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件名:Re: 美夜です
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本文:こんにちは。誠です。
昨日は御自宅にお邪魔させていただきありがとうございました。さらにお昼に御自らの手製カレーまでご馳走になり、感謝の極みに存じます。味は格別でたいへん美味に属するものと感服しております。
さて、昨日の夕方の事で御座います。私は突然に帰宅してしまうにあたり、たいへん失礼な行動を見せてしまいました事をお詫び申し上げます。心情としても冷静さを欠き、一食の大恩ある貴女さまに御不快な思いをさせてしまった事と存じます。
たいへん失礼致しました。申し訳ありません。
重ねて、先程、貴女さまからの電子メールを拝見しました。返信が今に至った事をお詫び申し上げます。
さて、内容につきまして、『起きてますか?』との問いかけで御座いますが、不詳の私は先程睡眠より目覚めたばかりで、この回答と致しましては「あいにくと眠っております」もしくは「寝ていました」と回答するのが妥当な状態です。
現在に関しましては「起床しております」と言うに足る状態を維持しております。
早急に返信をするべき処を遅々にお返しするのは大変遺憾に思い、また自らの羞恥と捉えております。恐らくは昨日、私が見せた態度に御立腹し、戸惑いを持ってこの度の電子メールの内容に至ったのではと察している次第です。
失礼ながら誤解無きようお伝えしたいのですが、現在は私、平穏に御座います。
心安らかに、平静を保って御座います。決して昨日のような取り乱した心情のままでは在らぬ事をご理解頂きたく思います。
さて、突然内容が変わりますが、本日、3時より、私の友人である中村と、貴女さまのご友人であらせられる松下様の四人で、個室歌唱遊戯のお誘いを受け賜わった件につきまして意見を述べたいと思います。
友人中村から事の次第を聞き、突然の申し出に驚き、また、光栄に思いました。私にとって、稀有な事象で御座いますが、昨今のトレンディー楽曲の心得も微々たるながら、同世代の交友を図る催しにたいへん嬉々として参加する旨を謹んでお応えしたいと思っています。昨日のご無礼、失礼な行動をご容赦戴けるよう、拙いながら尽力して、この度の遊戯に向かう心積もりであります。どうか、どうかご容赦の程をお願い致したく、本日は馳せ参じますので、御指導御鞭撻の程を何卒宜しく申し上げます。
波多野 誠
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……送信、っと。
初めて奥村に送るメールだ。10回くらい読み直したし、誤字脱字もチェックした。きっと間違いはないハズだ。
僕は自転車にまたがり、家を出ながら、携帯、もとい現代通信機器の端末をシャツの左胸ポケットに入れた。
それから10分後、駅前の繁華街で中村と合流してからも、何度確認しても、奥村からの返信は無かった。
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「どんよりしてんなぁ」
中村が僕の顔を見るなり言った。
空は晴天なのに僕の周りには暗雲が立ち込めている。
国鉄の沿線は東西に伸びては人々の足として鉄の車両を電磁気を帯びたまま運ぶために行き交う。人の波もまたそれに伴いながら大小の歩みをアスファルトに刻みつけているが、今日のこの晴天を見上げている者は僕だけのようで、また見上げながら憂いているのも僕だけのようだ。
胸の中に悲しみの魔物が住み着いているようで、現代通信端末の画面がこうも心を疲弊させるとは思わなかった。僕にもしもシェイクスピアが乗り移ったのならば、どんな悲劇も書けそうな程の落胆だ。
