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第四話 竜田揚げと小鳥遊さん


 場所は変わって。

 僕たちは今、通行人で溢れた街道を横並びになりながら歩いていた。

「今度はどこに行くの? 名古屋駅から少し離れちゃったけれど」

 はぐれないようになるべく歩調を合わせつつ、隣りにいる小鳥遊さんに訊ねる。

 そんなぼくの質問に対し、他の通行人の邪魔にならないようにと配慮してか、小鳥遊さんは一度道の隅に寄ったあと、おもむろにスマホを手に取った。

『今度は、お弁当屋さんに行こうと思っています』

「お弁当屋さん?」

 ということは、からあげ弁当が目当てってこと?

「てっきり、今度こそ専門店に向かうのかと思っていたけれど……そこでお昼ご飯を食べるってことでいいのかな?」

『いえ。さすがにまだお昼にするには早すぎますので、からあげ単品で頼もうかと。それに今ここでお腹を満たしてしまったら、このあとのからあげが入らなくなってしまうかもしれないので』

 なるほど。ごもっともな意見である。

 なんて会話を途中で挟みながら、小鳥遊さんに案内されるがまま付いて行くと、やがて一軒のお弁当屋さんらしき店舗を発見した。

 見た目は他の煌びやかな建物に比べるとこじんまりした外装で、個人経営なのか、一度も目にしたこともなければ聞いたこともない店名が看板に記されてあった。

 それでも繁盛はしているみたいで、まだお昼前にも関わらず、店先に行列ができるほどの客で賑わっていた。

「お、割と人がいるね。もしかして、けっこう有名なお店だったりするの?」

『はい。特にからあげは絶品と評判で、稀にですが午前中にからあげだけが売れ切れることもあるそうです』

「じゃあここに並んでいる人たちも、みんな、からあげを求めて?」

『ひょっとしたら、そうかもしれないですね』

 へー。それを聞いたらますます期待が高まってきた。

 そんなこんなで僕たちも行列に並び、順番が来るのを大人しく待つ。

「そういえば、ここのからあげってどんな感じなの?」

 ずっと無言で待つのもなんだったので、話題を振るがてら、横にいる小鳥遊さんになにげなく訊いてみる。

 すると小鳥遊さんは、店奥で忙しなく動いている店員さんからぼくの方へと視線を移して、はてなと首を傾げた。

『どんな、とは……?』

「あ、ごめん。ちょっと抽象的だったかもね。具体的に言うと、どういう味のからあげなのかなって」

『……味に関しては、実際に食べてから判断してもらいたいので、あまり詳しいことは教えられませんが、ただ名称だけでもよければ……』

「名称?」

 え? からあげはからあげじゃないの?

 そう言うと、小鳥遊さんはゆっくりかぶりを振って、

『一口にからあげと言っても、作り方や地域によって色々呼び方が変わってくるんです。たとえば北海道のザンギとか、岐阜県の関からあげとか。新潟の半羽揚げというのもありますね』

「え、そんなにあるの?」

今までからあげはからあげとしか言わないと思っていたよ……。



『そして今から私たちが食べるからあげは、竜田揚げと呼ばれるものです』



「竜田揚げ……」

『はい。こちらはポピュラーな方なので、ひょっとすると一度くらいは食べたことがあるかもしれませんね。小学校の給食などで』

 給食、かあ。

 食べたことはあるかもしれないけれど、竜田揚げという名前にはやっぱり覚えはない。

 そもそも給食で出てくるメニューなんて気にしたことがないというか、美味しければなんでもいいっていうスタンスだったので、今となってはほとんど記憶にも残っていないのが実情だ。

 もちろん好きなメニューもあったりはしたけれど、仮にそれがカレーだったとして、ビーフカレーなのかシーフードカレーなのかどうかという詳細まで気にしながら食べていなかったのである。

 こうやって思い返してみると、ぼくってば食に無頓着な子供だったなあ。あ、それは今も大して変わらないか。

 さておき。

「その竜田揚げって、普通のからあげとどう違うの?」

『まず作り方が違いますね。醤油で下味を漬けて、その上に片栗粉をまぶして揚げたものを竜田揚げと言います』

「普通は醤油で下味を漬けたり、片栗粉をまぶしたりはしないものなの?」

『いえ。あくまでもそう言われているだけで、特段これという境目はありません。醤油で下味を漬けて片栗粉をまぶしたものを一般的に竜田揚げと呼称されているだけで、からあげとの違いはほとんどないと言っていいくらいかと』

