13 10年前、王家暗殺事件
客船のデッキで、アリーナはカルロスと島国アネモネ国を見ていた。
夕日に照らされて、アネモネ国と天空塔がシルエットとなって幻想的な雰囲気をだしている。
アリーナがカルロスに寄りかかった。
「綺麗ですね」
「そうだな」
周りにいる他の客も、いちゃいちゃし始めた。よしこの流れならばと、アリーナは上目づかいに隣りの紅い髪の魔物を見た。
小さくなっていく天空塔を見ていたが、視線に気づいたカルロスがアリーナを見た。
「アリーナ」
「はい」
先日は失敗したが、今度こそとアリーナは逸る気持ちを押さえ返事をした。前回の失敗を教訓に目は閉じない。見つめたままだ。
カルロスは呟いた。
「腹へったな」
一瞬耳を疑ったアリーナは瞬きをした。
「今なんと?」
「腹へったから、客室に戻ろう」
数歩歩いてアリーナが付いてきていないのに気付き、カルロスは振り向いた。
アリーナは泣きそうな顔で、下唇を噛んでいる。
カルロスはその姿を見ると、困ったように頬を掻き謝った。
「ごめん」
「何がですか?」
「何がって、その…」
言葉が見つからないカルロスは、アリーナの手を取って客室へと誘った。
「行こう」
数日後、無事に一行はラキス国の港町カルトに到着した。
右手首に付けていたブレスレッドを外せて、カルロスは手をぷらぷらと振った。
「ああー。あのブレスレッド、物凄く辛かったなぁ」
勇者は呆れたように首を振った。
「あれを付けて、当たり前のように魔法を使えた貴様の魔力が馬鹿げている」
褒めてるのかそれとも貶しているのか分からない、感想を受け流しつつ前方を見た。
「おっ。迎えに来てくれたのか」
一行が客船から降りてくるのを、従者が待っていた。
「御帰りなさいませ。宿の手配はすでにしてあります」
「私とカルロスはもちろん、同じ部屋にしてくれましたよね?」
「はい。アリーナ様」
「そうですか。よかった」
アリーナは安心したように何度か頷いた。
カルロスは不思議とアリーナの表情を窺っていた。客船の一件で、てっきり嫌われたかと思っていたからだ。
「ダリア王国よりアリーナ様と勇者様宛へ、手紙が届いています」
従者はアリーナに一通の、勇者に二通の手紙を渡した。
アリーナはその場で手紙を開き、内容を黙読した。
「早く国へ帰るようにと、陛下からの手紙です。勇者よ、貴方は手紙を確認しなくてよいのですか?」
「部屋で確認します」
「お兄様からの手紙の内容、見当がつきます。勿体ぶらずに実行してはいかがですか、今ここで」
挑戦的な目でアリーナは勇者を睨んだ。勇者はその視線を受けるでもなく、顔を逸らしてやり過ごしている。
ぺリュトンと従者がカルロスを見た。この状況をどうするんだと言いたげだ。
「船旅で疲れてるし、ここは人目もある。とりあえず宿に行くか」
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今から10年ほど前。
ダリア王国は王の4子目にあたる王子が誕生して、祝いのパレードが盛大に開かれていた。王都を練り歩く馬車4機が一際大きな教会の前に止まった。馬車の中から王と王妃そして乳母の腕の中では誕生した王子が出てきて、待っていた民衆からの拍手や祝いの言葉を受けた。他の馬車からは2人の王子と1人の王女が出てきた。
7歳になるアリーナ王女は笑顔で駆け寄った。教会へと続く階段の前で両手を広げ、無詠唱で魔法を使った。警護の騎士達が慌てて止めるが聞かなかった。
色とりどりの花ビラが空中から現れて舞う、教会の扉へと進む王と王妃と誕生した王子を飾った。
警護の騎士団長が咎める。
「アリーナ王女! 王の御前で許可なく魔法を使うことは、禁じられております!」
ダリア王は才能溢れる自らの子を見て微笑んだ。
「よい。アリーナも弟の誕生を喜んでいるのだ。許そう」
