4 魔の王たる継承を
大浴場にカルロスとアリーナはいた。
「一緒に入る必要ないだろ?!」
「あら、私は貴方の所有物なんですよ? 持ち主が綺麗にしてあげるのが、筋というものでしょう?」
「あ、あれは自殺しようとしてたのを止める方便だから。間に受けるな」
アリーナはカルロスが風呂に入るのを送り出してから、後から入ってきて混浴にしようと考慮。そして先ほどのやりとりになった。
青く色の付いた湯に浸かりながらカルロスはアリーナを横目で見た。彼女は堂々とした風で髪を洗っている。持ち上がる2つの山脈。
「安心しました」
「何が?」
「添い寝しても放っておかれるので、自分には魅力がないのかと思っていたところです」
その言葉にカルロスは慌てて顔をそむけ、目線を浴場の壁に移した。
「うふふ。かわいいですねカルロスは」
アリーナは思い出したかのように続けた。
「かわいいといえば…貴方には小さな角があるんですね」
「よく見てるな。髪に隠れて分からないはずなのに」
「添い寝してるときに見えました」
髪を洗い終えたアリーナが、カルロスの隣りに来た。
カルロスの紅い髪を掻きあげ角をじっくり見た。
「竜の母君に似たのですね」
「アリーナ」
「何ですか」
「…当たってる」
アリーナは目を細め笑った。
「当てているのです」
「なあ、王宮でもそんな感じだったのか?」
首を振って否定した。
「まさか。そんな素振りでも見せようものなら、利用されてしまうだけです。敵意も好意も隠して振る舞っていました。 …聞いてます?」
アリーナはカルロスを見た。途中から話を聞かず、痛いのか両手で頭を抱えている。
「頭痛がする」
「治療魔法で治しましょう」
治療を受けるべく手を下した。
アリーナはカルロスの額を凝視した。
「額に文字が浮かんでいます。“魔の王たる継承を”」
カルロスは気配を感じた。強い殺気を放ちつつ、誰かがこの大浴場に近づいている。
「誰か来る」
純白の鎧を身に付けた招かざる客は、大浴場の扉を開け放った。
カルロスを見ると剣をかざした。一気に攻めるべく、身を僅かに沈めた瞬間―
「きゃあああぁー!!!」
アリーナが思わず耳を塞ぎたくなるような金切り声で叫んだ。
招かざる客は驚いてアリーナを見た。叫ぶまで眼中になかったのは一目瞭然だった。
「アリーナ王女?! なぜここに?」
「勇者よ、出てって下さい!」
「しかし僕は魔王を打ち滅ぼすべく、王から―」
「いいからっ! 出てって下さい! 王女の湯浴みを覗くとは、不敬罪です」
勇者と呼ばれた招かざる客はカルロスを一瞥すると、渋々大浴場を出た。
カルロスはアリーナの叫び声で頭痛が増したような気がしたが、突然の来訪者の正体を聞いた。
「あいつは?」
「勇者です。ダリア王国の騎士で、誰よりも強い方です。それにしても…この大浴場は外につながる窓が無いのですか」
「正確に俺の所まで来たんだから、逃げれないと思うが」
アリーナは爪を噛んで考え込んだ。
「俺は魔王に成ったのかもな。自覚はないが」
「その額の文字ですか」
「ああ。前に父上から聞いたことがある。魔族の王は、継承したことが分かるようになっている。数日間はそれと証明することができると」
アリーナは湯船から上がると眉を寄せて、勇者が居るはずの廊下を睨んだ。
「とりあえず着替えましょう。勇者が攻撃してくるかもしれませんが」
「話し合いで済んでほしんだが」
廊下には勇者が仁王立ちで待っていた。
カルロスは勇者を観察した。純白の鎧は体だけでなく顔も覆っている。表情はわずかに覗く口元しか分からない。全体から独特の威圧感を放っていて、突けいる隙を感じさせない。
「廊下で立ち話もなんだから、部屋で茶でも飲みながらにしないか?」
カルロスの提案を勇者は一蹴した。
「断る。前魔王といい貴様といい、ふざけた奴らだ」
アリーナが勇者とカルロスの間に入った。両手を腰に当てて胸を張った。
「アリーナ王女、そこを離れて下さい。魔王を倒せません」
「嫌です。好きな方を勇者に殺されるくらいなら、身を盾にします」
勇者は驚いたのか口を開けた。
「好き? そいつは魔族の王です」
「彼は私の見方です。剣をしまって下さい」
「なによりも貴女の父、ダリア王の命令です。御理解ください」
アリーナは静かな怒気をはらんだ声を出した。
「私に最悪の魔法を使わせるつもりですか?」
「なっ…王女、自分の言っていることがお分かりか? いくらここが魔王城とはいえ、今の発言は―」
「そして、この城にはダリア王国の魔法兵器もあります。勇者がいくら強くても、私達には対等に戦えるだけの手段があります。しかし、そうなった場合、お互い傷を負います。ここは話し合いで解決しましょう」
