4
おそらく、ではあるが、僕と奥村美夜があの本の中に吸い込まれてから、森の中を歩いて小屋に到着して今の時間まで、約一時間が経過したと思う。自分の体内時計ではあるが、それ位の時間は経っただろう。
外で拾って来た木の枝を突き立てた日時計の影はまだ短く、小さく広げた紙の上に影を示している。
窓から差し込む日差しがこれから沈むにつれ、影は姿を伸ばしていくはずだ。
紙にインクとペンで影をマークして書いておき、その影が動いた事を頼りに時間の経過を知る。目安にしかならないが、無いよりはマシだと思っていたのだが、奥村にとっては必要が無いモノらしく、僕が作った日時計を不思議な工作くらいにしか捉えていない。
「ねぇ、あのお城に行ってみようよ」
ハイキングか観光にでも来たつもりなのか、奥村は好奇心を含んだ瞳で家探しを続ける僕を見つめた。
小屋の屋根裏でロウソクとランタン、そしてマッチを発見した。ロウソクはランタンにセット出来る小さな物で、沢山あったので十本ばかりまとめて制服のポケットに詰め込んだ。マッチも幾つか、胸のポケットに入れておく。ランタンは取り敢えず出しておいて、いつでも使えるようにロウソクをセットしておく。日が落ちたら使う事になるだろう。
奥村は僕の後ろを付いてくる。ウロウロと動き回ってあちこち開けたりひっくり返したりしている僕の傍から離れない。
確かに、見つけた湖のお城に行く事になるだろう。RPGのゲームなら、冒険中にお城がフィールドに見えたら取り敢えずは行ってみるものだ。
その案には賛成だ。しかしながら、僕たちは強制的に冒険をさせられているし、下準備も無い。冒険中と言うよりも、まだ冒険前の段階だ。
城に向かうまでに、武器や道具の準備くらいはさせて欲しい。
何なら一晩、ここで明かしてから明日の朝に向かうのも一案に入れるべきだ。
僕は奥村に言った。
「お城には行くけどさ、もうちょっと待って。森を抜けるためにも使える物や、持って行く物は考えないと。日が落ちるのが早いと、今出ても森の中で野宿する可能性もある。例えば、ここで一晩寝て、明日の朝にお城に行くっていうのは?イヤかな?」
「え……? ここで一晩って……」
奥村は途端に狼狽し始め、視線をあらぬ方向にやりながらウロウロと歩き出し、繰り返し何かの呪文を唱えるようにブツブツと呟いたあと、ボンっと頭から湯気を吹き出して茹でたタコのように赤面を始めた。
あー、そうね、男女の一夜だって事を忘れていたよ。
ベッドとして使える場所は一つじゃないんですがね。
「だ、だダメダメ!わ、私たち、まだその、ががが学生だし!今日は体育があって、その、可愛いやつじゃないし!!」
意味がわからん!
とにかく、まぁ、ダメなのね。はい。
「わかった。じゃあ早目に準備して、ここを出よう」
僕が言うと、奥村は目測で約1メートル、僕と距離を置いた。無意識か?逆だな、意識させてしまったようだ。
僕は室内を粗方ひっくり返し終わり、小屋から出て裏の倉庫に再び向かう。
扉を開けて樽を眺める。僕は一応、樽の蓋も開けて見た。ワインの樽なら使い道も限られるのだが、中には黒い粉が入っているだけだ。化学部で実験をした時に見た事がある粉末だ。食べられるシロモノじゃない。
室内で見つけた紙の束や、ロウソクやマッチなどを複合して考えると、この危険物らしき樽の中身を材料に使って、ある物を製作する為の小屋ではないかと僕は推測した。
という事は、多少なりと製作した現物がストックしてあっても良さそうだ。
僕は倉庫の奥に、樽とは違う、別の四角い木箱を見つけた。30センチほどの小脇に抱えられるサイズ。取り出してみると木の蓋は簡単に開き、隙間から見えた物は僕の想像していたストックの箱だと確信を得るに至る。
木箱を抱え、倉庫に鎖とカギをする。なるべく厳重に。最初に見た時に、やたらと厳重にしていた理由がわかった。だから僕も、厳重に元に戻した。
木箱を手に小屋に戻る。後ろから付いて来ていた奥村が、机の上に置いた木箱を不思議そうに見つめた。
「なぁにコレ?」
奥村の声に、蓋を開けて見せる。
「でっかいロウソク……だね」
奥村の言葉に少しガッカリしながら僕は言う。
「違います。いや、紙で巻いたロウソクって無いでしょう」
さっき小さいロウソクを見たからそう思ったのか?まあ見てくれフォルムはロウソクぽいけどね。
「あら、違うか~、そういえば先っちょの糸が長すぎるね」
「そうだね、導火線だからね」
首を傾げる奥村。
木箱から3本ほど取り出して、僕は何とかしてコレを持って行けないかと思案した。
「え?それ何なの?」
聞かなきゃいいのに奥村は尋ねた。
僕は尋ねられたので正直に答えた。
「はっぱだよ」
奥村の不思議顔が止まらない。
「葉っぱ?木の葉っぱ?」
「違うな。発見のハツに破壊のハと書いて発破だ」
「はぁ、そうですか」
「そうです。ロウソクじゃないから間違えても火は点けないように」
「わかりました。でも何だか、ダイナマイトみたいだよね」
「うん、ダイナマイトだよ」
「あ、そーなんだ」
「発破、イコール、ダイナマイト。これ常識……なぜ逃げる?」
5メートル以上の距離を置いた奥村に問う。
まだ火は点いていないぞ。
「何を平然と持ってるの!?」
「花火だ、花火。火を点けなきゃいいんだって」
木箱の中には紙に巻かれた発破がまだ十本余り。流石にこの木箱を持って歩くのは邪魔だ。それに服のポケットははみ出すし、何か袋が欲しい所だ。
部屋を見回す僕の視界に、おびえる子羊ならぬ奥村の姿。その腰に揺れる小袋。おお、アレってば丁度いい。
「奥村さん、その袋にコレ入れといてよ」
眉根を寄せて嫌がる。
「えー!ぃやだよーっ、爆発したらどうするのよー!」
だからしないって。
「じゃあその袋だけ貸してよ」
「うう……仕方ないなぁ」
かなり渋々と奥村は腰から秘密の小袋を外し、中身を取り出しては自分の制服のポケットに移動させる。
「制服のポケットって小さいからイヤ。ハンカチは入るけど、ケイタイなんて入んないし。スカートのポケットも意外と鬱陶しいんだからね」
文句を言いながら袋を僕に投げる。
それを受け取る。
厚手のコットン生地に小さな花柄が眩しい。
巾着になっている口を開いて、発破を3本入れて、紐を縛る。制服の腰に、皮ベルトに絡ませて結ぶとなかなか具合が良い。直接肌に付けると身体の水分、汗なんかを吸ってしまう事もあるから、なるべくなら別の袋に入れたかったのだが、なかなかいい。完璧じゃないか。
装備としては、布の服、発破、小さな袋、手に持つ武器がツルハシってのもイヤだな。やっぱりここは鉄のフライパンだろうか?
