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30 かわり

 カラット国はミグラス領の街マータイトは領主の屋敷にて。

 部屋にはピアノを演奏する者が居て、静かに曲を奏でている。2人の会話を邪魔するほどではなく、それでいて会話の合間の空白を埋める丁度良いものであった。

 小規模とはいえ、軍を動かす事態になった件。その渦中にいる魔族を連れている以上、領主側への説明はこなさなくてはならない義務である。

 とはいえ、領主は現在留守にしているため代行者である領主の娘が聞いている。本人には領に関わる政治ができる才が無くとも、それを支える為の人材はきちんと配備されていた。

 堅苦しい形式のものではなく、あくまでも領主の屋敷に客人として迎え入れている。相手がダリアの王族であるのだから、当然の処置であった。

 アリーナは従姉妹のフリージアの小言を聞いていた。


「ペットが増えているようでございますねぇ…」

「ペットではありません。恋敵です」


 フリージアの視線が、アリーナの後ろで控える王国の騎士へ向く。

 王国の騎士である勇者はその視線に少しの動揺も無い。寧ろなぜこの人物は自分を話題にあげようとするのか、疑問を感じるだけであった。

 アリーナは視線を言葉で絶ちきる。


「…誰を見ているのですか」

「あら? 王家のお姫様と騎士の恋、素敵と思いますぅ」

「違います。私のこの好意を捧げているお相手は…」


 アリーナは一旦言葉を切り、話し相手の反応を窺う。


「魔王です」


 フリージアの表情が驚き、真剣なものに変わる。


「ほ、本気でございますの?」

「この身を捧げた方です」


 食物として、とは余計な事は言わない。交渉事に置いて必要な要素である、相手の想像を言葉少なに誘導している。

 アリーナはフリージアに気丈な態度で告げる。


「軍を動かす事態を招いた事に対して、弁明する余地はありません。もし仮に賠償もしくは報復をする事をお考えなら、再考する事をお勧めします。なぜなら魔王軍と単なる人族で構成された軍では、全滅になるのは火を見るよりも明らかでしょう」


 フリージアはティーカップを空にすると、執事に給仕をしてもらうべく顔を傾ける。

 執事がティーカップに紅茶を注いだ。

 フリージアは紅茶の香りを愉しむ素振りを見せながら、執事から助言を貰う。執事の声はピアノの演奏に紛れる程度の声量しかなく、対面に座るアリーナからは聞き取れない。

 フリージアは頷きカップを置くと、アリーナに微笑む。


「領民へは被害がなかったのでございますから、賠償などとは考えていないのですぅ。報復もありえないのでございますぅ。なぜなら、アリーナ王女の崇高なる御意志にて魔物を連れておられると愚考致すところでございますからぁ」