……書けない、けども。
駅前の自転車置き場に、僕と中村は自転車を停めてバス停の方に向かう。
駅前のロータリーはそれなりに広く、数台のタクシーや一般車が行き交う様は活動的で人間の生活を感じさせる。
いつまでも立ち尽くして待つのも面倒なので、バス停の前にある横長の四角いベンチに腰掛ける。コンクリートの冷んやりとした感触が伝わる。
黒いジーンズと青い襟シャツ、上着にはベージュのジャケットの僕。あまり服を持っていないので、なるべく清潔感のある物を選んだつもりだ。
中村はといえば、こちらも黒いジーンズにグリーンのTシャツ、上着には黒いパーカー。
陽射しもあるから今日はそれでも寒くはない。ただ、あとで日が暮れてから冷える可能性を見込んでマフラーや手袋をスポーツ系バッグに入れて来た。背負うタイプだから荷物になる程じゃない。
中村はバッグも持たない。ケツのポケットにサイフだけ見せて、片手の現代通信端末を操作しながら同じベンチに腰掛けている。
寒くないのか問いかけたところ、『鍛え方の違い』らしい。爽やかなスポーツマンは親指を立てて言った。悪かったな、鍛えてねーよ。
「あと五分くらいで着くってよ」
中村が画面を見て呟いた。どうやら通信相手は、バスでこちらに向かっている松下のようだ。
「そか」
僕は頷きを返す。
「そんなに松下と中村が親しいとは思わなかったよ」
「あ?まぁ、テニスの練習とかたまに一緒にするからな。市営のテニスコートとか400円で借りられるから、四人集めたら一人100円だろ」
「ほう、それなら安い」
「テニスはラケットとシューズだけ最初に揃えれば意外と金が掛からないお得なスポーツなのだよ。無くても市営で借りられるしな。一人でも練習出来て、二人居れば試合も出来る。サッカーや野球は人数も要るし金もかかるし、場所も広くないとな」
通信相手とのやりとりを休むことなく、中村は話す。社交的な性格はわりと良い面構えと合わさり、かなり友人は多い。僕はコイツのその内の一人に過ぎないだろう。僕にとっては数少ない友人で、親友とも呼べる存在なのだが。
「それよりも、マコトと奥村がデキてたとは意外」
「デキてねーよ」
「いつから?何きっかけ?」
コッチに話しを振って来たくせに携帯画面から目を離さないとかな。嘘で誤魔化すのもイヤだし、まぁ普通に話す。
「ついこの前、図書室に行ったら居たんだよ。奥村さんが図書委員で。一応同じクラスだったから顔と名前は覚えてたからな」
「奥村図書委員か。似合いそー。つーか見たまんまだな」
「で、話して」
「話して?」
「図書委員の仕事を手伝って」
「手伝って?」
「それから……」
本の中に……って言えるわけねーよな。
「ほほう、それから?チューして?抱きしめて?」
「ないないない。するかっ!」
軽く笑い合って、僕と中村は遠くに見えた一台のバスに目をやる。信号で一度停止してからロータリーに進入しようとしているあのバスに、松下が乗っているらしい。
中村は目線を僕に向けて言った。
「まぁ、今日は俺が松下の相手するからさ、マコトは奥村とヨロシク」
「なんだよヨロシクって」
「奥村の隣に座れよ。俺の隣に来るなよな」
「は?カラオケのイスから決まってんの?」
「当たり前だろ。あと様子見て俺が松下をルームから連れ出すから、その時がチャンスな」
「ちょ、意味わかんねーよ!」
「コンビネーションだよ、コンビネーション!」
「はぁ?……お前もしかして松下の事、狙ってんの?」
きゅぴーん、と親指を立てた中村の爽やかな笑顔が、どうやら本気らしいと僕に知らせるのだった。
ビー!ぐわーっしゃ
目の前のバス停に時間通りに来たバスのドアが豪快な音を立てて開く。
厚着をした主婦や老人が何人か降りて来て、その中に長い髪を後ろに束ねたポニーの松下優子が現れた。
そしてそのすぐ後ろに、ペンギンのようなギクシャクした動きで降りて来たのは間違いなく奥村だった。
