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第一章 寄す処(よすが)を失くした乙女、小樽へ行く

※この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。



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 北海道小樽(おたる)市。


 かつてニシン漁で栄え、海の玄関口として北海道のヒトとモノが集まった街。

 戦後は札幌市の台頭により一時衰退の道をたどるも、小樽運河をはじめとする歴史的建造物が観光資源として見直され、新たな魅力が見出されていった。

 明治・大正・昭和・平成──そして令和。

 激動の時代を生き残ったこの小樽の街には、今も在りし日の歴史の面影が淘汰されることなく息づいていた。


 自然、建物、商い、人々のつながり。

 そして、人ならざる彼らもまた、同じように。



 これで何度目の退職届だろう。

 退職願と退職届の違いを瞬時に答えられるようになってしまった自分が哀しい。


 千草野紬(ちぐさのつむぎ)は、朝一で所定の部署にそれを提出した後、ガラガラとキャリーバッグをひっさげて札幌駅構内へ戻っていった。

 駅西口から入った紬の目には、お洒落な雰囲気が立ちこめるコーヒーショップが飛び込んでくる。

 いつも週末にはここに立ち寄り、ふわふわな生クリームが乗せられた贅沢コーヒーを飲むのがささやかなご褒美になっていた。しかし今の紬は力なく眉を下げ、真向かいのコンビニでお茶とおにぎりを購入する。


 つい先ほど、紬は正式に無職になった。

 理由は、二月に中途入社した新人女性社員へのイビリ及び、当該社員が獲得した仲介案件を反故にした責任をとるためだ。

 どちらも紬には身に覚えのないものだったが、周囲から味方となるものが出なかったということは、この職場も潮時ということだったのだろう。


 会社の関係で格安で借りられていたアパートも追い出され、今の自分には本格的に行き場がなかった。

 恐らく、出るところに出れば会社や大家への不法なあれこれを訴えることもできるかもしれないが、今の紬にはその意欲の欠けらもない。


「はあ……どうしようかなあ、これから」


 札幌駅西口広場のベンチの隅で、ひとまずの朝ご飯を平らげる。

 北海道の交通の要である札幌駅は、早朝にもかかわらずすでに人の行き来が増えつつあった。大体が札幌に構えるオフィスに向かうスーツ姿の働き人。先週までは紬もその中の一員だった。


「……あれ?」


 そのときだった。


 改札口から吐き出されていく人の波に向かう、小さな動物の影に気づく。

 目を瞬かせて照準を合わせると、いくつものスーツの足元を軽やかに「それ」はすり抜けていく。


 子犬だ。


 毛並みの薄茶色が、まるで先ほど断念した贅沢コーヒーを思わせる。

 首輪はされていないが、その背には巾着のようなものがリュックのように背負われていた。

「わっ」「きゃっ」「おっと!」子犬がすり抜けるたびに、辺りのサラリーマン達が足元をつまずきそうになっている。

 対して、子犬は意に介する様子もなく、涼しい足取りで改札へと向かっていった。

 もしかして、JRに乗るのだろうか。


「……あ!」


 瞬間、ベンチを立ち上がった紬は、荷物を手に改札口まで駆けだした。通勤用定期をかざし滑り込んだ改札内のある場所で、すぐさま屈み込む。

 拾い上げたのは、今さっき子犬が落とした物だった。


「よかった。誰にも踏まれなかったみたい」


 手のひらにちょこんと乗るサイズのそれは、小さな木製の箱だ。数センチ四方の蓋付きの箱で、底には小さく文字が刻まれている。


「シオン」──もしかしたら、さっきの子犬の名前かもしれない。


 急いで辺りを見回す。

 駅ホームに繋がる階段をいくつか確認すると、小さな薄茶色の影が階段を慣れた様子で上っていくのが見てとれた。すぐさま後を追いかける。


「あれっ? ワンちゃん、いない……?」


 ホームには既に電車が止まり、人が乗り込んだあとだった。

 まさか、この電車に乗ってしまっただろうのか。犬って単独で乗れたっけ。もし違っていたら、落とし物はもうあの子犬に返せなくなってしまう。

 オロオロしていた矢先、紬のいるホームに男性の声が響いた。発車を告げるアナウンスだ。


 ──ええい、ままよ!


 扉が閉まるぎりぎりのタイミングで、紬は何とか電車に乗り込んだ。

 かくして、行き先を確認せずに乗り込んだ電車は、ゆったりと目的地へ向かって動き出した。

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