所は宿の近くレストランにて。朝食を取っていた一行は、すぐに出発できない理由と昨日の買い出し品を報告していた。
木イチゴのソースがかかったデザートから口が離せないアリーナに変わり、勇者が説明した。
「決まったルートを往復する賃金制の馬車とは違う。乗り捨てることも考慮して、購入の際の従者は永久奴隷と決まっている」
「それで奴隷を待つって、まさか捕まえてくるのを待ってんのか?」
「ふん。さすが魔物は発想が酷いな」
勇者はコップからゆっくりと水を飲んでから、言葉を紡いだ。
「専用の教育をされた奴隷が、その辺の奴隷館にいるわけがない。近くの街から斡旋することになった」
「永久奴隷ってどんな事したら、なるんだ?」
「重罪を犯したとき、その罪を償うためにだ。しかし、どんな事をしなくても奴隷にはなる」
アリーナがハンカチで口元を拭きながら、この世界の現状を掻い摘んだ。
「自分の種族と親の身分階級が全てです。その地域を収める者達にとって卑劣と見做されれば、奴隷に身を落とされることもあります」
カルロスは前世での世界情勢を思い浮かべながら感想を述べた。
「たぶんこの世界が1つの種族で統治されていても、身分格差は生まれると思うな」
「貴様は最下層の身分がどういうものか知らないから、気軽に言えるだけだ。生まれながらに搾取される者達は、その命は軽んじられている」
アリーナは両者の私見を頷き聞いていた。王女として身分格差からくる経済影響や負の感情など、放っておける事ではない。絵空事なら幾らでも言える。しかし、現状を変えるなら実効性と犠牲が必要である。正解への方程式などとても無さそうに思える問題を王女は、一人で解こうと押し黙りもがいていた。
「アリーナ聞いてるか?」
「な、なんでしょう?」
いつの間にか話題が変わっていたらしい。
「昨日買った物は教えてもらっていたが、どんな店がこの街にあるのかは聞いてなかった」
「この街の特徴としては、バーバラ地方から輸入した魔法薬のある店です」
「魔法薬か。見てみたいな」
「そうですね。貴方の傷を癒すのに使える物が、あるかもしれません」
「傷は昨日あの後も寝てたら直った」
「魔石を食して魔力を得たからでしょうか」
アリーナが昨日のようにして、反応で傷が癒えたのか悪戯心もあり見極めようとした。手を伸ばしてカルロスの肩に触れるかというところで、止めた。
「ん? 昨日みたいに嘘かどうか見抜くんじゃないのか?」
「ここが公衆の場だということを忘れていました」
朝のレストランは賑わっていた。
アリーナはきょろきょろと視線を動かした後、恥ずかしそうな表情をした。
「人前で殿方に触れるなど、はしたない事です」
魔王城で混浴を試みたあげく、胸を押しつけたり。
旅の最中も添い寝をするべく、宿は同じ部屋にしたり。
そんな事をする人物から出てくる言葉ではないだろうと、カルロスは呆れたように唸った。
「お前のはしたないの基準がわからない」
魔法薬を扱う店内は薄暗く怪しげな雰囲気を漂わせている。もっとも安い魔法薬でも、平民には破格の値に思えるだろう。
特殊な製法で造られる魔法薬は、専用の知識が必要である。効果によっては、使用者はもちろんの事、周りの人々にも影響を与えかねない。魔法薬のレシピと職人は管理されている。新たな魔法薬を造れる者など、人族では方手で数えるくらいなものだ。
勇者とぺリュトンは、魔法薬を売る店の外で待っていた。
「先祖返りの薬…」
「カルロス、それは亜人専用薬です」
瓶のラベルに書かれた注意事項を見たアリーナが警告した。
「魔物専用はこちらの棚です」
「そっちは先に見た」
「あら何時の間に?」
「誰かさんが夜に使う用のを見てたときに」
アリーナは聞こえないふりをして、魔物専用の魔法薬を見始めた。
