―――少女が寝息を…
―――少女が寝息を立てるのを見計らって、勇者―ストレイトスという―は、墜落した古城の、草縛系魔法が使われた痕の様な、砕け、ひび割れた石の床を踏みしめ、墜落した際の天井の穴から、顔を出してみる。
まずはここがどこか知ることだ。手持ちの装備も振り捨ててしまった。
少女と勇者、二人しかいない。誰もいない古城。
だが。警戒せねばならない。勇者―青年は、宙に低く叫ぶ。
「ライブラリ! 出てこれるか? 」
「…………ここは地の世界。コル・ミドガルダル。千と17つ目ですね、勇者よ」
虚空にウインドウが開く。ライブラリ。冒険の書などとも呼ばれる、旅の記録、冒険の記憶の集まり。勇者としての無意識に近い。
「ライブラリ。周辺に敵はいないか、探せ。この城に何らかのものがいるならば、城の主は帰ってこないか? 接触不可ならば、使える装備が欲しい、探せ。それと―」
青年は少女を振り返る。少女は寝息を立てていて―少女が起きたならば、この三千世界の片隅で、もう帰れない世界に来たと、世界は広く、もとの世界には確率的に帰れないと―告げなければならない。
「彼女が起きたなら、接触可能なもののいる、街に出たい。マップを出せ。それから―」
「勇者よ」青年の紡ぐ言葉を冒険の書がさえぎる。
「この世界について申し上げます。地の世界、コル・ミドガルダル。この地には鳥も雲もなく、夜空には月灯りしかない。ですが、サンドストームを切り裂いて、世界の壁を切り裂いて、この地に降り立った貴方がたに、興味を示したものがいます。総ての世界に繋がる魔族、貴方を異世界群に引きこんだ、貴方の宿敵たる魔族。魔族に力借りるその配下。それから―裏切りか死別、世界を越える際の別離―貴方の仲間となるもの。そして世界の異変を感じたもの」
少女が目を覚ましたようだ。青年は―ストレイトスはそばによる。
「ここから南に街があります。貴方の、そして貴方がたの、千と17つ目の冒険に、精霊の導きがあらんことを」
ウインドウを閉じる。その表情が勇者の荘厳さを取り戻していた―。
~
「エイリ、お待たせ。終わったよ~! 」
ミドガルダルの大地の東、ある交易都市の北門。寺院の裏口。
ヘヴィ・ランサーの女―エイリ・ダンターダ―は、もたれていた壁から身を起こし、声をかけてきた女の子に視線をやる。視線の先。
司祭の衣装を着た女の子は―オレリエル・シィ・シルエトク―オレリアと呼ばれる少女。
ノーム族の娘。左右の耳は動物、子供の熊のようで、髪とは違う獣毛が生えている。
ノーム族の特徴。彼らは古き地霊の子孫であり、いつのころからか、いわゆる人の種と交わることで今の姿を得た種族。敬虔な、信仰厚き種族。近年はそうとも言えないが―。
女の子は療養中の老司祭の代わりに寺院での儀式、アースヒ―ルの詠唱を終え、謝礼をいただいて宿に帰るところ。
本来は父親―ノーム族の行商人―と来ていて、エイリ・ダンタ―ダはその護衛だった。
女、エイリは腕を閉じ胸に抱いていた槍斧を片手で持ち直すと、宿に帰る前に、どこか軽く食べにいかないかと提案した。確か、氷菓子を売る店があったはずだ。オレリアは喜んで後をついていく。
氷菓子と、エイリと一緒にいることが、ただ好きなのだ―。
~
目の前の女の子は、悩ましげに、砕いた氷にハチミツをかけたものを前にノーム族の食前の祈りを―絶望的状況下で喰らう、術による睡眠の長さくらい、長い―氷が融けきる前に唱えきるか、そのまま食べ始めるべきか、迷っていた。
「いつもこうだけど―」
物珍しい氷菓子を出す店―都市の中心に近付いた、学生街、簡易喫茶にて―女の子との、お茶の時間。
「―先に食べたほうがいいと思うんだけどな」
女の子―オレリアはエイリの微笑に気付き、はにかみながらも、ノーム族の食前の祈りを唱えだした。今回も信仰が勝ったようだ。
エイリは息をついた。
この店には珍しい氷菓子もあるし―祈りを聞き流しながら―いい茶葉の紅茶を飲み、デザートの注文をして、それから。ふと、店内の様子に目をやる。
詩人風の男。学徒と学者の群れ。それから―。