(5)
髪飾りのことを指摘され、紬はぎくりと心臓が震える。
実は今日紬は、ここへ来て初めて髪飾りなるものをつけていた。
薄紫の小花を連ねた藤の花。清楚な佇まいの髪飾りを、ハーフアップにした髪束の端にさりげなく。
もともとここへ住まうことに決まった初日、目移りするほどの魅力的な着物の数々が半強制的に紬へと預けられた。
着物はもとより帯に帯締め、帯揚げや根付けなども可愛らしいものばかりで、眺めるだけでうっとり時間が過ぎてしまうほどだった。
しかしそれらを実際身につけるとなると、どうしても勇気が出せずにいた。姿見でそっと垣間見ては眉をひそめ、首を傾げ、顎に手を添え長考する。
結局、最後の一歩が踏み出せないまま、必要最低限の身なりを整え店頭に立つ日々が続いていたのだ。
「その、今日は浪子さんとお昼をご一緒する日だったものですから。浪子さんの隣の立つのなら、少しでもおめかしをしたほうがいいのでは、なんて考えてしまって」
「そうだったんだね。すごくよく似合ってるよ」
「そう、ですか?」
「もちろん。髪飾りも、久しぶりに日の目を見られて喜んでる」
目一杯の思いを詰め込まれたかのような眼差しに、紬は胸の奥がじんと熱くなった。
「藤の花か。この花は咲き姿がたおやかで香り強い。そのことから古来より、女性らしさの象徴として例えられるんだ」
「そうなんですか。確かに、女性らしい優しさを感じる花ですよね」
「そうだね。まさに『優しさ』というのは藤の花な言葉のひとつだよ。他には『歓迎』『至福の時』『あなたを歓迎します』、それから」
一度言葉を句切ったあと、紫苑は真っ直ぐ紬を見据える。
「『あなたの愛に酔う』『決して離れない』『ようこそ美しき未知の方』」
「っ……」
「こうして聞いていると、まるで熱烈な恋心を謳ったみたいでしょう」
「そう、ですね」
形のいい唇から丁寧に告げられた、言葉のひとつひとつに胸が鳴る。中でも最後のひとつが、特に紬の胸に居座っていた。
ようこそ美しき未知の方。その言葉は奇しくも、今の紬が置かれた状況を指していることのように思えた。
正確にいうと歓迎されたのは自分のほうではあるが、紬にとって紫苑はまさに「美しき未知の方」なのだ。
「藤の花は都市伝説的に不吉な花といわれることもあるけれどね。俺はこの花がとても好きだよ」
「はい。私も同じ気持ちです」
互いにそっと微笑み合ったあと、紬はあれっと首を傾げた。
「そういえば紫苑さん。なにか私に用事があったんじゃありませんか」
「うん。今日来た小豆爺さんの依頼を受けて、明日は臨時休業にしようと思うから、その報告にね」
先ほどまで話を聞いていた、優しい面影が頭を過る。
今までも幾度か紫苑に相談事を預けているらしい小豆爺の、今回の話はこうだった。
「最近保護した同類のあやかしが、姿を見せなくなってしまった。どうも気がかりなので探し出してくれないか」──と。
「姿を消してしまったあやかしは、同じ小豆洗いの男の子、ということでしたよね」
「そうだね。もともと小豆爺さんは仲間内でも長寿な方で人柄から信頼も厚い。棲まいを失ったあやかしがこの街に行き着いたとき、小豆爺さんに世話になるあやかしも少なくないんだ」
「それなのに、どうして小豆爺さんの前から姿を消してしまったんでしょう」
「うーん、その点は、小豆爺さん本人もよくわからないと仰っていたけれどね」
ただ、保護したときの迷子の小豆洗いはすでに力がかなり弱った状態だった。よって恐らくこの街から出ていることはない、というのが小豆爺さんの語った見立てだ。
「幸か不幸か、力が弱っていることで小豆爺さんもなかなか気が追えないでいるらしい。まずは一刻も早く再保護をしないといけない」
「あ、あ、あの! 私も何か、お手伝いできることはないでしょうか?」
思い切って声を上げたせいか、声が半分裏返る。驚いたように瞳を開く紫苑に頬が熱くなるが、紬は視線を外さなかった。
「手がかりが少ないのであれば、街の中を足を使って探し回ることになりますよね? それなら一人でも多い方が効率的だと思うんです。幸い私も、あやかしを視る目を持っています。足手まといにならないように目一杯気をつけるので、迷子の小豆洗い探しを私にも是非手伝わせてくださ」
「あー、待って待って。ひとまず少し落ち着こう。紬さん」
紫苑の言葉に遮られ、紬は喉奥に詰めていた息をはあっと吐き出した。酸素が足りなくなっていたらしい。しばらく小さく息を切らしていた紬に、紫苑は困ったように微笑む。
「紬さんは、本当にいつも一生懸命なんだね。でも、先に言われちゃったな」
自らの胸を押さえつつ視線をあげた紬に、美しい澄んだ瞳がすぐ間近に現れた。
「今回の依頼に、是非君の力を貸してもらいたい。もともと、それも伝えに来たんだよ。紬さん」