[途絶]文化的なサークル 前半
所沢市の安アパートに暮らす二十八歳フリーターの青年が、とある機縁で文化的な市民サークルに入会する。怪しい教祖的存在の中年男性や、大学を休学している神経症的な女性などと知り合いになりつつも、一方でひょんなことから友達になった美少女女子高生ともゆるい日常を送るゆるい日常系ライトノベル。執筆は中途で途絶。
アパートのベルがけたたましく鳴った。目覚めると傍らの猫が怯えて硬直している。時計を見たが、まだ午前8時だ。ジャージを着て玄関の鍵を開けた。ドアの向こうには半そでTシャツにジーパン姿の少女が居た。
「おはよう。寝てたんだ」彼女が言った。
「おはよう。最近生活リズムが狂っちゃっててね。朝方になったよ」
起きたばかりなのに月子の相手か、と陰鬱な気分になった。
「適当に猫と遊んでてよ」と顔を洗いながら言ってみたが、猫はさっさと隠れてしまっていないようだった。「出ておいで~。ツツツツッ」という月子の声が聞こえた。
月子は猫と遊ぶためによくうちに来る女子高生だ。たまに文筆の仕事をくれる編集者の娘さんである。文筆の仕事といっても、その編集者の知り合いのさらに知り合いの、完全に別会社の雑誌の穴埋め記事を頼まれたりとか、大衆的な雑誌のインタビューテープを起こすことくらいだった。編集者の人は東大の法学部を出たエリートで、なんでそんな人と僕につながりができたのかというと、大学時代のサークルのOBが、その編集者と同じ会社に入って紹介されたからなのだが、その東大卒の血を引いた月子はすごく勉強のできるメガネっ子だ。将来は父と同じく東大に進むのだろう。かといってガリ勉とは対照的な気質で、活発に遊ぶ奔放な子供でもある。オシャレも好きで、二週間に一度は美容院に行くと言うし(そんなに頻繁に通ってどこをいじりようがあるのか僕にはわからない。いつ見ても同じセミロングヘアーにしか見えない)、街でナンパされたという自慢話を聞かされるのは毎度のことだ。頭はいいし容姿も可愛いし、こんな女子高生が家に遊びに来てくれるなんて普通の成人男性だったら、まあ嬉しく感じるのだろうと思うのだが、僕みたいな社会的信用のないフリーターが早朝から未成年を家に呼んで何かやっている等と噂されでもしたら、引っ越しを考えなくてはいけなくなる。でも金はないから引っ越しなんかできない。それに月子は猫と遊ぶのが好きだから、なんかの拍子にご近所に猫を飼っていることがバレるのも大変こまる。引っ越さねばならなくなる。それに父親である編集者にこのことがバレたらまず確実に仕事をもらえなくなる。手を出すなんてもってのほかだ。うちの猫がたまたま人をそんなに怖がらないので、その猫と遊ぶためだけにうちに来ているのだろうから、正直自分ちで猫を飼って二度と来ないでほしい。僕の生活が左右されてしまうのだ。
「ねえ、今日ペットショップいかない? 猫とか犬とか沢山いるよ。きみんちでも飼えばいいんじゃない?」
これを言うのはもう何度目か。
「うん、うちお母さんが絶対ダメって言うし」
相変わらず猫をおびき出そうとしながら気もそぞろに答える月子。
「でもさ、子猫とか子犬とかかわいいよ。お母さんへの説得は買っちゃってからでもいいんじゃないかな。いつもこうしてウチに来るの大変でしょう」
同じようなことを言って過去に「おためごかし」と言われたことがある。
「いいの。この子可愛いし、自分ちあんまり好きじゃないし。そういえばまだ名前ないの?」
「そうだね、ないね」
ウチの猫には名前がない。近所に捨てられていた猫をついその場限りの同情心から拾ってしまっただけなのだ。拾ってから動物を飼うことの大変さを痛感していたが、さりとてまたぞろ捨てに行くというのも無責任な気がして、どこか猫の良い行き場所はないだろうかと思案しているうちに、もう一年くらい住み着いたままだ。
「いい加減名前くらいつけてあげなきゃ可哀想だよ。いつまでも『猫、猫、おい猫』なんだから。じゃあ名前タロウでいい?」
「なんでタロウなの? いいけど別に。なんでも」
「タロウ、出ておいで~」
カバンから自前の猫じゃらしを取り出したる月子が、名前を呼びつつそれを振ると、はたして猫は床に積んである本の隙間から光る目をのぞかせた。
「そこにいたのかタロウ~」
猫の名前はタロウに決まった。
手土産のつもりなのだろうが、月子はいつもちょっと高い猫缶一つとオリジン弁当二つを買ってくる。彼女が来た日は猫と僕と月子の三人で、結構胃にくる朝食をとるのがならいだ。今日は牛カルビエビフライ弁当である。正直朝から食べる気にはならないが、月子としては朝に重いものを食べて昼と夜はごく軽めの食事にするのが一番体にしっくりくるのだそうだ。
「そういえばさあ、スギヤマ君はあのサークルどうするの? 入るの?」
「う~ん、まだわかんないなあ。とりあえず明日も呼ばれてるから一応行ってみるけど」
月子は十歳以上も年下のくせに僕のことをスギヤマ君と呼ぶ。父親の呼び方を真似しているのだろうが、それだけではなく本人も明らかに僕のことを見下している。月子は高校一年生の分際で経済学や経営に興味があり、将来のビジョンもハッキリしており(大学は経済学部で修士までとってコンサルかシンクタンクに入り、その後独立して会社経営をしたいのだそうだ。箔をつけるために何か資格もとるのだという)、僕とは全く価値観が違う。一度などは、僕のことを「文学青年」と呼んで鼻で笑い、最近は「もうじき文学おじさんだね」というのが常套句になった。それも、同じ「文学おじさん」でも自分の父親のように出版社にでも勤めて高給をもらうのであればいいが、僕みたいな明らかに食うや食わずの人間の文学おじさんぶりはさぞ悲惨であろう、などと極めて直接的な罵倒の言葉を吐く。餓鬼の言うことだからと自分に言い聞かせて笑って流す振りをしているが、相手が客の娘でなければ一発殴っているであろうことはいちいち説明するまでもないだろう。こんな性格の持ち主ゆえ、
「ウチの親もなんであんなキモいサークルとつながってるんだろうね。ごめんね、なんか変な勧誘しちゃって」
などと月子が謝罪をするなんて本来めったにないことだ。サークルには、先日月子の父の編集者から紹介された。文化的なものが一切ない郊外の暮らしの中に、積極的に文化的な文物を取り入れていこう、そしてそれをサークルの構成員みんなで共有し、最終的には地域住民皆をまきこむような文化的な運動にしよう、というようなスローガンをもったサークルである。正式名称は、「人間的で文化的な生き方を日常生活へ広めて恒常的に実現するための新所沢市民の会」という長ったらしい名前だ。一度会合に連れられて見学したのだが、構成員は様々で、リーダー兼創立者が宗教に造詣が深い五十歳くらいの男性で、そのすぐ下で参謀的なポジションにいる人がやはり宗教系だがスピリチュアルな教義をとりこんだ元科学者であり、彼は少し若くて四十台前半くらいに見えた。その二人の取り巻きにロック音楽好きの二十台の男の若者が二人いて、自称「画家」のおばさんが二人いて、もう一人ニーチェなどの哲学に興味があるという若い女性が一人いた。確かに新興宗教的な雰囲気と、市民活動を隠れ蓑にした左翼的な雰囲気とが両方感じられて、極めて胡散臭いサークルだな、と思いはしたのだが、仕事をくれる編集者が紹介してくれたのだから無下に勧誘を断るわけにもいかない。全ては仕事、金のためなのだ。おそらく月子はその辺の事情も分かった上で謝罪しているのだろう。しかし僕としてはそんな事情まで見透かす月子の背伸びした世間知が憎たらしかった。十歳以上も年下の餓鬼に同情されている気分になる。というか同情されているのだろう。こうした不快感を月子に率直にぶつけないのも、やはり月子が客の娘だからだ。全ては仕事、金のためなのだ。
「ところでさ、今日はなんか用事とかないの?」
飯を食い終わって一息ついてから、月子にたずねた。
「いや、特にないよ。今日はスギヤマ君ちで一日暇してようと思ったんだけど」
