01-物語の始まり
深夜テンションで書いています。そんな感じの作品と思って読み、楽しんでいただけると幸いです。
俺の心情とは対照的に陰りなく輝く太陽が、休み時間中の騒々しい教室を優しく包み込んでいる。半ばまで開いた窓の隙間から吹き込む風が、固定されていないカーテンを揺らしている。
よく晴れた月曜日。休み明けのこの日を嫌いな人は、意外どころではなく多いのではないのではないだろうか。もちろん、それは俺も例外ではなくて、雨雲のようにどんよりとした気分で教室で狸寝入りしていた。
その精度といえば、寝ている俺を起こさないように気を使って誰も話しかけてこないレベル。
「あんさー、昨日のテレビ見た?」「見た見た。アレでしょ? アレ」「それそう、アレ、マジやばかったよね!」
六×六で並べられた机の中、最前列の中央の自席でじっとしていると、すぐ後ろのほうから女の声が聞こえた。本当に寝ているわけではないので、内容ははっきりと聞こえた。正直、よくあれで会話が成り立っているものだと思う。アレってなんだよ。つか、アレという手がかりだけでどうやって番組を特定してんだよ。
心から思ったが、世界の誰よりも奥ゆかしい俺がそんな気持ちを表に出すわけはなく、そのまま狸寝入りを続行した。そんなことをしていると……本当に眠くなってきた。いっそ、このまま寝てしまえばいいのかもしれない。
いや、それはやめておこう。寝ている間に何をされるか分かったもんじゃない。何もされないから、たぶん孤独で死んじゃう。そして何より、その前に、最前列中央で居眠りしてたら塚原に殺される。
机に突っ伏したままそんなことを考えていると、授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「あ、チャイム」「ダルー……次、なんだっけ?」「たしか古文」「うわ、マジ?」「マジマジ」
騒がしかった女子たちも流石に授業とあってはいつまでも話してはいられないのだろう。ぶーぶーと不平を唱えながらも、彼女らは各々の定位置に戻っていった。その折、女子の一人が俺の机を蹴飛ばすが、気が付かなかったのかそのまま行ってしまった。
謝れよブス!
もちろん仏よりも寛大な俺は何も言わない。
その代わりと言ってはなんだが、俺はさも今起きたかのようにあくびをするふりをして起き上がった。周りに迷惑をかけないように伸びをする。
そして、古文の教科書を机に吊るしたカバンから取り出した。そういえば古文といえば、俺は胡蝶の夢というやつが好きだ。理由は格好いいから。細かいことはよく知らない。あ、あれは古文じゃなくて漢文の領分でした。
「ほらみんな席につけ」
チャイムから三十秒ほど遅れて古文の塚原が教室に入ってきた。自分も遅刻しているくせに注意とか意味不。俺、こいつ嫌い。特に、生徒をダシにして受けを狙うあたりが最悪。俺にとっては災厄。YEAH。
教壇についたアラフォー塚原は、手始めに俺の顔を見て言った。
「なんだ椎名、休み時間また寝てたのか? デコが赤くなってるぞ。昨日、いかがわしい画像でも見て興奮して眠れなかったのか?」
クラスメートたちは教師が繰り出した下ネタにどっと沸いた。あからさまに笑う男子。くすくすと隠れて笑う女子。どっちかと言えば後者のほうが性質が悪い、と思ったけどとりあえずどっちも死ね。
「はあ」
俺は愛想笑いすることもなく気の抜けた返事をした。知っているのだ、否定することでより悪い方向に噂が広がることを。忘れもしない。俺が毎日学校にエロ本を持ってきていることになってしまったあの日のことを。
その後も塚原はなにやらぴーちくぱーちく囀っていたが、俺は筆箱からシャーペンを取り出すという免罪符を掲げて聞き流した。奴は自分の話がウケていれば満足な人間なので、よそ見していても別に構わないのである。
そして雑談しているうちに五分経った。塚原清次という男は、勉強よりも大切なものがある、それは毎日を楽しむことだ、という持論を持っている輩なので、こんなのは毎回のお約束だった。
でもね、先生。僕、楽しくないよ。
というか、学生の仕事は勉強することなのだから、今の俺たちにとっては勉強以上に大切なものはないと思う。友達との青春? なにそれおいしいの? 友達いたことないからわかんないわ。
「それじゃあ、教科書の七十八ページを開けー」
塚原が俺の気持ちに気づいてくれるなんて奇跡が起こるわけもなく、古文の授業は何事もなかったという感じで始まった。