「そっかー。ほんと、からあげにも色々あるんだね」

 色々ありすぎて、もはやわけがわからないレベルまで来ているけれど。

 いっそ、ゲシュタルト崩壊が起きそうまである。

『そうですね。そもそも「からあげ」と言うと大抵鶏肉の方を連想しがちですが、鶏肉じゃなくても「からあげ」と呼称されるものが他にもあったりしますよ』

「えっ。そうなの?」

『はい。イカのからあげとか小海老のからあげとか耳にしたことはありませんか?』

「あー。確かに、それなら聞いたことはあるかも……」

『その他にもゴボウのからあげや鯨の竜田揚げというものがあることからわかる通り、別段鶏肉に限定したものではないんです。鎌倉時代にも「素揚げ」と呼ばれるからあげの先駆けのような調理方法がありまして、食材になにも付けないまま揚げていたものを、精進料理として食していたそうです。ちなみに、本格的に鶏肉を指して「からあげ」と周知されるようになったのは戦後間もない頃で、一般に親しまれるようになったのは、食肉用のブロイラーが量産されるようになってからとも言われているそうですよ』

「へー。からあげにそんな歴史があったなんて、全然知らなかったよ」

 そう感心したように言うと、小鳥遊さんは苦笑を浮かべて、

『よほどからあげが好きでもない限り、普通はそこまで詳しく調べようとは思わないでしょうから』

「あー」

 まあ、普通はそうだよねえ。

 例に及ばず、ぼくもそこまで調べようと思ったことなんて一度もないし。

 からあげそのものは好きだけど、その歴史や種類までは興味がないっていうか。

 こうして小鳥遊さんと仲良くなっていなかったら、きっと好物の中のひとつという認識だけで終わっていただろうなあ。

 そういう意味では、今の話で視野が広がったと言えるのかもしれない。

 単に今までのぼくが無関心すぎただけかもしれないけれど。

 これを機に、ぼくも真面目にからあげのことを勉強してみようかなあ。

 せっかく小鳥遊さんみたいな外面も内面も美しい人と──それこそぼくには勿体ないくらいの素敵な女の子が友達になってくれたのだから、こっちも話を合わせられるくらいの関係になっておきたいものだ。

 もっとも、小鳥遊さんレベルに合わせようと思ったら、めちゃくちゃからあげに関する勉強をしなくちゃいけない気がするけども。

 とまあ、ひとまず未来の課題はさておくとして。

 小鳥遊さんとからあげ談議をしている内に、ようやく順番が回ってきた。

 そうして当初の目的通りからあげ──いや、竜田揚げを単品かつ割り勘で購入したあと、ぼくたちは店先を出て、人の流れの邪魔にならないところへと移動した。

「買えたね。話題のからあげ」

 ぼくの言葉にこくりと頷きつつ、小鳥遊さんはその手に持っている竜田揚げが入った容器へと熱い視線を注いだ。

 容器は着色されたポリスチレン製でできており、中身は蓋を開けてからでないと確認できないようになっている。

 それでも、隙間から漏れ出ているからあげ特有の香ばしい匂いが、ぼくの鼻腔を刺激して唾液を促してくる。

 そんな感じでしばし見つめていると、ふと小鳥遊さんが無言で容器を差し出してきた。

「えっと……? ぼくが先に開けていいってこと?」

 こくこく、と二回頷く小鳥遊さん。

 ほ、本当にいいのかな……?

 小鳥遊さんのようなからあげ好きにしてみれば、いの一番にやりたがる行為のように思えてならないのだけれど……。

 あ、でも、容器を持ったままだとスマホが扱えないから、感想が言い合えないのか。

 そういうことであれば、といった感じに竜田揚げの入った容器を慎重に受け取り、手前まで引き寄せる。

「じゃあ、開けてみるね」

『はい。どうぞ』

 と、さっそくスマホを手にして返事をする小鳥遊さん。

 その瞳は期待に満ち満ちていて、ぼくの反応を心待ちにしているのが如実に見て取れた。

そんな小鳥遊さんのウキウキとした表情に若干緊張を覚えつつ、ぼくはそっと蓋を開けた。

 すると、どうだろう。



 さっきまで隙間から漏れていた良い匂いが、蓋を開けた瞬間、湯気と共に一気に溢れて出てきた。



 醤油と油の食欲をそそる香り。だしも入っているのか、肉と一緒にかつお節のようなまろやかな風味も漂ってくる。

 見た目は普段目にしているからあげとそう変わらないけれど、唯一違う点があるとすれば、衣の薄さだろうか。

 竜田揚げは通常のからあげと違い、小麦粉ではなく片栗粉を使っていると小鳥遊さんがさっき説明してくれていたので、それで衣が薄くなっているのかもしれない。

 そして衣が薄いおかげもあってか、見た目だけで肉感がありありと伝わってきて、香りや味だけでなく食感も楽しめそうだった。

『割り箸はもらってあるので、こちらを使ってください。すでに割ってあるので、すぐに使えますよ』

「あ、これはご丁寧にどうも……って、あれ? これひとつしかないけれど、小鳥遊さんの分は?」

 はっ! もしかして共用で使うとか!?