「あ~、そっか~、いや、実はさ、ちょっといま進めなきゃいけない原稿があってさ、悪いんだけどその……」
「あれ、昨日ウチの親に聞いたら今スギヤマ君に振ってる仕事ないって言ってたけど」
「あ、そう、そうなんだよ。いま海田さんからもらってる仕事は確かにないんだけど、ほら、俺一応フリーランスだから他にも色々あるわけよ。知ってる通り、ドイツ製品の取説翻訳、っていうのも手伝っててさ」
「それも親が先月スギヤマ君のスケジュール確認したときに、単発仕事でなくなって暇だっていうから雑誌にちょっとした代筆を頼んだって言ってたよ」
「うん、まあ、単発は単発なんだけど、コンビニバイトっていうのも俺の別の顔としてあるわけじゃない?」
「え、バイトはいつも月水木でしょ? 今日土曜日だよ? あと、スギヤマ君深夜しか入らないじゃん」
「……」
「わかってるって。お金ないからご飯おごったりしたくないんでしょ? 正直スギヤマ君よりあたしのほうがお金もってるから、今日は逆におごってあげるよ。さすがに文学青年にたかったりしないよ。昼はタロウ連れて、川越か航空公園に遊びに行こっか?」
結局ボストンバッグにタロウを詰めて航空公園に出かけることになった。行きがけにマクドナルドに寄り、公園のベンチでハンバーガーを食べた。お金は僕も半分出した。月子はタロウに冷ました肉片をほんの少しだけ分け与えていたが、タロウは臭いだけ嗅いで食べなかった。午後三時になったら新所沢に帰ったが、帰ってからも月子は本当に一日を僕の家で過ごした。僕が本を読んでいる間、会話もほとんどなくずっとネットとテレビとマンガをしていた。勉強をしなくていいのか聞いたが、返事のかわりに模試の成績表を手渡された。「昨日返ってきた」と。海田月子、学年で一位。上位に名前がのっている生徒は月子の他はほとんど皆医学部志望者。それでも「毎日勉強ばかりしていると逆にバカになるの」だそうだ。丸一日かけて僕の気分を大いに害した後、午後七時ころに夕飯は家で食べると言って帰っていった。
翌日の日曜日、例のサークルの会合に顔を出すために、僕は新所沢のパルコに来ていた。サークルの会合は、美術鑑賞や映画鑑賞などをする場合でなければ、基本的にパルコのスターバックスで行われるのであるらしい。リーダーの嶋中さんの持論に「文化は家の中に引きこもっていては広まらない、積極的に外で活動せねば生活の中に浸透していかない」というのがあり、それに従う形でスタバのオープンテラスで「人間と精神が」とか、「現世と来世の関係性」とか、「ロックミュージックの芸術性」などと、まるでどこぞの文学部の学生がするような話をするのが恒例となっているようであった。
集合時間は午前十時半なのだが、初めて本格的に参加するということもあり三十分も前にはスターバックス前に到着していた。先に一人だけコーヒーを飲んでいても仕方がない気がしたので、近くの自販機でオレンジジュースを買ってベンチに座った。パルコのアーケードは、適度に日の光をさえぎり、風だけを通してくれる。毎週日曜日は、たいていこのアーケードで何かしらの客引きイベントのようなものが催される。前はパルコに入っているスポーツジムのデモンストレーションだった。家庭用ウォーターサーバーのデモンストレーションが出ていたこともある。今日は珍しく新人バンドの店頭ライブだった。男三人組である。ドラムセットを組めないので、カホーンか何かを手で叩いている。前に出ている二人がアコースティックギターを弾きながら、「はぁ~、君のことがぁ~、だいすきだぁ~」などとハモらせて歌っている。正直良い歌だとは到底思えなかったが、そのような催しが珍しいからか、近所のおじいちゃんおばあちゃんや子供が見入っていた。おそらく売り出す側としては十代二十代の若者にアピールしたかったのだろうが(曲の歌詞からして「僕たちの~青春がぁ~友達とぉ~ワゴン車でぇ~海がぁ~」などというものだった)、完全にプロモーションに失敗している。
「本当に、唾棄すべき歌ですね」
後ろから声をかけられて驚いて振り返ると、前回挨拶したときに居た哲学好きの女性、雪絵さんが居た。
「こんにちは。お早いですね」微笑んで僕に挨拶する。
彼女はサークルの中ではおそらく一番若い。先輩たちに気を使っていつも早く来ているのだろう。見た目からして真面目そうな感じで、ケミカルウォッシュのジーンズに、色あせた白っぽいヨレヨレのTシャツを着ている。灰色がかった運動靴がまぶしい。学生の頃、授業が始まる前に教卓の前に立って演説していた左翼の学生たちの中に、こういう格好をした女子がいたなあ、と思い出した。あの演説は年度が変わるごとに担当も変わっていたようだったが、やっぱりアレは左翼の人々の活動において通過儀礼的役割を果たしていたのだろうか。「あいつも二年ビラ配り頑張ったたから、そろそろ演説させてやるか」的な、「一人前にしてやるか」的な判断が働くのだろうか。学生の頃にビラ配りを頑張っていた女性は、いかにも真面目そうでいいところのお嬢様なんだろうなあと思わせられたのだが、服装に関しては着飾ることが左翼内では罪だったのだろう、毎日同じジーパンと同じシャツを着ていて汚かった。彼女の頑張りようは目を見張るものがあり、大教室での授業の前後には教室の前に常にスタンバっていて、「一緒に自民党政権を粉砕しましょう!」などと元気のいい挨拶とともに汚い手書きのビラをだれかれ構わず配るので、トラブル寸前にまで発展する事態も一度や二度ではなかったようであった。同じ左翼系サークルの中でもオシャレな学生達で構成された資本主義と矛盾しない範囲の主張しかしない「九条の会」の勉強会告知ビラなどが机に置かれていると、鼻息をたてて憤然とそれをぐしゃぐしゃに潰して回収していく彼女の姿を在学中目にしていた僕が、留年して五年生になるころにはその同じ彼女がどうやらやはり就職も進学もせずに左翼サークル内で昇進したことをうかがわせる貫禄を身につけて教壇に上がって演説をするのを見たときには、なにやら得体の知れない感動が沸き起こり、チャラチャラした学生たちの汚いヤジを浴びながら自民党政権に対する痛烈な批判を展開する彼女を、ハラハラと見守りながら心の中で応援していたのはここだけの秘密だ。
しかし目の前の彼女はその左翼女子と決定的に違うところがあった。髪型である。左翼女子が短く刈り上げられた全く性的でない髪型をしていたのに対し、雪絵さんはまっすぐ長く伸ばした黒髪をしていて、服と違い非常によく手入れしている様子であった。シャンプーのCMでよく見るような「天使の輪」が見える。
「本当に、あんな歌で若者の内面が歌えていると思っているんでしょうか」雪絵さんが突然語りだした。「車にのって海を見に行って、友達と遊んで、恋愛をして……そんなものが、そんなものだけが本当に私たちの青春として肯定すべき姿なのでしょうか? もしそうなのであれば私は青春なんて不要だと思います。欲しい人たちだけが欲しがっていればいいものです。この複雑化した世界に生きていれば、そんな単純な図式には決して回収できない、その人固有の人生の問題を抱えた人がたくさんいると思います。そういう人がむしろ大多数だと思います。それを無視して自分たちが勝手に提示した青春が全てだと思っている、あんな青春の押し売りには非常に反発を覚えます。あの人たちはごらんの通り肝心の若者たちからは当然無視されていますが、でもテレビに映る似たような歌を歌うミュージシャンに、世の若者たちは夢中なわけです。私は理解できないし、とても残念だと思う。もっと深いところには、そんな歌で代理できない彼ら自身の内面性が、彼ら自身の無限の可能性があるはずなのに」
僕に一言も嘴を挟む事を許さず彼女は喋った。雪絵さんは実存主義などに関心がある人だ。確かに彼女の主張は実存主義的だ。あまりに素朴で学生時代の自分を思い出してしまう。思い出して赤面しそうだ。