と、その時、ぴーんぽーんぱーんぽーんというダサい音が鳴った。
山月記についての説明ををしようとしたところだった塚原は、恨めし気な目でスピーカーを眺めた。それでも授業は止めるあたり、やつが結局普通の先生という枠にはまっていることがわかる。ドラマの熱血教師みたいなことを言っていたが、ついに化けの皮がはがれやがった。馬鹿め。
俺はこの喜びをどうにか表現したくなって、まっさらなノートに『28』という四の倍数をひたすらに書き綴った。最終的には、『28』が連続した数列によって『28』という文字が描かれた。
俺はその絵画を見て驚愕した。なんたる芸術。これはルーブル美術館に飾られるレベル。
俺が感動している間も、クラスメートたちはスピーカーに注目している。
「ほんと、馬鹿みたい」
しかし、スピーカーからの放送の前に、教室の方向から声がした。
それは女の声だった。通りの良いソプラノで、舌足らずな喋り方と相まって最強に聞こえる。
教室にいる誰もがその声がした方角を向いた。もちろん俺も例外ではない。他の奴らと違うのは、振り返りながらの友達との会話をしていないことくらい。
振り向いた先にいたのは一人の幼女だった。高校生用の机くらいの身長の金髪幼女が、教室後方のロッカーの上に座っていた。彼女はひらひらと装飾過多な黒いドレスを着ている。
「君は?」
誰よりも早く気を取り直したのは、塚原だった。流石に大人だけあって対応は早い。ここで大切なのは、順応ではないことだ。今行っているのは、マニュアル通りの対応でしかない。つまりは意味がない。例えばバスジャックにあったとして、犯人の正体がわかっても問題は解決しないのだ。そもそも、聞かれて自己紹介をする不審人物なんて考えるだけで怖い。
しかし、今回の不審幼女は恐怖の塊だった。
「僕は神様だよ」
なんと! 彼女は僕っ娘で電波だった!
なんておいしそうなんだろう! じゅるり……。
「は?」
塚原は至って普通の反応をする。
「だから神だよ。人の話はちゃんと聞きなよ」
「……なんだと!?」
教師というやつは無駄に自尊心が高い。それは基本的に彼らを崇める生徒たちのせいだが、とにかく彼らは自分より年下に馬鹿にされることを嫌う。塚原は高校生どころか小学生にしか見えない女の子に図星を突かれて憤慨した。
いや、本当に図星かどうかは知らんけど?
ただ、今のが人の話を聞くように指摘されたことに対する反応じゃないのは確か。
「……」
なんと幼女は塚原の言葉を無視した。まあ、気持ちは分からなくもない。
シカトしたことは塚原をより怒らせたらしい。彼は教壇から離れ、大股で後方に向かった。
生徒たちは不穏な空気にひそひそ話を始める。誰あの子? つか、やばくない? みたいな内容がほとんどだ。しかし、それを止めようとする者はいない。彼らは塚原の怒りの矛先にされるのが怖いのだ。
そんな弱気な高校生たちとは対照的に、怒髪天を衝く勢いの塚原を真正面に見据えてもなお、幼女は表情を変えなかった。
「なに?」
軽い口調で幼女は訊ねた。
「君は誰だ?」
流石に手を上げないくらいの分別はついているらしい。怒りを押し殺した声で塚原は問い返した。
「だから……神だっていってるじゃないか」
「……悪いが、遊びに付き合ってあげる暇はないんだよ」
塚原の反応に、幼女はふふんと馬鹿にしたように笑った。おいおい、挑戦的な幼女だな。いいぞ、もっとやれ。俺は塚原が嫌いなので、もっと馬鹿にしてやってほしいと思った。
それから二人はいくらか問答をしたが、結局話は進まなかった。神。嘘。神。嘘。彼らは同じ言葉でキャッチボールしていただけだった。
そこで、どうやらこのままでは埒が明かないと塚原は判断したらしい。未だにロッカーの上に座ったままの幼女のわきに手を入れて、軽々と持ち上げた。強制的に部屋から退出させることにしたのだろう。
「変態。ロリコン」
手足をばたつかせる幼女からの容赦ない言葉を塚原は無視する。
「というか、貴方は馬鹿なの? 頭が悪いの?」
だが、幼女がそう言ったとき、彼は動きをぴたりと止めた。おそらく旧帝大卒の教師としては聞き捨てならなかったのだろう。その気持ちはわからない。学歴がなんだというのだ。ちなみに、個人的には、旧帝大のくせして教師にしかなれなかった時点でそうとうありえないと思います。
と、その時、なんと幼女の姿が塚原の手中から消えた。元からなかったかのように一瞬で。ありえない現象に教室がざわつく。俺の心もざわつく。なん……だと……?
