第五話 手羽先唐揚げと小鳥遊さん
気を取り直して、再びからあげ巡りをするべく、名古屋駅へと戻ってきたぼくたち。
そして今、こうして二人並んで構内を練り歩いているわけではあるのだけれども。
「ねえ、小鳥遊さん。本当にこのまま続けてもいいの? あんなことがあったばかりだし、今日のところはこれで帰った方が……」
と言った感じにおずおずと声をかけてみると、隣を歩いていた小鳥遊さんは緩く首を振ったあと、スマホでこう返した。
『いえ、私なら大丈夫なのでお気になさらず。それにあんなことがあったからこそ、美味しいものを食べて嫌なことを綺麗さっぱり忘れた方がいいと思うんです』
「あー。確かに、そっちの方が精神的にはいいかもね」
このまま嫌な思い出として記憶に残るよりは、ずっと健全ではある。
「うん。そういうことなら、ぼくも付き合うよ。小鳥遊さんがオススメするからあげなら、絶対美味しいだろうし」
『はい。味には関しては私が保証します』
グッと胸の前で両拳を作る小鳥遊さん。この様子から見るに、チャラ男たちの件は本当に尾を引いていないようだ。ちょっとホッとした。
「そっか。それは楽しみだ。ちなみに、どんなからあげなの?」
『それは着いてからのお楽しみということで。でも、そうですね。この名古屋うまいもん通りにお店があるとだけ伝えておきます』
名古屋うまいもん通り。
そこは名古屋駅構内にあるグルメストリートであり、カフェはもちろん、ラーメン屋や弁当屋まで並んでいる観光地のひとつだ。
という概要を、名古屋駅に着く前に小鳥遊さんから少し説明を受けたけれど、要は千葉で言うところのペリエとか銀座商店街みたいなものなのかな? 千葉県民でもなければわからない例ではあるけれど。
それはさておき、名古屋駅というのは思っていた以上に構造が入り込んでいて、ちょっと歩いただけで元来た道がすぐにわからなくなってしまう。まるで迷路のようだ。
もしもぼく一人で入っていたら、絶対迷子になっていただろうなあ。
まあこれで迷路というのなら、新宿駅なんて大迷宮みたいなものだけれど。
数年前に家族一緒に新宿駅まで行った際、みんなして道がわからなくなった時は、軽く絶望を覚えたものである。
閑話休題。
そんなこんなで小鳥遊さんと一緒にしばらく歩いたあと、件の名古屋うまいもん通りに到着した。
小鳥遊さんの説明にあった通り、そこには色々なお店が並んでおり、こうして見ているだけで目移りしてしまいそうになる。からあげが目的じゃなかったら、ふらりと適当なお店に入っていたかもしれない。
そしてその中には寿司屋や蕎麦屋まであって、その名の通りたくさんの美味しそうな料理が写真や食品サンプルとして店先に飾られていた。
「へー。ここが名古屋うまいもん通り……さすがグルメストリートって言われているだけあって、人で賑やかだね」
などと感嘆するぼくの横で『通勤や通学で名駅を利用している人も多いですから』と補足したあと、小鳥遊さんはそのままスマホでこう文章を打ち足した。
『それに多種多様な食べ物で溢れているので、休日に昼食や夕食を求めてここに来る家族やカップルが多いのも理由のひとつですね』
「ということは、小鳥遊さんもよくここに来るの?」
『よくというわけではありませんが、私一人で来ることもあれば、家族一緒に行く時も割とありますよ』
「それって、やっぱりからあげ目的で?」
『まあ、はい……』
と、恥ずかしそうにスマホで顔を隠す小鳥遊さん。
今さら別に恥ずかしがらなくてもいいのに。相変わらず見た目と違ってギャップがあるというか、つくづく可愛いらしい人だなあ。
と言った感じで和むぼくをよそに、小鳥遊さんは気を取り直すように「こほん」と小さく咳払いをして、
『では、さっそく行きましょう。もうお店も開いている頃でしょうから』
「あ、うん」
照れ隠しなのか、そそくさと先行していく小鳥遊さんに、ぼくも小走りで付いて行く。
そして様々なお店を一目もくれずにあっさり素通りしていったあと、小鳥遊さんはとある店の前で不意に立ち止まった。
『ここが、三番目のからあげスポットです』
「ここ……?」
頭上にある看板を指差す小鳥遊さんに、ぼくはその指の先にある店名を見て読み上げた。
「からあげ料理専門店……」
ん? からあげ料理専門店?
からあげ専門店の間違いじゃなくて?
