12 水着回
アネモネ国の宿で、勇者は天空塔であった出来事を聞かされていた。一通りあった事を話すと、カルロスは核心をつくことを述べた。
「ラキス国に入ってすぐに襲撃にあっただろ。そのときに亜人から聞いたんだが、お前は天空塔の魔法を知っているんだってな。天空塔の魔法について教えてほしい」
勇者は部屋を見渡した。アリーナは風呂に入っていて、ここにはいない。
「大したことではない」
「メビウスの目的が、よくわかんないんだよ。天空塔自体にも、何か秘密があるみたいだし。世界の楔だとか。父上は前に、嘗て世界は複数あったって言ってたし」
「貴様が悩むことではないだろう」
「俺が断絶の魔法を使ったことで、何か起こったら気になる」
勇者は深いため息を吐いた。
「…天空塔に居た女性が教えてくれた魔法だ。転生の魔法といって、過去の時間軸から魂と精神を引っ張て別の肉体に移し替える」
「それで、転生の魔法、使ったことあるのか?」
カルロスは息を呑んだ。目の前の人物が、自分を転生させた人物かもしれない。
「いいや。使ったことはない。僕の母が苦言した。魂を扱う魔法は、この世界の神に探知されるから使うなと」
「メビウスに探知される、か」
「む。奴が神なのか?」
「部下が言ってた」
人魚の魔物がローブの人物を神と呼んで、逆らってはいけないと通告していた。
勇者は思考を巡らして一つの答えにたどり着いた。
「それで貴様はただの観光だと言いながら、実は天空塔にいる女性に会いに行きたかったと?」
「いいや天空塔に行ったのは、アリーナを助けるためで…」
「アリーナ王女が偽物だと分かったのは、天空塔に行ってからだと先ほど説明していただろう」
「あー…それはだな。えーと、神の啓示を受けちゃったと言うか、なんというか」
しどろもどろで説明するカルロスに、勇者が容赦なく言い放った。
「つまりメビウスに唆されて、天空塔に行ったと。貴様、何を吹き込まれた? まさか天空塔の魔法を教えるから、とかではなかろうな」
カルロスは勇者に自分が転生者だと伝えるべきか、悩みながら説明した。
「それは違う。俺がだな、つまり、その、天空塔の人物が…」
部屋の扉がノックされ、アリーナが枕を抱えて入ってきた。
「カルロス、狭いですけど一緒に…何故、勇者がいるのですか?」
カルロスはナイスタイミングだと、内心ほくそ笑みながら説明した。
「天空塔であったことを一通り話してたんだよ。そうだな戦って疲れてるから、もう寝るか」
戦って疲れていると言うわりには、まったくそんな素振りは見せていない。天空塔から持ってきた魔石を、ぼりぼり食べながら話しをしていたため機嫌もいい。
「さぁ勇者よ。行きなさい」
アリーナは扉を示した。
大抵の物語では、王女が勇者に「さぁ勇者よ。御行きなさい。魔王を打ち滅ぼすのです」などと言うものかもしれない。しかし、アリーナ王女は違う。全力で勇者を自分と魔王から離したい。
「アリーナ王女の御部屋は別に取っております」
「いいのです。私は今、攫われた後で傷心の身なのですから」
なんだかんだで勇者を追い払うと、アリーナはベットに腰掛けた。
カルロスは魔石の入っている袋を漁った。魔力の濃い物を探しながら、何気なく聞いた。
「どこから話し聞いてた?」
「なんのことでしょうか」
アリーナは、とぼけると枕の形を直した。
小麦色の髪は洗いたてで、ふんわりとしている。動くたびに花の良い香りがする。
「人魚の魔物が言ってましたね。その、私の姿で、人前であんなこと、とか…」
アリーナは赤面して、だんだん尻すぼみに声を濁した。
カルロスはその様子を見ると、隣りに腰かけた。
「ここで再現するか?」
アリーナは頷くと目を閉じた。相手が一向に臨むことをしてくれないので、目を開けた。
「なんで目閉じてるんだ?」
手を差し伸べたカルロスが待っていた。
アリーナはまさかと思い、聞いた。
「あ、あの、具体的にどんなことをしたのでしょうか」
「天空塔に行くの躊躇う俺に、手を握って船着き場まで連れてったんだよ」
「手を握った…」
「そう。人前でな」
カルロスは快活に笑った。
「な? 王女の身分で手を握ったり、出来ないだろ」
「そうですが、私は…」
アリーナは内心でがっくりと肩を落とした。