アリーナは嘘を混ぜつつ勇者を説得した。
カルロスは自分が魔王の地位に就いたとわかったときから、思っていたことを聞いた。
「前魔王はどこにいる?」
「僕がこの手で始末した。死体は灰になって消えた」
カルロスの瞳孔が細くなった。喉元の皮膚が透けるように光だした。
焔を吐くつもりだと判断したアリーナは咄嗟に、両手でカルロスの顔を自分の方に向けた。
「カルロス、話し合いで解決しましょう」
カルロスは少しの間、アリーナを無言で見ていた。アリーナはいつ吐かれるか分からない焔に怯えることなく、カルロスの目から視線を外さなかった。
アリーナの手を払うと、カルロスは踵を返しどこかへと歩き出した。
勇者は王女の裁量に流れを任すように、述べる。
「どうやら話し合いは、王女と僕とでするしかないようです」
カルロスは城にいる魔物達を一同に集めた。
「被害は?」
側近が畏まりながら、被害の全容を述べた。
「魔王城までの道のりで、勇者は多くの魔族を葬ったようです。数は多すぎてわかりません。何分、勇者が魔法で魔族の能力を打ち消しているので、私めの能力が使えないのです。城内での被害は前魔王様のみです」
「父上は抵抗しなかったのか?」
「はい」
カルロスは苛立ったように問いた。
「どうしてだ? 父上が弱いわけないだろうに」
「それは…」
側近が勇者の生い立ちを話した。カルロスは眉を顰めて聞いていた。
「なるほどな。お前らも戦わないように。 …それで俺は今後どうすればいい? 地位を授かった後のことは、父上から聞いてないからな」
「魔王様のお好きなように振る舞って頂いて構いません。前魔王様のように魔軍を引き連れて、タイム地方に進軍してもよろしいでしょう。常々、外の様子が見たいと仰られていましたので、外遊するのもよろしいかと」
「そうだな考えておこう。とりあえず、額のこの文字が消えない内は城に居よう。継承に疑問を持つ奴が確認に来るかも知れないからな」
「おそらくは魔王様の母君である紫焔竜が御出でになるかと思います」
カルロスは僅かに表情を緩めた。
「そうか。母上に会うのは初めてだな」
「気高くも凛々しい御方です」
異世界に来て初めて見た魔物は、自分の側近として様々な事をしてくれた。身を守ってもらったこともあり、その忠誠心には幼少期のころから感謝している。軟禁状態の中で行った様々な我が儘を嫌がらずに引き受けてくれた。
(それにしても…もう坊ちゃまと慕って呼んではくれないか。寂しいような嬉しいような)
カルロスは前魔王の死と同じくらいに、側近の態度の変化に心悲しげだった。
1階のダイニングで、カルロスとアリーナと勇者は夕食をしていた。
実際に食べているのはアリーナくらいで、勇者は毒を恐れてなのか口をつけていない。
勇者はそれどころか他の事に気が散っている。不自然に感じられない程度に、鎧に覆われた顔が僅かに傾けられている。夕食をとる者達以外が、その視界に入っていた。
アリーナが食事を終るのを見計らって、勇者は顔を相手に向き直しカルロスに言う。
「城を襲撃した人物を歓待するとは、変わった魔王もいたものだ」
「お前の正体を聞いた」
カルロスの発言に勇者は一瞬息をのんだ。
「そうか」
「俺も話し合いでよかったと、今では思っている」
アリーナが聞きたそうに、カルロスの方を窺っている。
「どうした?」
「勇者は勇者だと思っていました」
「なんだそれ。ところで話し合いの結果どうなった?」
勇者は自分の正体をアリーナに知られたくないのか、話題が変わたことに人知れず安堵した。
「アリーナ王女をダリア王国に帰して頂く。こちらの要求はそれだけだ。ダリア王には魔王サタン討伐を命じられ、僕はこれを完遂した。次期魔王である貴様については王から指示を頂いていない。これ以上魔王城にいる意味は無く、アリーナ王女の護衛をしつつ帰還する」
「そうか。なら俺もアリーナの護衛がてら付いていこう」
2人は驚き同時に喋った。
「カルロスも付いてきてくれるのですか!」「魔王を王国に入れることはできん!」
カルロスは思案顔で旅の計画を大雑把に話した。
「王国に入れないなら、手前まででいい。俺は旅をして外のことを知りたいだけだし」
アリーナは涙声で喜んだ。
「よかった。今日明日にでも御別れかと思ってました」
「旅の準備やらに数日掛かるがいいか?」
「もちろんです! 帰還はゆっっくりと10年でも20年でも掛ければいいのです」
「さすがにそれはだめだろう」
カルロスは苦笑した。
勇者はカルロスとアリーナの仲の良さを、鎧の下で複雑な顔をした。
「明日から数日間は、魔王となった俺に会いに魔物がくるだろう。お前らは4階の安全な場所に居てほしい」
