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(21)

 中学の修学旅行で、紬は初めてこの小樽に訪れた。

 記憶がおぼろげだが、言われてみれば確かにこの山にも訪れたような気もする。


「はは。そう。あのときの紬さんは確かに、セーラー服姿だった」


 セーラー服、と断定されたことで紬はかあっと顔に熱が上る。どうやら本当に自分の学生時代を紫苑が知っているらしい。


「うわあ、何だかすごく恥ずかしい……」

「大丈夫。紬さんはただただ可愛かったよ。むしろ、恥ずかしい状態だったのは俺のほう」

「え? それってどういう……」


 紬が問いかけるように顔を上げる。紫苑はふわりと柔らかく笑ったあと、目の前に広がる小樽の街並みに視線を馳せた。


「さっきも言ったけれど、母は俺が二十の時に亡くなった。それが二十年前のことだ。それからすぐに一族の仕事に遠征派遣されるとの報が入った。行き先はここ、小樽の街。あやかし一掃の仕事ではないと聞いていたけれど……俺の判断が甘かった」

「あ」


 そうだ。さっき紫苑は、派遣されたのは輪廻香司の仕事だったと言っていた。


「母が亡くなれば、自動的に一族の香司権が直系の俺に移行する。まだ若い俺が四の五のいう前に輪廻香司として働かせ、後戻りできないようにという一族の思惑があったらしい」

「っ、そんなの、酷いです……!」

「うん。俺もそう思った。だから抵抗したよ。その結果……力を暴走させた。今日の俺みたいに」


 力を暴走させた紫苑は、帯同した他の輪廻香司一族を遥かにしのぐ力を見せつけた。

 この力は、実際に力を発動させなければ強さがわからないもので、一族には計算外のものだった。


「結果として、俺はこの街にこのまま駐在する名目を持って、一族から切り離された。こちらを一切干渉しない代わりに二度と内地の地を踏むことのないよう、橘一族総出の呪いを受けて」

「呪い、って」

「俺は、基本的にこの街からは出られない。辛うじて出られたとしても、北海道からは決して離れられない。これ以上橘家に歯向かわないようにするための、一番手の早い呪いだよ」


 母と住んだ街を離れ、見知らぬ街に縛られ、たった一人で?

 にこり、と笑顔を見せながら告げた紫苑が、酷く哀しい。その笑顔でどうにか過酷な運命を背負う自分を奮い立たせてきたのだと、今の紬には痛いほど伝わるから。


「この街に置いていかれた俺は、この場所でこれからどう生きていくか……いや、生きていくかどうかを考えていた。元自宅から送りつけられた荷物を横に積み上げて、何の思い入れもないこの街の夜景を眺めながら」


 何の思い入れもない。正直なそのもの言いに、紬の胸がぎゅっと締まる。


「そのときに、君が来た」

「え?」

「君が来たんだ。まるで何かに誘われるようにして、こんな道なき道をくぐり抜けてね」


 そこまで言われ、はっと記憶の琴線が震えるのを感じる。

 小樽の修学旅行では当然のように周囲から浮いていて、楽しい旅の思い出なんて作れなかった。

 ルートの筆頭に組み込まれていたこの天狗山でも、集団での居心地が悪くて適当に道を外れた。どうせ自分一人がいなくなっても気づかれることはないだろうと。

 そうだ、そのときに。


「香りに、呼ばれたんです」


 ぽつりとこぼれた言葉に、紫苑の目が小さく見開かれる。


「香り?」

「はい。不思議な香りがして、私、その香りの先を知りたくて。歩いてきた先で、小樽の街の夜景を望みました。空には星がこぼれ落ちそうなほど瞬いていて、それから……」


 それから、不思議な夢を見た。

 柔らかな微笑みを称えた女性と、目の前を駆けていくまだ年端もいかない少年の夢。

 二人のアルバムをめくっていくように情景が移ろい、少年は次第に青年へと変わっていく。それでも、側にいる女性の愛おしげな瞳は変わることはなかった。


 ──しおくん、しおくん。

 ──しおくんはどうか、紡ぐ香りに偽りの気持ちを乗せないで。


「『母さんはいつも、あなたのことを見守っているから』──と」

「っ……ごめん」

「え……」


 気づけば抱きかかえられていた紬の体は地面に下ろされ、月光に向かい紫苑がその背を向けていた。


 記憶から引き出された、今の台詞。

 当時も同じように浮かんだ情景から引き出され、紬の唇を持って紡がれたことを思い出す。


「紫苑さん」

「はは……まさかもう一度、その言葉を君の口から聞くなんて、思わなかった」

「紫苑さん」


 二度目の呼びかけに、紫苑はゆっくりとこちらを振り返る。その目もとは隠し切れていない涙が、今にもあふれ出しそうだった。


「その言葉は、母の……母さんの最期の言葉だよ」

「お母さんの……」

「その言葉を思い出せた。だから十二年前の俺は、一人で立ち上がることができた」


 頬を優しく伝っていく雫が、紫苑の少し硬い指先に掬われる。 


「ありがとう。十二年越しに、ようやく言えた」

「紫苑さん……」


 再び閉じ込められた腕の中に、紬はそっと瞼を落とす。

 次に目を開いたとき、上空には大流星を思わせる星達の舞いが降っていた。余りに唐突な夜空の瞬きに、紬はただただ目を剥く。


「すごい……流れ星が、こんなにたくさん……!」

天狗アマツキツネか……シュリの奴、余計な演出を」


 苦々しげに頭上でこぼれた紫苑の言葉にクスッと笑いつつ、眩しいほどの大流星を眺める。


「……ああ、そっか」


 十二年前に紫苑の元まで導いた不思議な香り。

 それは紬が人生で初めて聞いた、あの、星屑の香りだった。


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