翌朝街中で買い物をするアリーナに、カルロスは付き添いをしていた。午前中に船旅に必要な物を買っておき、すぐにでもアネモネ国を出発しようとしていた。
生活水準が中世程度の異世界でありながら、店内に並べられた商品は違和感を感じる。それはつまり、以前から他の転生者達がこの世界に知識や技術を与えていった事を意味する。
「どうですか、カルロスこれは?」
「なんだその紐束」
カルロスは若干引きながら、アリーナが手に持っている商品を見た。
「水着です。私が遊泳するとき付けようかと」
「いつ遊泳するんだ?」
「今日の午後にでも」
「傷心の身じゃなかったけ」
「ですから、楽しい思い出で塗りかえれば良いのです」
紐束と呼ばれたそれを戻すと、別の水着を選び始めた。
カルロスは前々から思っていても、聞けなかった事を質問した。場合によっては、ここで旅を止めるべきかもしれないと思えることである。別れを告げるべきかもしれないほど、重要なことだ。
「お前、国に帰る気ないだろ」
責めるでもなく淡々とした口調だったが、その言葉にアリーナは深刻な表情になった。
「ありますよ。ただ国に帰るだけなら、王都の魔術師を呼んで移動の魔法陣を使えばいいのです」
「じゃあなんで、時間稼ぎみたいなことをしてるんだ?」
「相手が尻尾を出すのを待っています」
「相手?」
「お兄様の派閥からの刺客を、ダリア王国以外で迎え討ちたいのです。王国内では刺客の処分がどうなるのか見当がつきませんから」
カルロスは王家の覇権争い事情など分からないが、率直な気持ちを伝えた。
「なあ、兄妹で争うのって寂しくないか」
「そういう家系ですから」
暗い雰囲気を払いたいのかアリーナは妙に声を弾ませながら、選んだ水着を見せた。
「さて、これに致しましょうか。胸がよく見えるので、カルロスも気にいるでしょう」
アリーナの発言にカルロスは店内を見渡した。幸い店内は賑わっていて、誰もこちらに気がつかないようだ。
「あ、あのなアリーナ。そういう発言はしないほうが…」
「あら、嫌ですか水着? てっきりカルロスは胸がお好きなのかと。たまに見ていますので」
カルロスが弁明しようと口を開いたとき、後ろから冷たい声が射ぬいた。
「貴様、アリーナ王女をそんな邪な目で見ていたのか」
食材が詰まっている袋を手に勇者が、いつの間にか2人の後ろに控えていた。ぺリュトンにいたっては、主人をゴミ虫でも見るかの様な目で軽蔑していた。
「違う。アリーナ、俺は―」
カルロスは横に居るはずのアリーナを見た。
いつの間にかアリーナは鼻歌をしながら会計をしていた。
太陽が降り注ぐ浜辺に一行は来ていた。
浜辺は観光の人族が多く、カルロスが生前でいた世界を彷彿とさせた。異世界として違う点は、ビーチバレーならぬ魔法バレーがあることくらいだ。ボールを器用に魔法だけで動かす。もちろん一般的な人族の魔法の威力など微々たるものであり、周りの者達への害はない。
勇者は純白の鎧を脱ぐ気がないのは見てとれた。ぺリュトンはシカの角で砂堀をするのが楽しいらしい。
アリーナは水着に着替え海に入ると、カルロスに文句を付けた。
「カルロスも遊泳しないのですか?」
「魔物にこれつけるくらいだからな」
カルロスは右手首に付けてるブレスレッドを見せた。アネモネ国に入ってからずっと付けている物で、国内に居る魔族を管理するためにある。
「腕に魔法陣を書いて武装している魔物が、遊泳はできないだろ」
アリーナは水面で息を吐いて、ぷくぷくと泡をだした。
「魔法陣が見えないように、すればいいのですよ」
「拗ねるなよ」
「拗ねてなどいません」
ぺリュトンが耳を立てた。浜辺の向こう、港の船着き場の方を見た。カルロスの袖を噛んで引っ張って誘導した。
カルロスは勇者の方を見ながら頼んだ。
「何かあったみたいだ。アリーナの事頼む」
アリーナが慌てて海から出た。レースでできたガウンを上から羽織りながら、後を小走りでついて行った。
「待ってください。私も行きます」
ぺリュトンが案内した場所には人だかりが出来ていた。
カルロスは状況を呑み込むと、ぺリュトンから道具と本を取りだし魔法陣を地面に書き始めた。
アリーナと勇者も現場に着いた。
船着き場から数キロ離れた海上で、客船が傾いて沈没している。
