2 貴方の温かさに
縛られた少女の縄を解こうと近づいた。17歳くらいの少女は怯えたように肩を震わせている。カルロスは自分が魔物だったということを思い出した。
鋭利な爪で縄を切り裂き、解いた。
久しぶりに人に会えてうれしいという感情よりも、魔物として拒絶されているというショックが大きかった。
なぜここに縛られた少女がいるのか? その答えを探すべくカルロスは寝室を見渡した。
燭台の下に紙が挟まっている。黙読してから少女の方を向き直った。少女はいつの間にか部屋の隅まで移動していた。
「ダリア王国王女のアリーナ?」
少女は無言で頷いた。小麦色のふわふわな髪が揺れる。
ダリア王国王女アリーナ・ハマナス・ダリアは、先のフルニ帝国・ダリア王国間の戦争で魔法による医療衛生兵として派遣されていた。しかしフルニ帝国に100以上の兵と一緒に捕虜として捕らえられた。そこに魔王軍が横槍を入れ、戦争を強制的に終わらせた。ダリア王国軍は、もうあと僅かというところで魔法兵器を使い兼ねなかった。
アリーナは捕虜だった時の服装のままである。薄手の白いワンピースのようなものしか着ていない。
「今、食事と服を持ってこよう」
カルロスは寝室を出た。廊下では側近がすでに、食事が乗ったカートと服を持ってきていた。
「なんで王女が俺の部屋にいるの?」
「私め伝えていた筈ですが? 生ものもあるので早めに御確認くださいと」
「戦利品の一部って、捕虜の兵士のこと言ってたのか…」
「それよりもカルロス坊ちゃま。縄を解いた後で目を放すのは、いかがな事かと存じあげます」
「えっ?」
側近は寝室の扉に目線をやった。
カルロスは急いで扉を開けた。アリーナがバルコニーからまさに飛び降りようとしていた。
アリーナは静かな口調でカルロスを制した。
「来ないでください。喰われるのは嫌ですが、死にかたくらいは選びたいのです」
「死ぬのは痛いから止めておけ。それに俺は人食しない」
アリーナは顔を僅かにこちらに向けた。
「志半ば勇敢に亡くなった戦士の許にいきます」
カルロスは辛辣な様子でアリーナを見下した。
「魔法兵器を使われて死んだ人達は、死にかたを選べなかった筈だ。自分だけ孤高に気高く死ぬのか? 生まれた場所が違うだけで、同じ人族だろ?」
アリーナは眼を見開き、唇を噛んだ。飛び降りようとした。
カルロスは腕を掴み止めた。その勢いのまま寝室のほうに投げた。
アリーナは床にあたり打ち身の衝撃があったが、すぐに声を張り上げた。
「魔法兵器が、あんな悪魔の兵器だとは知らなかった! 知っていたら止めました。双眼鏡で魔法兵器が放たれた場所を見た時は、地獄かと! 悪魔の兵器を使う王家の者が、意地汚く生き延びていてよいはずがありません!」
カルロスは思考を巡らし、説得する言葉を探した。しかし何も思いつかなかった。なので事実を告げることにした。
「今は王家の者じゃなく、俺の戦利品なんだから。勝手に死ぬな」
アリーナは床に突っ伏して泣き喚いた。
側近が後ろから縄で再び捕らえようとしていたので、首を振って止めた。側近はやれやれといった感じで肩をすくめると、食事が乗ったカートと服を寝室の中へと運んだ。カルロスが礼を込めて頷くと、側近は恭しくお辞儀をして退室した。
アリーナはしばらく泣いていた。泣きやんだかと思って近づくと、静かな寝息が聞こえた。カルロスは抱き上げるとベットに寝かしてやった。
また飛び降りでもされたら止めなくては、と今夜はイスに座りながらカルロスは本を読むことにした。魔物の体は数日休息や食事を取らなくてももつ。
翌日。アリーナはベットの上で目が覚めると、天井を眺めながら呟いた。
「……フルニ帝国に捕虜として捕まっていたときより、待遇がいいのは皮肉ですね」
カルロスは本から顔を上げた。
「待遇がいいって、まだ何もしてないけど?」
「何もしていないから待遇がいいのです」
カルロスは意味が分からず首を傾げた。
アリーナはカルロスの正面のイスに腰掛けた。
「戦場では女は少ないですからね」
カルロスはようやく意味がわかったのか、顔をしかめた。
「そんな顔をなさらずに。それよりも、他の捕虜はどこですか?」
そこには、捕虜となった兵士の身を案じる王女の姿があった。アリーナは鋭い視線をカルロスに向けつつ言葉を続けた。