王妃は不安そうな表情で、乳母の腕の中の子に視線をやった。王家を祝う民衆に気付かれない程度の口の動きだった。子の髪は王妃よりも、やや赤みかかった茶色である。
「この子にも魔法の才があればよいのですが」
「なくてもよい。レオナード、ライエル、アリーナ、それぞれに才があった。我が子の誕生を祝おう。例えそれが戦禍の時代には要らぬ才の持ち主でもだ」
王が後方を歩く第二王子ライエルに視線をやった。9歳になるライエルは視線を受けると、泣きそうな表情で俯いた。
王は次に第一王子レオナードに視線を向けると頷いた。12歳になるレオナードは姿勢を正している。
「例え魔法の才が無くとも、人を扱う器があれば良い。期待しているぞ、レオナード」
「精進致します。陛下」
レオナードは体を折り、王に礼をした。
教会の扉が開かれた。この後、誕生した王子へ司祭から祝いの祝辞が述べられるはずだった―
誰かの悲鳴が突然響いた。
その場に居た全員が息をのんで、事態を把握しようと頭を動かそうとするができなかった。
乳母の腕の中にいた幼い王子が、血に塗れ絶命していた。乳母の前には剣を手に持つ男が、どこからともなく現れ立っていた。
事態を把握した警護の騎士達が、暗殺者から王を守るべく塞がった。それには目もくれず、男は王妃の後方にいたアリーナを見咎めると飛びかかり剣を振るった。
「アリーナ!」
王妃は叫んだ。
先ほどアリーナを咎めた騎士団長が身を盾にして、剣を受けとめた。
騎士が暗殺者の首輪を見て同情した。
「永久奴隷か。哀れな奴め」
騎士が膝から崩れ落ちるのを、アリーナは呆然と見るしかなかった。突然起きた血の惨劇に、感情が付いていけなかった。
暗殺者が剣を騎士から抜くと、切っ先をアリーナに向けた。
アリーナはやるべきことは分かっていた。片手を上げると火の魔法で火球をつくり、暗殺者に照準を合わせた。
布で隠した顔ではよく分からないが、暗殺者は幼い王女が無詠唱で魔法を使ったことに驚いた。その一瞬の隙がこの者の任務の成功を左右した。
飛ばされた火球を避け、剣をアリーナに横一文字を書くように薙ぎ払った。娘を覆い、かぶさった人物に暗殺者は目を見開いた。
アリーナが呟く。
「お母様…」
アリーナを守るべく王妃が暗殺者の手に掛かった。胴体を2つされては、王都の治療の魔法でも治らないのは目に見えて明かだった。
レオナードが声を荒げた。
「貴様っ! よくも母上をっ!!」
暗殺者は振り向いて声の主を見た。警護の者達がすでに2人の王子を囲んで守っている。王は王都の魔術師達により、安全なところに転送されている最中だった。
任務を完遂するべく、暗殺者は再び剣を上げアリーナに向き直った。そこに負傷した騎士団長が立ち上がり塞ぐ。
不意に起きた苦しみに、暗殺者は首元を押さえて喘いだ。
騎士は魔法の効果かと思いアリーナを見た。アリーナは母親の死体に抱きより、大粒の涙を流している。魔法を使っている素振りはない。
「そうか貴様の主人が、この場で見ているのだな? 誰だ!? 王家の暗殺を企てたのは!!」
暗殺者の足元に魔法陣が光った。暗殺者は転送の魔法で逃げ延びた。
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勇者は宿の部屋で目覚めると額の汗を拭った。手が震えている。純白の鎧は壁際に置かれ、月明かりを帯び鈍く光っていた。
10年前に起きた王家暗殺事件と言えば、ダリア王国では今でも暗殺の実行犯が誰だったのかと話しが弾むくらいだ。
ベット近くに置いてある水さしを取り、コップの水面に映った自分を見ると勇者は虚ろな表情になった。
第一王子から届いた手紙は、勇者にとっては意外な内容だった。暗号文かと思い、何度も読み返した程だ。
―アリーナが無事王国に帰れるよう警護しろ。
数行しかない手紙の一文にはそう書いてあった。しかし、こうも書かれていた。
―王国内に入ってからは直接、命令を下す。