アリーナはぺリュトンから杖を取りだすと、人ごみをかきわけた。
勇者は辺りの人ごみを注意深く見やった。
「カルロスその魔法陣は、どのような物ですか?」
「海の砂を動かして、船を海面まであげようと思って。だけど少し時間がかかる」
急いで書いているが、離れた場所の地形を動かすので規模の大きい魔法陣になる。まだ書き終えるまでに時間が有した。そうしている間にも客船は帆先しか見えなくなってきた。
「時間がありませんね。海を…別けます」
アリーナは杖を振るって地面にトンッと突いた。
目の前に広がる海が、ザァーという滝の流れるような音を立てながら直線に開けた。沈んだ客船が海底に見えた。周りにいた野次馬もカルロスも驚いて、強力な魔術師に畏怖の視線を投げた。
「カルロス、何を呆けているのですか。早く魔法陣で、客船を船着き場まで移動させてください」
「ああ、そうだな」
幸い救出が早かったため死者は出なかった。周りの人達はこぞって救世主達を称賛した。
「あら? 勇者が見当たらないですね」
「そういえばいないな」
街中の裏道りを逃げる目標に、勇者は一定の距離を保って追っていた。
客船を沈めていた海上は、不自然な風と波があった。そして辺りに魔力が漏れないようにしながら魔法を使っている人物をつきとめた。周りの魔術師に魔法を使っていると、悟られないようにするのだから相当な精鋭である。
目標は息をきらし、振り返った。首には永久奴隷の首輪がある。
勇者は嘆息を吐きながら、剣を抜いた。
「殿下の奴隷好きにも、困ったものだな」
相手は喚きながら、石の魔法で弾丸を飛ばした。勇者は火の魔法で防いだ。お互いに無詠唱で魔法を使っている。
「うるせぇ! あんな奴の言いなりになるくらいならっ、命令違反で死んでやる!」
「貴様への命令はアリーナ王女が乗った客船を鎮めて溺死させること、か?」
「あの客船には、乗ってなかったみたいだがな」
弾丸が塞がれたことを見ると、相手は片手を上げた。空に灰色の雲海ができた。ゴロゴロと雲の中から音が聞こえてきた。
相手が魔法で落雷させると、勇者は石の魔法で盾を作って逃れた。
勇者が死角から素早く動き剣を振るった。相手は地面から石の魔法で槍を斜めに生やし、柵を作って防御した。
「僕の今の使命は、アリーナ王女を王国に送り届けること。邪魔はしないでもらいたい」
石の柵とは思えないほど呆気なく、剣が斬り裂いていく。
刺客が火の魔法で火球を飛ばす。
「王国の騎士の使命なんざ、知るかっ!」
火球を残った槍柵ごと風の魔法で薙ぎ払うと、勇者は剣を構え相手の様子を見た。
刺客が見事客船を沈めたとして、果たして何十人の犠牲が出ていたか。他人を巻き込むことに躊躇しない刺客の主人。
ただの悪人なら切り捨てても良いが、命令されて実行する奴隷には己の意思が尊重されない。
「貴様の他に刺客は何人いる?」
「さぁな。知らねぇ」
近くの路地から衛兵が駆けつける声や足音が聞こえる。
相手の奴隷はせせ笑った。
「お前は何も考えず捨て駒として命令を実行してこい、だとさ」
客船を鎮めた犯人だと見抜き、魔法で攻撃しても防がれる。勝てないとみると、いさぎよく自決の道を選んだ。
相手は両腕を上げた。自らの上空に魔法で大きな石の槍を作り、降らせた。確実に自分が死ねると確信したところで、勇者に辞世の句を述べた。
「あばよ。糞すぎる奴隷人生だった」
槍で射ぬかれる瞬間、相手は誰かの名を呟いた。
それは大切な人の名前。
勇者は自決した刺客のところに歩み寄った。しゃがんで相手の見開かれた目を、手で閉じる。奴隷の首輪も死とともに取り外すことができるので、回収した。
衛兵達が駆けつけ声をかける。
「そこの奴! 何をしている!」
勇者は純白の鎧から、身元のわかる証明カードを取り出し見せた。
「ダリア王国の騎士団に所属する者だ。客船沈没事件の犯人を回収願いたい」
衛兵達は言を確かめるべく、証明カードを見た。その後遺体の方を確認する。
勇者はその様子を、どこか遠くから見るような感覚を覚えた。
刺客は浮き出た骨が生生しい細い体だった。主人の任意で永久奴隷の首輪は、付けている者に疼痛を与えることができる。強い魔術師故に主人に反抗して、報復に痛みを与えられたのだ。首には自分で引っ掻いた後が、沢山残されていた。




