26 飢えし竜②
カラット国の冒険者ギルドのとある一室。
ギルドマスターのブレイは、普段執務をするときの服装に身を包んでいる。
「魔獣などあてにせんことだ。魔族の血ほど嫌なものはない」
ブレイは部屋の壁に寄りかかる金髪の永久奴隷に目を向けた。
やや薄暗い部屋の中でも、その金髪は野に咲く花の如く美しさを感じられる。
オクラはブレイの発言を否定した。
「使役契約を結んだ魔獣だよ。あてにするさ。それより、後始末は完璧にしておいてほしい。彼の計画に差し支える」
ブレイは部屋の中の在り様を今一度見た。
捕らえた盗賊団のなれの果てがいくつかある。イスに括り付けてある最後の生き残りは傷だらけで、意識は朦朧としている。
オクラは直視しないよう明後日の方を見ていた。
「助言はした筈だよ。人は痛みに弱い、と」
「それでも試してみることに意義がある。しかしながら、拷問は意味がなかったと流石に思う所である」
ブレイはオクラの横で控えている鳥型の魔獣に視線をやる。
「残りの盗賊団員の記憶を魔法で修正。ニンバスの近くまで転位で搬送。その後、魔獣に後を付けさせ盗賊団のアジトを突き止める」
「最初からその手を使えばよかったのだ。なにも痛み付ける必要なんかない」
ブレイは皮肉を込めて言う。
「永久奴隷が言うと格言だな」
オクラは明後日の方に向けてた目線をブレイにやる。
「…アジトに残っている筈の奴らが感づく前に、アジトを突き止めよう」
ブレイは顎に手を当て考えた。
オクラが何かと聞く。他人の記憶を弄るのだから、疑問やらは今のうちに解消したい。
「どうした? 計画に疑問があるのなら聞くよ」
「いいや違う。レオナード王子の奴隷は躾が良くて困る、と思っただけのこと」
「どういう意味だ」
やや威圧的に言うオクラに、ブレイは手につく血を気にせず近くのイスを引いて座る。
「奴隷と違い我々は自由に主を変えられる。その上、俺は失う家もない。無くす姓がない」
「彼を脅すつもりか」
ブレイは乾いた笑いをする。
「違う違う。アガパンサス家のお嬢様のことだ。自分だったら、とても服従できない」
オクラは永久奴隷になった日のことを、今でも鮮明に思い出せる。絶望とほんの僅かな希望が入り混じった日、「オクラ、今日からお前は奴隷だ」という言葉。奴隷になった自分を迎えに来た主になるレオナード、その隣りで居るオクラの妹。
「私はただ、自分の程度を納得しているだけだよ」
オクラの言葉にブレイは肩を下げる。
ブレイの上着に付いている小さな魔法道具が光り明滅した。
「おやおや。何事か呼ばれたな部下に」
「同じ建物に居るのに、通信の魔法道具をつかうとは…」
オクラが呆れたように呟く。
「体面上は尋問となっている。死体を晒すわけにはいかんからな。さて、俺も出かけるとするか」
「どこへ?」
ブレイは明滅する魔法道具を指でなぞりながら答えた。
「竜の保護か、あるいは…」
魔法道具の明滅が止み、声が聞こえる。
―ギルドマスター直ぐにお戻りください
アリーナは街の噴水に腰を下ろしていた。
紅い髪の魔物が街の周辺に潜む魔物を次々に食い殺している、という話しが街のいたるところで聞こえた。
勇者はミグラス領の軍と一緒に魔物討伐に出向いた。
アリーナは自分がどのように行動すればいいのか、結論が出せないでいた。
首にはスカーフを巻いて傷後を隠していた。いくら治療魔法を使っても、傷後は消えなかった。手をやり、あの時のことを何度も思い出した。
「アリーナ・ハマナス・ダリアさん」
ふいに名前を呼ばれ振り向いた。
一人の少年が傍らに立っていた。右腕を支えるように包帯を巻いている。顔は逆光でよく見えない。
「この紙に書いた魔法を使って、カルロスの成長期を終わらせてあげてくれないかな」
折りたたんだ紙束を左手で手渡しながら、少年はからかうような調子で言葉を続けた。
「ボクは受けた傷の治療に専念する。全治するまでは大人しくしてるよ」
「貴方は一体…」
渡された紙束の一つを見たアリーナは震えた。禁術の類である。面識もない人に渡す物ではない。
