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光の中で目を閉じ、また開く。三度目にもなるとタイミングに慣れてくる。
手を出して掌を上に開いて待つ。
僕の目の前には木のフクロウが落下して来る瞬間がある。合言葉を言う直前に、放り投げた木のペン立てだ。蓄積された位置エネルギーを解放しながら重力に引かれて落下運動をしている。それをキャッチしながら、自分の予測通りになった事を安堵する。思わずふぅっと息を吐く。
次に時計合わせだ。
アナログ時計は1時28分で停止している。これは現実世界での時間。
もう一つ、腕に巻いたデジタル時計が動き出している。本の出入りをしたために少し誤差があるのでこれを28分に合わせてスタートさせる。これで本の中の時間が解る。
奥村の時計も、同様にセットする。奥村が持って来たピンクのアナログは、大耳ネズミの世界的キャラクターを蛍光に光らせながら1時28分で停止。僕が貸した太陽電池型デジタル時計を一度リセットして28分に合わせてスタート。
さて、放置したストップウォッチ。これは二つ共、同じタイムを計測し続けている。僕が片方を持って本から離脱したのに、コンマ1秒の誤差もない。つまり、本から抜けている間の時間が停止していることになる。
そんなテクノロジーなどまだ日本には、いや世界には無い。これら含めて、魔法のたぐいであると思う他ないじゃないか。
我ながら現実主義だという自覚はある。だが、空想や非科学的な物も冷静に受け入れる必要もある。『目の前にある事をそのまま受け入れなさい』というのは母の教えだ。研究者は繰り返す実験の中で予想外の結果や結論を導き出す事もある。物理学者の理論の裏づけの実験など、根気の要る実験の繰り返しだ。それに負けずに研究を続けて行くためには、現実を冷静に見る事と、多目的に物事を捉える視野は必要だ。
いつかガリレオが説いた巡る地球の不思議、万有引力の理もたった一つのリンゴが落ちるのを見た事がキッカケだ。
確かに、地球が球体で回転していた場合、リンゴが木から落ちると真下に落ちるのはおかしい。移動する物体から落下させたら、落下点は変わるものだ。普段、何気なく見過ごしている不思議は、一つの答えをちゃんともっている。近代の科学や物理学はあらゆる物を解明して来た。今では新しい定理や不可思議を発見する事など逆に難しい。
解明されていても非公開にされている物もきっとあるだろうな。宇宙人や銀河系の歴史など、不可視の情報や誰かの空想が最も有力だとされている事もある。
僕の中の空想が、全て正解ではないだろうが、この今僕たちが訪れた世界と奇怪な瞬間移動は、きっと一つの結論を持っている。それが何かまだ分からないが……
「誠くん?どうしたの?」
……この少女を僕は守らなくてはならない。
僕は男で、彼女は女の子だ。
いくら嫌われても、なるべく側に居て、守ってあげるのは男の責務だ。これから向かう場所が安全だとは限らない。ピクニック気分でなどいられない。
「奥村さん、僕が君を守るよ」
僕は言った。
「きっと、何があっても絶対に守るから」
「あ……はぃ」
赤面する奥村を、僕は見つめていた。ろくな装備もしないで時計だけ持って来た彼女を。しかも僕が指示したアイテムだ。なかなかに恐ろしい。
「あれ?今日は眼鏡してないね。昨日図書室では掛けてたのに」
僕が言うと、奥村はチラチラと目線を泳がせた。
「あ、さっき帰ってから、ちょっとコンタクトしてみたの。前から持っては居たんだけど。やっぱり眼鏡のが楽だし。そんなに視力が低いわけじゃないから、家の中とか掛けなくても支障無いんだよ」
「忘れ物対策か。眼鏡を忘れるとか想像つかんけど」
「え?はは、あははは、そうだよね~」
「まぁ、そっちのがいいよ」
「……」
「メガネ無くてもちゃんと可愛い」
「な、なによソレ~!ちゃんとってどういう意味よ~っ」
「イタイイタイ、つねるな、ひっぱるな、たたくな」
奥村の手加減された痛くない攻撃を受けつつ、僕は出発に向けて動き出した。
荷物を背負い、靴を履いて、木のフクロウにペンを突き刺した。
扉を開くと小屋の外は穏やかに晴れており、木々をそよぐ風がひんやりと肌に触れた。
この小屋まで歩いて来た小さな獣道とは逆に向かって伸びている少し広い山道を選んで歩き出す。
山を下るのを意識しながら、誰かが作ったのであろう道を。
二人で並んで歩くに容易く、僕たちは会話も足取りも軽いまま、実に40分も歩き続けた。
