12(改訂済)
僕は今メンチを切っている。
かなり好戦的な威圧感を持って睨みつけている。
眉をこれでもかと寄せ、アゴを突き出しシャクレさせ、眼球を下に向けては昭和の絶滅危惧種【ヤンキー】と変わらないクオリティでメンチを切っている。
ヤンキーとは昭和に生まれた造語で、ヤングモンキーの略だ。若者の知性の低さと理性が無い動物的な行動を表した日本人ならでわの見事な造語だ。決してその強さや暴力性に憧れる対象にはならない。ある意味で恐怖だが。
とは言えしかし、もともと普通の顔だし怖いことも無いだろうが、この場合、常軌を逸したメンチを切る事での圧迫感と動揺を誘いたい。
「お前らナメとんのかい!」
「え、あ、いやその……」
しどろもどろになる兵士が王様を差し置いて僕のクレームに対応している。
「ラチルの奴がボスならボスやって最初から言わんかい!あんな弱いボロカスなんか三秒ともたんやないけワレぇ!まっったくしょーもない!もっと根性座っとる奴のがボスやるべきなんとちゃうんかいー?ああ!?」
謎の大阪弁によるキレ芸を炸裂させながら肉ダルマと隣の兵士に凄んでみせる。
王様はもう面倒くさい顔をしてるだけで何も言わない。こういう奴ほど無駄な権力を持ってるから始末が悪いよな。
「おい王様!おまぇブクブクブクブク太り腐りやがってみっともない!ちったぁ痩せろやボケカスがぁ~!人が待ってるのにチンタラチンタラ歩きやがって、みんな待ってる。みんな頭下げて待ってるのに汗かいてフウフウ言いながらのそのそ歩きよってからに!お前そんな体で早死にしたいんか?健康のためにも節制したらどないや!まったく国民の税金をいくら貰ってるか知らんけど、お前を肥えさせるために国民は税金払ってるんちゃうぞ!」
僕のクレームが脱線を始めた頃、市場の方から人垣を分けて近付く一人の老婆があった。
赤いフードを目深に被り、煌びやかな宝石を至る所に付けている。
僕の脇を通り過ぎると王様達の隣に立つ。
フードから長い鼻が突き出し、口元には赤い口紅がニヤリと横に広がっていた。
「まぁ、今回の英雄サマは変わり者らしいね」
老婆が王様に目配せする。肉ダルマは何故かその老婆の登場に手を叩いて喜んだ。
「ジャーマハル、良いところに来た。助けてくれ」
キングにあるまじき言葉に、ジャーマハルと呼ばれた老婆は鋭く叱咤する。
「王様のくせにみっともない声を出すんでないよ。プライドってもんがないのかい。だからせっかくの名前が無くなっちまうんだよ」
次に老婆は僕らに向き直り、言葉を続ける。それは僕に対する質問だった。
「さて、英雄のお兄ちゃん、お前は自分をリアリストだと思うかい?」
僕は突然の問いに一瞬戸惑う。流れも物語も無視した自分への個人的な見解を問われた。
【現実主義】か?だって?それは、もちろんそうだ。
でも何故に今、それを聞く?
僕が頷いて問い返すと、老婆はニヤリと笑って言う。
「この世界にはリアリストは入れちゃならないって言い伝えがあるのさ」
だって。
うん、まぁ何ていうか、それについては「知るかよっ」て言いたい。
ジャーマハルは長い鼻をヒクヒクさせながらケケケっと笑った。
「以前にもリアリストがこの世界に来た事があってね。その時にこの世界の理を歪めてしまったのさ。それ以来、リアリストが来ないように扉には呪いが掛けられた。本来ならお前さんはこの世界に興味すら湧かなかったはずだよ」
そして老婆はゆったりと歩き、奥村に近付いてその姿をしげしげと眺め見る。またニヤリと笑い、奥村に言う。
「どうやらこっちの娘さんが鍵を持ってるね。これまたトンだ男を選んでくれたもんだ。まぁ、選んだわけじゃないのかもしれないけどねぇ。ケッケッケ……」
ジャーマハルは笑うと奥村の肩をポンと叩いた。
僕はその仕草に思わず反応して、老婆に強く言葉を向けた。
「気安く触るな」
老婆が首を竦める。
「おお、こわいこわい」
半分からかうように笑いながらジャーマハルは僕に向き直る。そのフードの下から細い眼を光らせ、奥村を指差して僕に言った。
「じゃあ英雄さん、この娘にキスしておやり。それでサヨナラだ」
群衆がどよめいた。
は?何を言ってるんだ?
