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「……何だか色々と突っ込みどころが満載だったけれど、わかりました」

「よおし。それなら私も、腹を括ります!」


「今って、そんな決闘に向かうみたいな空気だったっけ……」不思議そうに首を傾げる紫苑を気に留めず、紬は改めて歴史情緒溢れる風景を見回した。


 まず目に飛び込んでくるのは、横の庭園に鎮座した記念碑だ。「石狩挽歌記念碑」と記されたその石碑は、この場所が当時の小樽に繁栄をもたらしたニシン漁を偲ぶ名曲、「石狩挽歌」のゆかりの地であることを表している。


 続いては、右手に佇むお屋敷だ。

 瓦造りの三角屋根は北海道で見るのは希少なもので、一目見るだけで歴史を乗り越えてきた建物だとわかる。木造二階建てで、裏手には滝のある池もあるらしい。


 旧青山邸のさらに奥に視線を向けると、こちらもまた大きく華やかな建物が佇んでいる。貴賓館だ。

 外から見たところ四階はある大きな建物だ。堂々たる面差しで来る客を迎え入れながら、この施設全体を悠然と見守っているかのようだった。

 そしてなにより、甘やかで微かに青い花たちの香りが、先ほどからふわりと鼻腔をくすぐっている。


「いい香りだ。この香りは芍薬かな。まだ蕾の、全盛期を後に控えた香りだね」

「はい」


 牡丹・芍薬まつり──その名称の通り、敷地内へ踏み出すとすぐに、左手の中庭からは鮮やかな色彩の花が出迎えてくれた。


 赤、ピンク、白。各々の色を大ぶりの花弁で彩った花と、その大輪を凜と支えている茎。このように立派に地に植わった姿は初めてで、その滲み出る生命力に思わず目を見張ってしまう。


「一輪一輪に、もの凄い生命力の強さを感じますね。この花は牡丹……でしょうか」

「手前に植わっているのは牡丹だね。向こうの奥に並んでいるのが芍薬だよ」

「ほ、本当にそっくりな花ですね……!」


 改めて目の前にしてみると、二つの花の違いはほとんどないように思われる。それを瞬時に判別できる紫苑はやはりただ者ではない、と改めて実感した。


「ぱっと見は変わりないように思うけれど、実は結構違う箇所はあるんだよ。一番特徴的なのは葉っぱかな。牡丹の葉は大きく広がったつやの少ない、先がギザギザの葉っぱ。対して芍薬の葉は丸みを帯びたつやのある葉っぱだね」

「わ。本当ですね……!」


 確かに、葉に注視してみるとはっきりと違いが見えてくる。小さく唸りながら辺りを見回す紬に、紫苑がくすりと小さく笑った。


「あとは、蕾の形や花の散り方、開花時期にもそれぞれ違いがあるね。牡丹は一般的に晩春に、芍薬は初夏に咲く。最も北の地のここは開花時期が重なることも多いみたいだね」

「大変よくご存じですね、お客さま」


 品のいい声色に振り返ると、和装をまとった男性が佇んでいた。

 紺と灰色の落ち着いた着物をまとい、髪にはいくらか白髪が見てとれる。身長は紫苑より随分と下がるが背すじはぴんと真っ直ぐ伸ばされ、穏やかな笑顔でこちらを見つめていた。

 胸元にネームプレートがある彼は、どうやらここの職員らしい。


「今年は例年より気温の上がりが遅かったこともありまして、今ちょうど、牡丹と芍薬が揃って見頃を迎えております」

「それは運が良かったです。ここには是非一度訪れた方がいいと、篠崎さんの娘さんから太鼓判を頂きまして」

「篠崎様……あのご夫妻とお知り合いの方でしたか」


 職員の男性の声に、僅かに熱が籠もるのがわかった。その反応を見越してか、紬が答えるよりも早く紫苑が口を開いた。


「いえ。ご夫妻のことは縁あって存じておりますが、残念ながら直接言葉を交わしたことはありません。ただ娘さんから、ここがご夫妻が毎年決まって訪れていた、思い出の場所だったのだと伺ったものですから」

「ええ、ええ。その通りでございます。篠崎様ご夫妻にはこの場所を心から好いて頂いて、大変お世話になりました。それが風の噂で不幸があったと聞き……大変残念なことです」


 苦しげに言葉を漏らす男性に、紬もまた心がぎゅっと苦しくなる。ここの職員の方にも純粋に慕われるほど、篠崎夫妻の人柄は温かなものだったのだろう。


「実は私たち、是非ご夫妻がいつも感じていたこの施設を追体験したいと訪れたんです。パンフレットによると、ここは有料の見学ガイドをして頂けるんですよね。宜しければ是非、そのガイドをお願いしたいのですが」

「ええ、ええ! それはもう喜んでご案内差し上げますよ」


 嬉しそうに頷いた男性の微笑みに、紬は胸がきゅっと切なくなった。


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