山道は小さな川を望む渓谷の道に抜けて、一本道が続く先に、あの大きな湖が姿を現した。
湖を高台になった山道から見下ろす。
道は緩やかに下りながら続いて、時折ゆるくカーブしながら湖に沿う。
その先に見えるのは白い城壁。
湖に面しているのはお城のごく一部らしく、それは立派というには巨大過ぎる城だった。
岸壁から乗り出すように突き出した物見の灯台。吊り鐘はおそらく警鐘。洋風の三角な屋根が、どこかのアニメを見ているような気分にさせられる。
奥村はどんどん大きく姿を見せる城に歓喜していた。
道はお城に向かって伸びていたが、城壁に近くなると二又に別れる。湖に向かう道と、山の中……森と言うべきなのか、さらに広い道に続いていく。
僕は湖に背を向けて森への道へ向かう。お城が湖に背を向けた造りならば、こっちが正面に近いはずだ。
予想通りに、広い街道に出た。
舗装された石畳というやつだ。これならば荷馬車の一つも走っていそうだ。
白い石が敷き詰められ、太陽を反射して、砂埃をキラキラと反射させて街道はお城に向かって伸びる。
すると逆側から、馬に引かれた荷馬車を発見した。こちらに向かってくる。僕はその上に乗っている人間らしき姿にまず驚いた。
中肉中背のワシっ鼻、しかも髪が真ミドリ。
目は線のように細く、優しい雰囲気だが眉毛が黒くて剛毛、さらにあの鼻と髪の色が現実離れし過ぎてもう気になる。
ドワーフがこの世に居たらコイツだと叫びたい程だ。第一村人がコレならば街に行ったらどうなるんだ?赤とか青とか居るのか?
僕と奥村が並んで街道に立って見ていると、茶褐色の足の短い馬がカッポカッポと歩いて来る。その後ろに引かれた荷車には、木の樽が五つ。グリーンのワシ鼻が一人。手綱を引く手を少し締めて、僕たちの前で馬車は停まった。
グリーンワシ鼻が、馬車の操馬席からジロジロと僕を見て、ウヘェと嫌そうな顔を一瞬見せる。そして奥村を見て、うんうん、まぁ……うん。と頷く。そして言った。
「お前さん達、ここらで見ない顔だね。街に行くのかい?お城に行くのかい?」
と、棒読みで尋ねて来た。
奥村は僕の顔をチラ見して、すぐさま答える。
「お城です!」
と。まぁ、元気。
グリーンワッシーは満足そうに頷く。が、僕は一瞬考える。お城に行くのか?だって?街もあるんだろう?じゃあ答えはこうだ。
「お城も街も見たいです」
僕が言うと、ワッシーは一瞬固まり、眉根を寄せた。
「どっちもかい?」
「もちろんです。失礼ですが貴方は今からお城に行かれるのですか?」
僕が尋ねると、怪訝そうにワッシーが頷く。そして棒読みのセリフ回しで言った。
「俺は今からお城にこの酒樽を届けに行くんだ。お城に行くなら乗せて行ってやろう」
抑揚の無い棒読みだ。
「わーいっ、ありがとう!」
奥村が喜びの声を上げる。
「ワインですか?それを届けた後は街に戻りますか?」
「ああ、街に帰るよ」
「じゃあ手伝います。それが終わったら街まで乗せて下さい」
「……ああ、いいだろう、後ろに乗りな」
僕がしゃべるとイヤそうな顔をしやがる。このスケベ親父め。
僕たちが酒樽に並んで後ろに乗り込むと、馬車はゆっくり進み始めた。
広い街道を少し行くと、別の馬車とすれ違う。荷車を空にした一頭馬車だ。なるほど、お城に行った帰りの馬車だ。この馬車の後程の姿だな。
奥村は楽し気にはしゃいで、馬のお尻がかわいいだの、馬車が意外と速いだの言っている。
ワッシーは誉められたのが嬉しいのか調子に乗って上機嫌だ。
僕も色々と気になった事を尋ねてみる。
「あのお城はなんと言うのですか?」
「ああ?さぁなあ、忘れちまったよ」
どうして僕には冷たいんだよ。
お城の名前忘れるかよ。
「じゃあ街は?」
「お前さん変な事を聞くなぁ。昔は何か長い名前が付いていたんだけど、いつだったか誰も呼ばなくなって無くなっちまった。今はお城はお城、街は街さ」
「そんな……バカな」
「他に城や街があるわけじゃなし、不思議でも何でもねぇ」
ワッシーの言葉にウソは見えなかった。もしも絵本に登場する世界が、街も城も一つなら、識別するための呼称は必要無い。だが……
僕はワッシーに聞いた。
「おじさん、名前は?」
ワッシーは黒いゲジ眉をしかめて答える。
「俺は馬車のおじさんだ。そう呼ばれてる」
「それが名前?」
「さっきすれ違った若い奴が居ただろ、あっちが馬車のお兄さん」
マジかー。
すげー世界だな。
名前も無いのは不便ではないのかね?僕が付けてやろうか?