「これって、からあげだけを売っているお店じゃなくて、定食としてからあげ料理を出しているっていうこと?」
『はい。その名の通り、からあげ料理を提供するお店なので』
あー。だからお昼になってからここに来たのか。
前のお弁当屋さんみたいに、単品でからあげを食べられるわけじゃないから。
してみると、あちこち歩き回ったりしたのも、少しでもお腹を減らすためという小鳥遊さんの粋な計らいだったのかもしれない。
『それでは、さっそく入りましょうか。あ、注文は私に任せてください。私のオススメをぜひ食べてもらいたいので』
「うん。じゃあそれでお願い」
そういうわけで、吹きさらしになっている店頭を進み、カウンターへと向かう。
そこで人数を確認されたあと、空いているテーブルに着いて、店員さんが来るのを待つ。
そして一分とかからずやってきた店員さんに、小鳥遊さんはメニュー表のとある箇所を指差しながら、スマホでなにかを伝える。
そんな小鳥遊さんの挙動に、店員さんは少しも怪訝な顔を見せずに「手羽先定食をおふたつですね。少々お待ちください」とだけ言って奥に引っ込んでいった。
普通なら「なんでこの人、口で注文しないの?」と思いそうなものだけど、なにも不思議そうにしなかったということは、それだけ小鳥遊さんがここに何度も通っているということなのだろう。さすが、カラアゲニストの小鳥遊さんだけのことはある。
とまれかくまれ、あとは料理が運ばれるのを待つだけなのだけれど、その前に気になることがあった。
「ねえ小鳥遊さん。手羽先ってからあげなの?」
この質問に対し、小鳥遊さんは言っている意味がわからないとばかりにきょとんとしたあと、おずおずとスマホを手に取った。
『えっと、それはどういう意味なのでしょうか?』
「いや、手羽先はぼくも何度か食べたことはあるけど、今までからあげと思って食べたことはなかったから、ちょっと変に感じちゃって」
『変、でしょうか? 正式名称も手羽先唐揚げというのですが……』
「え、そうなの?」
てっきり、手羽先は手羽先が正式名称とばかり……。
「でも普通のからあげと違って骨が付いているよね? これでもからあげって言うの?」
『なるほど。なんとなく羽賀くんの言いたいことがわかりました』
と得心がいったように頷きを繰り返したあと、小鳥遊さんはこう続けた。
『つまり、からあげというのは骨のない揚げ肉のはずではないのかと、そう言いたいわけですよね?』
「まあ、うん」
『確かにからあげというと、鶏モモ肉や胸肉などを連想しますが、そればかりというわけではありません。以前にも説明した通り、からあげの中にはイカやゴボウもありますし、必ずしも鶏肉でなければならないという決まりはありません。同じ理由で、鶏肉も骨付きではダメというわけではないんです』
「えっ。そうなの?」
『はい。手羽先のような骨付きもそうですが、中には軟骨のからあげというのもあるくらいなので』
し、知らなかった……。
今まで手羽先は揚げ物の一種くらいにしか思っていなかったし、実際それでも間違いというわけではないみたいだけれど、からあげとは認識していなかったせいで、けっこう衝撃が大きかった。
「そっかー。つくづく、からあげって奥が深いんだねー」
『そうですね。ちなみに手羽先は各地でも食べられている料理ではあるのですが、名古屋めしのひとつでもあるんですよ』
「あー。言われてもみれば、ここ以外でもけっこう手羽先を出しているお店を見かけるような気がする……」
あれはたまたま手羽先のお店が集中していたわけじゃなくて、名古屋めしのひとつになっていたからなのか。
けど、それならどうして単品で手羽先を出しているお店には行かなかったのかな?
単品で頼めた方が、他のからあげもたくさん食べられるような気がするのに。
なんて疑問に思っている内に、店員さんが料理を運んできてくれた。
「こちら手羽先定食となります」と事務的に料理を並べたあと、足早にまた奥へと下がる店員さん。お昼時というのもあって店内も混んできているし、きっと忙しいのだろう。
それはともかく、目の前に置かれた手羽先定食に改めて注目する。
まずはなんと言ってもメインである手羽先、もとい手羽先唐揚げ!
