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理系男子と恋の魔法絵本  作者: 夢☆来渡
恋の扉は突然に
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 世の中には何人の女性が居て、これから僕の前に現れるのはその内の何人だろう。

 きっと星の数にも満たない、星座や惑星の数にも満たない。きっと片手でお釣りが来るほどの出会いと恋だろう。

 たった一度の恋や、出会いでも、充分に燃え上がり、残りカスが風に吹かれていく程の情熱があったなら、報われているのかもしれないけど。


 最近、自分の中学校に行く事にも飽きて来た。

 毎日同じ道を歩き、毎日同じ面々と挨拶を交わし、内容が微々たる進行を見せる授業を聞き流す。

 あと一年は居る事が義務付けられた日常。そして来年にはまた三年間の学生生活を送るのだろう。そこでは高等らしい授業を受けられるようだが、教室に備えられた机の一つから眺める黒板の文字が、今と変わらない風景であろう事を予期している。

 何時までもここには居られない。

 毎日の時間、時を刻む針の数は決められていて、あと数分で僕は立ち上がり、お辞儀をして教室から立ち去らなければならない。


 部活動には一年の時だけ在籍していた。学校の方針らしく、やりたくなくても何かしらの部活動に入部をしなければならない決まりだ。

 自分の肉体には他人と比較しても秀でている部分は無いと自覚している。肥満や短足などの劣勢な要素は無いが、平均値を過剰に上回る部位も無いという意味だ。

 そういう査定基準では有り難い事にも、顔も平均値を下回る事がなかったのは幸いか。

 だが、いくら平均値相当の容姿を保有していたとしても、僕の中身を含めて付加価値に乏しい生命体には、未来を華麗に彩る出来事も起きる事は無い。毎日が繰り返し平穏で、退屈だったとしても、それを喜べる気は起きない。

 終業の鐘が鳴る。

 程なくして教壇の年老いた男性の大人が国語の授業の終了と家庭での学習内容を告げる。

 自分の机から教科書とノートを数冊取り出して、机の横に引っ掛けた四角い革鞄に詰め込む。

 そして一枚の紙切れ、昨日の夜に書いた部活の退部届を取り出す。

 A4クリアファイルに閉じる事すら面倒で、一番よく開く理科の教科書に挟んでいた為、少し折り目がついてしまった。が、効果が変わる訳ではないので無反応を決め、教科書を鞄に入れる。

 退部届、化学部、二年B組 波多野 (まこと)、これだけ読めれば問題はない。

 二年生になってから幽霊部員として名前だけになっていた部活動に、ケジメを付ける為の紙切れだ。

 部活の顧問から言い渡された嫌みを含めた命令に従い、これから提出に行く。


 退部届のみを握りしめ、教室を出て、深緑の廊下を歩く。ワックスが照り返す窓からの光は、太陽光線と呼ぶには力強さに欠ける。

 空にはまだらに雲がかかり、小さな魚の群勢がひしめくように日光を遮っているからだ。

 風が冷たく、冬の只中に僕らをいじめ抜いている。紺色のブレザーが揺れ、律儀に締めたネクタイが友達ヅラして揺れる。白いシャツにもグレーの制服パンツにも、羽織った上着のパーカーにすら、冷たい風は浸透していた。

 夕暮れまで校舎に残るつもりはない。この紙切れを顧問に提出し、自分のクラス担任に報告を済ませたら一目散に帰宅する。廊下を突き進み、校舎の中央に掛かる渡り廊下を抜ける。

 別校舎の二階、東側に廊下を突き当たると職員室だ。ガラリと扉を開け、忙しそうに見える教師の群れを見る。

 その中から化学部の顧問を見つけ出し、足を向かわせる。

 三十代半ばの、無精ヒゲが刈りたくなる男むさい教師、田中の背中。パソコンを開き、仕事をしているようには見える。

「田中先生、波多野です。これ持って来ました」

 特に感情の表現もなく、紙切れを差し出す。

 先生は振り返りもせずにパソコンのキーボードを数回叩きながら言った。

「おう、そこ置いといてくれ。担任の先生にも辞めた事は言っとけよ」

「はい」

 会話終了。

 パソコンの脇に紙切れを置き、僕は改めて職員室を見回す。

 滅多に来ないから担任の居場所すら把握していないのだが、クラス担任の上村(うえむら)は背が高い体育会系のアツイ仕様だ。短髪のスポーツメンを見つけるのにさほどの時間は要しない。

 給湯室の付近でお茶を自分で淹れている姿を捉えると、机の並ぶ狭苦しい中を歩き、担任に近寄る。

 向こうからも僕の姿を見つけたらしく、元気ハツラツな声で迎えてくれた。

「よう波多野。どうした珍しいな!」

「先生、僕、今さっき部活辞めたんで」

 ぶっきらぼうに言うと、スポーツメンは眉を上げた。

「おお?何部だっけな?まぁ、勉強に集中するなら早い方がいいだろうしな。来年は受験生か。もう塾を始める奴もいっぱい居るからな。先生も受験前には図書館なんか通って勉強に勤しんだもんだ」

