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(8)

「……ああ、ごめんね。それで、迷子の小豆洗いをどうするかっていう話なんだけど」


 こちらに振り返った紫苑は、いつも通りの笑顔だった。


「小豆洗いの性質をもう一度考えてみたんだ。水辺に多く生息するほかにも、彼らにとって重要なキーアイテムがあるんじゃないかってね」

「キーアイテム、ですか」

「そうそう。例えば、名前の由来にもなったアレとかね」

「……あ! 小豆ですね!?」


 紫苑さんが問いかけと同時に出した人差し指に、紬が勢い余って出した人差し指がつんと触れる。

 よかった。いつもの紫苑さんだ。

 見上げた紫苑の朗らかな微笑みに、紬はようやく心の底から安堵できた。


   ***


 小樽の街並みを歩いていれば、自然といくつかの和菓子店が目に入る。

 ノスタルジックな空気をまとうこの街は、お洒落な風合いのスイーツ店がよく似合う。

 少し意識をして見てみれば、行き交う人の大半が何某かの菓子折の紙袋を手に提げているのがわかるほどだ。


 小樽運河沿いを右に折れて辿り着いた和菓子店では、パンとまんじゅうを掛けあわせた「パンじゅう」が人気を博していた。さらに別の店舗では毎朝手焼きで作られるどら焼きや、餡がたっぷり塗られた串団子などもある。

 二人は、目につく限りの和菓子店に赴いては甘い餡の味に舌鼓を打った。


 つまりは、小豆巡りである。


「んんー……餡子はやっぱり、疲れた体に染みるなあ……」


 三軒目でも、まだまだ甘味専用の胃袋には余裕がある。

 店先のベンチでほののんと串団子を食していると、急に幼い子どもがぴょんと隣の席に腰を下ろした。


「おいっおいっ、新入り! 俺にも食わせろっ」

「ハル先輩! いつの間に人型に……!」


 どうやら和菓子食べたさに、さくっと人間のこの姿に変化したらしい。

 変化の様子を他人に見られていないことを確認しつつ、紬は串団子の片割れをどうぞと差し出した。犬の姿で団子は危ないが、子どもならば気をつければ大丈夫だろう。


「櫛は長さがありますから、喉を刺さないようにしてくださいね」

「ふん。子ども扱いすんなっつーの」

「これは子ども扱いじゃありませんよ。ハル先輩に怪我をされたくない、私の勝手なお節介です」

「……ふん」


 そっぽを向きつつも、どうやらきちんと櫛の長さを気にしつつ食べているらしい。モクモクと丸く膨れる頬を微笑ましく眺めながら、紬も残りの団子を口に頬張った。

 同じあんこでも、取り扱う店舗や使用法によって風味や味わいが微妙に異なる。それはまるでここ数日自室で一人聞き続けている香木のようだと思った。


「そういえば、ずっと気になっていたことがあるんです」

「んだよ?」

「一ヶ月前、私が札幌駅でハル先輩を追ってJRに乗り込んだときのことなんですけれど。もしかしてあのとき、ハル先輩は人間の姿に化けて乗っていたんですか?」

「おー。改札を通るにはあやかしの姿が便利だが、長時間電車に揺られるには人型で席に着いたほうが楽だからな」


 ハルがしれっと答える。それって無賃乗車では、とは言わないでおいた。

 あやかしだから、ぎりぎりセーフということにしておこう。


「だから私、JRでハル先輩を見つけられなかったんですね。あの木箱を何とか返そうと思って、あちこち探し回ったのに見つかりませんでしたから」

「……あのときは、サンキューな。マジで」


 思いがけず告げられたのは、真摯な礼の言葉だった。


「あの箱は、オレにとって大切なもんでな。お前が拾ってくれなけりゃ、きっと二度と俺の元に戻らなかった。だから……本当に助かった」

「そ、そんなそんな。前も言いましたけれど、私のほうがよっぽどお二人にお世話になっていますから」

「いいから。このオレが礼をしたいって言ってんだから、有り難く受け取っとけ」

 吐き捨てるように告げたハルが、再び団子を頬張る。その頬は微かに桃色に色づいていて、紬の口元に自然と笑みが浮かんだ。


「わかりました。有り難く受け取っておきます」

「おー、そうしとけ。それとこのこと、アイツだけには言ってくれるなよ」

「アイツ? アイツっていうのは……」

「紬さん、ハル」


 聞き返そうとした時、二人に向けて優しい声がかけられた。


「終わったよ。どうやらここにも、迷子の小豆洗いはいないようだね」

「紫苑さん。お疲れさまです」


 二軒目の甘味処で満足したらしい紫苑は、甘味を食す係を紬に託し、自分は店の風上となる場所で静かに香を焚いていた。


 己の生まれた環境を復元し、懐かしさを覚えさせる小豆洗いのためだけの調合。それは通常人間の嗅覚には影響を与えないが、感覚過敏な紬にはほんの僅かに拾い上げることができた。

 笹の葉が生い茂る美しい川べり。木桶で艶々と照り返す、あずき豆の心地のいい触れ心地と、奏でるシャリシャリと気持ちのいい音色。

 いったい、どうしたらここまで奥深い世界観を香りに乗せることができるのだろう。紫苑の香司としての腕は、紬の想像も及ばない遙かなる頂にあるのかもしれない。


「おい、新入り。食わねーのか? 最後のひとつ」


 さっきの会話はこれで終わり、という調子で、ハルが紬に声をかけてきた。


「食わねーなら、俺が代わりに食べてやる。ほら、早くこっちによこ」


「せ」と言いかけたところで、ひょいと紬の手が持ち上げられた。その手に持つ櫛があらぬほうへ向けられると、ぱくりと素早く紫苑の口へ姿を消した。


 目を丸くした紬とハルだったが、解凍したのはハルのほうが一時早かった。


「やいやい紫苑! 俺の取り分だったのに勝手に食べてんじゃねーよ!」

「お前の取り分じゃないだろ? 今の櫛は完全に、紬さんの取り分だ」

「じゃあなんて新入りの取り分を、お前がしれっと食ってんだよ!」

「うーん。紬さんが幸せそうに食べてる姿を見ていると、やっぱり俺も食べたくなっちゃって?」

「なっちゃって、じゃねーよ! 三十過ぎたオジサンが!」

「何歳になったって、美味しいものを素直に美味しいと思える心は大切だよ? ね、紬さん」

「…………あ、はい、そうですネ」

「おい。駄目だぞこいつ。今の受け答え、完全にカタコトだったじゃねーか」


 ハルのいうとおり、その後しばらく紬の記憶は薄ぼんやりとしてよく覚えていない。

 気づけば迷子の小豆洗い探しは有力な手がかりを掴めないまま、日暮れを迎えてしまっていた。


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