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入学式が終わった次の日の朝。
本格的に今日から学校生活が始まって行く。
だからと言って、彼らの朝はこれと言って変わったことはない。
竜也にしろ銀夜にしろ、どちらも普段から生活習慣がかなりしっかりしている。さらには、早起きが
春休みの感覚から抜け出せないまま、寝坊するなんてことは二人にとってあり得ないものなのだ。
そのため、ゆっくりと静かな朝を二人は迎えていた。
すでに朝食を終えた竜也は、銀夜に入れてもらったコーヒーを飲みながら、ソファーに腰を掛け、新聞を開いている。が視線はあまり新聞には向いていない。
その視線の先には、せっせと昼食用の弁当を用意するために動いている、制服の上にエプロンをつけている銀夜の姿があった。竜也としては特にやることもないので手伝ってあげたいのだが、銀夜がこればかりは自分でと言い張るために、任せることになったのだ。
ちなみに竜也たちが通う学校の方には、購買や食堂と言った昼食を取る場所は存在している。
メニューも結構豊富で、在校生にはかなりの人気があり、大半の生徒はそれを利用する。つまり、弁当派は少数に当たる。
そのため竜也は当初、食堂で良いと言っていたのだが、銀夜が頑なに昼食は弁当にしたいと言い張ったのだ。銀夜の料理の味は申し分なく、竜也の舌にあうので、作りたいという以上特に文句はなかった。
竜也は、面倒くさくなったり、作るのがきつくなったらやめてもいいというようには伝えている。
そのように伝えた際「面倒くさくなるなんてありえません。兄様のために料理を作るのは、私にとっては一つの娯楽ですらあります」と断言されたとき、竜也は思わず苦笑してしまった。
現に鼻唄まじりで準備をしているところを見ると、本当に楽しくて仕方ないのかもしれない。
「はい、兄様」
「ありがとう」
出来上がった弁当を、銀夜は竜也に手渡す。
彼はお礼を言ってそれを受けとった。
身支度も整っていたので、それ受け取った後、少し早めに家を出た。
☆ ☆ ☆
竜也と銀夜の家は学校までの距離がそれなりにあるため、電車で学校に向かうことになっている。
平日の朝の電車の駅のホームは、通勤する社会人や通学する生徒が重なって、人が大変混雑していた。
そんな風に人が多く集まるところでも、銀夜は無論というべきか、注目を集めていた。
その姿を見た男性は目を向けては背けてを繰り返している。いや、男性だけではなく、女性も似たような感じだ。
そんな視線を受けて、彼女は兄に守ってもらうかのように、背中に隠れていた。
電車がやって来た。
電車の中は、駅のホーム以上に極めて混雑していた。
扉が開き、彼ら二人を含め、どやどやと人が入っていく。
全員の出入りが終わったところで、扉が閉まり、発車する。
そこで竜也は嫌な気配を感じた。
それは何度も味わったことがある気配だった。
またか、と彼は内心で毒づいた。
それは銀夜に痴漢を企もうとする輩の気配だ。彼はそれを感覚的に知る。
年月が経っていても、そういう輩は中々居なくならない。
その輩の正体は中年の男性だった。
男は片手は吊革に、もう片方の手をバックを持って下げている。顔は正面を向けているようにして、気づかれないように視線だけチラチラと銀夜に向けている。
そして男は行動に出た。
手がゆっくりと銀夜のスカートの方へと伸びていく。
そしてそれが当たろうかという瞬間、ひぃッという小さな悲鳴が男の口から漏れた。
竜也が男の手首を掴み、強く握ったためだ。
男は捕まれた手を払って、すぐに引っ込めた。
逃げられたように見えるが、実際は違う。
竜也が強く握ったのは一瞬だけ。あえて逃がしたのである。
強く掴んだのは牽制の意。
確かにここで捕まえようと思えば捕まえられる。
だが、ただ捕まえるだけでは、問いただしたとしても、ごまかされるのは目に見えている。
証拠を得るためには、相手の行為を一瞬以上許さなければならない。
竜也はそれを許せるほど、大人ではなかった。
さらには、捕まえた後が問題だと思ったからだ。
捕まえたは良いとして、警察に引き渡すために色々しなければならない。要は時間がもったいないと思ったためだ。
そういうわけもあり、竜也はここで捕らえることをしなかった。
再び男が手を出す、ということはなかった。
チラリと彼を見たとき、異常なプレッシャーを感じてしまったからだ。
男はただ冷や汗を流して、硬直していた。
その姿を一瞥した後、竜也はひっそりとため息をつき、何事もなかったかのように、ただ電車に揺られる。
近くにいる妹が、嬉しそうに笑みを浮かべているとは知らずに。
☆ ☆ ☆
電車を降りてから学校までは、ほぼ一直線の道のりだ。
ちなみに彼らの通う学校以外も、この辺りにあったりする。
そういうわけもあり、この道のりは彼らのような学生を目安にした店が多く並んでいる。
品揃えなども学生を対象にしたものが多い。さらには学生割引なども結構利いたりする。
そんな道のりを歩き学校へと向かう二人。
「兄様、あの服可愛くないですか?」
「あれか? そうだな……銀夜に似合いそうだ」
「えへへ、ありがとうございます。あっ。あれはテレビで見たことある店です。ここにもあったんですね。今日の帰りに行ってみませんか?」
「それも良いかもしれないな。俺もちょっと気になってたんだ」
その間には店から店へと目を移しながら、銀夜が楽しそうに竜也に語りかけていた。そんな銀夜を微笑ましく感じながら、竜也はそれに対して律儀に答える。
その様にして歩く二人の姿は、どこかにいそうな中の良すぎるカップルにしか見えない。
後ろの方で、銀夜と一緒にいる彼に、嫉妬心丸出しの視線を向けるものがいたが、そんなものは彼にとっては何の意味のないものだった。