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(15)

 徒歩で日本銀行旧小樽支店のエリアへと戻った紬は、小さく弾んだ呼吸をそっと整える。


「まだ紫苑さんからの連絡はない、よね」


 慣れないアプリの通知を待ちわびながら辺りを見回すも、当然迷子の小豆洗いの姿があるはずもない。先ほど紬たちに語りかけたシマフクロウの彫刻も、今はぴくりとも動かない。どうやらようやく寝入ることができたようだ。


 このまま黙って突っ立っていても仕方ない。

 少し考えたあと、迷子の小豆洗いが駆けていった方向へ実際に歩き出すことにした。

 日本銀行旧小樽支店に背を向け、小樽バインの建物の横を抜けていく。こちらは建物の裏手だが、改めて見るとこの建物もかなり幅の広い建物だとわかる。

 明治創業の趣のある旅館、小料理屋やレストランなどの前を進んでいくと、再び交差点があらわれた。


「この交差点も、お豆ちゃんは真っ直ぐ進んだのかな?」


 帯に揺れる匂い袋を、そっと手に取る。

 紫苑お手製の、小豆洗いに反応する香を詰めたもの。辺りに意識をやりながら確かめるように袋を揺らすものの、その香りはほとんど感じることはできなかった。

 この辺りには居ないのだろうか。となると、ここからもう少し離れた場所まで?


「心細い、だろうな」


 ぽつりと零した独り言とともに、眉間に力が籠められる。

 自分が一人、小樽の地に足を踏み入れたときもそうだった。紬は本当に幸いなことに、紫苑とハルの家に厄介になることになった。対して迷子の小豆洗いは、いったいどうしているだろう。

 紬のような良縁に巡り会えたのならばそれでいい。それでも、棲み家らしい場所に出逢うこともできなかったら。万が一、悪い存在に捕まって恐ろしい目に遭っていたとしたら──。


「っ……いけない。駄目だ駄目だ!」


 ぱちん、と両頬を打ち、自分を叱咤する。

 今はそんな方向に想像力を働かせている場合ではない。考えるのならもっと有意義なことを考えろ。


 ここから先、お豆はいったいどこへ行ったと予想できる?


「う、わっ!」


 そのときだった。運河の方向からまるで舞い上がるような風が吹き抜け、紬は思わず双眼を閉じた。

 瞬間──ぽすんと柔らかな感触が紬の眉間に触れる。

 まとった着物は寸前で押さえつけたため、大きく乱れることなく突風を見送ることができた。身なりを確認したあと、紬はすぐに今の感触の正体を知ることができた。

 帯に付けた匂い袋。これが風に舞い上がって、紬の眉間にバウンドしたのだ。


「驚いた。すごく強い風だった、な……?」


「あれ?」語る相手もないまま、紬ははっきりと独り言を口にした。


 それは、今日の探索を始めてからずっと引っかかっていた、小さな小さな違和感。あれはいつのことだったろう。


「私……この匂い袋の香り、どこかでもっと強く聞いた。よね……?」


 それこそ、今のような風に舞われて匂い袋が揺れ動かされたときだった。あのときは風に吹かれて香りが漏れ出たのだと思い、紬は特に気に留めずにいた。

 しかし、今の風で匂い袋は紬の鼻に触れるほど舞い上げられたというのに、香りはほとんど香ってこなかった。


「落ち着いて。落ち着いて、思い出して……」


 額から鼻筋にかけて、紬の右手が静かに押しつけられた。

 吐息を意識的に深くし、今日自宅から三人で出たときからの記憶を再生させていく。

 ひとり道端に佇んでいた紬だったが、しばらくすると額に触れていた手がぱっと離された。開かれた瞳は、全ての光が詰め込まれたようにきらきらと眩しい。


 スマホが振動した。

 きらきらした瞳をぱちくりさせながら、紬は放心状態でスマホを操作する。着信だった。


「紬さん? 紫苑だよ。今役所の人に調べてもらってわかったんだけど、どうやらそれらしい建物が一軒」

「紫苑さんっ、私、わかりました!」

「……へ?」


 きょとんと短い言葉を零す紫苑に、紬は興奮収まらぬまま言葉を続けた。


「出掛けてすぐだったんです! 私たち、迷子の小豆洗いをうっかり見落としていたんです!」

「あ、え、うん。まあそうだね。ひとまず紬さん、落ち着いて俺の話を」

「大丈夫です! もう目と鼻の先なので! 見つけ次第、すぐに保護しますから……!」

「つむ」


 ぎ、と言い終わるのを待たずして、紬は道を真っ直ぐ駆け出した。


 着物の裾が乱れている気もするが、大した問題ではない。あやかし一人の命が懸かっているのだ。

 今来た通りをさらに真っ直ぐ突っ切っていくと、急に開けた通りが見えてくる。小樽駅前方小樽運河を真っ直ぐに結ぶ坂道、中央通りだ。

 そのまま勢いに乗って横断したい衝動を何とか抑えつけ、紬は一度右折すると運河のある坂の下り方向へと向かった。バス停を過ぎ、雑貨屋ゆず工房の前で青信号を確かめて、中央通りを横断していく。


 この時点ですでに、紬の呼吸は擦り切れるように上がっていた。でもいい。ようやっと、目的の場所に辿り着けたのだから。

 はあ、はあと大きく酸素を集めようとする体にムチを打って、紬はぐっとその荘厳な建物を見据えた。


 今日、最初に訪れた旧銀行建築──旧安田銀行小樽支店の面差しを。


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