 と言い終えると、台詞を考えた執事を一瞥する。執事は目礼で答える。

 そんな様子の従姉妹にアリーナは提案する。


「他の方のいる所でならいざ知らず、たまには御自分の意見を述べてはどうですか?」


 そう言われると、この従姉妹は深く考えずにのたまう。


「やっぱり、凄いのでございますか?」


 アリーナは何の事を言われたのか聞き返す。直ぐに思いつくのは、軍を動かす事態になった被害の現場で見た感想である。


「何がですか」


 フリージアは頬をやや上気させて詳しく聞く。


「身を捧げたのなら、営みをしたという事でございますよね。魔族は人族よりも体力があるのですからぁ…」


 アリーナは顔を真っ赤にさせてたじろぐ。


「なっ…! あ、貴女、他の殿方がいる前で、はしたない事を聞かないでください!」

「どうなんですぅ? 凄かったのでございますか?」


 身を乗り出して聞く領主の娘に、勇者は咳払いする。


「アリーナ王女、そろそろ街を発つ時間になりました」

「そ、そうですね。それではフリージア、ごきげんよう」


 屋敷の敷地に止めてある馬車の中。

 従者は能面のような無表情で、人魚の魔物を見ていた。

 カルロスは限られたスペースの中で必死に攻撃から逃れていた。

 攻撃といっても、部下からの熱烈な接吻である。


「なんでっ、あの魔神といい、お前といい。一方的なんだよっ…」


 方手でシェリーシアの顔を押さえつける。


「お前のせいで、ゆっくり本も読めないっ」

「いいじゃないですか。減るもんじゃないですし」


 諦め悪く、足掻く。

 顔を押さえられた手を取ると、シェリーシアは上手くするりと動かす。自身の胸部にもっていこうとする。

 身動きを止め固まるカルロスに、シェリーシアは微笑む。


「いいんですよ、魔王様」


 従者は冷やかに進言する。


「シェリーシア様、その辺で止められては如何ですか。カルロス様はお気に召さない御様子です」


 シェリーシアはそんな言葉は聞こえないと言わんばかりに、止めない。

 シェリーシアによって掴まれたカルロスの手が、その膨らみに後僅かに届くかというところである。

 カルロスは声にならない声を発すると、もう片方の手で持っていた本を掲げた。


「くぅ………っ……!!」


 ゴッという音とともにカルロスが持っていた本は、シェリーシアの頭頂部を直撃する。

 理性を失う直前に自制心が動いた。


「いったぁーい! なんでですか魔王様っ!」

「五月蠅い!」

「アリーナ王女とは混浴したくせにっ!」

「な、なんでお前がそれを知っている」


 外の様子を窺っていた従者がカルロスに告げる。


「アリーナ様達が戻られたようです」


 従者が扉を開け、外へ出ていく。

 外で待っていたぺリュトンは馬車内の様子を見ると、シェリーシアに向けフンッと鼻を鳴らした。

 そしてガブッと噛むと、ずるずる引っ張った。

 シェリーシアが叫ぶ。


「きゃああ!! なんで尾を噛むの! 噛まないでっ!!」


 カルロスが嬉々として精霊を褒める。


「よしっ。いいぞぺリュトン。そのままコレを引きずり出してくれ」

「魔王様、どうしてですかぁー」


 哀れシェリーシアは、そのままぺリュトンによって締め出された。





 ダリア王国の第二王子ライエル・アシ・ダリアは1人馬車の中で嘆く。

 場所は王直轄領にある自らの邸宅へ帰宅する道中であった。

 まだ日も高いが、冬となってくると冷える。しかし王族の持つ馬車が、その程度の寒暖に対策できないわけがない。一流の職人達によって造られたそれは、あらゆる状況下にも対応している。

 例えば、賊の攻撃に対しても。


「あー…なんで王族に…それもこれも、あの神様のせいだ。俺は普通がよかったのに…」


 外から騒がしい怒号と物音が聞こえていた。

 ライエルはそんな賊の襲撃の最中でも、緊張一つしない。圧倒的な強者を守護者として“神様”から与えられているからだ。


「賊を暗殺に使うとか、兄じゃないよなぁ…。あの人なら自分の手持ちを使うし。派閥の貴族か。しかもプロを雇う金の無い下流の―」

「殿下」

「大貴族が足がつかないようにって、このタイミングで仕掛けている時点で、誰なのか分かるって。どうやってあの人は纏めているんだよ。派閥の貴族達を、そろいもそろって皆―」


 ぶつぶつと現実逃避をしつつある王子に声がかかる。


「ライエル王子殿下」


 ハッとしてライエルは顔を上げ、馬車の扉からこちらを窺う人物を見た。歳はライエルとさほど変わらない男で、第二王子の近臣である。

 近臣は主の独り言など聞こえなかったと、いわんばかりの態度である。昔から知っている仲なので、今さら気にしていないだけだが。


「賊の掃討が終わりました。このまま、殿下の邸宅への帰路となります。伏兵の可能性も考慮し、迂回しながらとなります。よろしいでしょうか」


 ライエルは首を振り否定する。独り言をしていた時の様子が嘘のように取り繕っている。それは彼が、この世界で生きていくために身に付けた処世術でもある。


「迂回の必要はありません。そのために、ストック様が護衛をして下さっているのですから」


 近臣が僅かばかりにしか開けていない扉を、がばっと無造作に開け馬車内へと入ってきた人物。その人物こそがストックと呼ばれている男である。相当な数の賊を相手に、何故血の染みひとつ付いていないのか。それはため息混じりに放った言葉でわかる。


