19
「ワッシー!居るかい!」
白い土壁で囲まれた部屋の中で僕の声が高らかに響く。割りと近くに居たままのワッシーが背中から震えるほど驚いて目を丸くする。
「おう!ここにいるぜっ、て……マコト、お前さん身体は!?」
目の前で元気に立ち上がる僕を見て、信じられないと繰り返すワシっ鼻。そりゃまぁさっきまで死にかけのように悶絶してたわけだから無理もない。
僕はワッシーを安心させるためにもややオーバーに屈伸運動や垂直ジャンプなどを見せてあげる。
「もう大丈夫。治ったから」
ニコニコ顔でワッシーに言うと、僕は未だに驚きっぱなしのその肩をべしべし叩く。
「な、治ったってお前……そ、そんなバカな!」
おお、リアルなセリフで『そんなバカな!』なんて聞く事があるとは思わなかった。マジで言う奴居るんだな。その内『むむぅ……』とか『おぬし、なかなかやるな!』『ふっ、おぬしもな!』とかレアな会話もいつか聞けるかもしれないな。いやぁ、楽しみだ。そしていつか伝説の一言『ぎゃふん』とか『のび◯のくせに生意気だぞ』とか聞きたいものだ。
僕は驚くワッシーが落ち着くまで待つ、なんて事はせず、早速質問を繰り出す。
「ワッシー、あのデカいドラゴンについて何か知ってる?」
僕が肩に乗せた手に力を入れてワッシーに本気度を伝える。じんわり指先に圧をかけて目線に力を込める。このプレッシャーを感じろ、ワシっ鼻。
「ええ? あ、ああ……そうだなぁ」
ワッシーは徐々に冷静さを取り戻しながら、目線を泳がせる。
本の住人達はこの本に関しての知識を持っている。それは間違いない。だが全ての住人が何もかも知っているとは思えない。あのジャーマハルとかいう婆さんはちょっと詳しい事が聞けそうだが、今はとにかく手当たり次第に情報を集めたい。ワッシーはもちろん、街の人間やお城の兵士、メイドだって聞き込みの対象だ。容赦はしない。
「あのドラゴンは……なんだっけなぁ……知っているんだけど、よく思い出せないなぁ……」
ワッシーが首をひねる。
何だ、忘れたふりなのか?誤魔化してるのか?隠すと為にならないぞ。
僕が疑惑の瞳を向けると、察したのかワッシーが言葉を続ける。
「いや、隠すとかじゃなくて、本当に思い出せないんだ。昔からあのドラゴンを知っていたはずなのに、あの巨体をこの目で見るまですっかり忘れていたんだ。まるで存在そのものがキレイサッパリ抜け落ちてたみたいだ」
はぁ?何だそりゃ。
でもワッシーの表情からして、嘘を付いているとも思えない。これは俗に言う記憶喪失のような状態だろうか。
そう言えば、この世界に来た時、初めてワッシーに会ってお城の名前を聞いた時も、名前を忘れたとか言ってたな。
僕が尋ねると、ワッシーは大きく頷いた。
「おお、そうそう。お城の名前も昔あったんだよ。でもなぁ……思い出せないんだ。ドラゴンの事といいお城の名前といい……もう歳かなぁ」
悩むワッシー。
いや、これはもう年齢がどうとかって話じゃないだろう。
「ただ、これだけは解る。あのドラゴンは強くて恐ろしい。この世界にアレよりも強い生物は居ないだろう」
この世界に、ってのは本の中で最強だって事だよな。
少し疑問が残る僕の脳裏。ワッシーは続ける。
「ミヤちゃんがさらわれたけどきっと大丈夫だ。心配するな」
おいおい、発言がおもいっきり矛盾してるぞ。恐ろしいけど心配するなって何だよ。さっき美夜に会ってなかったら全然信じられないセリフだぞ。棒読みじゃないだけマシだけどさ。
それにしても、記憶が無くなる現象ってのは、この本の住人にとって日常的なものなのか?