第一王子は覇権争いの舞台を、王国で行う計画なのだろう。今年は暗殺事件のから10年という節目で、国王もアリーナの生還を願っている。現国王の機嫌を損ねたくない、という第一王子の思いが透けて見えるようだ。
同じ頃、隣りの部屋ではアリーナが不機嫌な表情で窓際で外を見ていた。
昼間からこの調子である。
カルロスは眠気を堪えて、アリーナが寝静まるのを待っていた。
「眠くないのか」
「怖くて寝れません」
アリーナは正直に答えた。自分が刺客に殺されるかと思うと怖い。だがそれ以上に自分を守って大切な人達が死ぬかもしれないと思うと、どうしても思い出して震える。
「カルロス、今日は手を繋いで添い寝してくれませんか」
「わかった」
治療の魔法でも直せない傷がある。心の傷は魔法では直せない。
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王家暗殺事件から数日後。
幼いアリーナは王宮の秘蔵書庫から本を持ち出し、急いで駆けていた。
王宮の敷地にある別の建物に来ると、辺りを見渡し扉をノックした。
中から守衛の者が顔を覗かせた。
「アリーナ王女、ここは王家の御方が来るような場所ではありません。どうかお引き取り下さい」
「いいの。早く中に入れて」
ふくれっ面で抗議した。
守衛は渋々といったようで建物の中へ案内した。
階段を降り地下に行き、鉄格子の独房の前に来るとアリーナは笑顔を見せた。
「怪我、治してもらってないでしょ?」
独房の中にいた騎士団長は目を見張った。
今はアリーナを守った時の騎士の格好ではなく、寛容な服と包帯を巻いている。
「なぜここに?」
「傷直すためにきたの」
素早く守衛が咎める。
「アリーナ王女、罪人に情けをかけてはなりません」
騎士団長は事件で護衛を務めきれなかった責任を受け、こうして独房に入っている。
だが、アリーナにとっては身を呈して守ってくれた相手である。責任の所存なども、幼い王女には到底理解できなかった。
守衛に命じた。
「貴方は上の階に行ってて。邪魔よ」
守衛がいなくなるのを見届けてから、アリーナは手に持っていた本を開いた。
「あのね。本棚にいろいろな魔道書があったの。それで、治療の魔法の本見つけたの」
「まさかアリーナ王女それは、秘蔵書庫の魔道書ですか?」
「うん」
魔道書を読み上げ、アリーナは治療の魔法を詠唱した。
薄暗い地下に光が溢れた。
騎士は自らの体を見た。あれほどの傷がなくなり、健康体そのものである。しかし、喜ぶことなく現実を幼い王女につきつけた。
「アリーナ王女、ありがとうございます。しかし、僕は死刑を待つ身です。どうか、もうここには来ないでください」
アリーナは小さな手を握り、抗議した。
「なんで? 貴方は私を助けてくれたのよ。死刑なんて駄目!」
騎士団長は独房の中で暫らく考えた。目の前にいる少女は、自らの命を預けるのに十分すぎる方だと認識すると願った。騎士として本分を全うできなかった上に、死刑を免れようとは虫がよすぎると自覚はしていた。
「…死刑を逃れる方法はあります。ですが、アリーナ王女次第です」
「何? お父様にお願いするの?」
「いいえ、違います。僕を貴女の物にして下さい」
アリーナは首を傾げた。
「貴方のお嫁さんになるの?」
騎士は独房の中で苦笑し、首を振り否定した。居住まいを正し相手の目を見て、改め説明した。
「私を永久奴隷にして下さい。そして所有者はアリーナ王女、貴女になって頂きたい。そうすれば、また貴女のことを守れる」
「奴隷にするなんて嫌よ! 皆が奴隷にひどい事してるの、知ってるんだから!」
アリーナは目を潤ませた。騎士の名を呼んだ。
「ラムズの馬鹿。私がお父様にちゃんと言うから、だから…だから…」
何を言えばいいのか、どう説得すればいいのか解らず身を震わせた。アリーナは袖で目元を拭うと走り、立ち去った。
ラムズと呼ばれた騎士は、困ったように耳の後ろを掻いた。
