16 冒険者
ラキス国の街グスリルにて。気を紛らわすべく冒険者ギルドの掲示板をアリーナは眺めていた。図書館の本を読んでいても、今頃どうしているかなど気になって本の内容が頭に入ってこない。
「このクエストなら出来そうですね」
アリーナの呟きに、護衛の従者はそっぽを向いて聞いていないフリをした。
冒険者という職業を体験するのも良いかもしれません、などこの数日間言ったりしている。勇者の冒険者ランクなら最高難易度のクエストも受けれる。パーティーを組んで冒険に行きましょうなど言いだし兼ねない。
カルロスに掛けられていた討伐依頼を出したのが第二王子だと知ると、怒るかと思いきやアリーナは案外冷静だった。曰く、ギルドへの依頼という形で良かった買い取れるのですからと。
アリーナは手紙をしたためると第二王子ライエルへ送った。連れている魔物へ手出ししないでほしい、という内容である。本人はいたってさり気無く書いたつもりの文章には、連れている魔物への愛情が溢れていた。
冒険者ギルドにある輸送物専用の特殊な魔法陣を使い、最短時間で手紙をダリア王国に送った。
「魔獣の素材採取依頼…」
掲示板に貼られている紙を取るとカウンターに持っていくアリーナを従者が止めた。
「勇者様から危険だと止められているはずです」
「早計ですね。私はただ、魔獣とは何か聞きたいのです。王都にはいませんでしたから」
図書館の個室で勇者は腕を組んだ。従者は頭を下げ謝った。
「申し訳ありません。カウンターに魔獣について、聞きに行かれたと思っていました」
「アリーナ王女に何かあったら、僕らの命だけでは責任が取れん。カルロスには後で説明しておく必要がある」
「はい」
アリーナはクエストの内容と証明の紙を手に御機嫌で言った。
「勇者よ、怒るのは筋違いです。カウンターに居た男性が、私の魔術師としての腕を見込んで勧めてくださったのですから」
勇者は組んでいた腕をほどくと、アリーナから紙を受け取った。
「一度受けた下位クエストは破棄できません。これは僕が行ってきます」
「私が冒険者というのを体験したいのです」
「アリーナ王女、冒険者はギルドでライセンスを作らなくてはいけません。クエストを達成するには、ライセンスによる証明が必要です」
アリーナはその言葉を待っていたと言わんばかりに微笑んだ。服のポケットから魔法道具であるライセンスバッジを取り出し見せた。クエストを受注する際、カウンターの男性からライセンスが必要であると教えられ2人は取ったのである。
「もう取得済みです」
勇者が従者の方に目を移した。従者は体を斜めに後ろの、首輪に着けているライセンスバッジを見せた。
諦めの声質で同行を申し出た。
「…分かりましたアリーナ王女。僕も御供させてください」
人族と魔族が交わって生まれたのが亜人である。魔族程ではないが人族よりも長寿で、生まれながらに魔力を持っている。
魔獣とは魔族と動物が交わって生まれる。思考は動物とほぼ変わらず強力な肉体と相まって、人族からは害獣とされている。亜人と魔獣からは子は生せない。魔獣を飼いならすことを専門職業とする者達もいる。大陸の西の方では魔族や魔獣は管理され、あるいは駆除されて然るべき存在という認識である。
魔族は全ての種族と子を生せる。嘗てあった世界の魔力を宿した者と、今は滅んだ種族が交わり生まれた子孫を魔族という。その強さと姿は多種多様である。
ある人族の学者は結論着けた。魔力が他とを結びつける要であり、魔族こそが優れた種族だと。
「火の魔法で辺りを温めなくては、凍死してしまいそうです」
アリーナは耳まで隠せる帽子を被り、温かい格好で辺りを見た。
アイスエッジと呼ばれる場所に来ていた。
冒険者ギルドにある魔法陣で、クエストの舞台である各エリアに行き来できる。エリアには強力な結界がかけられ、中にいる魔獣が人族の生活圏内に入らないようになっている。
それらのエリアは人族が住める環境ではなく、領土権のある国が冒険者ギルドと契約を結んでいる。強力な魔族や魔獣が結界を通り街に侵入しないよう国が討伐依頼し、冒険者ギルドは金と素材を手に入れられ共存共栄の関係である。
アイスエッジは一年を通して雪原と、地面が波のように隆起していてそこから氷柱が成っている。白一色の場所は方向感覚が分からなくなり、事前の準備を怠ると遭難で命を落としかねない。
「アイスサースネークの抜け殻はどこでしょう?」
アリーナは勇者に聞いた。勇者は純白の鎧姿であるため、気を抜くと雪原と同化して見失ってしまいそうだ。