「お待たせー!」
松下が元気良く声を投げた。
僕は中村に聞こえるように呟く。
「おい、二人とも同じバスとか聞いてないぞ」
「おお、そりゃすまん。言ってない」
真顔で言って返した中村は松下に一直線に歩み寄ると全開の笑顔でお迎えをしている。待ってましたと冗談混じりに両手を広げて抱擁をアピール。からの松下のツッコミ。そこまでの流れが慣れた雰囲気で見ていても微笑ましい。
くそう、楽しんでやがる。
僕はといえば早鐘のように鳴り始めた自分の心臓の鼓動が耳の後ろから聞こえるような気がした。
目の前には私服モードの奥村が居る。ギンガムチェックの短いスカートが瞳に眩しい。寒くないのか気になる。黒いスポーツちっくな上着に書かれたKの文字がやたらとデカイのも気になる。名前とイニシャル違うしそういうブランド?インナーは薄いピンクのシャツ、小さく細かい花柄。そして黒のショートブーツ。頭にはベレー帽。
こんなに女の子と接した事がないのであからさまにジロジロ見てしまうのはいい事ではないよな。
しかしながら可愛い。
まいったな。
このまま持って帰りたいじゃないか。
いや、その背中に背負うスポーティなリュックに僕を入れて持って帰っていただきたい。
ああ、ダメだ、全て可愛いく見える。
鼻息荒くないか今僕は正常なのか?なんだか不安だ。
そういえばメール届いてるよな?
ドギマギしていると僕と奥村の目が合う。吸い込まれるような小宇宙を宿した瞳は一瞬だけ大きくまんまるに見開いた後、横長になってフニャけた。
「誠くん、あのメール長すぎ」
口元を押さえて言う奥村は、笑うのをこらえているようだ。
おかしいな。そんな笑わせる部分あったかな。
「え、あれ?なんか可笑しかった?」
「おかしいって言うか、もう全体的にアリエナイって言うか、もうとにかく読むのがメンドイ」
「そんなっ」
「何だか必死そうだとは思ったけど、いつもあんなに長いの?1000文字越えだよ?」
「うん、まぁ普通?」
「普通って、フツーじゃないから」
ますます笑いが込み上げる奥村。どこがそんなに面白いのか?わからん。たまに中村から来るメールに比べれば長いが、必要な回答や内容をきっちり書けばそれなりに長くなるのは当たり前で、どちらかと言えば奥村から来たメールの方が【短すぎる】としか思えない。
でも、取り敢えずは、僕の隣で笑い転げる(転がってはいないが)奥村の姿を見て、僕は安堵に近い感情で微笑んだ。僕と奥村の間にあった小さなわだかまりのようなものが、少しも感じられない気がした。
「そういえば、何か用だったの?」
僕は昨夜のメールの事を含めて尋ねた。
奥村は笑うのを止めて僕を見る。
「そうそう、大変なの。あの本なんだけど……」
言いかけた奥村に声が飛ぶ。
「ちょっと!置いてくわよ!」
松下の声だ。
どうやら僕も呼ばれているらしい。
振り向くと松下と中村が二人並んで先を歩いている。個室遊戯に向かうためだ。
「あー、また後で話すね」
奥村が言った。
幾らか距離を開けられてしまった僕と奥村が顔を見合わせて歩き始める。
僕が先に歩き、奥村が少し後ろを付いてくる。
長く続く森の道をお城まで一緒に歩いた時の再現のようだ。
数メートル先を歩く中村と松下を見ると、中村の腕を松下が掴んで、腕組みしているように見える。何だか親密なんだけど……
松下が一瞬振り向いて、こちらに向かってウィンクして見せた。
何かの合図か?ただの優越感に似たアピールなのか?
頭に謎を過ぎらせる僕を、奥村の気配が呼び止める。
突然左腕に感じた重みのある気配に僕の脳みそがフリーズする。
僕の左腕に絡みついて来た奥村の腕を、体温を、じわっと感じてまた歩き始める。
森の道の再現では無くなってしまったようだ。
繁華街に向かって歩く二組の男女の影が、まだ日の高い町のアスファルトに青春を描いていく。