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 一ヶ月ほど前に耳にした、「淡路の橘家」「輪廻香司」という聞き慣れない言葉。

 それらのことが気になりつつも、結局その単語を会話に出せないまま、一ヶ月が過ぎていた。


「きっと私には、知らなくてもいい事情なんですよね」


 寂しさが滲まないように留意しつつ、紬がそっと空を見上げた。そんな様子に何か思うところがあったのか、お豆がぴょんと紬の膝に乗り移る。


「そんな気になるなら、俺が知ってることを教えてやるのダ!」

「ううん、いいの。紫苑さんの個人的な事情を、紫苑さんの知らない場所で聞くのはマナー違反だからね」

「アンタは本当、几帳面だわねえ」

「それは浪子さんのほうですよ。現に迷子のお豆ちゃんのこともこうやって、親切に世話を焼いてくれてるんですから」

「うっさいわねっ」


 どうやらこういった方面では褒められ慣れていないらしい。照れ隠しに眉をつり上げた浪子にくすくすと笑みを漏らしながら、「あ、そうだ」ともう一つの尋ね事を思い出す。


「もうひとつ、二人に聞きたいことがあったんです。実は昨日、うちの香堂に猫又のお客さまがいらっしゃったんですが」

「猫又?」


 簡単に依頼内容を説明すると、お豆が「もしかしてそれって、花園の老夫婦の話か?」と身を乗り出した。


「俺、普段は小豆爺の棲み家で一緒に生活してるけど、その家は割と近所だから何となくわかるのダ。確か半年くらい前にじいさんが亡くなって、最近まで家に一人で住んでたばあさんも亡くなったって」

「そうなんだ。あ。その家、猫を飼っていたらしいんだけどそのことは?」

「俺もここに来たばかりだし、ペットのことまではよくわからないのダ。気が向いたら辺りの仲間に聞いておくのダ」

「ありがとう! 助かるよ」


 紬が礼を告げると、お豆はへへんと得意げに鼻を鳴らした。愛嬌たっぷりの仕草を微笑ましく思っていると、隣に座る浪子がうーんと何やら唸っていることに気づく。


「浪子さん? 何か気になることがあるんですか?」

「私の記憶違いならいいけれど。その依頼人の猫又は、『牡丹の花の香りを作ってほしい』って言ったのよね?」

「はい。その通りです」


「牡丹の花って……確か香りがほとんどないんじゃなかったかしら」


 首を捻りながら口にした浪子の言葉に、紬はしばらく呆気に取られていた。


   ***


「確かに牡丹の花は、香りのほとんど感じないものが多いね」


 血相を変えて帰宅した紬に対し、カウンターで店番をしていた紫苑はあっけらかんと答えた。


「でも、数は少ないけれど品種によっては強く香るものもあるよ。それでも、やっぱり芍薬しゃくやくの香りほどではない、というのが一般的な認識かな」


 唐突に出た芍薬という花の名。真っ先に思い浮かぶのは『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』という美人を形容する言葉だ。


「すみません。私、恥ずかしながら芍薬がどんな花かよく知らなくて……」

「芍薬は牡丹と同じボタン科で、見た目もよく似ている花だよ。別名ピオニーともいって、甘いバラのような香りがするんだ」

「バラのような香りですか。いいですね」


 聞けば途端に、記憶の中の高貴で甘やかな香りが鼻孔をくすぐる心地がする。

 女性なら一度は憧れる香りだろう。かのクレオパトラが好んだ花とも伝えられるバラ。その香りと似た香りと聞けば、やはり興味が惹かれてしまう。


「なあにうっとりしてんだ新人。今回問題になってるのは、芍薬じゃなくて牡丹だろ牡丹」

「ハル先輩っ」


 店奥の扉から、ため息交じりのハルが姿を見せた。外見の幼さに反して、口から飛び出る新人への突っ込みは相変わらず鋭い。

 ところが、今日のハルの視線は世話の焼ける新人のあと、すぐに紫苑へと向けられた。


「なあ紫苑。本当に引き受けるのかよ。昨日の猫又野郎の案件」

「少なくとも俺は、全っ然乗り気になれねーけど?」そう告げるハルからは、表情だけでも如実に不本意の旨が見てとれる。


 どうやらハルと猫又との間には、容易ならぬ溝があるらしい。依頼なんて誰が受けるか、関わり合いも持ちたくない、何なら顔も見たくない。ある意味清々しいほどの嫌悪を見せるハルに対し、紫苑はあっさり「もちろん、引き受けるよ」と答えた。


「この街でお困りの存在を助けるのが、この香堂の存在意義だからね」

「あいつ、お前の素性を知ってたぜ」


 その言葉は急に大人びた声色に聞こえ、紬はピクッと肩が震える。

 しかし、紬が次の反応をするよりも早く、紫苑はいつもの微笑みを浮かべた。


「わかってるよ。というより、あやかし達で知らない者の方が少ないだろう。いつものことだ」


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