主に魔物へ殺傷力の高い攻撃用の魔法薬が大半だった。油断させ服用し弱った魔物を討伐するためにある。
人族が治めるタイム地方で、魔物にとって有効な魔法薬が置いてあるはずがなかった。
「どの種族が飲んでも副作用が出ない物を、購入するしかありません」
「そうだな。今から買いだめしておきたい。また何時、襲撃を受けるか分からないから」
数種類の魔法薬をカウンターテーブルに置いた。いざ金を払おうという段階になって、アリーナは外に目をやった。
「お金を入れてるぺリュトンは外にいますね」
「ああ、翼広げて魔法薬の入った瓶を落としたら大変だからな」
「申し訳ありませんがカルロス。お金をとって来てくれませんか」
「わかった」
アリーナはカルロスが外にいったのを確認すると、素早く行動した。桃色に光る怪しげな薬を買い出し品の山の中に混ぜて、買ったのがわからない様にした。
「うふふ。どうやって彼に飲んで頂きましょうか」
満足げに笑いながら、何時何処でどんな風になどと考えていた。
この場に王都の貴族淑女達が居なくてよかった。でなければ、平民には思いつかないような色欲凄まじい脚本を書いてくれただろう。
勇者は通りを行く人族と亜人を見ていた。
(内地とは違うな…)
亜人の治めるバーバラ地方と近いからか、この国は人族と亜人は対等に暮らしていた。大陸の西に行くほど種族差別は激しい。
ぺリュトンから金を取り出しながらカルロスは聞いた。
「そんなに道行く人達が珍しいのか?」
「人と亜人が並んで歩いている。魔物が街中にいても、気にする素振りもない」
「たしかにそうだな」
「アリーナ王女は貴様に寛容だが、その好意を受け入れることはあってはならん」
カルロスは金を払うため、店に戻りながら答えた。
「わかってる。アリーナの好意は―」
言い終える前に扉が閉まった。
勇者はダリア王国に居た頃と、今のアリーナとを比べていた。そして自分自身も。
アリーナは王都に居た頃とは違い、よく笑うようになった。勇者は第一王子から離れ、比較的自由に動けることが嬉しかった。
(王都の御偉い方がこの街をご覧になったら、どんな顔をするか)
勇者は純白の鎧の下で声を出さずに笑った。
種族至上主義が、通りを人と亜人が並んで歩いているなど見たら発狂しかねない。
店内へと視線を移した。
カルロスが一つの魔法薬を手に持って、アリーナに何か話しかけている。
(そして殿下が、妹君が魔物に恋しているなど知ったら)
ただの種族至上主義者なら、気の迷いだと本人を説得したりするに止まるだろう。
アリーナは大国ダリア王国の王位継承第4位である。戦で治療魔術師として活躍する王女は、国内では非常に人気が高かった。そんな彼女のスキャンダルを他の派閥が知ったら、舌舐めずりして喜ぶに違いない。王位継承から蹴落とす、またとない機会だと。
足元をいつすくわれるかと危惧する第一王子は継承第1位。順当ならばアリーナが王の席につくことはない。
しかし、第2位の第二王子は穏健派で争いを好まず覇権争いには参加していない。
第3位のダリア王の弟は戦で何度か身を守ってもらったこともあってか、継承権がありながらアリーナの見方をする有様だった。
次期王は国外へ圧倒的な武力を行使する第一王子か、国内の人気が高い王女の一騎打ちというのが大衆の見解だった。
勇者は帰還の知らせの内容を慎重に考えた。自分が書いた手紙一つで、国にいる者達は動くのだから。
「待たせたな。アリーナが―」
「カルロス! わざわざ説明しなくとも、よいではないですか」
店から出てきた2人の仲の良い言い争いを受けつつ、勇者は自分の首元に手を置いて立場を今一度確かめた。その日、2通の手紙をダリア王国へと送った。
店の並ぶ通りを歩きながらカルロスは提案した。
「馬車の従者が奴隷なら、服とか食べ物とか用意しなきゃな」