焦げ茶色に香ばしく焼けた皮。ふっくらと食べ応えのありそうな肉身。その全部で五つある手羽先唐揚げが山を形成していて、その隅にレモンの切れ端が寄りかかるように添えられていた。
そして定食というだけって、おぼんの上にはホカホカの白いご飯、合わせ味噌の味噌汁、漬け物には黄色い沢庵という、日本食ならではのレパートリーだった。
「お~。これは美味しそう。見ているだけでお腹が減ってくる……」
『実際、とても美味しいですよ。私のお気に入りですから』
「なるほど。それなら間違いないね」
なにせ、からあげ通の小鳥遊さんがこう言っているのだから。
そんな期待を胸にぼくは割り箸を取り、ふたつに割ってまずは味噌汁に浸す。乾いた割り箸をそのまま使うと、ささくれが口に刺さったりする時があるからだ。
そして箸を味噌汁から離したあと、さっそく主役であり大本命でもある手羽先唐揚げをつまむ。
それから満を持して、一番肉身のある部分にかじり付いた。
「! んま!!」
思わず、咀嚼したまま感想がこぼれ出る。
表明はカリカリ、中はジュワッと肉汁で溢れていて、骨ごと食べられないのがもどかしいくらいに美味しい。
なにが美味しいかって、しっかりと利いた塩胡椒に、おそらく漬けダレに使われている醤油と味噌がとてもマッチしていて、それが実に最高なのだ。
「これは本当に美味しいね。味が濃いめだから満足度が半端ないし、普通のからあげと違って箇所によって食感が変わるから、食べていて飽きないのがすごくいい」
「そうなんよ! 羽賀くんの言う通り、手羽先は味が濃いのが特徴で──」
と。
毎度ながらぼくの称賛に触発されて、小鳥遊さんも嬉々として手羽先を語りかけたところで、ピタッと時間が止まったかのように口を閉じてしまった。
きっとまた、周りの目を気にしてのことだろう。
ぼくまで奇異な目で見られないようにと配慮して。
別に気にする必要なんてどこにもないし、それどころかもっと聞きたいくらいなのだけど──小鳥遊さんの綺麗な声が聞きたいというのもある──ただお願いしただけじゃ、たぶん無理だろうなあ。
小鳥遊さん、意外と頑固だし。
そんな頑固な小鳥遊さんの口を開かせるには並大抵のことじゃないけれど、せっかくこうしてオススメのからあげを一緒に食べているのだから、ぜひともさっきの続きを拝聴させてもらいたい。
そのためには──
「小鳥遊さん。ぼくのことなら気にしなくていいよ……って何度も言っていると思うけれど、また言ったところで余計気にするだけだよね。でもさ、お喋りしながら美味しいご飯を食べるのも、ひとつの醍醐味なんじゃないかな?」
『醍醐味……ですか?』
おそるおそるスマホで訊ねる小鳥遊さんに、ぼくはこくりと頷く。
「もちろん黙々と食べるのもありだし、むしろマナー的にはそっちの方が正しいかもしれないけれど、こういう定食屋で友達と一緒に会話しながら食べるのも、楽しくていいんじゃないかなって。良い思い出にもなると思うし」
『良い思い出……』
「うん。あ、だからって無理に話せとまでは言わないよ? 小鳥遊さんの気持ちが一番だと思うから」
と前置きしつつ、ぼくは小鳥遊さんの目をまっすぐ「それでも」と語を継ぐ。
「ワガママを言わせてもらえるなら、ぼくは小鳥遊さんのからあげ話をもっと聞いてみたい。だってすごく面白いし、小鳥遊さんの話を聞きながら食べると、もっとからあげが美味しく感じられるから」
そこまで言い終えて、ぼくは小鳥遊さんの反応を静かに待った。
周りが他の客で活気づく中、小鳥遊さんは少し逡巡するように視線を左や右に彷徨わせたあと、やがて決心を固めたように、俯きがちだった顔をゆっくり上げた。
『本当に、いいのでしょうか?』
「うん。小鳥遊さんの話、聞かせてもらってもいいかな?」
ぼくの言葉に、小鳥遊さんは両目を見開いたあと、脈絡なく手羽先を箸で取って、ガブリと豪快にかぶり付いた。
そして味わうように瞼を閉じながらゆっくり咀嚼したあと、小鳥遊さんは手羽先を呑み込んで、
「めっっっちゃ美味しい! やっぱり手羽先は最高やわ!」
満面の笑みと共に、今まで聞いたこともない声量で手羽先を褒め称えた小鳥遊さんに、ぼくは思わず目を見張った。
そんなぼくを前に、小鳥遊さんは表情を輝かせながら言葉を紡ぐ。
「この手羽先の一番の特徴は、味噌と醤油を合わせた漬けダレなんやけども、隠し味に使われとる一味唐辛子がアクセントになっとって、ますます味を引き立てとるのがまたいいんよ!
でもこの手羽先定食のいいところはそこだけやないに! 甘辛の味やからこそ、ご飯との相性が抜群で、代わる代わる食べるとより手羽先が美味しくなるんよ!