「通年通りなら脱皮した抜け殻は、地面が隆起していて身を隠せる場所です」
勇者は今いる所からさらに数十分は歩く前方を指差した。
目的地までの道のりでは積もった雪と同化して魔獣達が襲うが、いち早く気付いた勇者が剣を振るい薙ぎ倒していった。
倒した魔獣は虎によく似ており、毛皮は素材として後にギルドに売れる。ぺリュトンは宿で留守番のため持ち帰れる量には限りがあった。
歩いてきた道のりを振り返り、従者が言った。
「下位クエストは安全なのでしょうか?」
勇者が倒した魔獣を魔法で消失させつつ答えた。
「環境は断じて安全とはいえん」
「アイスサースネークは肉食ですか?」
「ああ、そうだ。 …やはり来たか」
「はい」
勇者はアリーナに説明した。
「僕がアイスサースネークの相手をします。アリーナ王女は、抜け殻を回収しに行ってください」
アリーナはアイスサースネークを自分も見てみたいと言おうとした。だが勇者が魔獣の標的が自分に向くように、既に独特な威圧感を放っている。見るのを諦めアリーナは従者に指示をだした。
「さあ、行きましょう。居ても勇者の邪魔になるだけです」
アリーナ達が抜け殻のある場所にたどり着く頃、魔獣は現れた。
地面を突き破り土と雪が勢いよく辺りに飛び散り、アイスサースネークは剣を構える勇者を睨んだ。
巨大な蛇が氷を纏っている魔獣である。
勇者は剣を横に前に構え、左手を添えた。足元に赤黒い魔法陣が浮かんだ。
魔獣が尾を振り勇者に打ちつけようとした。
勇者は魔法を発動した。赤黒い雷が上空から凄まじい轟音を轟かせ、アイスサースネークに飛来落下した。その雷の魔法は凄まじく、一瞬来光となって辺りを照らし、落下の衝撃で雪原が風とともに舞い吹雪となった。
吹雪が止むと魔獣が再び地面に潜った後があった。
(魔神の血をひく魔獣、一撃では倒せんか)
剣を振り上げ掲げた。短く詠唱すると光の粒子で投影された巨大な剣が、地面を突き破り出現した。
光の剣の先にはアイスサースネークが突き刺さり身悶えしている。魔獣は口を開け、血を吐き散らかした。勇者は雪を魔法で動かし盾にした。
最後の止めとして自らの握る剣で、魔獣の首を切り落とした。
消えゆく光の剣を見ながら勇者は、今頃もう抜け殻を手に入れクエストを達成しているかなど思っていた。
「まるで飴細工の様…」
アイスサースネークの抜け殻を見上げながら、アリーナは感想を述べた。日の光を浴び煌めく抜け殻は芸術を思わせた。
隆起した地面がドームのようになっている。適度に空間があり日差しが降り注ぐ。
従者は素材を採取すると心配そうに勇者のいる方角を見た。
「魔獣の血の匂いがします。勇者様は御無事でしょうか?」
隆起した地面からぶら下がり成る氷柱を、アリーナは触り観察していた。
「心配いりませんよ。勇者なら無事戻って来るでしょう」
「信頼されておられるのですね」
氷柱を触る手が止まった。
アリーナは十年前のあの時の事を思い出した。
「……信頼ではありません」
アリーナが背を向けているので、従者からは表情が見えない。しかし、声の調子から何やら特別な感情を読み取った。
「勇者様の強さは王国外でも名声が高いです。戦争に出撃されれば、一騎当千となると思いますが」
アリーナは振り返り、作り笑顔で答えた。
「戦で死ぬわけには、いかないのですよ 。勇者は陛下からの信頼もある王国の騎士ですから」
雪を踏みしめる音とともに、自分の噂をする声に反応した。
勇者は純白の鎧を汚すことなく帰還した。
「クエストの抜け殻は入手できましたか? アリーナ王女」
従者が壊れそうな抜け殻を持ち見せた。頷くと勇者はアリーナに告げた。
「これ以上長居する理由もありません。さあ、帰りましょうグスリルへ」
ギルドの魔法陣のある場所まで歩く雪道、従者は勇者に冒険者としての腕前を称えた。
「帰り血を浴びることのない優れた剣技。見事でした」
勇者は何てことはないといった風で答えた。
多くの冒険者が討伐に苦労し、時にはパーティが壊滅するほどの大型の魔獣アイスサースネーク。だが彼にとっては魔法を数発放てば倒せる蛇、程度の認識である。
「陛下からの信頼を失うわけにはいかないからな」
アリーナが淡々として、横槍を入れた。
「もう既に失ったことがあるでしょう」
勇者は疑い深げに質問した。
「どういう意味ですか?」
「…いえ、何でもありません」
街グスリルの冒険者ギルドに戻ってきた。
カウンターでクエストの報酬を受け取ると、アリーナは感慨深げに述べた。