「確かに、彼らの歌は非常に出来が悪いし、テレビで同じような歌を歌っている歌手たちも同様にくだらないと僕も思います」僕は言った。「しかしながら、彼らは芸術家ではありません。商売人です。歌を売っているのです。ですから、彼らは職業の第一義として決して若者の内面を正しく歌うのが仕事なんじゃない。歌を歌ってお金を儲けることが、彼らの第一義的存在理由なのです。内面を正しく歌えていないなんてことは、彼らにしても十分わかっていることで、ただ、彼らにとってはああいう歌を歌うことがお金を儲けるに当たって最も効率的だからそうしているに過ぎないのではないでしょうか」
「では、私が内面を云々するのは的外れだと……」
「もう一点」彼女が何か言いかけたのを遮って、僕は続けた。「ああいう歌を受け取る側の問題もあります。ああした歌に夢中になる若者たちのことをあなたは残念だとおっしゃいましたが、彼らだって自分の内面性や現実の生活が歌に登場するような情景の通りではないことを百も承知だと思いますよ。つまり、現実や現実にある感情を正しく再現することだけが歌の役割ではないのです。虚構、夢物語、エンターテインメントとしての歌も当然存在します。夢の世界の物語として、若者たちはああいう歌に憧れ、耳にし、歌うのです。その憧れが非常に強ければ歌の通りの生活を再現したいと思うかもしれません。そうして若者たちが海へのドライブや友情や恋愛を歌の通りに行うのをあなたが見たとき、あなたは歌が若者を代表しようとしているのだ、と思うのでしょう。しかし事実は逆かもしれません。歌がまず最初にあり、若者たちがそれを真似しているかもしれないのです。そこにあるのは歌う側と歌われる側の幸せな共犯関係とも言えるもので、あなたにはそれが許せないのかもしれませんが、現実にお金が循環し、幸福を享受でき、誰にも迷惑をかけない限り、それに外側から冷や水を浴びせかけて文句を言うのは、明らかに党派的に偏った野次的行為といえるのではないですか?」
雪絵さんは目に見えて不機嫌になり、「でも私があの歌を聴いて不快になっているのだから、私は迷惑を被っています」とつぶやいた。僕は苦笑いを浮かべるしかなく、しまったなあ、とうろたえていると、他のメンバーが揃って登場してきた。
「いやあ、お待たせしました」リーダーの嶋中さんが言った。サングラスをかけている。でっぷりと太った腹で、アロハシャツのボタンが弾け飛びそうだ。
「ではみなさん、そこの空いているテーブルに座りましょう。さあさあ」
店舗の外側、アーケードの下にあるテーブルに、我々はおのがじしコーヒーや紅茶を手にして輪を描いて着席した。
「今日は前回見学にきてくださった杉山君が本格的に参加してくださいます。まずは杉山君に改めて自己紹介をしていただき、我々も順に自己紹介をすることにいたしましょう。では杉山君、どうぞ」
サングラスをとらないままで嶋中さんが促した。首もとの金ネックレスがやたらと目立つ。立つか立つまいか迷ったが、結局座ったまま喋ることにした。
「ええと、杉山諒一です。出版社に勤める海田氏より嶋中さんを紹介されて、この度会合に参加させていただく運びとなりました。よろしくお願いします」
「興味、関心のあることは何ですか?」嶋中さんが言う。
「そうですね、文学、特にドイツ語の文学を大学では勉強していました。今は社会評論一般に概ね興味が向いています」
よろしくおねがいします、と幾人かの人から言葉をかけられた。
「では我々も自己紹介をすることにしましょう。まず私から」そう言って嶋中さんがイスの音を盛大にたてて立ち上がった。通行人たちまでもが注目している。
「嶋中と申します。昔から思想・哲学などに興味がありまして、最近はこういう集まりを主宰させていただいております。文化は自然発生的に営まれるものでもありますが、同時に能動的に働きかけて獲得するべきものでもあります。文化を生活にとりもどし、この社会、この世界のいろいろなものを、体系的に位置づけることができたらな、と思います。よろしくお願いします」
嶋中さんが着席すると、参謀役の衛藤さん、ロック好きの若者二人、絵画好きのおばさん二人が自己紹介し、最後に雪絵さんが自己紹介した。
「花田雪絵と申します。スギヤマさんを除けば、この会では私がもっとも参加暦が浅く、まだまだ勉強中ですがよろしくお願いします」
やけにあっさりと述べたように見えたが、それは僕との先ほどの会話が影響しているのだろう。彼女にとっては不愉快だったに違いない。
「今回は杉山君への導入の意味もこめて、今までおよそ一年間活動してきて学んできた内容をおさらいしてみることにしようかと思います」嶋中さんが言う。「いきおい、私がずっと喋り続けてしまうことになるかもしれませんが、質問や意見がある場合には随時さしはさんでいただいて構いません。会話を楽しむようにして、楽しんでミーティングを進めてまいりましょう」
この「文化の会」(僕らはサークルのことをこのように略す)では、こうした集まりのことを「ミーティング」と読んでいた。
「さて、ではどこから話しましょうかね。やはり問題意識を共有してもらうために、我々がこうして集まることになった理由、いや、集まらざるを得なくなった理由の、その根っこのところから、お話しする必要があるでしょう、杉山君以外の我々自身の初心を思い出すためにもね。杉山君はこの新所沢という町をどう思いますか? この質問が漠然としすぎているならば、例えば多くの新所沢住民が毎朝早起きして向かう先の新宿や池袋といった、良くも悪くも巨大で猥雑な街と比べた場合どうですか? 当然新所沢は住宅街なのですから、新宿や池袋に比べたら静かでしょうね。繁華街と住宅街では、街の職能が違います。それでは同じ住宅街でも池袋に対する大塚や、新宿に対する新大久保や、それらの中間にある目白などと比べたらどうでしょう? 家々が凝集して、余裕の無い街という感じが私にはします。新所沢ではできることができないだろうと思います。例えば同じ一軒家に住んでいても、都心であったら休日に思い切り大音量で音楽を聴くことは不可能でしょう。あまりに人口密度が高い。同じ理由により大きな音で楽器を演奏することもできないし、せっかくのホームシアターでの映画鑑賞もヘッドホンに頼ることになりそうです。私にとっての『迫力の大音量』は、ご近所さんにとっては『騒音』です。騒音は二大ご近所トラブルの一つです。ちなみにあとの一つはゴミ出しですね。音の問題にもゴミの問題にも言えるのは、我々の生活そのものがどうしても排出してしまうもの、いわば生活の証とでも言うべきものであるということです。生活そのものが、ご近所さんに迷惑だととられてしまう。ご近所トラブルの本質的原因とは生活そのものです。決してゴミ屋敷に住むおかしな隣人や、夜な夜な大騒ぎする困った若者だけが、トラブルの源ではない。例えば、子供を生み育てるという人類の最も基本的な、野生的にして理性的な義務及び権利に基づいた営み自体が、やかましい餓鬼の泣き声、ということで、隣人にとっては大変な迷惑になってしまう。人と人が、他人と他人が、ぎゅうぎゅうに肩寄せあいながら暮らすのも、あるいは悪くないかも知れないが、大抵の場合それがもたらすのは軋轢でしかありません。満員電車を思い出してください。皆いやな思いをしているのですが、利便性に負けて、それらを口にしない。同じことが都市の住宅街にも言える。そうした非人間的な環境からの逃避としてか、あるいは都市に住むことのコスト、文字通りの賃料の高さから今言ったようなストレスフルな生活まで含んだコストと利便性を比較考量してなのか、我々は郊外という場所を住む場所として見出します」
「補足すれば」隣にいたエトウさんが言った。「今先生がおっしゃったのは都市生活者自身の視点から述べた郊外への移住の理由ですね。またそれとは別に、行政の側もニュータウン計画をたてて地方から都市へ流入してきた労働者の住む場所を確保しようとしたという、外部からの要因も考慮に入れておけば尚一層正確な理解が得られるだろうと思います。行政だけではありません、我々の住む西武鉄道沿線の郊外住宅地もそうですが、鉄道会社主導の不動産開発も外部要因として考えなくてはなりません」