 図らずも、ここでぼくのファースト間接キスを済ませてしまうことに!?

『大丈夫ですよ。私はマイ箸があるので』

 言って、小鳥遊さんがポシェットから取り出したのは、漆塗りの値段が張りそうな箸だった。

『あ。よければ使い捨ての爪楊枝パックもありますが』

「いや、割り箸で十分だよ……」

 思わず肩を落としながら応えるぼく。

 どうやらぼくのファースト間接キスは、まだまだ先のようだ……。

 それにしても、小鳥遊さんのポシェットの中身って一体どうなっているのだろう。

 ペットボトルはいいとしても、香辛料だけなくマイ箸や使い捨ての爪楊枝まで入っているなんて、まるで全国を旅するグルメ記者みたいだ。

 それとも、最近の女子高生はこれが普通なのかな……?

『……羽賀くん? どうかされましたか? もしかして、フォーク派でした?』

「う、ううん。なんでもないから、気にしないで」

 今度はフォークを出してきそうな小鳥遊さんに苦笑で応えつつ、ぼくは改めて竜田揚げを見据える。

 なんだかんだと時間を置きながらも、容器越しに伝わる温かみは変わらず、依然として食欲をそそる香りを放っている。

 出来立てホヤホヤというのもあるだろうけど、容器自体に保温効果があるのかもしれない。

 だからと言って、いつまでも冷めないというわけではないだろうし、いい加減早めに食べた方がよさそうだ。

 などと考えながら、ありがたいことに前もって小鳥遊さんに割ってもらった割り箸を手に持って、竜田揚げをひとつ摘まむ。

 それから目の前まで持ち上げつつ、しげしげと眺めたあと、一口で食べた。

 そして──



「うっっま!!」



 なんだこれ!? めちゃくちゃ美味しい!!

 カリッという噛みごたえのある食感と溢れる肉汁──それだけでも称賛に値するのに、咀嚼をやめられないほど竜田揚げの旨味が口内に染み込んでいく。このまま呑み込むのが惜しくなるくらいに。

 だからと言って、いつまでも口の中に入れるようなはしたない真似をするわけにはいかず、名残惜しさと共にごくりと竜田揚げを嚥下した。

 それから余韻に浸るように「ほう」と吐息をこぼしたあと、

「これが竜田揚げ……想像以上に美味しい……」

『ご満足頂けたようでなによりです』

 ぼくの反応を見て、嬉しそうに口許を綻ばせる小鳥遊さん。

 まさか竜田揚げがここまで美味しいものだったとは。でもこれ、どことなく味に覚えがあるような気がするなあ。

 さっき小鳥遊さんも説明してくれたけど、やっぱり給食とかで一度は食べたことがあるせいなのかな? いやけど、そこまで古い記憶でもないような……?

「あ、そっか。前に小鳥遊さんのお弁当に入っていたからあげの味と似ているのか。ということは、これも白だしが入っているとか……?」

「! すごい! よぉ覚えとったね!」

 と。

 ふと漏らした感想に、小鳥遊さんがキラキラと両目を輝かせて食い付いてきた。

「そうなんよ! この竜田揚げにも白だしが入っとるんよ~! けど、それだけやないんやに! 他にも色々入って──……」

「? 小鳥遊さん……?」

 急にフェードアウトした小鳥遊さんに、思わず首を傾げて呼びかけるぼく。

 すると小鳥遊さんは、顔を隠すようにスマホを目の前までさっと持ち上げたあと、そのままポチポチと文字を打って、

『羽賀くんのご指摘通り、この竜田揚げにも白だしが使われているのですが、それだけではなく、生姜やラ・フランスの果汁などが入っているんです』

 などと何事もなかったように解説する小鳥遊さんだったけれど、真っ赤になっている両耳を見てなんとなく事情を察した。

 あー。もしかして、ローソンのそばで「からあげクン」を食べていた時に、人前で長広舌を披露してしまったことを未だに恥じているのかな?