 何故に僕を勉学優先で部活動を辞めたと解釈したのか解らない。自分の過去を振り返って自慢気に言う意味もよく解らない。

 基本的に自分を含めて生徒に興味が無いのかと疑いの芽を伸ばすのは止めにして、僕は任務を果たした故に職員室からの退室を選んだ。

「あ、ちょっと待て波多野」

 上村が僕の背中を呼び止める。

「はい?」

 僕が振り返ると上村がマグカップに淹れたお茶をすすり、少しヤケドした風に見えた。

「あっちぃ~、図書館で思い出した。波多野、もし時間あるなら今から図書室にちょっと行ってくれないか」

「は?図書室?」

「行けば解る。きっと解るから」

 僕は今知りたいのだが。

 だが話がよく解らないスポーツメンとの会話に希望を持つよりも、実際にこの目で見た方が百聞は一見に如かずとも言う。まだ状況が飲み込めるだろう。

 一応、先生に言われた体裁もある、見てから判断しよう。

 職員室を出た僕は、同じ階の西側に位置する図書室に足を向けた。

 職員室の扉から真っ直ぐに伸びる廊下を歩き、突き当たるだけだ。三分とかからない。

 歩きついた突き当たりの扉には『静かに』と書かれた画用紙と『本はきちんと返しましょう』と書かれた画用紙が飾られている。注意を促すための紙に、色のついた紙やペンで装飾する必要があるのかと問いたい。が、その相手も居ないのでガマンして扉を開ける。スライドする音が静かなのが驚いた。鉄やステンレスのレールにドアの車輪が摩擦を帯びているはずだが、軽く手応えを残したばかりで、抵抗感無く図書室の扉は開いた。閉める時も緩やかだ。

 入口のすぐ左手にカウンターがある。四角く囲まれた貸出し受付けのための場所だ。だがその重要性の高い場所に人影は無い。

 見回すと窓際に並んだ長机の上に、山積みにされた図書と思わしき大量の本と、その傍らのイスに座る生徒が一人。

 他に生徒の姿は無い。ヒマか?図書室って人気無いのか?

 その唯一の生徒は同学年の奥村 美夜(みや)だ。話した事は無いが一年生の頃に同じクラスだったから、名前くらいは記憶している。

 大人しそうな落ち着いた……と言えば聞こえはいいが、まぁ地味で目立たない生徒だ。背も低く、黒渕眼鏡で、笑った所を見た記憶が無い。いや、基本的に記憶にすら怪しい。

 髪はオカッパだと思っていたが、あれから伸びたのか、ピンクのゴムで縛ってまとめ上げ、お団子が一つ、頭の上に出来ている。

 着崩す事なく、普通にブレザーの制服を着ているし、朱色のリボンも、グレーのスカートも並み丈だ。

 こうして座っている姿を横から眺めていると、教室の片隅でよく本を読んでいたのを思い出した。

 勉強熱心だと思っていたが、あれは何かの本を読んでいたのか、ここで借りた図書の一つだったのかもしれない。

 奥村美夜は目の前に積み上げられた本の中から一冊を引き寄せる。

 そして左手辺りに置いていた紙の束を次に見つめて、その束から小さな紙のようなものを取り、引き寄せた本に貼り付けた。

 どうやら紙の束は、何枚ものシールが貼り付けられた台紙で、そこから図書にシールを一つずつ貼り付けている。

 静かに作業をする姿を見つめ続けるのも男らしく無い。声を掛けようか。

「よう、何してるんだ?」

 八割がた解っているのだが、敢えて切り出す。

「わっ、……ビックリした」

 奥村は目を丸くしてこちらを振り向き、僕を見た。

 黒渕眼鏡だと思っていたが、細いピンクのフレームで、横長四角のフォルムのメガネ。そのレンズの奥に、長いまつ毛が見開いている。

 何故か赤面し始める奥村。

 驚いた事に羞恥しているのか、僕との会話に動揺しているのか、よく解らない。

 僕は歩いて奥村に近寄る。

 奥村が座っている席まで行くと、長机の上に置かれた書物の山が奥行きを増し、見えていた部分がごく一部だった事が解る。

 しかも長机の下にはダンボールの箱が二つ置かれ、その中にはさらに本が入っている。

 下を向いて黙ってしまった奥村の手元に、薄黄色の台紙が見える。

 一辺に八枚、縦に六枚……

 一枚の台紙に48枚のシールがあるわけだ。それがざっと5、6シート。多くても288冊分?