名前を忘れる、忘れてしまう。
確かジャーマハルが王様に言ってたよな。そうだ、確か……
『だから折角の名前が無くなってしまうんだよ』
そう言っていた。
彼ら本の住人にとって、名前が無くなるって事は普通にあり得る事なんだ。何が原因で、何がもたらされるのかなんて解らないけど。とにかく名前を失ったドラゴンが美夜をさらった。それがワッシーから得た情報。そうなると、次に会うべき人物はアイツだ。
僕はワッシーの太い腕を掴んで、出入口に引っ張りながら言う。
「ワッシー、ジャーマハルの所に行こう」
僕の腕に抵抗する訳でなく、引っ張られながらも歩き出したワッシー。
「ジャーマハル様だって?王宮に支える魔術師だぞ?」
「へー、そうなんだ。いいよもう知り合いなんだし」
「そんな友達に会いに行くのと同じなわけないだろうに……」
「僕は一応『英雄サマ』なんだろ。僕が会いたいって言えば会えるだろう?時間が惜しいんだ。早く行こう」
「まぁ、そりゃあそうだが……よし、馬車に乗れ。連れて行ってやる」
そう言うとしっかりとした足取りで僕を追い越したワッシーは、家の外にある馬小屋へと歩き出し、馬車に馬を繋ぐために納屋に向かった。毎日馬車を出してはお城に行くのが仕事のワッシー。手慣れた様子でさほど時間もかからず馬車を準備すると、僕を荷台へと促した。
走り出した荷馬車は酒樽もなく、荷台には僕ひとりを乗せて、お城に向かって走り出す。駆け足で走る馬車は障害もなく街道をひた走り、僕のお尻が振動で痛くなる前にお城に着く事が出来た。
お城の入口でいつか見た兵士がまたお金を媚びるような仕草を見せたが、今回は僕の一言でお金を払う事なく開門に至る。
「英雄マコトが来た。すぐに門を開けてくれ」
自分で英雄なんて言って、少し恥ずかしくもあるが、イチイチ門番に金払ってるのも面倒だし、ワッシーにも悪いし。タダで通れるならそれでいいよな。
門番は「ヒッ!」っとバツの悪い顔を見せて、慌てるように開門してくれた。その慌てふためく様子が少し気になったが、ツッコむ必要なしと判断して流した。
城門を抜け、馬車はお城に向かう大通りをやや速度を落として走る。
大通りには左右に商店や屋台が立ち並び、人通りも多い。
いつか倒したラチルの竜が横たわっていた場所や人垣が出来ていた場所を通り抜け、城の入口の前まで馬車は進む。
城の門扉に近付くと、長槍を持った衛兵が二人、僕らを見つけるや走り寄る。槍を二人でクロスさせて馬車の進行を止める。
ワッシーは臆する様子もなく、平然と手綱を引き、馬車を停止させる。
「これより先は王のおわす城である!町商人が何用か!?」
若い衛兵の一人が声を上げる。何か言おうとするワッシーを片手で制して、僕は馬車の上から答える。
「英雄マコトだ。ジャーマハル殿に会いたい」
「え、英雄マコト!?ひぇっ!本物だ!!」
兵士が二人して飛び上がる。
あれ?なんだか恐がられてないか?
槍を構えてブルブルと震え出す兵士。もう一人が門扉に走り寄り、槍の柄で地面を打ち鳴らして叫ぶ。
「おい!おーい!大変だ!!」
すると壁だと思っていた一部分がカチャリと鉄板の擦れる音を立ててスライドし、目だけを覗かせる為の四角い穴が開く。中から目だけを見せる兵士が面倒くさそうに応えた。
「なんだようるせぇな、昼寝の邪魔すんじゃねぇよ」
「バ、バカ!英雄マコト様がジャーマハル様に謁見だ!すぐに取り次いでくれ!!」
「うひゃあ!本物だぁ!」
「急げ!早くしろ!殺されちまう!」
「わ、わかっ……!」
ガシャガシャと鉄鎧らしき足音が遠退いていく。
……
……殺され?