だが、たぶん一番驚いたのは塚原だったに違いない。急に腕にかかっていた質量が消失したのだ。あたかも狐に包まれたような気分だったろう。
「どうやって僕がここに来たと思ってたんだよ」
幼女の声は、今度は教卓のほうから聞こえた。
あわてて振り返ると、すぐそこの教卓に幼女が座っていた。足をぶらぶらさせている。もう少しで! パンツが! とは流石の俺も思わない。ここまでロリだと守備範囲外だ。
「ねえ、君はどう思う?」
どういうわけか、幼女は突然俺に話しかけてきた。もしかして一目ぼれ? いや、どう考えても一番近くにいるやつに話しかけただけだった。
「え、う、えう」
学校で言葉を発することなんてほとんどない。俺の喉はカラカラに乾いていて、うまく喋ることが出来なかった。本当だったら、さあ知らね、と言っているはずだった。我ながら原型を保っていない。
幼女はくすくすと笑う。その姿はいとあわれ。いや、趣はないか。でも、それじゃあ可愛いって古語でなんて言うんだ? あえなり? 知らん。古文の授業だったのでいろいろと考えてみたけど空まわっちゃった! 誤魔化すように俺は心をウインクを飛ばす。
幼女はまたくすくす笑った。
「さっきから思ってたけど、君は変な人だね」
「はひふへん?」
幼女は何を以てそういう判断を下しているのだろうか。
「神様だから何でも分かるんだよね。例えば……心の声とか」
「……げ。読心術」
俺たちの会話に、近くに座っている女生徒が悲鳴を上げた。悪いことを考えていたのかもしれない。しかし、読心術とかめっちゃ心トキメク。ストーカー御用達の夢能力。めっちゃ欲しい。
「そして僕は神だから、瞬間移動なんかもできるんだよね」
「つまり……」
俺たちには彼女を捕まえることはできない。その事実に驚愕し、俺は喉をごくりと……鳴らさないのであった。別に捕まえようなんて思ってないし、当然。
そんな俺の心を読んだのか、幼女はほくそえんだ。
そこで、古文の塚原がずかずかと前に戻ってきた。諦めずに追ってきたらしい。こいつ、そんなにこの幼女が好きなのか? しかしすぐに、そういえばこいつ独身だったな、と妙に納得する。彼も娘が欲しいお年頃なのだろう。でも、現在の年齢を考えると、パパくさい! って言われるだけだぞ。ソースは俺の親父。妹にそんなこと言われてました。俺? めっちゃ溺愛してたら、マジありえない……、と真顔で言われました。
「出ていきなさい」
捕まえるのが無駄なことであることは流石に理解していたようで、塚原は教室前方の扉を指差した。
しかし、幼女は当然のごとく従わない。むしろそっぽを向いて、会話すら放棄していた。せめて生返事くらいはしてやってほしい。流石に可愛そうになってきた。
「……椎名」
と、思ったがそんなことはなかった。塚原は恨めしそうにこちらを見てきた。なんだよ、俺、何もしてないよ。何も言ってないよ。
「彼女をどうにかしなさい」
どうやら塚原は、幼女に気に入られてしまったらしい俺に自分の責任を押し付けるつもりらしい。そんなことやってやるもんか! と心の底で咆哮するが、事なかれ主義の俺は仕方ないので幼女に向き直った。別に、先生が怖いわけじゃないし?