 シールには『キ 273 』『ア 051』といったカタカナと数字の記号のみ。

 分類の番号だと思われる。

 本の山を見ると、似たような記号が背表紙にあるが、手書きで擦り切れている。なるほど、読み辛くなったシールを書き換えるために、シールをパソコンで作成して上から貼り直す作戦を取ったわけだ。

 という事は約280冊余りの本が積まれているのか。

 てゆーか、一人でやる作業にしては多くないか?

「委員会の仕事……です」

 奥村はか細い声で言った。先ほどの僕の質問の答えらしい。

 図書委員会。

 二年生になると委員会というものが発生する。クラスから希望者を優先で一名ずつ、放送委員、美化委員、飼育委員、学級委員、さほど多くはないから全員には行き渡らない。クラスから選出された尊い犠牲だと思っている。

 年内行事や学校内の仕事を担う、必要な人材派遣だ。

 一年生には委員会に参加する義務は無いから、二年生の5クラスと三年生の5クラス。それぞれから一名ずつ輩出されたとして10名。奥村はその尊い一人という事か。

 僕は奥村に尋ねる。

「コレを本に貼ってんのか、一人で?先生や他の奴は?」

 言いながら、だんだん読めて来た。

 奥村は下を向きながら言葉を返す。

「関岡先生はシール作ってくれてて、まだ全然終わらないの。本当は三年生がもう一人居るんだけど、受験シーズンだから……多分、来ない」

「関岡先生……モンロー関岡(せきおか)ね。なるほど」

 僕は謎が解けて頷いた。

 図書委員の担当である関岡先生は女性で色気がムンムンのグラマラスボディの持ち主だ。その妖艶さから付いたアダ名はモンロー。その冠に違わず、色めく男子と男性教師を手玉に取ったとか取らないとか。

 僕の担任の上村はモンローにぞっこんLOVEだ。

 おそらく、いやきっと、モンロー関岡からこの作業の応援を頼まれた上村が安請け合いでもして、生徒をここに送り込むつもりだった。そこに僕がタイミング良く現れた。

 上村に取ってはモンローに媚びる為の犠牲だ。誰でも良かったんだろう。

 それにしてもウチのクラスの図書委員は誰だ?そいつが手伝うべきじゃないのか?

 周りを見回すと、週間担当を記した表が、カウンター内に貼られているのが見える。

 月曜日から金曜日まで2名ずつ、金曜日に奥村の名前と三年生と思わしき名前が並んで書かれている。

 木曜日にクラスメイトの中島の名前がある。なるほど、あいつか。クソ真面目を絵に描いたような男で、ふざけてはいないが、余計な事を自ら進んでやる気の利く奴でもない。

 週間別に図書委員の仕事をやるのが決まっているのなら、昨日の木曜日は中島がこの作業をしていた。そして金曜日の今日は奥村の順番なのだ。

 そしておそらく、受験生だと言われる三年生は来ない。

 そうかー。

 マジかー。

 ぶっちゃけ、このまま「あそー、大変だね、頑張ってね」と言い残して僕が去ってもいいだろう。上村のヤツがモンローに嫌われるだけのハナシだ。

 しかしながら、

 困っている奴を放って帰る程、僕は冷めた人間ではない。

 恨めしい。この性格が恨めしい。

 もっとヒネた奴だったなら良かったのに。

 拾ったサイフを中身だけ引っこ抜いてドブに捨てられるほど腐っていれば心が傷まずに済むのに。

 思わずため息が出る。

 奥村の隣りのイスを引いて、観念して座る。

 奥村が驚いている。

「え!え?どどうしたの!?」

 赤面がさらに増している。

 まぁ、そんなに驚く事かね?

「ちょっとシール見せて」

「あ、ハイ!」

 奥村からシールの台紙を奪い、目を通す。

 アイウエオ順かと思ったがイロハニホヘト順だ。こんな所に日本の古典文学を持ち出す必要があるのか?スゴく問いたい。

 数字は連番に近いが、飛んでる数字もある。イロハのカタカナが統一されている事が幸いか。てゆーかそれしか使える要素が無いか。

「手伝うよ」

「え!?そんな、いいよ別に……」

 おもむろに言った僕に慌てる奥村。その慌てて振った手が小さな風を起こす程に素早い。衣服から来るのか、本人から来るのか解らないが、産まれた風は甘い匂いがした。

 いい匂いだ、と感じた。

「ヒトの好意は素直に受けろよ。失礼だ」

 僕は何処かで聞いたような台詞を返した。マンガでは無かったとは思うが、およそ文学なんぞ授業以外に触れた記憶も無い。テレビドラマだったかな?

 奥村はまた下を向いた。

「……ありがとぅ」

 それだけ言うと、僕の手からシールの台紙を受け取った。


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