それと、この手羽先の横にあるレモン! 後半にレモンの汁をかけることによって、手羽先に飽きることなくいつまでも楽しめることができるんよ!! 味噌汁も出汁が薄めやから手羽先の味噌の味を邪魔することもないし、沢庵で小休止することもできるんやに!
つまりこの手羽先定食は、どれを取っても無駄ひとつない、完璧に計算された料理なんよ~!」
といった感じで合間に手羽先を口にしながら、弾けるような笑顔と共に手羽先を熱く語る小鳥遊さん。
そんな小鳥遊さんのリアクションにぼくもだんだんと楽しくなって、つい目の前の手羽先を食すことさえ忘れて話に聞き入ってしまった。
○ ○
その後。
手羽先を完食したぼくたちは、今度は熱田神宮に向かっていた。
と言っても、熱田神宮にからあげがあるわけじゃない。ぼくも小鳥遊さんも満腹の状態でからあげ巡りを続けるにはさすがに無理があったので、運動がてら、熱田神宮に参拝しようという流れになったのだ。
ちなみに行き先が熱田神宮になったのは、まだぼくが参拝しに行ったことがないと雑談の中で話したところ、
『では、一度行ってみますか? 三大神器のひとつである草薙の剣が祀られている、大人気の観光スポットですよ』
などと小鳥遊さんに勧められたこともあって、一緒に熱田神宮へ行くことにしたのだ。
で、実際に行ってみると、明治神宮と並ぶくらいの荘厳な景色が広がっており、その神聖かつ静謐とした雰囲気に、身を清められるような気分になった。
それから熱田神宮を存分に堪能したあと、再び市街に出て、ぼくたちはからあげ巡りを再開した。
ローソン以外のコンビニからあげ、スーパーのお惣菜からあげ、お弁当屋さんのからあげなどなど、名古屋市内にあるからあげは全種類口にしたのではないかというくらい、からあげを食べ歩き回った。
そして──
「あ~。食べた食べた~」
からあげで膨れたお腹をさすりながら、市街地を歩くぼく。
外はとっくに日が暮れて、あちこちにそびえる高層ビルや公共施設が茜色に染まっている。
そんな風情ある街並みの中を、ぼくと小鳥遊さんは今日の出来事を振り返りながら、名古屋駅へと向かって歩いていた。
「もう一生分のからあげを食べたかも。いや、今日だけでもう全種類のからあげを食べたような気がする」
『いえ、他にもありますよ。日本だけでなく、世界にもからあげの部類に入る食べ物はたくさんありますから』
「そ、そうなの? からあげの世界って、ほんと奥が知れないなあ」
それこそ、一生をかけても全種類のからあげを網羅するのは不可能かもしれない。
「まあでも、逆にその方がいいかもね。だって、それだけ色々なからあげに巡り会える機会があるってわけだから」
『そうですね。楽しみが増えるのはすごくいいことだと思います』
ぼくの言葉に、にこりと微笑みかけてくれる小鳥遊さん。
まあ本音を言うと、からあげよりもこうして小鳥遊さんと一緒に出歩けることの方が何倍も嬉しいけれどね。
『ついでに言いますと、まだ名古屋市内のあちこちに今日食べられなかったからあげがたくさんありますよ』
「……マジで?」
けっこう色々食べたような気がするけど、それでもまだあるのか……。
もしかすると、名古屋内にあるからあげをすべて食べるだけでも、かなり大変なのかもしれない。
「そっかー。今日でからあげ通になれた気でいたけれど、小鳥遊さんにしてみれば、まだまだ修行不足ってわけか……」
『さすがにそこまでは……。ですが、名古屋のからあげを知り尽くしたとまでは言えないので、できればまた、市内のからあげ店を食べ歩いてみたいですね』
つい「えっ」と声が漏れ出てしまうほど、小鳥遊さんのスマホを二度見してしまった。
「それってつまり、またぼくと一緒に遊びに行ってくれるってこと?」
『はい。羽賀くんさえよければ、ですが』
「ほんと!? むしろ願ってもないよ! うわー、すごく嬉しい!」
まさか、また小鳥遊さんに誘ってもらえるなんて! 天にも昇るような気分だ!
