(10)
「そうそう。それにハルは嬉しかったんだよね。自分のことを視認してくれる、俺以外の人間と出会うことができて」
「紫苑、てめえはっ!」
「ハル先輩……」
身長では到底敵わない紫苑に、それでも我慢ならないといったふうにハルが腕を振るう。その光景が余計に、紬の震え上がる感動に拍車をかけた。
ハルの赤らんだ頬が異様に可愛らしく、今すぐ抱き上げて頬ずりしたくなる。
酷く怒られるだろうから、絶対にやらないが。
***
小樽駅の目の前を真っ直ぐのびる中央通り。その通りの向かって左側を下るとすぐに一際重厚な建物が見えてくる。
「あ、もう着いたね。かつての小樽の繁栄を象徴する建物の一つが」
「はい。旧安田銀行小樽支店ですね」
旧安田銀行小樽支店は、歴史的建造物の一つだ。
建物を見てまず目を惹くのが重厚で力強い四つの円柱だ。装飾や下支えする柱礎部分のないシンプルな円柱で、それがかえって実寸以上の大きさを感じさせる。
柱間はすべて同一の距離がとられ、上部にはアーチ窓を、下部には扉と四角窓を備えていた。壁も非常に凝った造りになっており、建物下部、中間部、上部でそれぞれ三種の石積みで構成されている。
石積みの表現、大きな円柱、ブロック状の佇まい──それらは全て典型的な銀行建築だとされている。
歩道に植わる瑞々しい木々とのコントラストが、建物の越えてきた歴史をより色濃く滲ませていた。
「格好いい……。まさに銀行らしい、堂々とした風格の建物ですね」
「最近までは和食レストランとして使用されていたみたいだね。内部は吹き抜けで、二階上は回廊になっているんだよ。銀行時代の名残で、大昔使われた大きな金庫が化粧室として使われていたとか」
「そうなんですね! 金庫の中の化粧室かあ、何だかわくわくしてしまいます」
「へええ。なあなあ、せっかくだしちょっと入ってみようぜ!」
瞳をきらきら輝かせたハルがぴょんぴょんと跳ねる。くすりと笑みを零す紬に、紫苑も柔らかく微笑んだ。
「そうだね。化粧室まで見られるかは怪しいけれど、少し入るくらいなら」
そう言うと紫苑は懐から何かを取りだし、そっと紬に差し出す。
「紫苑さん? これは」
「匂い袋だよ。着物の帯に差し込んで、こんな感じで付けることができるんだ」
言いながら紫苑は、もうひとつの匂い袋の留め具部分を自分の帯に差し込む。
ゆらゆらと揺れる匂い袋には花をあしらわれた装飾のリボンが添えられていて、縁側の風鈴のようだった。紬に差し出された匂い袋は、紫苑のものと色違いに作られている。
「昨日持ち歩いた香炉の香りと、同じ香りを中に詰めたものでね。香炉の練り香と比べれば香りの強さは多少劣るけれど、ここと思えた場所へ丁寧に意識を飛ばせば十分に反応するはずだ。今日は全員でこれを持ち歩いて、手がかりを探そう」
「はい、わかりました」
紫苑と倣い帯部分に匂い袋をセットする。
迷子の小豆洗いの手がかりを探るべく、三人は歴史の空気が漂う旧安田銀行小樽支店へと足を向けた。
紫苑とハルの後に続き中に入ろうとしたとき、ふと建物の裏から抱きしめるような風に舞い上げる。
一瞬ふうわりと紬を包み込んだのは、なるほど昨日も聞いた、小豆洗いの故郷を詰め込んだ優しい香りだった。
旧安田銀行小樽支店をあとにした紬たちは、次の旧銀行建築に向かった。
中央通りを挟んで向こう側、可愛らしいゆずをモチーフにした雑貨が集まる「ゆず工房」の裏手にある、旧第四十七銀行小樽支店だ。
現在立ち入ることができないため建物の周辺で意識を集中させるが、あやかしを思わせる気配は感じられなかった。
「紫苑さん。この建物なんですが、さっき見てきた旧安田銀行小樽支店とどこか造りが似ているような気がしませんか」
「うん。四本の柱が並んでいる、ブロック状の建物というところは同じ構造だね」
「そうですよね……? それなのに、何だか随分と建物の印象が違う気がして」
眉を寄せしきりに首を傾げる紬に、紫苑は笑いをかみ殺しながら口を開いた。
「紬さんの言いたいことはわかるよ。さっきの旧安田銀行の建物と比べて、どこが違うのか気づいたところはある?」
「ええっと。まずは建物の大きさですね。それから……色、ですか?」
「そうだね。旧安田銀行は薄い灰色だけど、この旧第四十七銀行は白と茶色の二色が用いられている。それから円柱も違うね。こちらの円柱は柱自体に浅いひだが刻まれて、上下にはふっくら丸い柱頭と柱礎があるでしょう」
「あ、確かに! もしかしてですが、四本の柱の間の距離も微妙に違いますか……?」