「ねぇ、ワッシー」
「何だ?」
「僕は英雄のわりに恐がられている気がするんだ」
「んむ、そうだな」
「理由を知りたい」
「そりゃあ、現れたその日に将軍をぶっ倒しちまうからだ。今まで現れた旅人たちの中でも最短だ」
「それだけ?」
「城壁でラチルのドラゴンをぶっ飛ばしたろう。アレを見ていた皆んなが妖術か魔法だと思ってる」
「……ああ、アレか」
「かく言う俺も思っている」
「ナルホド。まさかの勘違いか」
「さらに広場では見慣れない服装に妖術を使って一瞬で姿を変え、挙句に王様を相手にどキツイ暴言を……な。それが火に油を注いで、噂に尾ひれも背ビレも付いて三日もすれば街中の知らぬ者はいない位にはなるだろう」
「……そっちかー」
「まぁ、あのデカイドラゴンも強いんだろうが、今じゃあマコトが皆んなにとって最強だと思うぞ」
……嬉しくねーなぁ。
引きつる僕の目の前で震える兵士がカタカタと槍を震わせて立ち尽くしているのをしばらく眺めていると、城の中から慌ただしい足音が聞こえ、門扉の向こうで足並みを揃えて立ち並ぶ様子が耳だけで察知出来た。
馬車から降りて、僕とワッシーが並ぶと、目の前の鉄のアーチを描いた扉がゴウゴウと重厚な音を立てて両開きに内鳴っていく。
ゆっくりと開く扉の奥に、両脇にズラリと整列した兵士達が恐らく左右に20、合計40名近くは居るんじゃなかろうか?腰に下げた剣を鳴らして、鞘を付けたままで高く目の前に掲げ、おそらくは敬礼めいたポーズを僕らに向けている。
僕が中に歩みを進めれば、その視線は真っ直ぐに向けられたまま崩れる事なく、痛いほどに僕の顔面を見つめ続けるのだった。
ワッシーは気後れしたのか、一歩お城に足を踏み入れたのだが、またすぐに踵を返して馬車に向かって戻ろうとした。
僕はすかさずそれを呼び止める。
「どこ行くの?ワッシー」
「いやぁ、お城なんて恐れ多いからよ、オモテで待ってようかと」
「すぐに終わるよ。長居はしないつもりだから一緒に行こうよ。僕だって初めてなんだから、ワッシーが居てくれた方が心強いし」
「そ、そうか?」
ワッシーは申し訳なさそうに頭を掻きながら僕の背後に戻って来る。僕が兵士の列の中程まで足を進めると、ワッシーはキョロキョロと天井や廊下、階段などを見渡してはホウホウと感心するようにホールを観察しているようだった。
僕の目の前に黒い洋装のような、タキシードを短くしたかに見えるちんまりした服装にきっちりとおさまる小さな身体を包んだ男性の老人が現れる。白い手袋をはめた手を、胸の前に当てて僕に向かって一礼する。
「ようこそおいで下さりました、マコト様。ジャーマハル様のお部屋までご案内致します」
白髪混じりの頭を深く下げたあと、僕を見上げる小柄な老人は細く穏やかに閉じた目を一瞬見開いてワッシーを見た。
「おや、そちらのお方はお連れ様でしょうか?」
「そうだよ。友達のワッシー」
「ども、執事さん」
「確かわたくしの記憶ではアナタは……そう確か、『馬車のおじさん』では?」
「おう、この前までな。今は、ワッシーになった」
「え……?ワッシー?」
目を丸くする執事のおじいさんを僕が促す。
「まぁまぁ、行きましょうよ執事さん」
「え、ああはい、ご案内致します」
執事さんの背中を押しながら奥に向かって歩き始める。
執事の老人は何かまだ気にしている様子で、時折振り返ってワッシーを見て先を歩く。僕が平然とその後を続き、ワッシーがキョロキョロと周りの装飾や置物なんかに気を取られながら歩く。
執事さんがしきりにワッシーを気にするので、僕は何となく尋ねた。
「執事さんの名前は?」
僕が尋ねると執事の老人は滅相も無いと首を横に振った。
「わたくしは『執事』と呼ばれております」
あ、やっぱり無いんだ。
「不便じゃないの?」
「この国の王宮でただ一人の執事でございますから、不便はございません」
あーそう。何なんだこのシステムは。不便じゃなければ名前なんて無くていいのかしら?
「じゃあ今から執事さんの名前『セバスチャン』ね。よろしく、セバスチャン」
僕は思い付くままに言ってやった。
ベタだと我ながら思うが、何だかワッシーに名前あげたから、この執事さん改めセバスチャンにも名前を付けてあげたくなった。
僕が言うとセバスチャンはまた目を丸くして驚いた。
「ええぇ!?わたくしがセ、セバスチャンでございますか!?そ、そんな滅相も……」
「いや、もう決まったから。今からキミをセバスチャンと呼ぶから。ね、ワッシー?」
「おうっ、俺からもよろしくな、セバスチャンさん」
僕の呼びかけにワッシーが満足そうに頷く。
執事のセバスチャンは恥ずかしそうに頬を少し赤らめて、額をハンカチで数回拭いて、頭を下げた。
「英雄マコト様のご厚意と改めて感謝してお受け致します」
そんな感じでこの世界に執事のセバスチャンが生まれた。
僕はもちろん、大変満足していた。
長い廊下を何度か曲がり、大きな木の扉の前でセバスチャンが一礼する。
「こちらがジャーマハル様のお部屋です。中へどうぞ」
言うとセバスチャンは扉を開き、僕とワッシーを中へと促してくれる。
赤い絨毯に革張りのソファーが並び、奥に大きな机が一つ。壁には沢山の本棚が綺麗に高そうな本を並べている。書斎といった風な部屋だった。奥の机に座っていた赤いローブ、老婆ジャーマハルがゆっくりと立ち上がり、僕の方へと歩いてくる。
「ジャーマハル様、英雄マコト様とお連れ様のワッシー様でございます」
セバスチャンが一礼して一歩下がる。
「何?連れだって?」
セバスチャンは頭を下げたままもう一度口を開き、
「すぐにお茶のご用意をお持ちします」
退出した。
僕たちはセバスチャンを扉の向こうに見送ると、ジャーマハルがソファーへと指差すのに従い、三人でソファーに座って向かい合う。
ジャーマハルが首をかしげて僕の隣に座ったワッシーに言う。
「あんた、確か『馬車のおじさん』だろう?」
ワッシーは少し緊張しながら答える。
「あ、はい。この前までそう……でしたが、今はワッシーになり……なりました」
「ワッシーだって?」
このやり取りついさっき見たな。
ジャーマハルが僕をジロリと睨む。
「あんたが名前を付けたって事かい?」
あれ?何か怒ってる?