「うむ、その通りだね」満足そうに嶋中さんは頷いた。「今衛藤君が言ってくれたように、我々は内面としては都心の生活よりも『人間的』で、なおかつ外部要因としては行政や鉄道各社によって誂えられた都心への通勤も可能なそれなりに『利便性』の高い町に、つまり郊外の町に、住み着きます。本来我々は、この良い所づくしの場所において人間らしい文化的な生活を始めるはずでした。ところがです。みなさんも実感としてお持ちのように、ここには文化など存在しない。心を豊かにするものがない。それは例えば週末の音楽会や、展覧会や、観劇などの機会であり、毎日の生活の中に文学や、哲学や、宗教の遺産を活用することでもあります。あるいはそこの若い二人が好きな」嶋中さんはロック好きの若者二人をみた。二人とも金髪だ。「ロック音楽活動をすることもそれに含まれるでしょう。もちろん、そうした文化的な生活は形式的には残っています。市民ホールでクラシックのコンサートは開かれているし、通勤電車を見渡せばみんな本を読んでいる。しかしコンサートに来るお客は普段クラシックなど聴かない主婦や老人や子供で、通勤電車で読まれている本は大抵くだらない大衆小説です」
大衆小説をくだらないと言い切る嶋中さんの言い方に、僕は一切の保守的な感性の換わりに極端さと潔さの両方を感じた。
「休日の文化的活動や、平日の文化的読書だけでなく、衣食住そのものも文化です。服に関して言えば、ユニクロや無印良品や、そのほかこのパルコに入っているどこにでもあるような服屋の服が、文化的でないというつもりはありません。なぜなら服を着るという行為そのものが文化的だと言えるからです。しかし、人々が自前の服を着、破れたらつぎはぎして、という服に対する接し方は当然もっと文化的ですし、なにより積極的で主体的です。食に関して言えば、スーパーマーケットの無い生活を一度想像してみてください。現在のような全国的どころか全世界的に広がった物流のネットワークを利用することなど到底できず、もっと狭い、近接地域に根付いた食品素材しか手に入れられなかったことでしょう。それは多大な制限のもとで料理をすることを意味しますが、同時に食の固有性の獲得と、その枠内での先鋭化を促しもします。そこでこそ『名産品』的な味が生まれるのだということは明らかです。言うまでもありませんが、これが食の文化です。住に関しては、もはや私の言を俟たないでしょう。日本人の生活感覚が大きく変容したのは住宅環境の断絶によるものが最も大きい理由だと、私は思っています。『蔵造りの街』などと謳うのは恥そのものです。もはやそれが失われたことを逆手にとって、金を儲けようというのですから」
嶋中さんの言説は雪絵さんの言葉に似て一面的ではあったが、しかしどうしてもそう言わないではおれないというような、得体の知れないパトスを強く感じた。このような人物の主張は正しいにしろ間違っているにしろ、それを言う人が「大人物」であることには違いないし、その言説に確かな経験的根拠があるということはわかった。
「たしかに」絵画好きのおばさんの片方が言った。「この街に越してきたときは、新しい生活が始まるんだ、ここから自分の理想の暮らしを始めるんだ、っていう期待に満ち溢れていたように思うんですけど、でも、実際に生活してみたら毎日毎日同じことの繰り返しになっちゃったんです。朝起きて、ご飯作って、洗濯して、テレビ見て、スーパー行って……。なんていうのかなあ、何も特別なことがないっていうか」
嶋中さんは彼女を指差して言った。
「そう、その特別なこと、ですよ。毎日の生活の中に、少しずつ特別なことが紛れ込むことによって、我々はこの社会の色々なことを心の中で整理して受け入れていくのです。そうして、社会全体に対して自分がどう付き合っていけばいいのかわかるのです。それは、毎日同じことをしてルーチンワークでやり過ごせば良い、という話とは全く違います。本当は人生はルーチンワークでは全然ないのですから、いつか無理が来ます。現代社会の心のゆがみ、としばしば言われているものは、ルーチンワーク的なものと実際の社会のあり方との必然的な衝突がもたらすものなのではないでしょうか」
嶋中さんは少し言葉を切って、僕のほうに向き直って言った。
「端的に言えば、我々は失われてしまったその『特別なこと』を日常生活の中に取り戻していこうと思っているわけですね」
「……で、それからどうしたの?」
「まあ、それから各々の郊外での暮らしぶりを話してたね。この文化の無い新所沢で、いかに自分が文化的生活を心がけているのかという、各人の報告みたいなものかな? そんなとこで帰ったよ」
例によって月子は僕の家に来ていた。今日は中間テストで学校が早めに終わったので寄ったのだという。
「そうじゃなくて、スギヤマ君の話。サークル入っちゃうの?」
「う~ん……まだ決めかねるとこなんだよね」
「悩むくらいならやめといたほうがいいんじゃない? ねぇ~タロウ?」
月子はタロウをひざに抱いている。タロウも飼い主以外の人間に簡単になびいてしまって、なんというか、やっぱり動物だ。
「いや、それがさ」
「なに? まさか『次も参加してみてから決めればいい』とか言われて断れずに行くことになったとか?」
「あ、よくわかったね」
盛大にため息をつく月子。
「やっぱバカだなあ、スギヤマ君は。あたしより十年以上も長生きしてるんだから、そんなの怪しい宗教法人の強引な勧誘だって見抜けないの?」
十年以上っていうのは余計だ。
「そうかなあ、俺も意外だったんだけど、あんまり怪しい団体だって感じはしなかったよ。お人よし市民の集まりというほうがしっくりくる感じ」
「お人よしなのはスギヤマ君のほうだよ」
「君だって、自分より十年以上も長生きしているオッサンだとはいえ、一応未だ枯れていない独身男性のアパートに単身遊びに来たりして、相当危機管理能力が欠如していると思うけれど」
「いいんだよ、別に手を出してくれても。犯罪行為後のリスクをスギヤマ君が持ち前の危機管理能力でヘッジできるならね」
「……」
ニッコリと僕をあざ笑う。ちょっとどきどきしてしまった自分に憤る。しかし、僕が月子に手を出さないのは(無礼なことを言われたときも殴らない、という意味も含めて)、犯罪者になってしまうのが怖いからというの以上に、彼女の父親の海田さんを介した金を稼ぐ手段が一つ減る、ということを恐ろしく感じるからだ。もちろん犯罪者になれば金を稼ぐもへったくれもないんだけど。
「それにしてもさあ」月子が言う。「気に入らないのはその雪絵とかいう女だよね」
「なんでよ?」
「だってさあ、そんな暗くて怪しいサークルに、自称『画家』のおばさんが二人で参加するならいざ知らず、若い女が一人で参加するなんて、その性根に腐ったものを感じるよ。大学デビューに失敗したからって、そういう狭い世界でもいいからチヤホヤされたいなんて、都合の良い考えかただし、安い女だなとも思うし」
月子の言う「大学デビューに失敗」とは、雪絵さんが色々あって大学を休学しているらしいということを指している。
「そうなの? 女同士でどういう人が良いとか悪いとかは、ちょっと俺にはわかんないけど、そうなんだ」
「チヤホヤされてる女だから嫉妬して気に食わないとか、そういう話じゃないの。スギヤマ君はその雪絵って女好きなの?」
「なんで好きとか言う話になるんだよ。まあ、ナイーブで昔の自分を見ているような気恥ずかしさを感じるけれど、そのうち彼女自身でも、かなり恥ずかしいこと言ってたな、とか思うようになるんじゃない?」
「だから、そういう話じゃないんだってば。もういいよ」
機嫌を悪くした月子は、怒って帰るわけでもなくその場で参考書を開いた。普通の学生だったら今頃喫茶店とかでテストの答えあわせか勉強会でもしているのだろうが、もしかしたらこの子には一緒にそれをする友達がいないのかもしれない。
「あのさ、勉強手伝おうか?」
「いい。どうせスギヤマ君にはわからないし」
月子が読んでいたのは、マクロ経済学の参考書だった。