少年は近くに止めてあった馬車に乗り込んだ。アリーナの問い掛けには答えなかった。
「人の言葉を話せるくらい落ち着いたら、カルロスに伝えてほしい。仲間になってもらう事は諦めてないって」
馬車はどこへ行くのか、動き始めた。
馬の手綱を握る相棒が説教する。
「ゲンガー、本当に大人しくしていてください」
「分かってるよストック」
魔族が治めるエバル地方にある魔王城にて―。
城には魔王の部下達が難しい顔をして話しあっていた。
新たな魔王の方針を今一度、確認する必要があると判断してのことだ。
前魔王サタンは極力、人族の治めるタイム地方へは赴かなかった。その理由は主に2つある。
1つ目―世界オールが出来てから数百年間、魔族並みに強力な種族がいて雌雄を決する争いをしていた。その種族の生き残りがタイム地方で生き延びているとも限らないからだ。二千年以上続く魔族にとっての平穏をわざわざ蒸し返すような真似はしない。
2つ目―魔族は人族より圧倒的に強い。極一部の魔術師以外は、抵抗することなど出来ない程の実力差がある。遊び程度に魔法やその強靭な肉体をもって戦争に至れば、人族は簡単に魔族によって絶滅する。その場合、生き残った極一部の魔術師が、どのような行動に至るかは自明の理。
「うーむ。魔王様は、不信の者を罰するご意思なのかもしれんなぁ…」
笠地蔵の魔物である部下が唸ると、応じるように他の者も意見する。
「しかしだ、がね。もし仮に人族にも被害が出た場合。まずい事になるんじゃ、ないか?」
「止めたほうがいいと思うよー」
「前魔王であるサタン様も、人族同士の戦争に横槍を入れていたではありませんか。そして捕虜を土産に持ち帰られた。我々は主君の意向に沿えばいいのです」
「人族も馬鹿じゃない。戦争までには至らないだろ。ただ…タイムで騒げば、魔物討伐だと言いだすな」
「ワタクシ魔王様の御身が心配ですわ」
「魔王様はご自身の防衛はできるじゃろう。なにせ、反逆した部下2名を返り討ちできるのだし」
笠地蔵の魔物が、蜂の魔物と人魚の魔物を睨む。
「サタン様に救われた恩を、カルロス様へ仇で返しよってからに」
蜂の魔物が目線を逸らしながら応じる。
「世襲の王に忠誠を誓えるのが理解できない」
「おほほほ。たかだか数百年しか生きていない者が、身の程を知って欲しいものですわ」
反論する魔物は西洋人形を思わせる外見である。室内にも関わらず日傘を広げていたが、数歩歩き蜂の魔物に近づく。後少しというところで、日傘を閉じて相手に示す。
「“魔王”というのは単なる地位ではありませんの。未来から今、過去へと紐解かれる世界の流れの系譜。この事を理解できない者がよもや、魔王様の部下に選ばれていながら反旗を翻すなどとは!」
スーツを着た執事然とした魔物と笠地蔵の魔物が頷き同意する。
「世界を造る…その事を過去から守るため、課せられた使命なのですよ」
「この世界が出来てから生まれた者には、分からんじゃろう。何せ魔神を創った存在にも、会っておやんからな」
西洋人形の魔物は苛立ったように、日傘を向けていた相手を人魚の魔物に変えた。
「貴女! 諜報に秀でているからとカルトに送れば、魔王様の手を煩わせて!」
人魚の魔物が言葉を濁しながら答える。
「魔王様が自ら協力して下さったのよ」
「嘘おっしゃい! 城の家臣やらまで見方につけて。ワタクシ達が貴女に命じたのは、人身売買に手を染める同族の摘発です! 事もあろうに魔王様を騙して利用するとは!」
執事の魔物が逃げ道を与えないように言う。
「カルトで捕まっていた家臣を、外交でどうにか送還できました。家臣から聞き出したところ、姿を変えて魔王様が摘発に協力するような状況を作り出したそうですね」
「そ、それは…」
「戦争で捨て駒扱いの兵士とは違うんじゃ。人族の人身売買を魔族が行ったと知られれば…のう?」
笠地蔵の魔物が他の者を見渡して同意を求める。
「出来る限り秘匿しておきたい事項なのです。人族を食以外の目的で利用している魔族がいるということは」
