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 間近に見る紫苑の微笑みは、すぐに木々の合間から見える星空に向けられた。遠い日の光景を眩しく見つめるように。


「橘家は代々、香の力を用いる能力に秀でていた。ただの香りだけではなく、望まれた光景をまるで現実のように見せるかのような、そんな香を生成する力を」


 それは、紬も何となく理解していた。あんなに具体的な光景を瞼の裏に見せる香りが、そう容易く作れるはずはない。


「古来からこの力は、位の高い者達に秘かに重宝されていてね。対価と引き換えに、橘家の香司は様々な香を作ってきた。そしてあるとき、持ち込まれた案件があったんだ」


 その香を用いて、この世にまだ入り浸るあやかしを一掃せよ──。


「あやかしを、一掃……?」

「江戸時代には特に、人々の生活に溶け込んで生まれたのがあやかしだ。それが近代では、人々の生活の全てが科学的に説明されるようになってきた。そのことから人々はあやかしを疎んじ始めたんだよ。科学を自在に操れるようになった自分たちには、そんなお伽話の妄想は不要だってね」


 しかし、不要と言われたところで、あやかしはすでにそこに「いる」。

 生まれこそ、彼らは確かに人たちの思念や暮らしに寄る存在だったかもしれない。しかし当時はすでに独立した行動理念、何より心を持っていた。


「そこで『淡路の橘家』は二つに対立し、分裂した。今まで通りに対価を受け取り依頼に忠実な香を作るべしとする討伐推進派閥と、在りし日から共存してきたあやかしを保護しようとする討伐否定派閥。母は後者だった。だから、推進派の意見が強かった本家を追放されたんだ」

「そんな……」

「でも悪いことばかりじゃなかったよ。流れ着いた神戸では本家の重苦しいしきたりからも解放されたし、母も随分と笑顔が増えた。きっとあの繊細な心に橘家の重圧は辛かったんだろうな」


 そんな母だからこそ、あやかしを蔑ろにする推進派閥にはどうしても賛同できなかったんだろう──そう告げた紫苑の横顔は、今まで見てきたどの表情よりも優しく穏やかだった。

 その表情だけでも、紫苑がいかに母親を愛し慕ってきたのかがわかる。


「推進派閥は、あやかし達に過去の日の香りを聞かせ始めた。人間とも幸せに生きていられた日々の光景の香りをね。そこで彼らの意識を捕らえ、過去の日に送り返すんだ」

「それは……今の時代から過去の時代に無理やり送ってしまう、ということですか」

「そう。彼らの尊厳を少しも考えようとしない、人間本意の強制措置だ」


 淡々と説明される事実は、想像以上に強大で冷徹なものだった。


「輪廻香司は、橘香司の推進派閥があやかし一掃のために動き出したことからついた、忌み名だよ」

「……だからお豆ちゃんも、あんな剣幕で紫苑さんを詰っていたんですね」

「当然の態度だ。自分たちが今まで育んできた歴史を全て無視されたまま、過去の日に追い返されるなんて間違っている。子どもでもすぐにわかることだよ」

「でも……紫苑さんは、その人達とは違いますよね」


 等間隔で進んでいた歩みがピタリととまった。

 抱き上げられた体勢から見上げれば、美しい瞳を微かに見開いた紫苑の顔がある。


「確かに紫苑さんも香を作ります。それこそ、あやかしや人たちを魅了する香を。でもそれを用いて、相手の尊厳を踏みにじることはしない」


 紫苑の瞳に、新しい光が輝くのが見えた。


「そう、かな」

「そうですよ。でなければ、あんなに慕って、時に力を貸してくれるあやかしのみんながいるはずがありません。子どもでもすぐにわかることですよ」

「……うん。そう。そうだね」


 何かを噛みしめるように頷いたあと、紫苑はその笑みを濃くした。


「ほんと、紬さんには敵わないな」

「え?」

「さあ。着いたよ」


 急に強く差した月明かりの眩しさに一瞬瞼を伏せる。

 木々が開けた小丘の上にたどり着いたらしい。目の前にはすっかり夜の街と化した小樽の風景が広がり、思わず目を奪われた。


「ここは、ハルがこの天狗山へ送り届けてくれるときにいつも下ろされる場所なんだ。紬さんがここへやられたときも、きっとここに下ろされたでしょう」

「そうですね。この光景、さっきも見たなあと思ってたんです」


 とはいえ、先ほどは紬が一人、もちろん地面に足をつけて眺めていた光景だ。それが今は、紫苑と二人、しかもその腕に抱きかかえられて眺めている。

 目の前に夜景がやけにきらきらと眩しく思えるのはきっと、気のせいじゃない。


「さっきだけ……かな」

「え?」

「もっと前にも、ここで、この夜景を見たことはない?」


 思いがけず投げかけられた問いに、紬は目を瞬かせた。


「もっと前にも、ですか?」

「うん。それこそ、十二年前の話」


 十二年前。そのフレーズはどこかで聞いたことがある、と紬は思った。

 十二年前といえば、紬が十四歳の頃。つまり中学二,三年生の時だろうか。その頃に小樽に来た記憶といえば、真っ先に思いつくのは──。


「……もしかして、修学旅行のときに?」


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