所沢から千代田区まで行くには二回も三回も電車を乗り換える必要があるので非常に面倒なのだが、その往復を毎日海田さんはしているので、文句を言わず僕も彼の働く出版社へ出向く。今日は昼間に電話がきて、テープ起こしを手伝って欲しいからテープを受け取りに来てくれ、と言われたのだった。今時音源なんかネットでやり取りすればいいのに、海田さんが使っているレコーダーがいまだにカセットテープなのらしい。言われたとおりにほいほい参上する犬ぶりを示すことで営業活動にもなるだろう、と自分を無理やり納得させて電車を乗り継いだ。巨大なビルの一階受付で海田さんの名前を告げると、十分後くらいに海田さんがロビーに降りてきた。高そうな縦ストライプのシャツを着たマッチョな紳士であり、髪は短く刈っていて清潔だ。
「よっ、お疲れ。もういい時間だし、メシでも食いいくか」
海田さんと会うといつもメシを食うことになる。人と会うたびに食ってるんじゃないかと思えるほどだ。少し歩いて、近くの小さなトンカツ屋に入った。
「これ、テープと資料ね」
茶封筒を渡された。資料を見てみると、有名な小説家と最近新書を出したエセ科学者の対談企画の概要が書いてあった。テープは60分のが二個入っている。
「一応ダビングしたやつで、君には後半のほうをやって欲しいんだ。前半の分も一緒に渡しとくから、参考に聞いといて。ニュアンスがわからない箇所あったら、ここに書いてあるこの人に電話ででも聞いてね」
「わかりました」
たったこれだけでもう打ち合わせは終わった。以前も似たようなことをやったから互いに要領は分かっている。それにしても海田さん自身がやっている文芸誌の手伝いのバイトをくれるのならともかく、全然関係ない出版社の、ミステリ小説雑誌だとかマンガ雑誌だとかのバイトを振ってくれるのは、どういうつながりによるものなのだろうか。しかもバイトの紹介や、こうした資料の受け渡しまでやって、海田さんの本業に支障は出ないのだろうか。素人同然の僕には全く事情を推測することすらできない。出版社にも色々と横のつながりがあるのだろうか。こんな面倒なことをやっているからには、海田さん自身にも何らかのバイト代が出ているに違いない。僕と会うたびにわざわざ外にメシを食いに行くのは、同僚にこのバイトがあまり知られると不味いからという理由もあるのではないか。
「最近調子はどう? 良い仕事ある?」トンカツを頬張りながら海田さんが聞く。
「いやあ、例のアレで景気悪いっすよ」
「ああ、アレね。うちらも製紙工場がやられちゃって、まあ大変なんだけど、でもアレにかこつけた企画はどんどん出てくるね。忙しくなっちゃって、参るよ」
「へぇ」
当然トンカツは海田さんのおごりなので、たかる側の僕は黙って海田さんの話を聞く。基本は業界話とか愚痴とかなのだが、要所要所に自慢話が差し込まれる。職場での海田さんがどういう人なのかは知らないが、思うに海田さんは社内では「聞き上手」であり、自分のしたい話はほとんどしないのだろう。温厚な性格からそれは読み取れるのだが、そういう人が自分より立場の弱い人間に向かって喋り捲る話の内容ほどつまらんものはない。やれ行き過ぎた金融資本主義は間違っている、だの、権威を嵩に着た拝金作家連中の駄作は出版停止にすべき、だの、そうした幼稚な発言をたしなめてくれる人はいなかったのか、と思えてくる。
「ところでさ、娘が最近経済学とか経営とかに興味を持ってるらしくてさ」
そのことは実は知っているが、
「そうなんですか、聡明ですからね」
「いや、そうじゃなくてさ、一人娘の親としてはさ、金融商品を弄って架空の金を儲けるような人間には育てたくないわけ。少なくとも、仮にそういうものに手を出すにしろ、ある種の心理的な抵抗を感じつつじゃなければ、やっぱりまっとうな人間じゃないよ」
「確かに実体経済の枠を何倍にも超えた規模で取引されていると言いますからね」
「そう、金融商品なんていうものは、おおむね人間にとっては不必要なものだよ。それどころか、株式市場から退避してきた投資家どもが、原油市場や穀物市場でマネーゲームを行った結果だっていうじゃないか、モノの価格の高騰は。これははっきり言って全世界的な殺戮行為だよ」
「いや、海田さんの言うとおりですよ」
こういった調子で話は続き、トンカツ屋の小さなテーブルは海田氏の独壇場となる。毎度毎度のことだ。60分のテープを起こして貰える二万円ぽっちのためには、このような営業活動も必要なのだ。
新所沢に帰り着く頃には夕方になっていた。家に帰って、一休みして、シャワーを浴びて着替えて、アルバイトに出かけた。バイト先は、駅とは反対方向にあるコンビニだ。いつも同じシフトに入っていると、同じ人としか会わない。この辺の実家に住んでいる30台半ばの男性と一緒に、午後十時までの大学生バイトと入れ替わりで朝まで働く。深夜になってしばらくして、真夜中の掃除も終わったら、何もすることの無い空白の時間が2時間弱ほどできる。その時間になると、男性はすぐにバックルームにひっこんで寝る。レジに僕を立たせたまま。何の挨拶もなく。
男性は田中さんというのだが、数年前までニートでひきこもりだったらしい。他のバイトの人や店長から話を聞くところによると、働き始めてすぐの頃は店まで母親が様子を見に来ていたそうで、それに田中さんが気付くと突然店を飛び出して怒鳴りながら母親を家まで追い返していたのだそうだ。また、田中さんの母親は店長が店番しているときに店に来て話しかけてきて、菓子折りを渡しながら「息子はどうでしょうか、ちゃんと働いてますでしょうか」としきりに訊ねて来たらしい。さすがに店長は不安になったそうだが、その後特に問題を起こさず働いているし、仕事の覚えは悪かったものの今やベテランになって安定しているので、クビには至っていない。
僕は田中さんに自分の未来の姿を重ねてみている、などと言うといかにも先行きの暗い世相に過敏に反応したありきたりで滑稽な述懐になってしまうのだが、本当にそうだ。コンビニ夜勤などという仕事ならざる仕事にうつつをぬかしている点ではなく、周囲への経済的な依存によって生活が保たれているという事実でもなく、こんなゴミみたいな仕事を一度の遅刻も欠勤もなくクソ真面目にこなしているという自分の矮小さと、今はいびきをかいて寝ているけれどもひとたび客に対したら模範的なコンビニ店員としての演技を軽やかにこなす田中さんの姿とが、嫌な気持ちになるくらい似ているからだった。
空が白んできた。バックルームに向かい、田中さんに声をかけた。当然寝ているので、数度呼ぶと、あくびをしながら彼は起きた。
「田中さん、そろそろ六時です」
「うん、やってて」
田中さんは携帯をいじりながら答えた。
「文化の会」のミーティングには、あれから数度通った。結局僕はなし崩し的に会員として数えられるようになっていた。ミーティングに何度も顔を出していくうちに、サークル内の人間関係がわかってくるようになった。
まず大前提として、嶋中さんの意見には誰も反論を述べない。もともと嶋中さんから教えを請うような形で集まったのだろう。嶋中さんの主張には思ったとおり反資本主義的なカラーがにじみ出ていて、そういうところがきっかけで海田さんとの交友関係もできたのかもしれない。海田さんみたいに文学だとか言論の可能性を素朴に信じている人は、しばしば神秘主義だとかカルトじみた運動を擁護する。ネットで嶋中さんの名前を調べてみたら、彼が過去にカルト宗教の幹部だったという事実に突き当たった。現在は足を洗っているらしいが、その宗教は黒一色のマントに覆面という奇妙ないでたちで街中を集団で歩く「修行」をしていて、当時雑誌やニュースで結構な騒ぎになっていた。大衆の不安をあおるメディアの報道は、その宗教の側の主張を完全に捻じ曲げて市民に伝えていて、真面目に聞けばそれなりに気付かされるところも多いその教義であるとか、そもそもその宗教の信者たちにも保障されているはずの表現の自由が毀損されているという憤りのもと、海田さんが仕事している雑誌では彼らに緊急インタビューを敢行したりしていた。そこで教祖に代わってインタビューに答えたのが他ならぬ嶋中さんであり、もしかしたら「文化の会」の構成員のほとんどは昔嶋中さんと同じ宗教に所属していた人なのかもしれない。
