たとえ幻でも―記憶…
たとえ幻でも―記憶のある街なみ、雑木林の沿道を勇者ストレイトスは疾走した。いつしか先導するライブラリすら振り抜き、その全力疾走は何のためか、実家が見たいからか、それとも、妹のことを洩らされたからか、考えることもせず、今は疾走し―少年の姿に戻されたその肉体は、勇者の筋力を失くしていて―連れのエイリが息をつき、街路樹に倒れかかるころ。ストレイトスも限界が来て、ひざに手をつき、休んだ。
「勇者よ―」少年の姿の冒険の書は息一つ乱さず二人を見やる。
「休ませろ、ライブラリ―」
ストレイトスは筋力を少年期にまで戻され―普段は駆け抜ける距離を、息をつき、汗をかきながら―。目の前のバス停に気づき、ベンチに座る。市営のバス。こんなものもあった―。
「ねえ、いい加減、聞かせて、くれない? その子や、この風景―なんで、そんなに―急ぐのよ? 」不満を漏らすエイリ、その少女の頃の身体は―限りなく凹凸をなくし、骨ばった、5、6歳の子供の姿だ。
「ここは―いまはまだ、きたくない場所、帰りたくない場所―だった、さっきまでは。ここは」
「勇者の原点の世界。帰りたくとも帰れず、帰りたくもない、やがて帰りつく故郷。実家までの道は―あと少しですね、―ストレイトス」ライブラリが勝手に言った。
「ここが貴方の故郷なの? でも、幻覚」
「魔族の―さっきの淑女が、ここを見つけ出し、幻覚に―したてやがった、くそ」
やがてバス停にバスが来て、何人かの乗客を降ろし、排ガスを残し走り去る。その乗客はすぐにどこかへ消えた。田舎の停留所を降りた客に、ストレイトスの知った顔はなかった。
「勇者よ」ライブラリが眼鏡をあげて、提言する。
「この風景は貴方の故郷、陶芸の里、田舎町の情景であり―」その先を勇者が継ぐ。
「人物は―ミドガルダル、それも過去―知った顔はない」
「風景は貴方への挑発的行為であるかと思われます。ですが、先ほどの淑女といい、人物がミドガルダルのものならば」「術者の意図は―ミドガルダルにある」
抑揚もなく語るライブラリに、その誘導的なセリフに違和感を覚え―勇者は先ほどからの疑問を発する。
「冒険の書は、僕の記録、経験であり―外的な姿をとるはずはない。意思を持たぬただの術式に、僕とエイリに共通する外観など付加させられるはずはない。その少年の姿に見覚えはない」「茶番はよせ。何故お前は―どちらにもいないはずの、お前がここにいる? ―ライブラリ? いや―」
目の前の少年の正体。この風景の詠唱者。目的を現せと勇者は叫んだ。
~
「ばれたか―どちらでもいい―異世界の者よ―強いのだね―」
ライブラリは―いや、この田舎町の詠唱者、その一部は、ライブラリにはあり得ない表情―微笑みを見せた、ように見えた。誰にも見えぬその相貌に幻覚ではない瞳光が戻る。
「ライブラリはどこにやった。何故この光景を出す? 返答しだいでは―容赦はしない」
詰め寄る勇者に、
「僕は薄弱でね―」
正体を見せ始めた人型は老紳士の姿に変化し―山高帽をあげ、簡略な礼をして見せた。
「僕は魔族に生まれ―世界を総括し、管理する―そのために―世界を潰すこともある―」「それが―定めだった」「僕は魔族の業に耐えきれず、強さを―求めた」
夕暮れの田舎町の風景は、空に雲もないまま周囲を暗くし、雨が降り始め―遠雷が墜ちる音響だけを残した。
「術は、もうすぐ終わる―」「家路を急ぐは―急ぐ理由は―たがためか―」「この風景の住人はね―君のいる世界」「―僕がいた世界―ミドガルダル」「家につけば―あの子を、だすはずだった」
老紳士の姿が薄く、希薄になり―。
「家で待つ、君の大切なものは、妹か―それとも」
最後のセリフに反応したストレイトスの前で、
「僕は薄弱でね―」その薄い自嘲気味の嘆息を残し―老紳士の姿は消えた。
~
ストレイトスとエイリを残し、立ち消えた術士、老紳士の言に―残された勇者は家路を急ぎながらエイリに訊ねる。
「あのさ」
「なに? 」
「家庭のこと―聞かせてくれないか? 12騎士―ウドゥンやルルイエ達のことだろう? ―アウリュと―。彼らのこと、君の母さんとも、関係があるだろうしさ」
促すストレイトスにエイリは戸惑った。
「といっても。何から言えばいいか―」
「12人、いるはずだ。名が態を表すなら。ウドゥン、ルルイエ、おそらくはアウリュも」
「そう、ウドゥンは私のこと知っていて―父さんたちの伝手かな。アウリュに聞かされたのは、父さんも、母さんも―それぞれ、ウドゥンと一緒に戦ったみたい。魔族と、楼閣騎士と炎術士として―」
「さっきの淑女の口調―ヴィクトリオの義父母はどうなる? あの人は養子なんだろう? 」
「あの家は行商人の家だし―経済の面から支援していたみたい。で、奥さんが―オレリアの祖母、ね。行商人の旅暮らしと厳格な僧侶の夫婦で、子供ができなかったせいかな? ヴィクトリオを引き取ったの。今だから分かる、ことだけど―」
「これで、7か」
雨と遠雷が激しくなる。風景が乱れ、幻覚が切れ始めて―ストレイトスは家路を急いだ。
「そうだ、雷! まずい、雨降ってたのよね、オレリアを迎えにいかないと―」
「急ごう」
勇者はスピードを上げ、先ほどの老紳士の言を思い出す。この風景は故郷のもの。人物は異世界の―。
家で待つのは―誰だ?
今は12騎士のこともどうでもいい。実家の門へと続く、この長い平坦な道を駆けて―エイリとストレイトスは、術が解けかけたのか、筋が増え、背丈が伸び、周囲がいつか白に染まる中、呼吸も乱さず家の門へ―飛びこんだ。
この懐かしい風景は故郷のもの。そして、家で待つのは―。
「―お兄ちゃん」
門の向こう、帰りついた勇者を待っていた背中は、勇者の実妹か、あるいは―鳥人の翼を背に、振り返る姿は―。
勇者が望み、走り抜けたものは、過去に残してきたもののためか、それとも―。