ナイフくらい欲しいぞ。
食料には小麦粉。塩。これを紙袋に小分けして折り畳み、なるべくなら持って行きたい。あとは水を入れて行ける水筒なんか欲しいなぁ。
ああ、何時だろう?
僕は日時計を見やる。
日時計の影はペンで書いた線からまったく動いていない。
……
……
……なぜ?
10分もあれば1ミリくらい動くもんだろう?
どういう訳だ!?
ちくしょう、腕時計くらい持って来るんだった!ケイタイでもいいけどって、
「奥村さん!?ケイタイ持ってるの!?」
さっきケイタイがどうとか言ってなかったか!?
奥村はスカートのポケットからピンク色の現代文化通信機器の端末を取り出して見せた。
「あるけど?」
「うわ!どうして今まで気が付かなかったんだ!今何時かわかる?てゆーか使えるのか?」
「あ、ああ!そうだね!お母さん出るかなぁ~」
ちがう!
ちがうぞ奥村!
誰も電話しろなんて言ってないぞ!
どうせ繋がらないだろ!
無駄な電池使うなよ!
今、バッテリー切れたら充電出来ないぞ!
「あー、ダメだ。繋がらないみたい」
だろうよ。
「今、何時?」
「あ!圏外だって!山の中だもんねー」
あ、うん。電源は入ってるね。
もう一回聞こうかね。
「What time いずいっとなう!!」
「え?4時過ぎ~って、なんで英語!?っぷぷ」
いや、笑ってもらえて何より。だが、
ちょい待て、それって僕たちが森に飛ばされた時間とほとんど変わってないぞ?
あれから余裕で1時間以上経ってるハズだろ?
時計が止まってる?デジタルだから関係無いよな。
深刻な顔で考え込んでいたのが気になったのか、奥村がソロソロと僕に近づく。通信端末を差し出して、その画面に表示されたデジタルな4時10分を僕に見せる。
「どうしたの?時間?何かあるの?」
奥村の声に僕は答える。
実はアニメの録画をしなけりゃならない、なんて言葉で冗談言えたらいいんだけどな。
「僕たちが本の中に居るとして、この世界の時間と、元に居た世界の時間経過が違うのはかなり深刻な事になる。例えば、浦島太郎みたいに元に戻ったら100年以上経っているとかは最悪だ。逆に、戻っても時間が進んでいない場合は、僕たちはココで何年も帰れなければそれだけ歳を食う。元に戻ったら時間は経っていない。いきなり歳食った僕たちが居る事になるわけだ」
僕が一気に言葉を吐き出すと、奥村は少し首を傾げる。
理解が付いていかないのか、何か思い付いたのか、
「まぁ、チャチャッとやって帰ればいいって事だよね!」
……
……
……そうかぁ、そうキタかぁ。
僕は何だろうな?
こう、ある意味スッキリしたよ。
うん、まぁチャチャッとね、イッテ帰ればいいよね!?
あはあははははは!
っ出来るかぁー!!!
マジか。
マジで言ってるのか?
ああ、僕を落ち着かそうと冗談を言っているのだな?
じゃなかったらどうしよう。
僕もちょっと余裕持たないとダメだなぁ。
あ、ケイタイと言えばインターネット出来るよねー。
唐突にもう吹っ切れてきたわ。
「あ、ケイタイのメモリー生きてるんだ?」
「うん、圏外なだけみたい」
「じゃあブックマークとか消えてない?消えてたら泣くよねー」
インターネットをケイタイ端末で見てる時にブックマークしといたのが消えるとけっこう萎える。
新品の端末に乗り換えたりした時なんか、いつも消えちゃうから泣きたくなるよね。
奥村はケイタイを見ながらボタンをぽちぽち、
「あ、ブックマークも大丈夫!」
……
……
……
ピカーッ!
……
……
……
不意に訪れる光の渦。
次の瞬間、
僕たちは見慣れた部屋に居た。
それは本が山になった机、本棚の列、
見間違える事なき『図書室』
「帰って来れんのかよ!!!」
「え、ツッコミ?」
僕の叫びに冷静に奥村は言った。
空調は適温のままだった。