僕が睨まれているのでここは素直に答えるしかない。
「まぁ、呼ぶのに不便だったから僕が名前を付けてあげたんだ」
ジャーマハルは眉根を寄せるとまた険しい表情で僕に言った。
「まったく、余計な事をしてくれるよ。やっぱりお前さんには早く帰って貰わないと困るね」
何故か名前を付けた事が余計な事らしいんだが?
ジャーマハルはイライラとしきりに手を動かし、頭を掻いたりヒザをトントン叩いたりした。
「ケガの具合はもう良いみたいだね。マコト、あんたにはなるべく早く、早急に帰ってもらいたいから、アタシも包み隠さずに話す事にするよ」
「そりゃあどうも」
「まったく、あの娘にキスしたら終わりって言ったろうにウジウジしおって」
うわ、年寄りの愚痴が始まったぞ。
「今、この国は今までで最大の……前代未聞とも言える厄介な事態が起こっている」
「え?なに?僕のせい?」
「おだまり!!リアリストがのこのこ呼びもしないのにやって来て余計な事ばかりしおってからに!言い伝え通りになっちまったよ!」
「知らねぇよ!こっちだって早く帰りたいんだ!美夜を助けに行かなきゃならないし、バアさんの逆ギレに付き合うつもり無いぜ!?」
「じゃあ何しに来たんじゃ!?」
「あのドラゴンについて知ってる事を全部、そしてこの世界の事、今からあのドラゴンから美夜を奪い返す為に有利になる事は全て聞かせてもらう。その為に来た」
僕が言う事はそれだけだ。
あとは、曲げない。
「ふん、真っ直ぐな目をしおって」
ジャーマハルは観念したのか、ニヤリと口元を緩めた。
動かしていた手を止め、ソファーに深く腰かけると、少し落ち着いた口調で話し始める。
「まぁ、最初はそう、名前の事かね。アンタが思ってる程、コッチでの名前は簡単なモンじゃない」
それは、うすうす気づいている。
バアさんの怒り方ハンパ無いし。
「本の中で、名前がある奴と無い奴が居る。それはどんな物語でもそうだ」
ああ、登場キャラ、モブとか呼ぶやつね。サブキャラとかね。
「名前が無い奴はチョットしか出番がない奴さ。重要な奴や主人公に関係のある奴には必ず名前はあるだろう」
うん、まあ、そうね。
「お前さんがやった事は、単に名前を付けたんじゃない。チョイ役だった登場キャラを、主人公に関係ある重要なキャラに変えちまったって事だ」
……
……
……え?
「ワッシーに名前をいつ付けた?正直にお言い」
うわ、また怖い目をしている。
えーと、
「えーと、街道で会ってからすぐです」
僕が言うとジャーマハルはがっくりとうな垂れた。
「会ってすぐにワッシーって付けたのかい?」
「あ、はい。わりとすぐに」
「見ず知らずの馬車のおじさんに会ってすぐに?しかもワッシーと?」
僕が頷くと隣に居たワッシーも言葉を返す。
「へい、そりゃあもう、会ってすぐでした」
「恐ろしい子だね。まさかワッシー以外にも変な奴に名前付けてないだろうね」
コン、コン、
ノックの音。
「セバスチャンです。お茶をお持ちしました」
……
……
……カチャリ
バタバタバタ
バタバタバタ
「コラ!!お待ち!!」
「ゴメン!ごめんなさいってば!!」
「ジャーマハル様?……何故マコト様を追いかけ回していらっしゃるのですか?」
「セバスチャンさん、取り敢えず俺だけ先にお茶下さい」
「ワッシー様?……これは一体?……?」
やべぇ、このバアさんかなり元気だ。