「仕事をして直接報酬を受け取るというのは、初めての体験です。危険ですが、達成感の得られる職業なのですね」
カウンターの男性は気の毒そうな表情になった。
「お嬢ちゃん、アンタ今までどんな仕事してきたんだよ? 仕事したら金貰うのが普通だろ」
言い終えて気付いたのか。男性はアリーナの後方に控える従者の首輪を視認、それから勇者を見て推測した。
「ああ、なあーるほど。つまりお嬢ちゃんは勇者のどれ―」
勇者が怒りを込めて、遮った。
「貴様、推測で失礼な発言をするな」
男性は慌てて手を上げ、勇者の怒気を鎮めた。
「わりぃわりぃ。そう怒るなって」
ダリア王国の邸宅で、アリーナからの手紙を読んだ第二王子ライエルは気分が落ち込んでいた。
手紙の内容から察するに、レオナードの思惑は実現してしまうだろう。
「このままでは兄上の思い通りに成りかねない」
ライエルは自分の目の前に座る男に手紙を見せた。
男は手紙に軽く目を通すと納得したように頷いた。
「ダリア王国の次期国王は、レオナード・クロッカス・ダリアはできません」
ライエルは王子という立場からしてみたら、やたら丁寧な対応を男にした。
「メビウス様は私に王位を継いで頂きたいようですが、兄上が手を出すなと言うのですから無理です。暗殺されるでしょう」
「その時は彼の能力で生き返らすことができます」
「生き返らす…ライエルとして、ですか? ストック様」
「彼ならできます」
事もなげに言う男にライエルは溜息をつくのを堪えた。
王子の権力を振るってみた所で大人しくしてくれる人種ではないのは、最初に会ったときから分かっていた。大人しく相手の言いなりになることで、神という後ろ立てを得られるのなら心強い。
「では事前の話し合いの約束通り、私は王位継承の争いに出ましょう」
「カルロスが街に帰ってきました」
グスリルの街中で露店を眺め、暇を弄んでいたアリーナが突然言い放った。
従者が辺りを見渡した。紅い髪などすぐに目につくはずだが、それらしい人物は見当たらない。露店の並ぶ通りは冒険者が行きかう。魔王になるほどの珍しい魔物がいたら、彼らの目つきは鋭くなって緊張感が漂う筈だが今は穏やかである。
「どちらに居られるのでしょうか。亜人の私の鼻でも分かりませんが」
「人族は魔族が近くに居ると分かります。向こうの方角ですね」
嬉しさと心配が合わさった感情をできるだけ抑え、先駆けて歩き出した。十数分歩き、ようやくアリーナは立ち止まった。
従者は思った。近くに居るという距離では無かったと。
「カルロスはこの辺りに居るはずですが…」
場所は冒険者が行きかう通りから外れた、民家が並ぶ通りである。昼の休息のため出歩く住民がちらほらいるが、見晴らしはよい。
一台の馬車が止まり中から出てきた人物を見て、従者は駆け寄ろうとした。しかし、アリーナがその腕を掴み建物の影へと連れた。
「カルロス様を出迎えないのですか?」
従者が聞くと、アリーナは真剣な表情で首を振った。
「一緒に出かけた女性がどんな方なのか見てからです」
建物の影から様子を窺った。
カルロスと女性が出ると馬車はどこかへと進んだ。
一緒にクエストに行った化け猫なる人物は、猫耳パーカーという冒険者にしてはラフな防具だった。
馬車から降りたその場所で、暫らく2人は立ち話をしていた。ようやく話しが終わったのか、女性が笑顔で大きく手を振って別れた。
女性の角を曲がり姿が見えなくなった所で、カルロスも自分の目的地へと歩き出した。手には革袋を持っている。
「カルロス」
呼ばれてカルロスは振り向いた。
「アリーナ、急に出かけて悪かった。待っててくれたんだな」
「当然です」
「お前らだけか?」
従者がカルロスが持っていた革袋を変わりに持ちながら説明した。
「勇者様は図書館で魔道書を読んでおられます。個室ですので寛げますが、宿に戻られますか?」
「そうか個室があるのか。じゃあ図書館へ行こう」
図書館へと歩きだすカルロスの表情を観察しながら、アリーナは心配事を遠まわしに聞いた。
「魔石が取れるクエストは難易度が高い筈ですが、2人だけで安全だったのでしょうか」
「怪我はしなかったな。安全な場所ではなかったが」
「2人きりで数日間も大丈夫でしたか?」
アリーナがしている心配を、履き違えながら答えた。
「睡眠は交代でしてたから、魔獣に襲われることも無かった。アリーナは心配性だな」
カルロスがアリーナの方を向いて話していると、前方から冒険者らしき鎧を着た人物が剣を振って襲ってきた。