「こんなに良いことがあっていいのかな……。もう今日は嬉しすぎて、夜、眠れないかも……」
『そこまでからあげを好きになっていただけるなんて……とても感激です!』
いや、からあげじゃなくて小鳥遊さんとまたどこかに行けることの方が嬉しかったんだけど……。
でもまあ、いっか。小鳥遊さんに喜んでもらえるのなら、別にそれで。
「こちらこそ、小鳥遊さんには感謝の気持ちでいっぱいだよ。色々からあげを食べ歩いたり、熱田神宮にも行ったり、本当に楽しかった。途中で嫌なこともあったけど、そんなのすっかり吹き飛んじゃったよ」
『楽しんでもらえたのだとしたら、それはからあげの力です。からあげは嫌なことや辛いことを吹き飛ばす強力なパワーがありますから』
「強力なパワーかぁ。確かに、美味しいものを食べている時は幸せな気分になれるよね」
『はい。特にからあげは、人類が生み出した最高の食べ物だと思っています。いえ、世界を救う英雄的存在と言っても過言ではないかもしれません』
「……………………」
さすがに、そこまではどうなのだろう……。
とは思いつつ、ある意味からあげのおかげで良い一日を過ごせたようなものだし、小鳥遊さんが言っていることも、あながち間違いじゃないのかもね。
今はまだスマホがないとコミュニケーションが取れない関係だけれど、その内スマホがなくても会話ができるようになれるかもしれないという希望を持てるようになったくらいには。
「それにしても、本当に楽しかったな~。このままバスに乗って帰るだけなのが惜しくなってきちゃうよ」
『そうですね。私もこうしてお友達とどこかに出かけるのは本当に久しぶりだったので、今から家に帰るのだと思うと、少し寂しいです』
そっか。小鳥遊さんにしてみれば、名古屋に転校してきて以来になるのか。
その相手がぼくになるなんて、光栄というか、いっそ恐縮な気分になるけれど、小鳥遊に寂しいと思ってもらえるくらいに楽しんでもらえたのなら、これ以上の喜びはなかった。
だから──
「またやろうね。からあげ巡り」
その時はまた、小鳥遊さんにとって最高の思い出になるように。
そんな思いを込めて発したぼくの言葉に、小鳥遊さんは少しだけ目を瞬かせたあと、心底嬉しそうにはにかんだ。
『はい。こちらこそ、喜んで!』
「あ、でもそれまであんまり無駄遣いはできなくなっちゃうなー。その内バイトも考えないといけないかも」
『バイトをされた経験があるのですか? すごいですね。私は一度もバイトをしたことがないので、素直に尊敬します』
「いやバイトと言っても、知り合いの小さな本屋さんで働いていたから、そこまで大変じゃなかったよ。けどできたら今回も、似たバイトの方が──」
とそこまで言いかけたところで、ぼくは動きを止めた。
突如、なぜか前方を見たまま硬直してしまった小鳥遊さんに意図せず合わせる形で。
いきなりのことに戸惑いつつ、一体小鳥遊さんの瞳になにが映っているのだろうと、その視線を追ってぼくも前を見据える。
街路を行き来する通行人の数々。その中にぼくたち同様、こちらを凝視したまま固まっている二人組の女子高生がいた。
いや、よく見ると固まっているのは一人だけだ。どこの高校の制服なのかはわからないけれど、なにかのケースバックを肩から提げた茶髪の子が、小鳥遊さんの姿を見て面食らったように立ち止まっていた。
「鵜飼さん……」
いつものスマホではなく、ボソッと蚊の鳴くような──ともすれば無意識にこぼれたと言わんばかりに声を発した小鳥遊さんに、ぼくは眉をひそめながら「もしかして、小鳥遊さんの知り合い?」と問いかけてみる。
けれどその質問に対する答えはなく、というよりこっちの声が届いていないのか、未だ呆然とした面持ちで前だけを向いていた。
でもそれは相手も同じだったようで、鵜飼さんという女の子もお菓子の袋を持ったまま互いに見つめ合っていた。
ややあって。
「ねえ真奈。いきなり立ち止まったりして、どうかしたの?」
隣にいた同じ制服を来た女の子に肩を叩かれ、ハッと目を見開く鵜飼さん。
そして「なんでもない」とぎこちない笑顔で首を振ったあと、小鳥遊さんに一瞥をくれることもなく、友達らしき女の子と一緒にぼくの横を通り過ぎていった。
その後ろ姿を見るともなしに振り返りつつ、
「あの子、もう行っちゃうけれど、挨拶とかしなくてよかったの?」
二度目の質問に、小鳥遊さんは小さく首を横に振った。
さっきまでの笑顔が嘘だったかのように、表情を曇らせて。
それからたどたどしくスマホを操作したあと、当惑しっぱなしのぼくに画面だけを向けたまま、小鳥遊さんは俯いた。
そこには、こう書かれていた。
『私は鵜飼さんに嫌われていますから。昔、私が調子に乗ったせいで……』