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「いえ、ちょっと確認したいことが」


 妙見川は一度流れを地下の水路に移し、日本銀行旧小樽支店にほど近い通りで於古発川として再び水流を見せる。

 その地点で、水辺から銀行の多く建ち並ぶ日銀通りへ駆ける方向を変えたとすれば、この通りを駆けていったというシマフクロウの証言も説明がつく。


 だとすれば、やはり旧銀行建築に少なからず惹かれたのは、やはり間違ってはいないのかもしれない──。


「紫苑さん」

「うん?」

「紫苑さんは……ここから中央通り側に建つ旧銀行建築を、他にご存じありませんか」


 恥を忍んで紫苑に尋ねる。

 持論に縋り付くようでみっともないが、ほんの僅かでも可能性があるのならそれに懸けてみたかった。もしかしたら、自分が昨夜調べたなかで見逃していた旧銀行建築があるのかもしれないと。


 何にせよ、迷子の小豆洗いの体力はもうあと僅かなのだ。


   ***


「旧銀行建物についてのご質問でございますね。こちらの番号札を取って頂いて、しばらくお待ち頂けますか」


 笑顔で液晶画面まで案内され、紬は出てきたレシート番号を確認した。


「七十四番です。待ち時間は……十五分程度といったところでしょうか」

「まあ、焦っても仕方ないからね。ひとまず椅子に座っていよう」


 優しい言葉に促され、紬は素直に紫苑の隣に腰を下ろした。


 小樽バインの昼食後、三人が向かった先はこの街の中枢を担う建物・小樽市役所だった。

 何を隠そう、この小樽市庁舎もまた、歴史的建造物に指定されている。


 正面から建物を見据えると目を惹く六本の柱は、その上部に花や葉を思わせる装飾が施されている。外壁はタイル張り、出入り口を包むように立派な車寄せと建物下部は白の花崗岩積みになっていて、重厚な威厳を感じさせた。

 内部に入ると、大きな三枚のステンドグラスが目に飛び込んでくる。一ヶ月前、紬が初めてここへ住所変更等の手続きに赴いたときは、その美しさに思わず足を止めてしまった。


 しかしながら、今回は建物が語る歴史の深さに心を傾ける余裕はない。なにせ頼みの綱はもう、この役所での情報収集しかないのだから。


「紬さん。手」

「えっ」

「手が。握りすぎて、白くなってるよ」

「あ……す、すみません」

「ううん」


 和装の男女と子どもが並ぶ姿は、待合席では相当に浮いていた。しかし紫苑やハルはすでに慣れっこといった風で、周りの好奇の視線などまるで目に見えていない様子だ。


 羨ましいな、と紬は思う。

 自分にも、そんなふうに感じることと感じないことをうまく使い分ける術があればよかった。そうすればきっと、いつまでも終わったことをグズグズ引きずることもないし、まだ始まっていないことでオロオロ案じることもないのだろう。

 感じやすい分、物事の些細なことまで目についてしまうのが紬の性分だった。

 そのため、相手の気持ちを必要以上に慮っては共感しすぎてしまう。当の本人よりも感情の波にのまれて体調を崩すことも、決して珍しいことではなかった。

 今だって、気づけばまた拳を白くなるまで握りしめている。落ち着けと吐き出した吐息は、情けなく途切れ途切れに震えていた。


「……すみません、紫苑さん」

「うん?」

「私、一足早く市街地のほうに戻ります」


 目を丸くした紫苑の口を塞ぐように、紬は「すみませんっ」と再度の謝罪を告げた。


「どうしても、居てもたってもいられないんです。それに私が外で待機していたほうが、すぐに迷子の小豆洗いを助けに向かうことができますよね?」


 言い募りながら、紬は鞄を抱え出入り口の方向へ向かいかけていた。それなら自分が、と紫苑に告げられることを拒むように。

 今の紬には、この待合席でじっと待っていることすら耐えがたかったのだ。


「あとのことはお願いします。私はとりあえず、日本銀行のほうへ戻りますから──」

「待って、紬さん!」


 意外にも声を張られ、紬はびくりと肩をふるわせた。

 恐る恐る後ろを振り返ると、いつの間にか自分の手首を捉えている紫苑の姿があった。その表情は怒っているようにも呆れているようにも見えて、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。


「まったく……君は本当に、途端に周りが見えなくなるな」

「っ、紫苑さん、でもっ」

「俺たち、まだ連絡先の交換をしてなかったよね?」

「…………あ」


 告げられた言葉の意味を咀嚼し終え、紬はぼっと頬を赤く染めた。

 同じ屋根の下で過ごしていたからか、確かに紬と紫苑は連絡先の交換をしていなかった。これじゃあ紫苑たちが情報を仕入れたとしても、紬に伝達する方法がないではないか。


「す、すみません! 私ってば本当にっ」

「くくっ、とりあえず、トークアプリで交換しとこっか。いざとなれば通話もできるしね」

「えっと、この連絡先の交換はどうやってやるんでしょう?」


 もとより日々のスマホの通知がほとんどない紬に、紫苑は慣れた様子で連絡先の交換をレクチャーしていった。

 互いのアプリに互いの名前が表示されたのを確認する。それは恐れ多い一方で、妙にくすぐったい光景だった。


「それじゃあ、女の子を足に使ってしまって申し訳ないけれど、お願いするね」

「はいっ、紫苑さんとハル先輩も、どうぞよろしくお願いします……!」


 待合室で繰り広げられた若い和装二人の妙なやりとりに、周囲の市民は無言のまま視線を向けていた。しかし幸か不幸か、その視線につゆほども気づかないまま、紬は力強く館内をあとにする。


「……待合室ではお静かに願いまーす」


 一部始終の観客の一人となっていたハルは、ジト目のままぽつりと皮肉を呟いた。


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