「服は本人が着いてからが、よいでしょう。体格が検討もつきませんから」
「道中の街で買えばいいか。俺みたいな偏食家だったら大変だな」
勇者がカルロスに提案した。
「不要だと判断したら、貴様が処分すればいい」
「なんで俺が判断するんだ? しかも処分って大げさだろ」
「今回の旅の資金源は、貴様が魔王城から持ち寄った物で成り立つ。当然ながら奴隷の所有者は貴様になる」
カルロスは何か考え込み始めた。
アリーナが勇者に奴隷の特徴を聞いた。
「奴隷は男性ですか、女性ですか?」
「男です。歳は100と少し。ですが亜人なので、まだ20代くらいに見えるとのことです」
「そうですか男性ですか。よかった…」
アリーナは安堵した。ライバルが増える事態は避けれた。
カルロスは思案顔で聞く。
「アリーナ。昨日俺が2度寝した後も、買い出した物を閉まってたな。さっきの魔法薬みたいなの買ってないよな?」
「買っていません」
「本当に?」
アリーナは視線を泳がせた。
「飲食する物に混ぜるなよ」
念のため忠告はしたが、どうやら本人はまったく聞き耳を持たないようで顔を逸らした。
「これなんだと思う?」
空色のローブを着た人物は、人魚の魔物に見せた。
場所は遠くに小島が見える海岸だった。小島の周りには霧が立ち込めている。稀に何かの鳴き声が、霧の向こうから聞こえてくる。
「どう見ても魔法薬だよね」
人魚の魔物は蜂の魔物に同意を得た。
「そう。ボク御手製の一点物」
魔法薬が入った瓶を振りながらローブの人物は、襲撃したときのことを思い出し説明した。
「襲撃した時に思ったんだけど、勇者が以外と強かったんだ」
カルロスを攻撃して立ち去ろうとしたとき、異変に気付いた勇者が反撃してきた。ローブの人物は傷一つ負うことなく逃げたが、放たれた魔法から相手の力量が概ねわかった。
「メビウス様が強いと思うなんて、どんだけ強いんですかソイツ」
人魚の魔物は恐れたように顔を青ざめた。
蜂の魔物は魔法薬で何をするべきか推測した。
「つまり魔法薬で勇者を毒殺しろと?」
「いいや違う。これは飲んだ者の魔力を任意で押さえる効果がある。勇者は剣の腕も確かだから、本人に飲ませても意味がない」
魔法薬を人魚の魔物に渡しながら問いた。
「さて、君の能力は姿を変えられることだ。そして、魔力を押さえることができれば?」
「人もしくは亜人に化けて勇者を騙せってことね」
「そういうこと。勇者を騙して引き離している間に、魔王を殺せばいい」
蜂の魔物は核心を突いた。
「メビウス様なら、先日の襲撃の時にカルロスを暗殺できたはずです。それをしなかったのは我々を出しにするつもりなのでは、ありませんか?」
「彼クラスの魔物はもうほとんどいないから、仲間にしたいんだ。魔王の地位くらい自分達で取りなよ」
ローブの人物が出しにすることを否定しなかったので、蜂の魔物は魔法を使おうと身構えた。人魚の魔物が服を引っ張り止めた。
「止めたきな。メビウス様に勝てるわけがないよ」
「はぁー…そんなに信用ないならシナリオを話すよ。カルロスに断絶の魔法を使わせたい。大規模なものを。そして天空塔で、この世界の楔を断ち切る。ボクは新たに世界を作る最終過程に移れる」
人魚の魔物が確認する。
「つまりカルロスに断絶の魔法を使わせた後なら、好きにしていいってことですか?」
「もちろん。ただし条件は天空塔で大規模。他で使っても意味がない」
蜂の魔物は一通り聞くと、その場を離れるように歩き出した。
魔物の姿が小さくなるのを見届けてから、押さえていた感情を出した。ローブの人物は可笑しそうに、くすくす笑った。
人魚の魔物が怪訝そうに聞いた。
「何が可笑しんです?」
「いや、魂が同じだとやる事も似るのかと思うと可笑しくて」
「誰と?」
首を振ってローブの人物は質問を打ち切った。