【透明な刃殺人事件・壱】
※こちらの作品はカクヨム(@tsurumiya)、小説家になろう(ID:2621621)にて投稿しています。
西麻布の夜景を切り取る、巨大なガラス窓。その窓を、三日降り続く冷たい雨が無数の筋となって流れ落ちていた。
「……警部。何度確認しても同じです」
若い刑事――一日 馴鹿の声が、静かなリビングに響く。そこは、タワーマンションの高層階。
寝室の奥、高級そうなベッドの上で、一人の大柄な男――高遠 信雄が死んでいる。胸に負った一筋の刺し傷が、その命を奪ったことは明らかだった。
「ドアは内側から掛けられたチェーンとオートロック。窓も全て施錠を確認。通気口から人が通るのは不可能です。完全な密室ですよ…」
報告を続ける部下の言葉に、警視庁捜査一課の服部 銀二郎警部は、唸るように答えた。
「凶器は?」
「……それがどこにもないんです。マンションの部屋だけではなく、出入りした記録のある人間の周辺すべてを隅々まで探しました。ですがどこにも…」
あり得ない。その場の誰もがそう思った。密室で、胸を的確に刺されて絶命した男。しかし、その凶器だけが、まるで最初から存在しなかったかのように消え失せている。
「まるで幽霊にでも殺されたようです…」
馴鹿が漏らしたその言葉に、服部は深く刻まれた眉間の皺をさらに深くした。そして、コートの内ポケットからスマートフォンを取り出し、誰かに電話を掛け始めた。
「……ヘンリー、頼みたい案件がある」
◇
数十分後、エレベーターが静かに最上階へ到着した。現れたのは、場違いなほど仕立ての良いコートを着た、黒い髪に蒼い眼の一人の青年だった。
「よぉ、ヘンリー。遅かったじゃねえか」
服部の声に、青年――ヘンリー・ホームズは、現場の重苦しい空気をものともせず、軽口を叩いた
「まったく、他の案件の最中に急に呼び出さないでくれないかな」
その不敵な態度に、若い刑事が息を呑む。
「どうせ迷い猫の捜索に浮気調査とかその辺だろ。探偵なんだから事件の謎を解き明かすのが本分じゃねえのか?」
「キミ、コミックの読みすぎじゃないカナ?探偵ってのは本来もっと地味なものだよ…」
「細かいこと気にしてるとハゲるぞ、ちび助」
ヘンリーとの軽口の応酬の後、服部がドアを開けてヘンリーを中に通した。
「今回の案件は、完全な密室殺人だ。おまけに凶器がない。不可能犯罪……お前の得意分野だろ」
「まあ、やれることはやってやるとも…」
強がってはいるものの、ヘンリーは部屋の入口から一歩も動こうとしない。その足は、まるで床に縫い付けられてしまったかのようだ。服部は大きなため息をつくと、彼の首根っこを掴むようにして、寝室へと引きずり込んだ。
「うわっ、ちょっ、心の準備が……!」
情けない悲鳴と共に、ヘンリーの視界にベッドの上の遺体が飛び込んでくる。彼は息を呑み、そして、何か奇妙な点に気がついた。
暖房が効いているはずの部屋が、妙に肌寒い。そして、締め切られているはずなのに、空気がやけに湿っている。さらに、もっと奇妙なことに寝室の窓はぐっしょりと濡れていた。
「うへぇ…やはり何度見ても、いい気分にはならないね…コレは…」
「……ヘンリー、さっさとお前の力で『結果』を見てくれ。何が起きた?」
「魔術ってものはむやみやたらに人に見せるもんじゃない。先ずは人払いをしてくれないかな?」
ヘンリーの言葉に、服部は馴鹿たちをリビングへと下がらせる。二人きりになった寝室で、ヘンリーはゆっくりと目を閉じた。
やがて、ゆっくりと目を開けた彼の瞳は、ただ目の前の現実を映しているのとは違う、どこか別の時空を見ているかのような、昏い輝きを宿していた。
この部屋に残る物証が…時間が巻き戻るかのように再生される。
――― 男が眠っている。――― その胸の中心に、何もない空間から、まるで内側から抉るように、一筋の線が走る。――― 次の瞬間、線が裂け、鮮血が噴き出した。――― 男は、声もなく崩れ落ちる。絶命。
リプレイを終えたヘンリーに、それを見ていた服部が感心したように声をかける。
「何回見ても凄まじいな。てめえの魔術ってやつは」
「さて、ちなみに服部クンは今のを見てどのような推理をするのかな?」
「そうだな…犯人が透明な刃を部屋の中に遠隔で生成してブスリと刺した!どうだ?」
得意げな服部に、ヘンリーは首を横に振り呆れたように口を開く。
「全く…キミは魔術を万能なモノだと勘違いしてるんじゃないかい?無から有を生み出す事はできないし、そのまた逆も然り。完全遠隔で人を殺害することなどもってのほかだよ…
ボクの再生も同じさ。再生できるのはその地に残る物証だけ。ここから持ち去られた証拠については再生できないし、それに凄い体力を使うんだからね、コレ…」
「じゃあ、なんだ。お前はなんかわかったのかよ」
「フッ…ボクの高祖父がいつも言っていてね。『全ての不可能を除外して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる』だってさ…
つまりはね、どんなに真実に見えるものであってもそれが確定していない限り語るべきではないということだよ」