周りを見ると王様や兵士がさっきまでの狼狽を忘れて、顔を輝かせている。
「そうだそうだ!キスしろ!」
「キスして帰れ!」
「キース、キース!」
突然周りから始まるキスしろコール。
どこかの宴会か何かの余興みたいに一斉に繰り返し、次第に大きくなるキスしろコール。
全く意味が分からない。
「簡単だろ、ほれほれ、チュっとしちゃいな」
老婆のムカつく声。
僕が周りを見渡し、奥村も挙動が狼狽を見せる。
「え?え?ど、どうしよう、誠くん」
奥村は顔を赤面させながら僕を見る。
明らかに動揺している。しきりに唇に手を当て、僕の動向に警戒している。
僕が手を動かして頭を掻いただけで、奥村はビクリと身を震わせた。
そんな、まさかやるわけ……
その時、王様が顔を引きつらせる僕を指差して、ニヤニヤしながら棒読みで言った。
「わしの娘との婚約を断わると言うのならば、その娘との愛の証しを見せてみよ」
ぷっちーん。
出来るかぁー!!!
僕は叫んだ。
「ブックマァァァク!!!」
僕は二度叫んだ。
「ブックマあァァァぁク!!!」
それを聞いて、奥村が思い出したように言った。
「ブ、ブックマーク!」
光が僕らを包む。
次の瞬間、
奥村の部屋で怒りに震える僕と、何故か悲しそうに僕を見つめる奥村が居た。
僕は無言で靴を脱ぎ、床に置いていた荷物と共に無造作に引っ掴む。
奥村の部屋のドアに向かって足を向けた時、背後で奥村の小さな声が聞こえた。
「誠くん、……ゴメンね」
何だ?何に謝ってるんだ??
僕は苛立たしさと怒りとがもみくちゃになった頭をどうにかしたかった。
一度真っ白にして整理して考え直す時間が必要だった。
僕は何て言っていいか分からずに、一言だけ振り絞って奥村に言うと、部屋のドアを開けて出た。
「 帰る 」
ちょっと、
冷たい言い方になったかもしれない。
でも、それが本当に精一杯だったんだ。
☆ ☆ ☆
陽が沈み始めていた。
閑散とした住宅街のアスファルトを蹴りながら、僕は夢中で駆けた。背中の荷物を激しく揺すり、運動会でもないのに全速で風を切る。
回転する両足が熱を帯びてスポーツシューズの中で悲鳴を上げる。アスファルトに叩きつけるつま先は硬い反発力を受けて僕の身体をトビ魚のように前進させて行く。
奥村の家に行ったのが昼過ぎ。何度か本と現実を往復してラチルと対戦した事を時間に入れても、今、太陽が沈み始めているのは早過ぎる。多く見積もっても3時から4時前のはず。
なのに、すでに時計は5時になろうとしている。僕にとってはいきなり時間が過ぎた。そう思わざるを得ない。
僕は本の中で産まれたイライラを忘れる為に、必死で走り続けた。全身のあらゆる力を使い切りたい衝動に従って、自分の家まで走り抜けた。
一日で経験するには多過ぎるし、刺激の強い体験だった。特にラチルを殺してしまった時の消失感がハンパない。
後で生きている事が分かって少し安心したけれど、あの感覚が全て拭い去れた訳じゃない。僕はそんなに器用ではないらしい。
叫び出したい衝動と、誰にも言えない不思議な時間を過ごした感動と、そして……
「あ、兄ちゃんお帰り~」
玄関を開けて靴を脱ぎ散らかす僕の前に、弟が顔を出す。リビングから現れた小学生の坊主頭は、片手に家庭用娯楽電脳遊戯機の操作端末を握りしめたままだった。
「兄ちゃん、一緒にゲーム対戦しようよ」
「明日にしろ」
「えーっ」
「うるさい!」
僕は吐き捨てて二階への階段を駆け上がる。
「何怒ってんだよ~」
ムッとする弟を無視して一気に階段を上がり、二階の廊下をドカドカ踏み鳴らして自分の部屋に入る。電気を点け、六畳一間のフロアに冒険用の荷物を放り出し、勉強机の上には学校の用意の荷物を放り出す。
自分の目の前に揉みくちゃになった木のベッドと布団が、朝の自分の見た時のままに鎮座している。僕は無言でそのベッドへうつ伏せに倒れこんだ。
呼吸すると自分の布団のいつもの臭いがする。自分の生活の中に戻って来た事を実感する。埃っぽいシーツのシワに顔を埋めながら、今日の体感を布団に吸い込ませる。
すげぇ一日だった。
イヤな一日だった。
いや?