「800名以上の兵士が捕まっている筈です。この魔王城の広さなら、一か所に幽閉することも可能でしょう。どこにいるのですか?」
「喰った。魔王軍が」
自分一人では数万の魔王軍相手に、どうすることもできないと判断した。そして城にいる50名の人族は、せめて苦しまずに楽に殺してやってくれと勧告することしかしなかった。カルロスは本に視線を戻した。
兵が喰われたと聞いて、苦痛の表情を浮かべるアリーナを直視できなかった。
「死んだ兵の分まで生きろ」
カルロスは寝室から追い出すようにアリーナに入浴を勧めた。
大浴場は白い鉱石をタイルにしてひきつめられていた。アリーナが再び自決しないよう、監視は側近を大浴場の廊下に配置した。
王宮なら身の回りの世話をする侍女が髪や体を洗ってくれるが、ここは魔王城そんな便利な人間はいない。大きすぎる湯船にぽつんと一人だけ入るのは寂しいと感じながらも、アリーナは声を殺して泣いた。戦場で、自分の治療魔法をすごいと称賛してくれた兵達の顔が思い浮かぶ。王国軍が勝利していれば、生きて家に帰れた兵の末路が魔族に喰われるとは。“ 死んだ兵の分まで生きろ”という言葉をアリーナは噛み締めた。
与えられた服を広げてアリーナは呟いた。
「私には少し小さいかもしれませんね…」
服は男物である。大きな山脈を保有するアリーナが着るには窮屈そうである。
側近に連れられて部屋と大浴場を行き帰りするとき、他の魔族に出くわした。魔物達は口ぐちに、あの人族は美味しそうだと言った。そのたびに側近が魔王様からカルロス様へ下賜された物だと注意した。
風呂でさっぱりしたアリーナは、テーブルに突っ伏して寝ているカルロスを見た。
(綺麗にしてから食べるのかと思って、覚悟を決めたんですが。違うようですね)
赤い髪なら人族にもいる。黒い爪は王宮の専属鍛冶師もこんな色である。猫のような眼は閉じていればわからない。アリーナは妙な顔つきでカルロスに近づいた。
(こうしているとまるで人のようですね貴方は)
躊躇いながらもアリーナは右手の人差し指を、カルロスの背中に向け指先に魔力を込めた。
(次期魔王を葬れる機会を、逃す理由はありません)
アリーナは手首を切り落とされた。カルロスの側近が主人の身を守るため攻撃してきたのだ。
魔法による戦いが始まろうとした瞬間、強い殺気を感じ両者は放った相手を見た。
カルロスが不機嫌な表情で両者を睨んでいた。
「寝室に入るときはノックするように」
「しかしながら…」
口ごもる側近を無視して、カルロスはアリーナの手首を見た。彼女はすでに切り落とされた手首をくっつけて治療魔法を使っていた。
カルロスは感心した。
「すごいな治療魔法」
側近はおずおずと進言した。
「やはり人族を近くに置くのは危険です。せめて魔力無効効果のある、地下の檻に入れとくべきです」
「嫌だよ。動物じゃないんだから」
カルロスは大きく伸びをすると、ため息をついた。
「そろそろ剣の稽古の時間かな」
カルロスはその日から稽古に本腰を入れて行った。
寝ているときにアリーナの弱い殺気を受けても、まったく気付かなかった。いづれ外に行って様々なものを見たいと思っているのに、この体たらくではすぐに闇打ちに遭ってしまうだろう。自警の力は付けておくべきだと、カルロスは気を引き締めた。
その日からアリーナは4階の空いてる部屋に移された。
自分が剣の稽古をしている数時間の間に、側近が決定したことに多少の不満はあるが仕方ないとも思っていた。落ち着いて相手が睡眠もとれないなら、眼の届かない場所に置いて自決されないことを祈っておくほうがいいだろう。
食事と暇にならないようにと本をカルロスは持っていった。アリーナはカルロスの目を見ることなく、話しかけても反応しなかった。しばらく様子を見た方がいいとカルロスは部屋を後にした。
カルロスは書斎に行くと側近に聞いた。
「アリーナに何か言ったか?」
「次同じことしたら首を撥ねると。それよりも戦利品のこの動物いかが致しましょう?」
「話そらすなよ」
「この動物は肉として食べる他、卵を料理に使うようです人族は」
「ニワトリもどきか」
カルロスは前世で自炊することもあった。簡単なものなら作れるという自負がある。
そんな様子を側近は見守った。どうやら坊ちゃまの新たな興味は料理のようだ。今度はどれくらい長続きするのだろうかと。
剣の稽古の終わりにキッチンに行った。