「神の裁断その2を拝むことになるんじゃねぇの? おーこわいこわい」
「ふざけよってこんな場面で」
西洋人形の魔物が人魚の魔物に命ずる。
「魔王様の許へ行きなさい。タイムで喪失した魔族の魔力、近くに居られた様子の魔王様。真意を伺うのですわ!」
執事の魔物が微笑む。
「大丈夫ですよ。竜の成長期特有の食欲なら、喰われてお終いですから」
笠地蔵の魔物が最後に付け加える。
「じゃがもし仮に…肖像画に描かれている人族が生んだ亜人が、カルロス様を殺そうなどしようものなら、全力で盾になれ」
人魚の魔物は思わず心情が、声や顔に現れた。
「なんで、そんなややこしい言い方してんですか? 素直にカルロス様の兄君と言えばいいのに…」
その場にいた蜂の魔物以外の、魔王の部下達が鋭い殺気を放つ。
人魚の魔物は武道派ではない。正面からこれほどの殺気を放たれて、平気ではいられない。冷や汗が体をつたう。
西洋人形の魔物が日傘をいつの間にか再び開いていて、表情を隠している。
先ほどの叱咤していたときとは違い、静かな声だ。
「あの時に部下ではなかった貴女達は、知りえませんわね…。あの亜人が頭を垂れ膝待ついたせいで、サタン様がどれほどお心を痛まれたか」
「ワシらとて、主君であるサタン様の意向に従い、あの者をサタン様の御子と認めていた次期もあった。じゃが、あの出来事は、アレはもう…現魔王であるカルロス様の兄などではない」
気迫に押され言葉が思わずつまりながらも、人魚の魔物は質問をする。
「そ、それでその亜人の、特徴とかは?」
返答を聞いた人魚の魔物は、絶望感に浸りながら魔王城を後にした。
天空塔は最上階内部にて―。
そこには時空間を駆けこの時代にはいない筈の者が、天空塔の柱の亀裂を覗いていた。
その姿は淡い桃色の髪で姿は10歳前後の少女。
「わぁ…。本当にシショーは封印されちゃったんだ。でも、この時代にも居るんでしょ?」
少女の問い掛けに、側に居た白い髪の魔神は答える。
「かはは。アレは魂の逃げ場所を造ったに過ぎない。本体はこっちじゃ」
「う~ん。じゃあシショーは、コテンパンにされちゃったりするの?」
「ふむ、相変わらずじゃからの。さて、お主はどうするのじゃ紫焔竜」
白い髪の魔神が、同じ最上階の部屋にいる紫焔竜へ声をかける。
広々とした天空塔内ではあるが、それでも全長100メートル以上はある竜がいれば些か手狭に感じる。
『どうするとは?』
「このままではカルロスは討伐されかねんの」
『これで死ぬのなら、それまでのこと。人の全てを喰いつくしてこその我々だ』
「相変わらずじゃのぅ」
白い髪の魔神は向き直り、少女に告げる。
「長いは無用じゃ」
「うん」
見知らぬ少年から、今の状態のカルロスを救い出す方法を貰ったアリーナは急いで用意した。
見知らぬといっても記憶を魔法で弄られ、一方的に忘れてしまっているだけだ。アリーナは少年に会っていた10年前に。
宿に戻ったアリーナは急いでぺリュトンを探す。
部屋で待っていた従者が驚き尋ねる。
「アリーナ様、一体何をされるのですか?」
ぺリュトンから杖・魔石・魔石の溶解液などを取り出しながら、アリーナが答える。
「カルロスを止める方法を頂きました」
「カルロス様でしたら、勇者様が軍と共に止めに行かれた筈ですが」
一通りの品を持ち部屋の扉に手をかけながら、アリーナが急かす様に咎める。
「それは息の根を、という意味でしょう? 私はカルロスを助けたいのです」
あっと言う間に立ち去るアリーナの姿を見ながら、従者はぺリュトンへ聞く。
「さてぺリュトン、私達はどうしたほうがいいのでしょうか」
ぺリュトンはアリーナが開けっぱなしにした背中を従者に見せた。
従者は昨日ぺリュトンに付き合わされて買った、一つの魔法薬の瓶を取り出し見せた。
「これですか?」
ぺリュトンが頷くと、従者は納得したように語る。
「アリーナ様がカルロス様を助ける間、私が軍の相手をすればいいのですね」




