目の前の幼き僧侶、…
目の前の幼き僧侶、オレリアの、ノーム族の食前の祈り―その、耳をピコピコさせながらの詠唱を聞くともなしに聞き流しながら、エイリはもう、半刻近く茶店のテラスに座らされていた。あくびをかみ殺し、つく肘を入れ替え、テラスから店内の様子に視線をやる。
学生寮から来るのか、放課後の学生が群れる店内を眺めて、エイリは、店の奥に唯一人たたずむ、黒衣の吟遊詩人に視線を止めてみた。顔を隠し、黒いフィドルを持つ詩人―男? 女かも知れない―フィドルを構える。
その吟ずる詩の中身までは聴こえないが―もろく崩れた魔法体系の伝説。人と魔族の争い。人の身の勇者の末路。闇黒へと傾倒せよ。
そんなところだろう。最近の詩人はそんなものだ。
エイリはオレリアの詠唱を聞き流しながら、詩人の詩と対比させ、大地への祈りと、闇黒への賛歌、二つの符合しない詠唱を思う。いつしか氷菓子はハチミツと融け、溜まり、一体となり―。
エイリはうたた寝をして、日も落ちてきたころ―異臭がした。
いつの間にか風は立ち消え店内に灯りは消えていた。
凪の陣。オレリアではない。そしてこれは―この異臭は。
長い、長い祈りを終え、融けきった氷菓子とハチミツの残がいにかぶりつこうとしたオレリアからエイリは皿を奪い、右手で槍斧をつかみ左手で皿を床にたたきつける!
そして、呆然としているオレリアをテラスに留め、灯りが消えた店内に押し入り、厨房に槍斧を向け、構えた―。
~
オレリアには―この光景は見せられないな。あの娘は、肉料理を見るだけで卒倒しかねないから―。
エイリは店内に押し入りその槍斧の二振りで消えた灯りを行灯に灯す。
だが―。その火もすぐに消えた。凪の陣。いや、これは―月の砂漠。
一瞬の灯りが照らす店内は、人の、血と汚物の匂いにあふれ―吐しゃ物の中、若い恋人同士の男のほうを、料理人―眼が血走り、歯をガチガチと鳴らす―料理人だったものが厨房にズルズルと引きずっていく。喰うつもりらしい。
―月の砂漠を歩む汝。生命の園を妬み、水に飢え、風も懐かしき―。
月の砂漠。
一人隅に座る黒衣の詩人は、エイリを見止め、詠唱を止める。料理人たちは崩れ落ち、二度と動かなくなった。
風は戻る。エイリは切っ先を黒衣に向ける。
その切っ先が燃え―詩人の相貌を照らした。まだ若い、女。
エイリの構える炎の槍斧、古き魔法体系の遺物がエイリの髪を焦がし、石突きが詩人の喉元に向けられ―炎と闇黒の対峙―詩人は呟いた。
―私には炎はまぶしい―
炎に黒衣は燃え上がり―亡骸を遺さず夕闇に消えた。
~
―寺院の助力を乞いておきながら、寺院に抗った店の店主。詩吟に詠唱を混ぜ、月の砂漠を展開。料理に毒を付加し、料理人を闇黒にいざなった、まだ若い、中性的な、女―黒衣の詩人。
―新月の夜は外を歩く。庭園の石柱の影を歩み、黒衣の詩人は過去を思う。女が力求め寺院のものとなり、闇黒に傾倒する前の―かつて共にいた仲間を思う。
「毒は地の亜流、亜者に過ぎず。あらゆる属性が生命とやらに害なす可能性ある限り、毒など、小鬼の短剣、オオカミの爪、戦いの初歩に過ぎないと」「そう、貴方はそう仰いましたね、異世界の勇者、そして敗残者としての―ウドゥン」