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「ごごご、ごめんなさいーっ!」

「ごめんで済んだら妖怪はいらねえんだよ!」


 バックに鋭い稲妻が見える。スネコスリではない。まさに鬼だ。

 しかし、鬼に変化させた要因は全て紬にある。それを知っていたので、紬はその後も続くハルの説教に大人しく耳を傾けていた。


 話によればあの電話のあと、紫苑と紬はタクシーを捕まえて旧安田銀行小樽支店前に乗り付けたらしい。直後、裏の建物から女性の助けを求める声が聞こえ、床にへばった紬を発見したのだと。


「お前、ちゃんとあの助けてくれたおばさんにお礼を言いに行けよ。お前が急に倒れ込んで、めちゃくちゃ心配してたんだからな」

「はい。それはもう、もちろん」

「……茶、淹れてくる」


 ぶすくれながら呟き、ハルが部屋を退室した。

 先ほどまでのハルの怒りは、それこそ心配する気持ちの裏返しだと今ならわかる。だからこそ申し訳なさを抱える反面、どこかじんわり温かな喜びも感じていた。ハルが聞いたらまた怒り出しそうだ。


 紬は今、布団に寝かされている。

 再び視線を天井に向けたあと、両手の指を交差させてぐぐっと伸びをする。噛みしめるような息を吐いたあと、紬は考え深げに瞼を閉ざした。


「よかった……本当に」


 迷子の小豆洗い──お豆は、あの建物の隅で寝息を立てていた。


 恐らく体力を温存するためもあったのだろう。胸に抱いた体は想像以上に軽く、触れ合っても感じる妖気は酷く弱々しかった。


 そして驚きなのが、紬があの場に行き着いたのは全くの偶然だったということだ。

 紬自身はてっきり、旧安田銀行小樽支店にお豆がいるものだと思い込んでいたのだが。


「まさか、お隣の民間会社の建物に潜んでいたなんてなあ」

「そうだね。俺も、市役所で聞いたときは驚いたよ」

「紫苑さん!」


 すっとふすまが開かれ、紫苑が姿を見せる。相変わらず足音のひとつもさせない、優美な動作だ。


「顔色もだいぶ良くなったね。安心したよ」

「あの、お豆ちゃんの具合は……?」

「あの子は隣の部屋に同じように眠っているよ。小豆爺さんにも連絡をいれたから、もうじきいらっしゃるんじゃないかな」

「そうですか……よかった」

「そうかな」


 普段の会話と全く同じトーンだった。それでも、その言葉と笑顔の裏に見える燃えるような影に、気づかないわけにはいかなかった。


「よかった、というわけじゃないかもしれないね。現に紬さんはこうして床についているし、足まで負傷してしまってる」

「あ、は、はい」

「市役所からタクシーを飛ばせば、そう時間もかからず俺たちも現場に来るとは思えなかった? 徒歩でのんびりやってくるとでも? 俺たちは、そんなに信用されていないのかな」

「そんなことはっ、絶対にありません!!」


 紫苑の畳みかけるような言葉は紬を窘めるための枕詞だと、紬もわかっていた。

 それでもつい、感情のままに声を上げてしまう。


 勢いで上体をガバリと持ち上げたが、血の巡りが間に合わず小さく目眩がする。気づけば伸ばされた紫苑の手が、紬の体を優しく支えていた。

 見上げた先には、相変わらず美しい中性的な面差しがある。肩に置かれた紫苑の手に、紬はそっと自らの手を乗せた。


「私、紫苑さんのことは、心から信じています。匿ったところで何も利点のない私を家に置いてもらって、仕事まで与えてもらって……いくら感謝しても足りないくらいです」

「紬さん」

「今日のことは完全に私の責任です。早くお豆ちゃんを見つけ出したいと焦って、結果一人で空回りしてしまいました。ご迷惑をお掛けして、本当にすみませんでした」

「……紬」


 静かに届いた自分の名に、どきんと心臓が高鳴る。

 驚き目を剥いた紬を、紫苑は苦笑に似た表情で出迎えた。


「紬。いい名前だね」

「は、はあ」

「たくさんの糸を紡ぎ合わせるように人の心を慮る……優しい君にぴったりだと思う」


 注がれる熱を帯びた視線に、呼吸を忘れそうになる。

 紬の両肩には、いまだに紫苑の手のひらが置かれていた。その手にほんの僅かに力が加わり、紬と紫苑の距離は徐々になくなっていく。

 額同士がそっと触れ合った瞬間、紬の頬がぼっと火がつくように熱をもった。


「し、し、紫苑さん……っ?」

「紬さん。俺は君のことを迷惑なんて思ったことは一度もない」

「え……」

「信じられない?」


 見透かしたように微笑む紫苑に、紬は困惑する。

 そんなことが果たしてあるのだろうか。今回のことだけを踏まえても、厄介の元凶にしかなっていないというのに。


「俺が今怒っているのは、君が自分自身を大切にしないからだ。俺が大切に思っている、君のことを」

「大切?」

「そうだよ」


 当然のように言いきる紫苑に、紬は目を瞬かせる。「どうして」


「どうして紫苑さんは、そこまで私に気をかけてくれるんですか」

「……どうしてだろう。不思議だよね」


 眉を下げて笑う紫苑は、そっと紬から離れていく。

 胸をなで下ろした紬は気づかれないようにほうっと息を吐いた。あんな至近距離でのコミュニケーションが続けば、再びこの布団に横たわることになってしまう。

 今だって、こんなに胸がどきどきと五月蠅い。ついさっき、小樽の街中を全速力で走った時と同じくらいに。


「紬さんはいつも一生懸命で素直で。そんな人柄もそうだけれど、最初のきっかけは……ああ、そうだ」

「へっ」

「紬さんからね。すごくいい匂いがしたんだ」


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