とはいえ案外嶋中さんはミーティングにおいては核心的なことは述べず、ぼかすような曖昧な言い方をする。その曖昧な言葉を各人が勝手に自分の経験に当てはめて、ものすごい至言を聞いた! というような反応を示す。それがサークルの最も大きな基礎的枠組だ。しかしその意味で異色なのは参謀役の衛藤さんで、おそらく頭の良さでいったら嶋中さんの三倍は良いはずだ。「補足」という形で嶋中さんの話に実証的な根拠や論理的な整合性を即座に付与する。嶋中さんがどんなに頓珍漢なことを脈絡なく述べていても、衛藤さんが「補足」をすれば、現代社会における文化の不在、という大テーマに回収される。その名人芸たるやみごとなもので、これほどまでに頭が切れる人が嶋中さんの情緒的に過ぎるナイーブな主張をそのまま受け入れているはずがない。おそらく衛藤さんは嶋中さんを利用しようと近づいたに違いない。そのうちにロック好きの若者二人が「実行班」として具体的な行動をさせられ始めるだろう。最初はサークル構成員の増員だ。それなりの人数に増えたらば、次は資金だ。「画家」のおばさんみたいな人々が主な新規加入のサークル員として増えていき、家庭の貯蓄をしぼりとられるのだ。そのような未来が見えていながら僕がサークルをやめないのは、やはり嶋中さんの人としての魅力に理由がある。素朴ではあるが、逆に言えば裏表もない。本当に思ったままが表出している感じで、こんなに純情な大人に僕は初めて出会った。その興味深さが僕をサークルに引き止めている。
「画家」の二人は主に生活の空虚さを訴える。彼女らは「画家」である以前に主婦であり、主婦は暇を持て余している。何もすることが無い午後がやってくると、時に気が狂いそうになるのだという。僕からすれば夫の高給で何不自由なく暮らしている、自立心もなければオツムも著しく足りていない醜い中年女性という風にしか見えない。その暇を文化的な活動をすることによって解消しようというのだ。何十万円もかけて画材を買い揃えて。
彼女らの意見はしばしばロック好きの若者二人と対立する。なぜなら彼らにとっては生活に空虚さなどなく、むしろ生活の密度の過剰さが問題になっているからだ。自殺した友達の話や、バンドで食っていけるのかどうかの不安、信頼していた人々の裏切り、主婦を含む大人たちから指差されていわれのない非難を受ける理不尽さ(この点については彼らの自意識過剰としか思えないようなつまらない主張がほとんどだった)。彼らからすれば金があって時間があって好きなことができる「画家」たちの考えは単に甘えである。しかし「画家」たちからすれば、若い時代は誰だってつらいものであり、それに耐えられないロック好きたちこそ甘えている。
以上がミーティングにおける主な対立軸なのだが、雪絵さんはその両者ともから一歩はなれた場所から意見を言っていた。彼女によれば、人生の空虚さやつらさというものは、各人がそれぞれに固有の悩みとして持っているものであり比較できるようなものではない。金持ちには金持ちの悩みがあり、貧乏人には貧乏人の悩みがあるというわけだ。悩みに序列をつけて不幸自慢をすることには本質的な意味はなく、むしろ各々が自分の人生の問題について徹底して考え抜くことによって得た回答が、他人の問題の解決にも図らずも役立つかもしれないという小さな可能性にこそ価値があるのだ、という捩れた主張を雪絵さんはしていた。僕はもう長いこと文学や実存主義といったものについて社会状況を変革する力を見出さなくなっていたが、彼女はこれから先も僕と違ってそれを棄てることはしないだろうと思われた。はじめ雪絵さんという人について、とても素朴な文学信奉者であると思っていたのだが、よくよく話を聞いていると、文学とか実存といったものに無前提に価値を見出すのではなく(そもそもそれらには内面における価値以外は存在せず)、文学的思弁を徹底して貫いた先に、かすかに普遍的な原理が生まれるかもしれないという、未だ彼女自身がたどり着いていない境地に賭けることを選択しているのだろう。その徹底性は、雪絵さんが自分の能力的な限界を自覚していることで逆説的に可能になっているように思われた。つまり、彼女にとっては政治だとか経済だとか社会学だとかの理論による、文化的弱者への社会的手当てという方向性は完全に関心の対象外であり、それらを論じる能力もない。そのことについて自覚的であり、だからこそ文学的思弁に専心しているのだ、という開き直りが彼女の思弁には観察できた。経済的に無理だと決め付けて大学院への進学をあきらめたときから、文学的思弁の可能性をとっくに棄てて、かといって実学的な知識や実業の能力を鍛えることもしてこなかった無能者の僕は、可能性を棄てず自ら切り開こうとしている雪絵さんに対して羨ましさといたいけさを感じ始めていた。僕には妹も従妹も娘も姪もいないが、もし自分より年下の異性の家族がいたならば感じたであろう、手助けや手引きや保護の欲望を感じていたのだった。僕の踏んだ轍がどのようなものであり、罠にかけられないためにはどうすれば良いのかを、彼女に教えてやりたいという不自然な欲求に駆られた。それが上から目線の自己満足的「教示」であることや、今時めずらしい知的で若い読書家でありながら女性として美しい雪絵さんに対する性的な下心が存在していることは分かっていたが(というのも女性が知を求めるのは容姿や男性ウケにおける自尊心のビハインドを勉強と言う代替手段によって克服しようとしているからだという露骨な具体例をしか僕は見たことがなかったからだが)、雪絵さんの思弁に寄り添うことによって僕の文学的思弁も快復するのではないかという予感がして、もし今の僕がそれを取り戻したらどうなるのかを確かめてみたかったのだ。その意味で僕が雪絵さんに見出していたものは、昔の自分の姿だった。コンビニの同僚である田中さんに自分の未来を見出したのとは対照的に。
このように様々な主張をする人々がサークル内に存在しているにも関わらず、毎回だれ一人欠席することなく、また一度も本格的な口喧嘩に発展することもなくミーティングが開かれているのは、衛藤さんの細やかな立ち回りがあった上に、嶋中さんが各人の主張を聞いて「皆さんがそれぞれ違う思いを抱いていたとしても、その思いがこのように表出されると言うこと自体が、実は失われたものの大きさを皆さんが自覚しはじめた証拠であり喜ばしいことです。悩みがそれぞれ違うのも、覚醒のプロセスが同時多発的に始まる以上仕方のないことなのです」というさっぱり論理的でない説明によって全て回収され、皆が皆納得してしまうからであった。それは精密な議論を妨げる要因ではあったが、サークル自体の維持運営という意味では重要な役割を果たしてもいた。
もはや季節は夏になったある日、議題を「人生におけるやり直しとは何を意味するか」というものに定め、新所沢のファミリーレストランでミーティングが行われた。「画家」たちが「もう五十歳を過ぎた私たちにとって人生のやりなおしとは、文字通り何かをもう一度やり直すことを意味するのではなく、今この時点から新しく何かを始めて人生の新しい相を見るということを意味すると思います」という意見で一致していたのに対し、ロック好きたちは「やり直しの効く人生がもし日本で可能になっていたら、ホームレスの人たちだってやり直しできているはずだ。バンドでプロデビューする夢を諦めてつまんない仕事に就いて多少安定しているとは言え貧しい生活してる奴らを何人も見たけど、あいつらが腹のそこから納得していたとはどうしても思えない」という、いささか意味をつかみかねる経験談じみた主張をしたのだが、要するに「人生のやり直し」は文字通りのやり直しをこそ意味しなければならないのだ、と言いたいらしかった。ここでも意見は対立した。
