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 店をあとにしようとした矢先、ふと目にとまったのは梅の花がモチーフのガラス作りのかんざしだった。


「あらまあ。今お客さんがお召しのお着物も、梅の花の柄ですね。とてもよくお似合いですよ」

「そ、そうですか?」


 かんざしに見とれる紬に、愛想のいい店員さんがにこにこと声を掛けてくれる。断りを入れてそっと手に取ると、作品の繊細さが指先から伝わってきた。

 ころりと丸い梅花の可愛らしい姿に、思わず笑みがこぼれる。

 まだ肩のやや上を揺れるほどの自分の髪の長さでは、どう考えてもかんざしをさすには足りないけれど。


   ***


「紬さん。もういいの?」

「はい。ありがとうございました」


 結局一度感じた胸のときめきには敵わず、紬はかんざしを購入して店舗をあとにした。

 店舗前で佇んでいた紫苑に集まっていた若い女性たちからの視線が、自分の登場で残念そうに散っていく。

 紫苑と女性たち、双方の出会いを邪魔して申し訳ないと心の中で謝罪した。


「何か買ったんだね。いいものが見つかった?」

「はい。素敵な梅のかんざしがあったんです」

「いいですね。早速髪に挿すのかな」

「いえ、私の髪の長さじゃ無理ですから。今日の日の記念です。紫苑さんに親切にしてもらえたことと、この小樽の街を案内してもらえたことの思い出に」

「……なるほど。思い出か」


 僅かに紫苑の声色が低くなった気がしたが、どうやら気のせいだったらしい。見上げた先の彼は、変わらず美しい笑顔をたたえていた。


   ***


 その後も堺町商店街に建ち並ぶ店舗に目を惹かれては、紫苑さんの厚意で店内に入り、その魅力に浸ることを繰り返していた。


「いいですね。この通りを歩いているだけでもう、小樽の街が大好きになっちゃいます」

「そういってもらえると、俺も嬉しいな」


 本当に嬉しそうに告げる紫苑に、紬も心が温かくなるのを感じる。

 不思議な巡り合わせだ。この上ない不幸に見舞われたかと思えば、こんな素敵な人との出会いに繋がるなんて。


「あ、ここはもしかして、かの有名な『北一硝子』ですか?」


 ある建物を堺に、北一硝子と書かれたのぼりがあちこちに立っていることに気づく。

 いくつかの建物のあとに、一際大きく存在感のある石造りの建物が現れた。「北一硝子三号館」との記載から察するに、どうやら北一硝子の建物は複数存在するらしい。


「北一硝子の店舗はこの小樽にたくさんあってね。代表的なここ『三号館』は、三つの建物が中で繋がっていて、隣接する和のフロア、カントリーフロア、洋のフロアの建物で棲み分けされているんだ」

「隣の建物もですか。本当に大きな店舗なんですね」 

「実は、紬さんと来たいと思ってた大本命が、ここなんだ」


 そういう紫苑は、どこかいたずらっぽく笑う。些細な表情の変化がいちいち絵になる彼のあとを、紬はそそくさとついていった。

 一歩足を踏み入れた店内の空気に、はっと目を見張る。

 広いテーブルと壁を囲むように並ぶ、硝子工芸品の数々。天井から提げられた風鈴が仲良く風に泳ぎ、涼やかな音色を響かせている。そして目の前には美しくライトアップされたグラスたちが一斉に瞳に飛び込み、紬は言葉を詰まらせた。


 異国情緒漂う小樽の空気が、この店舗内にぎゅっと凝縮されている──そんな気がした。


「わ、わ。見てください紫苑さん。素敵なグラスがあります」

「『万華鏡グラス』だね。グラスの中に水を入れて上から覗くと、万華鏡みたいに底の模様が浮かんで見えるんだ」

「万華鏡! 私、万華鏡大好きです……!」


 見本として水を差した状態のグラスも展示されており、紬はしばらく上からその水面を眺めて楽しんでいた。そんな様子を静かに見守っていた紫苑とは別の、老夫婦の小さな笑い声が耳に届く。


「ふふ。可愛らしいカップルさんねえ」

「……へ?」

「着物で仲良くお出掛けかな。素敵なデートになるといいねえ」


 どうやら居合わせた老夫婦が、自分たちを恋仲と勘違いしてしまったらしい。

 夢中になっていた意識が醒め慌てて間違いを正そうとすると、すっと目の前に濃紺の着物が割って入った。


「はい。ありがとうございます」

「し、し、紫苑さんっ?」


 結局正す機会が与えられぬまま、朗らかな笑顔を浮かべた老夫婦は向こうの店舗へと行ってしまった。ああ、どうしたものか。


「紬さん、万華鏡グラスはもういいのかな?」

「え。あ。はい、そうですね」

「それじゃあ、二階の方も見てみようか」


 ……すごい。顔色一つ変わっていない。

 どうやら今繰り広げられた恋仲の振りは、彼とって歯牙にもかからぬやりとりだったらしい。

 イケメンさんはやはり、応対もイケメンだな。心の中で独りごちた紬は、そっと胸をなで下ろした。


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