幼い少女に託すには重すぎた、と改まった。僅かに見えた希望は、走り去ってしまった。もはやその時が来るまで死を待たなければならなくなった。
独房の中で一人呟いた。
「 アリーナ王女、どうか強く生きて下さい」
アリーナの散々の願いも空しく、ラムズはそれから数日後死刑が下された。
その様子は王都の広場で行われた。王家暗殺事件の首謀者に、お前はこれ以上の極刑を下す、そのような意味合いも含まれていた。
その日の夜、王宮では騒がしく魔術師達が駆けた。騎士達も付いて、物々しい雰囲気である。
王宮の上空に出来た魔法陣に警戒している。
魔術師の一人が叫んだ。
「秘蔵書庫だ。誰かが最悪の魔法を使った!」
「しかし、最悪の魔法の理論を理解するような魔術師がいるとは…」
魔術師達の言い争いを、新しく就いた騎士団長が突っぱねる。
「とにかく、犯人は押さえろ! 先日の王家暗殺の再演は避けるんだ!」
書庫の扉が勢いよく開き、中へと人が傾れ込んだ。
書庫には一人の幼い少女が天窓から魔法陣を見ていた。足元には白い泥人形が2体横たわっていた。
「そっか、お母様もラムズも天国に行っちゃったんだ」
年老いた魔術師は震えて、眼前の光景を理解しようと努めた。
「ア、アリーナ王女その足元の物は…?」
「失敗しちゃった。魔力が足りなかったのかな」
「最悪の魔法を使って、生き返らそうとしたのですか?」
書庫に入ってきた者達を眺めながら、アリーナは自らの魔力を高めた。
「私も同じところに行けるかな」
片手を上げ魔法を使おうとした。
年老いた魔術師は慌てた。この場にいる魔術師で無詠唱できるのは、アリーナしかいない。戦闘になれば、多大な被害が予想できた。
「お止め下さいアリーナ王女! 我々は貴女の敵ではありません」
「なんで? お母様を切った人も、ラムズを死刑にした人達も私の敵よ」
その手を、どこからともなく現れた人物が握り止めた。
アリーナは優しく握るその手の主を見上げた。
「貴方、誰?」
空色のローブを着た人物が答えた。
「君を止めに来た魔術師だよ」
「止めないで」
「2人の魂を探していたんでしょ? ごめんね」
詫びつつローブの人物はしゃがんで、アリーナと目の高さを合わせた。
「今していたことは忘れよう?」
「嫌」
「頑固だね」
困ったように笑いながら、ローブの人物はアリーナの頭を撫でた。
「良い夢を見なさい」
魔法を使われ、アリーナはふらりとよろめいた。ローブの人物は少女を受けとめると、ゆっくりと床に寝かせた。
年老いた魔術師は旋律したように、言葉を絞り出した。
「まさか、貴方は…」
隣りにいた騎士の者が声を上げた。
「貴様、名を名乗れ! アリーナ王女に何をした!!」
ローブの人物は天窓を見上げ、王宮の上空の魔法陣が消えゆくのを確認した。
顔を魔術師達に向けて、至って友好的な口調で尋ねた。
「この書庫の魔道書は危ないから、全部燃やしてもいいかな?」
騎士団長が剣を振るった。ローブの人物は薄紫の結界を張って防衛した。
「騎士の人じゃなく、魔法を扱う人達に聞いてるんだけど」
年老いた魔術師は騎士団長を止めた。
「止めるんだ。剣を下せ。そのお方はこの世界の神だ」
ローブの人物は否定した。
「代行者だけどね」
手で、アリーナと本棚と床にある白い泥人形を順に示した。
「賊2名が秘蔵書庫に入った。アリーナ王女は勇敢にも対峙し、増援が来るまで魔法で応戦した。賊は増援が来ると観念し、最後の足掻きで書庫に火を放ち自害した」
今回の出来事をでっち上げると、ローブの人物は手を叩いて促した。
「さあ! アリーナ王女を連れて、さっさと出て。火を放つよ」
反論する機会を与えず、既に火の魔法で本棚を燃やし始めていた。
慌てて騎士がアリーナを抱え、書庫から他の者達と引き払った。
燃え盛る火の中、灰になっていく魔道書をローブの人物は見守った。
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