とりあえず質問を投げかけてみる。
「君、誰?」
我ながら片言。根は優しい巨漢の不良みたいだった。
「……神って言ったはずだけど?」
「そうじゃなくて名前。神なのはもうわかった」
予想外の質問だったのか、幼女は少しだけ考えるそぶりを見せた。そして自分の中で結論を出したのか、口を開いた。
「僕はファルルウ。一応言っておくけど、神話をたどっても僕の名前は出ないからね」
言われなくても神話の知識なんてないので大丈夫。名前がわかったところで、さっそく俺はファルルウに質問をした。
「それじゃ、ファルルウさん? 君は何しにここに来たの?」
「んー……遊びに来たんだよ」
「遊び?」
そう、とファルルウは頷く。
「君たちで遊ぶためにここまで来たんだよ」
「なに、ゲームでもすんの?」
「ゲーム? うーん、そうだね。ゲームと言えなくもないかな。RPGだよ」
なんだそれ、と俺は思う。3DS使って対戦でもするんだろうか。それだったら交換のほうがいい。割と本気で。カマキリをハンサムな感じに進化させたいのだ。そして俺はリア充に進化したいのである。
「ま、言うよりは体験してもらったほうが早いかな?」
「いやいやいや、俺、取説とかはしっかり読むタイプなんだけど」
もちろん嘘である。取説とか読むのだるい。
「まあまあそう言わずに。というか、そもそも君たちに選択肢はないんだけど」
そう言うとにやりと笑って、ファルルウはパチンと指を鳴らした。その姿にその行為はひどくアンバランスで、背伸びしている感がとても楽しかった。
だが、その直後、まったく楽しくない事態が俺たちのもとに訪れる。
硝子が無残に砕け散ったような悲痛な音だった。
音となって現れた運命が扉を叩き、俺たちが返事をする前に開扉した。
そして、その時、俺たちにかかっていた重力が一瞬にして消えた。
重力という鎖から解き放たれた体は宙へ浮かびあがり、自分という鎖からも自由となる。
変化はそれだけではなく、教室という景色が歪み、適当に混ぜた絵具みたいな光景に早変わりした。
立ち上がる悲鳴。あたりを気にせずに叫ぶ人々。その光景は、まるで地獄絵図のように見える。
「あまり驚かないね」
正面に浮かぶ幼女は、いつの間にかさかさまになっていた俺に向かってさも面白そうに言った。こちらに合わせて、四肢を動かすこともなく重心を軸にして回転する。どうやら彼女だけはこの中でも自由に動き回れるらしい。
俺たちの目線があった。
「……これだけ周りが騒いでると、驚く気も失せるよ」
「納得」
呟き、ファルルウはその場から移動した。湖の精霊が水面を歩くようにぴょんぴょんと跳ねる。
しかし、そんな自分勝手にしてもらっていても困るので、俺は口を開いた。
「で?」
「で、とはなんだい?」
「これからどうなんの?」
ああ、そのことか、という顔をするファルルウ。
「これから君たちは異世界へ行くことになるんだ」
「は? 異世界?」
「そうそう。君、ネット小説とか読まないの?」
ネット小説。それはその名の通りインターネット上で閲覧できる小説だ。全国にいる誰かが投稿している。常に暇なので、俺も何度か読んだことがある。確か今の流行は異世界やゲームの世界を舞台にしたファンタジー。いわゆる『異世界で最強する主人公』だったり、『乙女ゲームの世界で望まないのにもてもてになる』みたいな話。
ものすごい数の小説があって、自分に合った作品を探すのが大変だった覚えがある。同じジャンルでも、ディテールが自分好みじゃないときはあるからな。
しかし、それがなんだというのだろうか。あれはあくまでもフィクションであり、今に相応しい話ではない。それとも、どこかに関係しているのか?
いろいろ考えてもわからなかったので、俺は素直に問いかけた。
「それがどうしたん?」
「それが今から現実になる」
それつまり異世界転生?
「エレス・コレクート」
懐かしいネタを。
「ネット小説を例に挙げたってことは、もしかしてすごい力をもらえたりもすんのか?」
「いいや? そんなことしたらつまらなくなっちゃうじゃないか。主人公が苦しんで苦しんで、努力する。僕はそういう小説を読みたいんだよ」
そこまで説明すると、ファルルウは歪んだ教室を見回した。そして満足げに笑うと言った。
「さて、そろそろ時間だ」
「時間って……まさか!?」
ふふ、とファルルウが姿に似合わない妖艶な笑みを作る。
「物語の始まりだよ」