「杉山君、君はこの問題についてどう思いますか」
嶋中さんが僕に振ってきた。普段はほとんど発言をせず議論の傍観者になっていた僕に対して、態度を決めろ、サークルに加入しろ、腹をくくれ、と言っているのだろうかと戦いた。仕方なく答えることにした。
「そうですね、これを考えるにあたっては、まず人生のやり直しに人々が何を期待しているのかということを明らかにせねばならないと思います。みなさんが既に言ってくださったように、人生のやり直しには、文字通りのやり直し、再起、を意味する側面と、そのようなものとは逆に人生の新鮮さを確かめると言う意味で、全く新しいことを始める、という側面があると思います。これら二つに共通しているのは、人生をやり直すことが人生を再び主体的に生きることにつながってゆくというところです。単純素朴に考えたら人生はそもそもやり直しなどできません。学生の頃打ち込んでいたサッカーを、サラリーマンになってからもう一度はじめたとしても、それはサッカーをやり直したことになりません。なぜなら、サラリーマンは全国大会になど出られないし、プロサッカー選手になることもできないからです。僕は新しい年齢を迎えるたびに、自分が死ぬ日のことを思い浮かべます。死ぬときとはどういう気分なんだろう、自分の意識が途絶える時はどうなるんだろう、ということを考えます。非常に恐ろしいですし、それを考えると人生にはやり残したことがまだまだ沢山あるな、とも思います。そこで思うのです、今日から人生をやり直そう、と。僕が考えるには、人生をやり直したいという感覚と、自分の限られた寿命であるとか、一回きりの人生が日々散っていっている、という感覚は、密接不可分なのではないでしょうか」
「全く同感です」当たり障りの無いありがちな精神訓話をひとしきり述べたところで、言下に雪絵さんの賛同の声が上がった。「今の杉山さんのお話を受けて私なりの考えを述べるとすると、人生をやり直す、という言葉が意味するのは、人生をやり直させまいとするようなあらゆる力に対して抵抗することです。学校や職場での空気だとか、お前には無理だ、と頭ごなしに否定してくる暴力的な言葉だとか、経済的な事情だとか、内面の性格の弱さだとか、そのほかのあらゆるものが、私が主体的に生きることを阻止しようとします。もしも人間が単に動物なのであればそれでも良いと思いますが、でも、私たちは人間です。人間は自分のあり方を振り返り、常に反省し、次にとるべき道を自分で選ぶことのできる存在です。その行為が何か既存の価値を傷つけようとも、自己の選択という崇高で人間的な行為によって傷つけられるものなど、所詮は非人間的な産物です。人間が人間らしく生きようとするとき、私たちは人生をやり直したい、と考えるのだと思います」
即座に非常に大きな拍手が鳴った。嶋中さんのグローブみたいに膨らんだ丸まっちい手が上下に重ねあわされて喧しく打ち付けられていた。
「素晴らしい! みなさん、いまのお二人のお話は非常に素晴らしかったですね。そうです、人生をやり直したいという意思は、実は誰でも抱くことができますし、実際に人生をやり直すことは、誰にだって可能なのです。なぜなら、今、この時からでも、主体的に、自分で選んで生きるのだ、と決意すればいいだけの話なのですから。我々は、今こそ本格的に二人の若い仲間を受け入れられたような気がします。この二人の対話が我々の胸を打つのも、ここに集まった八人が不思議な紐帯で結ばれ、離れることなく今日までミーティングを重ねてきたからです。この感動を忘れることなく、私たちは活動を続けることにいたしましょう」
嶋中さんのコメントはどうにも大げさすぎたが、それは今日のミーティングがそろそろ終了するという合図でもある。この強引な問題提起と強引なまとめが彼のリーダーシップそのものだ。
雪絵さんが僕の発言に「同感」だったというのは意外だった。パルコで初めて会話した日以来、彼女とは口を利くこともなかったからだ。もしかすると僕のほうの考えが雪絵さんの文学的思弁に引き寄せられているのかもしれない。
みんなが立ち上がって、各々帰宅を始めた。嶋中さんと衛藤さんの二人は、いつもミーティングが終わるとさっさと「事務所(推測するに嶋中さんの住宅のことだ)」に帰る。僕も歩き出そうとしたとき、不意にTシャツの袖を引っ張られた。
「今日、まだ時間ありますか?」雪絵さんだった。
「ああ、特に何もないけれど」
「じゃあ、少しだけいいですか? あ、別に夕食を食べながらでも結構ですけど」
「じゃあそうしようか」
突然の誘いに少々驚いた。何か話したいことでもあるのだろうか。ファミリーレストランから駅のほうへ歩き、少し通り過ぎたところにあるスパゲティー屋に入った。雪絵さんはきのこ類のたっぷりはいったクリームソースのスパゲティーを頼んでいたが、金のない僕はぺペロンチーノの最も具の少ないものを選んだ。
「それで、今日はどうかしたの?」
単刀直入に聞いてみることにした。
「いえ、前々から考えていたんですが、ちゃんとあの時のことを謝ろうと思って。いまさらですけど」
「あの時って、パルコで皆を待ってたときの?」
うなずく雪絵さん。
「いや、あれは俺も悪かったよ、ごめん」
本当はあまり悪いとは思っていないが、反射的に謝罪した。
「突然こんなことを申し上げると杉山さんは驚かれると思いますが」と前置きして、雪絵さんは言った。「私、杉山さんの考え方にとても共感するんです。私たち、どこかで、かなり似たようなことを考えているなって、いつもミーティングの時に思います。いいえ、似ているというよりも、杉山さんと私の辿った人生がどこかしら似ていて、杉山さんのことが、先輩のように思えるのかもしれない。多分杉山さんは、私が経験することを何年分か先に既に経験してしまっていて、それで私の考えを先回りしてなんでも言ってくれているような気がする。知っていますか、大江健三郎の小説に『ピンチランナー調書』というのがあるんです。その小説では、似たような境遇にある二人の男が出てきて、少しだけ年の差があるんです。互いに仲が良いというわけでは決してないけれども、なんていうのかな、同属嫌悪みたいなものと同情心との両方を互いに抱いているんです。私たちの関係も、パルコでやりあったときのように鋭く対立するときもあれば、ミーティングのときはとても共感できたりする。そして大枠で見れば、対立していた論点は、私が時を経ていくうちに杉山さんが言いたかったことの、そのこころを真に知ることで対立でなくなるような論点です。だから、杉山さんは私の人生の先輩なんです」
雪絵さんはいつものようにまくし立てた。一度喋り始めたら一区切りつくまでいっぺんに喋るから、最後のほうは息が苦しそうになっている。これは明らかに知識偏重のもやしっこの喋り方だ。スポーツマンは短い言葉のやりとりに慣れている。いわば掛け声だ。彼らはあまりに符牒のような掛け声の応酬になれているため、日常生活の言葉も掛け声化していく。「ありがとうございます!」「お疲れ様でした!」「すみませんでした!」――体育会系の人物が企業社会で重宝されるのは、反射的にこれらの符牒を操ることができるからだ。社会は実はこの符牒によってつつがなく回っている。何が起ころうとも挨拶の言葉を反射的に繰り出すことによって切り抜けることができる。ところが頭でっかちはそのような言葉に意味を求めてしまう。無意味な挨拶を蔑視する。ありがとう、という言葉一つとってみても、何に対してありがとうなのか、どういうありがとうなのか、という問題に明快な説明がつかない限り、それを口にすることができないのだ。そしてひとたびそれらの条件がクリアされると、全てを喋らないと気がすまない。ゆえに対話相手のことを無視して延々とじぶんの「ありがとう」について語り続ける。語り続けて、息が続かなくなり、最後のほうはささやき声のようになる。なにしろ彼らは、普段スポーツをやらないので喋りたい言葉の量に対して肺活量が圧倒的に足りていないのだ!