「どんな魔族が来るのですか?」
「竜とか。あとは父上の腹心だった魔物もくるだろうな」
カルロスは勇者の方に向き直した。
「魔法で魔族の能力を打ち消しているな。それを解いてほしい。能力が使えないと、城まで来れない魔物もいるかもしれない」
「嫌だと言ったら?」
「旅の途中で前魔王の腹心が会いに来る可能性が高くなる。その時、近くにいた人族の身の保障はできない」
勇者は無詠唱で魔法を解く。
「これでいいか」
これでいいかと問われても、カルロスには魔法を解いたのか分からなかった。夜目が利くことも、焔が吐けることも、あくまでも身体のつくりがなせる事であって能力ではない。
扉近くで待機している雪豹の魔物に視線を向けた。魔物は数秒目を閉じた後、カルロスに頷いた。
「ありがとう」
カルロスが勇者に、言葉短かだが礼を述べる。
勇者は雪豹の魔物を見ていた。
寝室にある机でカルロスは旅に向けて準備していた。主に魔法陣の写しである。
どれだけ多くの魔力を保有していても結局のところ、使い方が限られていては困る時があるだろう。それを見越してカルロスは自分が個体の特性上で使えない魔法を補うべく、魔法陣の用意をしている。分厚い魔道書では持ち運びに不便なので、説明などの内容を簡略化して複数の魔法陣の見本を一冊にまとめた。
ふと湧いた疑問にカルロスはベットの方を見た。アリーナはまどろみながらも視線に答えた。
「どうしましたカルロス?」
「アリーナも無詠唱で魔法が使えるんだなと思って」
「勇者の次に魔法が得意だと、国では言われているくらいですから」
「俺も魔法いろいろ使ってみたいな」
カルロスは伸びをしながら窓の外を見た。月はだいぶ上っている。
勇者がうろたえたあの時のことを聞きたかった。
「最悪の魔法ってなんだ?」
アリーナはこちらに背を向け答えなかった。
通貨は戦利品を現地で売り払ったりすれば十分足りる。それでも必要ならばと魔法兵器に付いてある魔石をできるだけ持っていく。普通の人族なら魔力の補給源として現金変わりとして持ち歩くが、彼にとっては現金変わりであり食材である。食の好みは竜の母親に似た。
旅に持っていく物をどれにしまっておくかで、カルロスは書斎で悩んでいた。
勇者は壁にもたれ掛かり観察していた。近くでは魔王の親衛隊が、勇者が不振な動きをしないか目を光らせていた。
アリーナは昨夜の質問は無かったかのように振る舞った。
「鞄に魔法陣を書いて自力で歩かせれば楽ですね」
「そんなこともできるのか」
「長旅ではとても役に立ちます。結構な魔力を必要としますが、カルロスなら大丈夫でしょう」
アリーナは筆と墨をとると鞄に直接書きつつ、説明を補足した。
「精霊魔法の一種です。国では戦で、馬の精霊を使っていました。目的にあった精霊を呼びだせればいいのですが…できました」
鞄を掲げて魔法陣をカルロスに見せながら慰めるように呟いた。
「失敗したら再度挑戦しましょう」
「魔法陣は完璧なんだから失敗はしないだろ」
カルロスは鞄の魔法陣に手を押しあてて魔力を込めた。
魔法陣が光を帯び、中からなんとも形容しがたい動物の鳴き声が聞こえた。
鞄が粘土をこねるように形を変えていき、オスのシカに鳥の翼が生えたような動物になった。
アリーナは驚きを隠すように手で口元を隠した。
「ぺリュトン? 出かけ先で死んだ方の魂と縁があるのですか?」
「旅の安全を祈願しつつ魔力を込めたらこうなったんだ。 ぺリュトンっていうのか」
カルロスは表情を変えずに答えた。まさか自分が前世で、出かけ先で死んだとは言えなかった。
シカの背にはファスナーがついて、鞄としての機能は失っていない。中は亜空間になっており、いくらでも物が詰め込める。
ぺリュトンはカルロスに近づくと顔を舐めた。
「なんだか犬みたいだな」
苦笑しつつもシカの胴体を撫でた。ふとぺリュトンが、自分の頭の一点を見ていることに気づいた。
ぺリュトンは離れると首を振り、見事な角を床にごつごつと数回当た。その後カルロスの髪から僅かに見える角を見て、フンッと鼻を鳴らした。
アリーナは行動の意味がわからなかったようだ。
「なんでしょう? 何か言いたげですが」
「……だ」
「え?」
アリーナが聞き返すと、カルロスは苦々しげに言う。
「精霊魔法は失敗だ! コイツ、俺の角の小ささを馬鹿にした」
「角はこれから成長していくでしょう。気に病むことはありませんよカルロス」
慰めたがそれでもぺリュトンを睨んでいるカルロスを見て、アリーナは眉間に指を当て心の中でため息を吐いた。
(そんな子供みたいな事を。角の大きさなど、どうでもいいではないですか)