違うな、
「すげぇ、可愛いかった……」
奥村が無事で良かった。
一時はどうなる事かと思った。
ラチルに奪われなくて良かった。
奥村を……
「……美夜……」
美夜を守れて良かった。
俺の美夜を……
「ハハっ、何言ってんだ、俺」
自分がこんなに独占欲が強いとは思わなかった。
奥村を守る。そう誓った冒険の旅が僕にもたらしたモノ。
それは誰かを守る強さなんかじゃない。
僕は自分に出来る事をしただけなのだから。
今日、得たモノ。
そう、今日得たモノがあるとすればそれはたった一つ……
それは一つの感情。
「……美夜……好きだ……」
それは『恋』と言うらしい。
「……好きに、なっちまった!!」
自分が何を言っているのか気付いて、思わず笑っていた。
布団に顔を突っ伏して、こみ上げる笑い声を家族に聞こえないように押し付けていた。
僕が誰かを好きになる。
そんな時が来るとは思わなかった。
自分の事を思わず「俺」なんて言ってしまうほど、攻撃的で独占欲が剥き出しになっている。
奥村美夜を取られたくない。奪われたくない。
本当に思っているこの感情は、静かにも熱く、僕の身体を駆け巡る。
「赤面してらぁ」
僕は笑顔を天井に向けた。部屋を照らす丸い蛍光灯の光が眼に飛び込んで来て、僕の眼球を僅かに運動させる。小さな痛みを覚えながら、思い出す奥村の顔に、勝手に帰って来た後悔と、ぶっきらぼうに言った捨て台詞の後悔が合わさって、今更になって苦く顔を歪めた。
「明日、謝まろう」
でも次の瞬間に思い出す。
今日は土曜日。
明日は?
「日曜日じゃねーか」
会えねー。
「会いてぇー!!」
奥村に。
「会いてえなぁ!ちくしょう!!」
口に出した言葉は、引っ込められないと知った。
「兄ちゃん、誰に会いたいのさ?」
「勝手に入って来るなバカ!」
部屋のドアに現れた弟の顔に、マクラを投げつけてやった。
その後は弟を捕まえて、プロレス技を掛けて泣かす事にした。
☆
僕がその異常に気付いたのは、弟を泣かして母さんに怒鳴られた数時間後の事だった。僕は呑気に風呂に浸かっていた。
いつもの日常が、いつもの風景であり過ぎて、その事に全く気付いていなかった。飯を済ませて風呂に浸かり、さて頭を洗おうとした時だ。
風呂場の壁に設置された鏡がある。その前にお風呂イスを置き、おしりを乗せる。冷えた水滴がヒヤリとおしりから伝わり、シャワーのハンドルを切り替える。
いつも通りの天井と、いつも通りのシャワーの音。
目の前の鏡がくもっていたので、シャワーヘッドを向けて洗い流す。くもりが消えて、僕の顔が写る。
ふと、自分の髪に視線が行く。そういえばラチルとの戦いで、ドラゴンの炎でチリチリに焼かれてしまったのを思い出した。丸焦げではないが、少しだけ……
……
……
……焦げてない。
あれ?ちょっと燃えたよな?
美夜が確か触りながら、『切らないとダメだね』とか言ってたよな。
確かに言ってたよな。
燃えたハズだよな。
アレ?
ちょーサラサラのままですわ。
いつも通りの前髪だ。
抜けた?イヤイヤイヤ、抜けてたらハゲてるよな。これはもう、治ってるとか言ってしまう状態だぞ。
自分の身体を見回してみる。
ラチルに斬られはしてないから、ケガはしていない。でも、城壁の上でやり合った時に焼かれたり、伏せたり転がったりしたから、小さなすり傷や火傷みたいなのがあってもおかしくないんだよなぁ。
……
すげー、普通だ。
何もなってない。キレーなもんだ。
……
……どゆこと?
本の中でケガをしても、本から出れば治るのかな?
じゃあまた本に入ったら、前髪がチリチリになるのか?
それはイヤな仕様だなぁ。
でも、本の中で致命傷に近いダメージを負った時は、すぐに本から出たら回復するって事か?
だったら死ぬ事はなさそうだな。ちょっと安心した。
たかが絵本を読むだけで死にたくないしな。
……
……
そゆこと?
そーゆー事なのか?
僕たちは読者だ。
絵本を読んで、登場人物として参加するからといって、あくまでも読者だ。
普通の本を読んで死ぬやつは居ない。
読んだら、読んだ分だけ、時間が過ぎるだけだ。
……
……
……そうか。
「読んだ分だけ時間が過ぎるんだ」
普通の本と同じだ。本を読んでケガはしない。読んだらその分の時間が過ぎる。
最初に僕は小屋で長い時間を過ごしたと思っていた。
でもそれは、物語を読み進めていない、場面が変わらないから時間が過ぎない。
そしてラチルと戦い、勝ってしまった。
これは極端に場面が進んで、物語が終わりの方にぶっ飛んだんだ。
だからいきなり時間が過ぎた。
本から出たらもう5時。
だからか。
そーゆーことか。
つまり、
本を読んで、中でどれだけ時間がかかっても、外の時間は、読み進めた分の時間だけ進むんだ。
普通の本を読んで、どれだけ時間がかかる?
一冊読むのに、丸一日や二日かかる超大作もあるけど、小説なら二、三時間。絵本なら数分で終わるだろう。
鏡に映る僕の顔がニヤける。
一つの事実に気づいた喜びが込み上げる。
うわ、教えたい。
美夜に教えたいなぁー。
頭を泡だらけにしながら、僕の笑い声が風呂場にこだました。