「大江健三郎の小説は読んだことが無いけれども、じゃあ俺は雪絵さんのピンチランナーということになるのかな?」
「私、野球のルールはよくわからないですけれども、多分私の代理をやってもらうとか、そういうことじゃないんです。なんていうか、確かに同じ時代を生きていながら、それでも少し先の未来から杉山さんがやってきているような気がするんです」
これも雪絵さん一流の文学的表現なのかもしれなかったが、正直に言えば聞いているだけで気恥ずかしさが先に立ってまともに聞けない青臭い言葉だった。だが、月子が属しているような「経営学」の世界と比べてみたら、雪絵さんの言葉のほうにより親しみを感じられた。結局、位相で考えたら僕は月子よりもずっと雪絵さんに近いところにいる。僕の二十八年間生きてきた軌跡が既にそうなのだから、これから先必死になって電卓の使い方を覚えて実学を学んでも、もはやどうにも変化しないのだろう。だから僕は月子とは猫を媒介にしてしか付き合えないし、雪絵さんのような人たちの文学的独白を延々と一生聞き続けなければならない運命なのだ。まあ別に月子と今より親しくなりたいと思っているわけでもないし、雪絵さんの文学的表現は多少苦痛ではあるものの、この世に文学的表現が存在することも知らない人たちに比べたらまだマシなのには違いなかったので、それほど悲観すべきではないのかもしれない。
食べ終わってから雪絵さんは紅茶を頼んだ。彼女がそれを飲む間、僕らのテーブルには会話がなかった。雪絵さんが紅茶の香りを楽しんでいるあいだ、僕は彼女の姿をじろじろと見た。相変わらず髪の毛は美しく、着ている服はみすぼらしかったが、彼女の顔の美しさにも改めて気がついた。目、眉毛、鼻、口、それらの配置が非常に整っているのにも関わらず、雪絵さんは化粧や装飾を全くしていない様子だったから、単に極めて没個性的なだけの顔に今まで見えていたが、こういう人がそれなりの手間をかけて着飾れば相当な美人になるのではないだろうかと思った。その潜在的な美しさに気付く者がもっと沢山いれば、彼女は大学を休学することも無かったのかもしれない。そして、彼女の最も大きな魅力は、そのような潜在的な美しさに自分だけは気付いている、と男に思わせるような無作為ぶりだろう。そう考えてみると、むしろ彼女に言い寄る男は大学にもそれなりに居たに違いない、と僕は考えを改めた。化粧も知らない「おぼこい」外見が災いして、反社会的な性欲に付け入る隙を与え、男関係のトラブルに巻き込まれたのかも知れない、などと邪推して、僕は好奇の視線を雪絵さんの下を向いた長い睫毛へとしばらく投げ続けていた。
「私が大学を休んでいる理由ですが」突然彼女が言った。丁度そのことを考えていたところだったので、内心ひどく狼狽した。「実は、精神的な、というか、神経の病気なんです。具体的な病名はここで申し上げても詮無いことなので言いませんが、そのせいで大学にも行く気力が湧かず、無理に行こうとすると道端で吐いてしまうので、休学することにしたんです。高校までは中高一貫の女子高に通っていて、こんな病気の兆候すら認められなかったのに、大学に入って三ヶ月くらいで早くも授業にあまり出られなくなりました。自分でも原因がわかりませんでした。心が学校を受け付けないと言うよりは、学校に行くことを考えると内臓の調子が悪くなる、と言った方が正確なような気がします。他に精神的な傾向としては、それまでの生活に比べていつも不安だったように思います。よりどころがどこにもないというか、例えば、水泳の授業で、はじめプールの足のつく浅いところで気ままに遊んでいたのに、急に足のつかないところで泳ぐことを強制されたときのような感覚です。それか、デカルトの森の話ではないですが、森の中を最初は明確な道しるべをもとに進んでいたのに、次第に進んでいるのか戻っているのかわからなくなって、色んなところを曲がったり戻ったりして、結局永遠に森の中から出られないのではないか、というような不安の感じです。何故大学に入って急にそういう感覚に付きまとわれるようになったのかはわかりません。大学では勉強したいことを自分で選ばなければならないから、どの学問をどのように学べばいいのか分からず不安になったのだろう、などと親しい人達には言われましたが、私本人の実感とは大分違います。大学の授業なんて、杉山さんもご承知の通り、結局はみんなで同じ授業を選択して安穏とやっていれば単位のとれるものに違いありません。私は最初の一学期しか大学に通っていませんが、それでも出ていた授業は全て単位をもらえました。病気のことがあってあまり優秀な学生ではなかったにも関わらず、教授の評価はずいぶん甘いものです。杉山さんはアランの幸福論を読んだ事がありますか?」
「ないなぁ。いや、たしか高校生のころ一度読んだけど、内容は忘れたなあ」
「そうですか。ではおぼえてらっしゃるかわかりませんが、一番最初に入っている話に、名馬ブケファロスの話がありますよね。見た目から人が推測するような物事の原因と、本当の原因は違うことがある、というような話です。私の休学もそれと同じだと思うんです。新しい大学生活が不安なのではなくて、もっと別の、一見どうでもよいような些細なことが真の原因なんではないかと思えてならないんです。例えば、高校の頃の友達となかなか会えなかったり、学食のご飯が美味しくなかったり、大学生協へ教科書を買いに行くまでの道のりが思った以上に遠くておっくうだったりとか」
残念ながら僕にはさっぱり彼女が何を言いたいのか把握しかねたが、とにかく本を読むのがたいそう好きらしいということはわかった。雪絵さんの紅茶が空になったのを見て、そろそろいい時間なので店を出ようと僕が言うと、小さなリュックを背負いながら彼女が言った。
「杉山さん、私いま、ミーティングに参加していて不思議に不安を全く感じなくなったんです。大学に行ってないんだから当たり前だと言われれば当たり前なんですが、この心地よさは、大学に戻る必要があるのかどうか真剣に考えさせられるような、自分が本当に居るべき場所に居るような気持ちなんです。もちろん、会のみんなに相談しても、大学に戻るべきだとは言われるんですが……」
「まあ、とにかく今はもう少し休んで、ゆっくりと沢山の本を読んでみることだね」と僕は先輩ぶったアドバイスを施した。