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「え? 私が、ですか?」


 きょとんとする紬に、紫苑は笑顔で頷く。


「実は、この浮き玉はある人への手土産なんだ。その相手がちょうど、紬さんと同じ年頃の女性でね」

「あ、なるほど……」


 二十六の紬と同じ年頃ということは、二十代後半の女性ということか。

 しかし、そうだとしたら浮き玉よりももっと適した贈り物があるような気もする。

 先ほど目にした宝石に見まがうほどのアクセサリーを思い返し、紬は首を捻った。


 アドバイスすべきか迷ったが、結局紬はその浮き玉選びを了承した。

 きっとこの人からプレゼントを受け取るならば、浮き玉でも指輪でも同等の喜びに満ちた価値があるだろうから。


「ありがとう。ときに紬さん。左肩に小さなほこりが」

「わ、本当ですか」


 指摘された肩を慌てて払う。

 曲がりなりにもわざわざ貸し出してもらった着物だ。汚れをつけたまま返すわけにはいかない。着物のクリーニングについても、後できちんと調べておかなくては。


「大丈夫、もう取れたよ。それじゃあ紬さん、お願いしてもいいかな」

「はい。それでは、僭越ながら贈り物の浮き玉探しをはじめさせて頂きます!」


 恩返しの一つ目ということで、むんと一人気合いを入れた。

 そのとき、店舗の出入り口が開いた拍子に、ふわりと涼やかな春風が流れ込む。

 風に微かに含まれた涼やかな香りを、紬は意識の奥で拾っていた。


   ***


「本当にいいんですか? 紫苑さんっ」


 意気揚々と店舗をあとにする紫苑に、紬は慌てて声を掛けた。


「もちろんだよ。紬さんの選んだものならきっと間違いないからね。ありがとう」

「いえそうではなくてっ、その浮き玉、女性への贈り物なんですよね!?」


 履きやすいとはいえ、全力疾走するには当然草履は向かない。

 どうにか紫苑の前まで抜き出ると、紬は真正面から美形を見上げた。余程意外だったのか、きょとんとした表情を目が合う。


「それならせめて! その浮き玉、きちんとラッピングをしてもらうべきではないかと思うんですが……!」


 必死の形相で言い募りながら、紫苑が手にする紙袋の中身をビシッと指さす。

 中には、店員が手際よく包み込んだ半透明の緩衝材をまとう、ほとんどむき出しの浮き玉が収められていた。

 いくら美形で着物男子で笑顔が素敵だとしても、贈り物として差し出されるものがこれはいけない。

 指輪がむき出しで渡されることすらギリギリのラインだ。いや、ほぼアウトかもしれない。


「大丈夫だよ。前にちゃんと包装紙に包んで渡したことがあったんだけど、その時にこの紙は邪魔だって言われたんだ」

「え、邪魔?」

「うん。自分の家は、こんなゴミを処分する場所ではないんだってさ」

「ゴ、ゴミ……」


 そのお相手の女性像が、今の紬にはまったくもって浮かんでこない。

 加えて今の物言いだと、同じ女性に浮き玉を渡すのはこれが初めてではないように聞こえた。

 もしかしたら彼女、浮き玉コレクターなのだろうか。


「それにても、いい具合に小樽の街が色づいてきたね」


 ゆったりと告げられ、紬もようやく目前に広がる景色に視線を寄せる。

 いつの間にか夕日が傾いた小樽の街は、先ほどまでとは違う雰囲気で出迎えてくれていた。

 十七号線へ進み出た光景は西洋を思わせるランプが温かな光を灯し、街に刻まれてきた歴史の影がより一層滲ませている。


「紬さんもそろそろ疲れてきてないかな。実はまだ一カ所向かいたい場所があるんだけど、大丈夫?」

「大丈夫ですよ。さっきの北一ホールで、美味しい飲み物を頂きましたから」


 紬は笑顔で首を横に振った。


「それに、せっかくですからもう少し、小樽の街を堪能していたいんです。こんなに素敵な着物でこの街を歩くことも、きっと一生忘れない思い出になりますから」

「……そっか。それじゃあ、のんびりゆっくり歩いて行こう」

「はい」


 互いに微笑みあい、二人は道なりに穏やかに進んでいく。

 向かって右側にはやや活発な車道が通り、時折大きな観光バスが連なって通り過ぎていく。

 自分もそう遠くなく、この街をあとにするのだろう。帰るところも勤める職場も、とうに残っていないというのに。

 そう思うと、胸がしくしく痛む心地がする。


「紫苑さんは、十二年前からこの街に住んでいるんでしたよね?」

「うん。見知らぬ土地に最初は酷く戸惑ったけれど、今までなんとかやってきたね」


 微笑を浮かべて答える紫苑をそっと横目でのぞき見る。こんなに完璧な人にも、やはり戸惑うことがあるのだな、と。


「右も左もわからない二十歳の若造が店を始めるって現れたもんだから、随分と周りの人の厄介になったね。変な若造が現れたってもっぱらの噂だったって、今でも近所のおじさんたちに笑われるくらい」

「……え、二十歳?」


 さらりと告げられたその情報に、思考が一瞬停止する。

 その後はじき出された計算結果に、紬はぐわっと目を剥いた。

 十二年前に紫苑さんは二十歳だった。それってつまり。


「紫苑さん……今、三十二歳ですか!?」


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