グリーンのワシっぱなで、グワシ。ダメだな。やっぱりワッシーだな。
僕は一人で納得すると、馬車のおじさんに言った。
「じゃあ今からおじさんの事を、ワッシーと呼んでもいいですか?」
「ええ!?」
ワッシーは驚いて細い目を見開く。
奥村は笑顔で何度も頷いた。
「それイイよ!かわいい!ワッシーさん!」
ワッシー本人は奥村と僕を交互に見たあと、大声で笑い始めた。
「こりゃあスゴイ!俺に名前をくれるってのか!こんな事は初めてだ!ワッシー、ワッシーか!お前さん気に入ったぜ!今日は俺のウチに泊まっていけ!」
ワッシーが豪快に笑う。何やら喜んでもらえたんならまあいいか。勝手にアダ名付けただけなのにな。
遠く見えていた白いお城の姿がゆっくりと近付いて来た。
湖に切り立つ山の渓谷を利用した防壁は、岩肌に食い込むように建造された城壁に囲まれ、正面に大きな門扉を携えている。門から伸びる橋げたは上下の開閉式で、湖から流れる川を外堀としている。橋げたを上げてしまえば、侵入を拒む要塞になるというわけだ。
でも、他に城が無いなら、一体何から城を守ってるんだ?敵が居るから要塞が要るのだろうに。
そんな僕の疑問をよそに、馬車は街道を走り、お城に近付いて行った。
外堀に掛かる橋に到着して、その上を渡る。太い鎖が何本も橋から城壁に伸びているのを見上げながら、馬車はゴトゴト揺れて橋を渡り切る。
門扉の前に、銀の鎧を着た兵士風の若い男が声を上げた。
「そこで止まれ!積荷を確認する」
ワッシーが僕に耳打ちした。
「城の兵隊なんざ、駄賃次第でどうとでもなる」
走り寄る兵士は馬車の荷車に近付いて、僕たちの姿を見、次に酒樽を目で見ては、何をするでもなく、ウロウロ、ジロジロ。
ワッシーは兵隊に声を掛けながら、小さな袋を後ろ手に持つと、兵隊のわき腹辺りにチラつかせる。
兵士は素早くそれを掴んで鎧の隙間から胸当ての下に潜り込ませると、また声を上げた。
「通って良し!開門!」
ワッシーが手綱を打って馬車がゆっくり走り出す。
半分だけ開かれた門扉を馬車がくぐり抜け、僕たちの目の前に、華やかな街道と食べ物や衣服の出店が姿を現した。
「ここが城内の中町だ。城に住む奴はもちろん、兵隊や女官相手の商売をするんだ。街から選りすぐりの店が週に二度、入れ替わりで店を出す」
デカイ。とにかくスケールがデカイ。奥にそびえる城に続く道の至る所にあらゆる商店が広がる。屋台めいた木造の小屋や、馬車を丸ごと店にしたもの、さらに地べたにわらぶきのゴザを引いただけの花屋なんかもある。雑踏と人々の活気のある声に、負けないほど大きな声で説明するワッシー。
「この酒は何処に運ぶの?」
僕の疑問。
ワッシーは道の真ん中から右手を示して、横長の体育館のような建物に向かって馬車を向けた。
「アレが兵士の宿舎だ。コイツはそこの食堂に運ぶ」
「兵士なのに酒飲むのかよ。これで何日分?」
「そうだな、もって二時間じゃねぇか?」
うへ、そんなに飲むのかよ。
城の防衛ちゃんと出来るのか?
袖の下渡されてホイホイ門を開けちゃうくらいだからな。防衛機関はザルと見た。