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「人間なんて、信頼できないのダ。今さら何を言われたって、もう、何も……っ」

「っ……」


 苦しい。哀しい。紬に届くお豆の妖気が、どうしようもなく滲む感情の波を伝えてくれる。


 自分なら信じてくれて大丈夫、なんて言葉は何の慰めにもならない。

 お豆はすでに幾度となく、その約束を反故にされてきたのだろう。人間への失望とともに、海を渡って、悲しみを胸に膨らませてきたのだ。

 自分の非力さを思い知り、紬は膝の上で痛いくらいに拳を握った。「それに」


「俺、知ってるぞ。お前はあの、淡路の橘家の者だろう。そのむかつくすまし面、触書で一度見たことがあるのダ」

「……」

「え?」


 淡路の橘家。

 初めて耳にしたその言い回しに、紬は目を見開く。


「淡路の橘家。確かに触書の通りだったな。どうせ俺のことも、すぐに始末するつもりなんダろ?」

「な、何を言っているの? 紫苑さんが、そんなことをするわけがっ」

「じゃあ女。お前はこいつの一族が、代々継いでいる忌み嫌われた職名を知っているか?」


 紫苑を見上げるお豆の瞳は、あざ笑うように残酷なものだった。


「淡路の橘家は『輪廻香司(りんねこうし)』。現代に生きるに相応しくなくなったあやかしを懐かしの過去の香りで惑わし、この世から消し去る。要は厄介払いされるのダ。この時代に要らない俺たちあやかしは!」


 懐かしの、過去の香り。


 紬の脳裏に、浪子と出逢ったときに放たれていた香りの記憶が過る。あの香りを、紫苑はある人がかつての『棲み処』を再現して作ったものだと言っていた。ある人が浪子をさすことは、会話の流れですぐにわかる。

 つまり、お豆の言うことは全くのでたらめではなく──。


「いかにも。俺の一家は代々『輪廻香司』の職を継ぐ、悪名高い橘家だよ」

「っ、紫苑さん……!?」


 挑発的な視線を真っ直ぐ向かい受け、紫苑は笑った。

 しかしそれはいつもの柔らかなものではなく、底冷えするように冷たいものだった。

 まるで、いくつもの感情を氷のように止めているように。そんな紫苑の面差しに、お豆も一瞬怯むのがわかる。


「俺の世話になりたくないというのならば、それもいい。俺は金輪際、君にはもう一生近づかないと約束しよう」

「は……?」

「ただし小豆爺さんに心配をかけるのは止めておいたほうがいい。今度同じ事をしでかしたら、それこそ事は小樽の街だけでは済まなくなる」

「紫苑さん、それはどういう……?」

「お豆! お豆が見つかったというのは本当ですか!」


 ぱあん、ともの凄い勢いでふすまが開くと、小豆爺さんが肩をゼイゼイと上下させながら目を剥いていた。

 必死の形相に紬もお豆も固まるなか、無言で室内に入り込んだ小豆爺さんが真っ直ぐお豆のもとへ向かう。


「お豆」

「じ、じいさん」

「このっ、ばっかもんが! うつけ者が! 小童めが! 力を過信して他人様に迷惑をかけるなと、あれほど言い含めただろうがー!!」


 ビリビリと屋敷が揺れる。

 真っ赤に沸騰させた顔色。つり上がった眉。欠陥の浮き出た大きな目玉。初対面での穏やかさからは考えもつかない小豆爺さんの鬼のような形相に、お豆はもちろん紬もビクッと肩を揺らした。


 そして紬は思う。あれ、この構図はもしや、先ほどの自分とハル先輩のようだ、と。


「だってだって! 爺さんが俺の話をろくに聞こうとしないで、輪廻香司のもとに俺を連れて行くなんて言うからっ」

「話をろくに気かなんだのはお前のほうだ、このたわけ! 言ったであろう! この方は我らが忌み恐れるような方ではないと!」

「でもでも!」

「でもでも、じゃない! そこに直れ!」

「おーおー。人が茶あ淹れてきてる間に、何だか面白いことになってんじゃねーか」

「ハル先輩っ、これのどこが面白いんですか!」


 盆に茶を用意してきたワクワク顔のハルも加わり、現場は最早収拾がつかなくなっている。


 ひとまず年長者の小豆爺さんの命でしぶしぶお豆が正座し、周りのものもそれに倣う。昂ぶった感情を抑えるためか、小豆爺さんはふうーっと長く湯気のような鼻息を吐いた。

 まるで茹で小豆のようだ、と紬は思った。


「繰り返すが、この方は我々の脅威になる御方ではない。この地のあやかしに寄り添い語らい守ってくださる、有り難い存在だ」

「そんなの、簡単には信じられないのダ!」

「ではお豆よ。お前は今どうして五体満足でいられると思う」


 静かに投げかけられた問いかけに、お豆は目を瞬かせる。


「もしもそこの紫苑どのの真意があやかしの抹消ならば、お前を捕らえた時点でお前は跡形もなくなっていたであろう。お前がここでこうして五月蠅く騒いでいるのが、紫苑どのが我々の味方である何よりの証し」

「そ、そんなのきっと、この女の目があって無闇に俺に手を出さなかっただけなのダっ」

「違うよ! 私も、ついさっきまで君と同じで気を失っていたの。私が目覚めるまで、随分と時間があったはずだよ」


 とっさに口を挟む。事情がうまく飲み込めていないまでも、真実その通りなのだ。紬の即座の否定に、お豆はぐっと口を噤む。「それにだ」


「お主はそもそも、妖力を切らして消滅寸前だったはず。それがこの布団に寝かされただけで、今のように妖気が回復していると思うか?」


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