「素手で倒せる程度とは…暗殺を依頼されるくらいなら、もっと賢しく強くあるべきでは」


 ライエルは扉の向こうに広がる賊を見た。

 近臣が賊の死体を見せないようにと、扉を最小限にしか開けていなかった。しかしそんな配慮など杞憂である。まるで賊の亡きがらは、眠るように地面に横たわっている。相当な体術の腕前があるのが素人目にもわかる。

 馬車が再び動き出すとライエルは、男に呆れの感情を込めて聞く。


「ストック様よりも賢しく強い者などいないでしょう」


 男は、そんなのは傲慢だといったニュアンスを含ませながら答える。


「ごろごろいて、両手では数えきれません。まずゲンガー、彼はあの性格さえ治してくれれば最強です。魔神も、賢しいかは個体によりけりですが、十分強い。他には…」


 ライエルを見て男は思い出したように頷く。懐かしむように。


「ああ…それと。ダリア王国の初代国王も強力な魔術師だった。しかし貴方と同じで、無類の妹好きでして。ゲンガーに何度も怒りをぶつけていました」


 男の発言に、隣りに座る近臣は眉をぴくっと動かす。主への評価に対する怒りはもちろんの事、まるで初代国王に直に合ったことがあると言いかねない台詞に。

 ダリア王国の歴史は非常に長い。小さな国だった頃から数えれば、帝国の歴史とほぼ同程度のものである。

 自分はまさか亜人などと同じ馬車にいるのか。そんな虫唾が走る想いが、近臣の頭をよぎる。だが不快な表情はださない。この近臣は、幼い頃から貴族の業を学んできた。上流貴族というのは、心情と表情が別けれる生き物である。

 それでも敬愛する主への評価は如何ともしがたい。近臣は男に言い放つ。


「…お言葉ですが、殿下は御家族をとても大事に思われていらっしゃいます。それを誤解を生むような発言で置き換えるのは、無礼ではありませんか」


 王子の仕事を補助する役目の自分が知らぬ間に、いつからか居た護衛に釈然としないのである。

 近臣の言動に、ライエルは苦々しく笑う。


「家族を大事に思っているのは私だけではないよ」

「ええ、奥方様も同じ思いでございましょう」


 賊からの襲撃後ということもあって、ライエルはそれ以上は何も言わなかった。


(まあ、流石に兄弟を長年やってたら気付くけど…)


 近臣は改まった様子で王子に襲撃の背景を伝える。


「派閥間の力が傾いています。元帥が秘かに確立しつつあった新たな派閥を粛清するために、陛下とレオナード王子が動いています」

「40年以上も軍に身を置いてる人物なだけはありますね」

「陛下でも中々手が出せなかった人物を、毒殺されたと聞いたときは驚きました」


 誰にとは近臣は言わない。

 ライエルもあえて追求せず、独りごとの様に応じる。


「なるほど、今回の襲撃は鬼の居ぬ間にってやつか…」

「ですが、どうやら殿下以外の方も標的にしているようでして」


 ライエルは眉を顰めた。


「どういうことですか?」

「いいえ、まだ確定したわけではないのですが…。 一部の力のある貴族が、王家の力を弱めようと…」


 近臣は主の反応が予想できる。

 今直ぐに王宮に行けと命ずるだろう。そして、貴族達を王子の権力を使い召喚し尋問する事になる。

 第二王子ライエルは他国にもその著書が置かれているのを分かるとおり、知識者として有名である。兄や妹とは違う独自の人脈を持ち、それは主に豪商などが多い。商人に知恵を与え、富をもたらす王子を信頼する者達の中には貴族家生まれもいる。国王程の権力は無くとも、それでも召喚されれば応じなくては家が分裂しかねない。

 近臣は不確かな情報でも、家族を大事に思う自らの主に告げる。


「逃亡の罪に問わせるつもりのようです」

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