【透明な刃殺人事件・弐】
※こちらの作品はカクヨム(@tsurumiya)、小説家になろう(ID:2621621)にて投稿しています。
翌日の午後。 雑居ビルにある『ヘンリー探偵事務所』では、壁にかけられたいくつもの時計が、それぞれの時間を静かに刻んでいた。主であるヘンリーは、優雅に紅茶を嗜みながら、机の上で分解した懐中時計の部品をピンセットで丹念に磨き上げていた。
その甘美な静寂は、事務所のドアが蹴破らんばかりの勢いで開けられる音によって、無慈悲に打ち破られた。
「おい、ヘンリー待たせたな。一応コレが検死結果とマルヒのリストだ」
煙草を燻らせた服部警部が、捜査資料の束をヘンリーの机に叩きつけた。
「おい、キミもう少し静かに出入りできないのかな…」
ヘンリーがため息混じりにそう言う。その手元には、丁寧に分解していた時計がドアの衝撃で散らばってしまっていた。
「おう、悪い悪い今度から気をつける」
「それを言うのは何回目カナ…?まあ、いい」
ヘンリーは大きなため息を一つつき、散らばった極小の歯車をピンセットで苛立たしげに拾い集めると、ようやく服部が持ってきた資料の束に手を伸ばした。
「それで、何か面白いことでも書いてあるのかい?」
「ああ。まずはお前の好きそうなヤツだ。検死結果」
ヘンリーは紅茶のカップを置き、資料のページをめくった。彼の蒼い瞳が、ある一文で鋭く細められる。 そこには、こう記されていた。 『――刺創の細胞組織を電子顕微鏡で検査した結果、ごく微量ながら、明確な凍傷の痕跡を認める――』
ヘンリーは少し考えこむと、次の資料――容疑者リストに目を移した。そこには、三人の男女の顔写真と、彼らの特徴やアリバイが記されていた。
・長瀞 葉子(被害者の家政婦): 動機らしきものは確認できず。合鍵所持。
・笹丘 孝雄(マンションの新任の管理人): 被害者からのパワハラが動機か。マスターキー所持。第一発見者。
・楠樹 高矢(被害者のビジネスパートナー): 金銭トラブルが動機か。事件当日、マンションへの訪問記録あり。
以上三名、死亡推定時刻――13:00頃のアリバイなし。
このリストを注視し、さらにしばらく考えたあと、ヘンリーはこう語った。
「……なるほどね。一度、この三名を全員、事件現場に集めてくれないかい?」
「あ? なんだ、全員並べて人相でも見比べるってのか?」
ヘンリーは、服部の訝しげな視線を余裕の笑みで受け流す。彼は立ち上がり、窓の外を見つめながら、静かに、しかしはっきりと告げた。
「フッ……いや、そろそろ証明でも始めようと思ってね」
◇
西麻布のタワーマンションの一室、そこに数名の刑事と被疑者とされる三名の男女、そして一人の探偵が集まっていた。
家政婦の長瀞は、不安げにハンカチを握りしめている。
管理人の笹丘は腕を組んで、
「一体何なんですか、これは!」
と苛立ちを隠せない様子だ。
そして、ビジネスパートナーの楠樹は、一人だけソファに深く腰掛け、まるで他人事のように冷ややかにこの茶番を眺めながらこう語った。
「君達の謎解きごっこに付き合ってる暇はないんだよ。早く終わらせてくれないかな」
「フッ…どうやらせっかちな観客がいるようだね」
そして、ヘンリーは笑みを浮かべながら語った。
「今、この場にすべての証拠は出揃った。そろそろ証明を始めようか」




