相談の答え
「福崎さん達にね、いじめられてるの」
未子がそう言って美遥に相談をしたのは、6月の梅雨明けの時期であった。
しばらくはどんよりと暗いものを抱えていた空も、一昨日には晴れて強気になっている。
しかし、未子の心は未だに晴れないようで、重たいものがずっと乗っているような顔をしている。
写真部の部室は、学校の端の方に位置していて、人の足音すら聞こえない。
部員は4人。
3年生が1人、2年生が2人、もうじき辞めそうな1年生が1人。
廃部危機である。
3年生の先輩は用事だとか言って、今日はいない。
1年生の方は、もうほぼ幽霊部員である。
写真部に憧れでも抱いていたのだろうか。
現実は、端にやられるような扱いをされる部活なのに。
「福崎さんか…怖い人だよね。言葉強いし」
「なんで私なんだろう。私、福崎さんに何かしたかな?」
「うーん…」
未子は尋ねてはくるものの、それはほぼ自問なのである。
辛いのもそうだが、納得いかない気持ちの方が強いようで、愚痴のテンションで美遥に聞く。
いや、聞かせている。
それは何なら愚痴であれば良かったのだ。美遥も未子も、こうして悩むことは無かった、愚痴であれば。
「美遥、私どうしよう」
「どうしようって…うーん…」
「唸りたいのはこっちだよ。酷いんだよ、福崎さん達。私の筆箱隠したり、教科書破ったり、この間なんか、みんなの前でスカート下ろそうとしてきたの」
「スカートを!?」
静かな廊下全体に響き渡る。
自分で言ったくせに、「スカートを下ろされた」という言葉に震え上がっている未子。
おそらく鳥肌も立っている。
それこそ、立てたいのはこっちだ。美遥は思う。
「ねぇ、私どうしたらいいんだろう?」
未子は正面から美遥を見つめた。
本気で質問をしているようだ。未子の瞳が重たい。
人は愚かなもので、『真っ直ぐ』を向けられてしまうと、たじろいでしまうのだ。
特に夢も持たずのらりくらりとそれなりに生きている人間が、大きい夢を持った理想だらけの明るい人間に出会い、その夢へのひたむきさに寧ろ引く。
収入が多いとは言えない親が、「これを買って」「あれに乗りたい」と好奇心旺盛な子を持ち、『お金』に縛られない姿を見て苦しくなる。
ベテランの面接担当が、特に入れたくないと思う人間の全力を見せつけられ、思わず全力さだけで判断しそうになる。
『真っ直ぐ』は、人を愚かにする。ダメにする。終わりにする。
5秒ほど経った。美遥は自分なりに、正直に答えた。
5秒だけで、取り繕えるような回答は作れない。
彼女たちの友情に、5秒は長すぎる。
「スクールカウンセラーの先生に相談してみたらどうかな。保健室の先生に言えば、手配してくれると思う」
未子は目を見開いた。
美遥は気づかないフリをする。気づいていないかもしれない。
いや、おそらく本当に気づいていないのだ。
「それにほら、未子のお母さん、優しいじゃん。お父さんも良い人なんでしょ?色んな大人を味方にしてさ、気持ちで福崎さん達に勝ってやろうよ」
どれも本心である。
可哀想なんだ、彼女は。できるだけ多くの強い味方をつけてやりたい。
子供には、大人である。
大人同士ですら厄介なのだ、ましてや子供からしたらなおさらだ。厄介だ。大厄介なんだ。
「美遥は?」
「え?」
「美遥は味方してくれないの?弱いから?」
美遥は5秒でまた答えた。
「弱いなりに、未子の力になれたらなって、思ってるよ」
「例えば?」
「えっ、例えば?うーん、机の落書きとかは一緒に消すし、上靴の中の画鋲は一緒に片付けるよ」
「…そっかぁ。ありがとう」
美遥は思う。色々聞いてきた割には、返ってきた感謝は軽いなと。
けれど、美遥が思うに、未子は元々こういう子なのだ。
どこかスポッと、1つ穴があるような、軽いとまではいかないが、何かが埋まってないような子なのである。
福崎とやらは、それが気に食わなかったのだろうか。
生ぬるい風が、どこかの隙間から侵入してくる。
部室は、暑いような、ジメジメしているような、居心地の悪い雰囲気。
そういえば、ここにはエアコンがない。
吹いても生ぬるいだけの、たった一つの扇風機しか、彼女らを冷やすものがない。
しかし、なんというか、そんなものを使わなくても、もう冷えている。
暑いのに、冷えている。
「撮りに行こう」
「うん、そうだね」
2人は部室を出た。
未子が写真を撮ったのは、これが最後だった。
「首を…?」
「うん、ご両親が家に着いた時には、もう、ね」
「そうですか、首を…」
「そうですか」
美遥が担任に返した言葉。これには何の意味も含まれていない。
「高山さんなら何か知ってると思ったんだけど、その感じだと、何も知らなさそうね」
「え?」
「え?何か知っているの?」
担任はその黒い目で美遥を見つめた。
美遥はその目をしっかりと捉えた。
「…何も、知らないです」
「やっぱり、そうよね」
生徒指導室を出て、家に帰るまで、美遥は後悔し続けていた。
これまで行動、言動、思考、全てを。
そうだ、大人は敵だったんだ。厄介だ、大厄介だったんだ。
未子は死ぬ前、どんな大人の目を想像したのだろう。
あんな風に、黒かったのだろうか。いや、そうに違いない。
もしかして、自分の目も、黒かったのだろうか。
人間はふんわりとしか話さないから、その黒い霧が、彼女にとって毒だったんだ。
それを晴らせる人が、自分だと勘違いしたのだろうか。
晴らせるわけないだろう。あんな霧を、自分みたいな子供ごときが何かできたわけでもない。
未子にできないのなら、自分にもできない。
自分なんかより、福崎さん達の方がもっと良かったのかもしれない。
『真っ直ぐ』が良かったのかもしれない。きっとそうだったんだ。
遅かった。
あの問いに、自分はなんと返すべきだったのだろう。
あの相談に、答えはあったのだろうか?
解答を知りたい。でも解答はもう燃やされてしまった。
灰じゃあ何も分からない。
遅かった。
そもそも、なぜ私だったのだろう?
たぶんあれだろうけど、聞いておけば良かった。
遅かった。