「甘いものがいいな。クッキー、ホットケーキ、フレンチトースト、パウンドケーキ・・・」
ぶつぶつと独り言をしながら、材料と自分の頭の中にあるレシピとを照らし合わせて作れるのを列挙した。さすがにオーブンレンジなどというハイテクなものは、異世界の魔王城には無かった。しかし石釜があるなら挑戦してみる価値はあるだろう。
「よし! クッキー作ろう」
最初から石釜を使いこなせるはずもなく、クッキーは円盤状の墨と化した。
挫折することなく、その次の日も挑戦した。なんとかクッキーはできた。カルロスは成功したと思ったが、試食した側近の口には合わなかった。
それからさらに2日後、カルロスはパウンドケーキを片手にアリーナのいる部屋を訪れた。魔物の口にあわないだけで菓子作りは成功している、ということを証明したかったからである。そして、できれば、兵を亡くした傷心を少しでも紛らわせればという思いもあった。
ノックしてから扉を開けた。
アリーナは部屋の隅で縮こまっていた。
「アリーナ、菓子を作ってみたんだ。食べてみないか?」
アリーナはカルロスの声を聞くと顔を上げた。思わずカルロスは手に持っているものを落としそうになった。
目の下にクマを作り、頬は数日前よりも扱けている。アリーナは涙をぽろぽろと落としながら、カルロスに抱きついた。
「どうしたんだ?」
「魔物が…私を…怖くてっ……」
カルロスは側近を見て現状を説明するよう促した。
「臣下達が美味しそうだの食べたいだの事あるごとに訪れては言ってたので、精神的に参ってしまったのかもしれませんな」
「そうなのか?」
アリーナは頷いた。
本人が付けたとは思えない傷後がいくつか体についている。臣下の魔物が傷付けたのである。魔物から受けた傷は治療魔法を使っても直りにくい特性がある。
覚悟はしていた。しかし、今にも喰い殺しかねない魔物の獰猛さを目の当たりにして、アリーナは心が折れた。
カルロスは側近に告げた。
「アリーナは俺の寝室に移動だ。いいな?」
側近は反論しなかった。彼の心を読むと激昂していたからである。逆鱗に触れないよう、従った。
寝室に戻ったアリーナはほっとしたように一息ついた。
「なんで自分を殺そうとした相手を、気にかけて下さるのですか」
「なんでって、知らない土地にいきなり連れてこられたらツライだろ? 俺、久しぶりに人見たから大切にしたいって思っただけだよ」
「貴方はまるで人のようですね」
「そうか?」
アリーナは笑って応えた。
「はい」
ベットは一つしかない、新たにもう一つ置けるほど寝室は広い。ベットを用意した側近が文句をいった。
「人族のくせに、カルロス坊ちゃまと同じ寝室で寝ること自体がそもそも…」
カルロスは側近に礼をいった。
「ありがとう、手を煩わした」
「これくらい如何と言うこともございません。くれぐれも故奴の動向には注視してください。もう一度、坊ちゃまの命を狙おうとするやもしれません。その時はすぐに知らせてください。私めの手で止めてみせます。くれぐれも、くれぐれも油断はなさらぬように」
「はいはい。わかった」
新しく入れたベットは元からあったベットの対面に置かれた。
カルロスはベットの上で寝転んで、タイム地方の植物図鑑を見ていた。ふと気配がしたので振り返った。アリーナが枕を持って近くで立っていた。
「人肌が恋しいです。カルロス」
「残念ながらここには魔物しかいない」
アリーナはカルロスの隣りに枕を置いて寝た。
「自分のベットがあるだろ」
「ふふっ、貴方の温かさに触れていたいのです」
アリーナは毛布をかけた。
(不思議です。貴方を見ていると人の方が、凶悪で賢しく感じます)
ダリア王国王女として生まれたアリーナは、派閥争いや帝国からの暗殺者の影に怯えることもあった。先の戦争で捕虜になったのも、そもそも第一王子派の元帥の策略によるものだった。王女を囚えた帝国にたいする反撃、という名目で魔法兵器を使用したかったにすぎない。幼いころから周りの人はそんな調子だから、自分を守ってくれる人はいないのだと思っていた。
自分の隣りにいるこの魔物は違った。
自決しようとしたら叱咤し止めてくれた。殺害しようとしたことも、自分の考えを伝えて水に流してくれた。動物扱いするなと対等に接してくれた。菓子を持ってきて気をきかせてくれた。その全てがアリーナは嬉しかった。