「小鳥遊さん、ちょっと前にも似たようなことを言ったけれど、喋りたいことがあるのならいくらでも喋ってくれていいんだよ? ぼくなら気にしないからさ」

『いえ。同じ失態は二度としないと心に決めたので』

 意外と頑な小鳥遊さんなのだった。

 本当に気にしないのになあ。むしろこっちとしては、もっと見ていたいくらいなのだけれど。

 小鳥遊さんが楽しそうにからあげのことを喋っているところを見ていると、こっちまで楽しい気分になれるから。

 でも小鳥遊さんが嫌だって言うのなら、無理強いはできないか。ちょっぴり残念。

「ところでこれ、ラ・フランスが入っているって話だったけれど、あれって確か洋梨じゃなかったっけ?」

『はい。フランス原産の洋梨ですね。フランスが原産と言っても、日本の方が生産量は多めですが』

「へー。けど、なんでからあげに洋梨? 肉にフルーツってあんまり合わないような気がするけれど」

『材料や調理の仕方にもよりますが、合わないものばかりということもないですよ。フルーツに入っている酵素によってお肉が柔らかくなってよりジューシーになりますし、フルーツの甘みがお肉の味わいを引き立てたりしますから。それにラ・フランスは甘味が少ないですし、生姜も入っているので、ほとんど気にならなかったはずですよ』

「あー。言われてもみれば……」

『ちなみにラ・フランスが使われたのは、味に深みを出すだけでなく、香りを引き立てる効果を狙ってのことかと。同じフルーツで言うと、キウイやパイナップルなども相性がいいですね』

 パイナップルかー。パインの入った酢豚とか、ぼくにしてみれば邪悪以外のなにものでもない組み合わせだったけれど、そういう背景があったからなのか。

だからと言って、今でも生のフルーツがそのまま入った肉料理なんて、断固として認めないけれどね!

「それにしても、どうしてそこまで知っているの? お店の人にでも訊いたの?」

『いえ。ホームページに記載されてあったので』

 思っていたよりもずっと単純な答えだった

「載ってあるんだ、ホームページに……」

『最近はそういうところも珍しくありませんよ。アレルギーの問題もあるので』

「あ、なるほど」

 ぼくもカニアレルギー持ち──と言っても喉が痒くなる程度だけど──なので、確かにそうやって知らせてもらえるのはすごくありがたい。

 事前に使われている材料を知っていれば、アレルギーの心配もせずに済むからね。

「そっかー。お店の人も色々工夫しているんだね」

『今はなにか問題があればすぐにSNSで拡散されてしまう時代なので、そういうリスクは避けたいのもあるのかと。もちろんアレルギーを持っている方にしてみればありがたい話だとは思いますが、なにも知らずに食べた方が味の想像ができなくていいという考えの方も中にはいらっしゃるので、一概にどちらがいいとは……』

「あー。その気持ち、わかるかも。ぼくもよほどの事情がない限り、事前情報とかあんまり聞きたくない方かなあ」

 マンガとか映像作品は、特に。

 そう考えると、小鳥遊さんが毎回あとになってからあげの解説をしてくれていたのも、食べてからの楽しみが減らないようにという配慮があったからなのかもしれない。

 なんて話している内に、全部で八個あった竜田揚げがいつの間にか半分にまで減っていた。

 どうやら自分でも気付かない内に、会話しながらパクパク食べていたようだ。

 って、ダメじゃん! まだ小鳥遊さんが食べてないのに!

「ご、ごめん小鳥遊さん! うっかり半分も食べちゃった……」

 いくら割り勘だったとはいえ、断りも入れずに半分も食べてしまうなんて非常識な行為だ。これは弁解の余地もない。

 そんなぼくの気落ちした様子を見てか、小鳥遊さんは声を荒げることもなく、ただ静かに微笑した。

『いえ、気にしないでください。そこまで美味しそうに食べてもらえると、紹介した私としてもすごく嬉しいですから』

「小鳥遊さん……」

 菩薩のように穏やかな笑みを浮かべる小鳥遊さんに、ぼくは感激のあまり、その場で跪きそうになった。

 なんて心優しい人なのだろう。大好物のからあげを目の前までパクパクと食べられてしまったというのに。

 この人と友達になれて本当によかった……今の小鳥遊さんの笑顔を見て、心からそう思う。

『あのー。その代わりと言ってはなんですが、ひとつだけワガママを言ってもよろしいでしょうか?』

「ワガママ? なんでも言ってよ。ぼくにできることならなんでもするからさ!」

 と一寸の迷いもなく返したぼくに、小鳥遊さんは少しだけ申しわけなさそうな──ともすれば秘密を打ち明けるかのような深刻な表情でこう告げた。

『もう一度、行列に並んできてもいいですか? 出来たらたくさんの竜田揚げを食べたくて……』

「あ、うん。どうぞ……」

 どうやら残り四個の竜田揚げでは、満足できなかったようだ。

 う~む。さすがは小鳥遊さん。

 からあげ愛がマジで半端ない。





 その後。

 竜田揚げを存分に堪能したぼくたちは、再び名古屋駅へと向かっていた。

「けど、どうしてまた名古屋駅に?」

 道すがら、隣を歩く小鳥遊さんにふと訊ねてみると、小鳥遊さんは不安そうに眉尻を下げて、

『……もしかして、他に行きたいところが?』

「いやいや! そういうわけじゃないけれど、ただ純粋に不思議というか、また戻るくらいなら先に済ませた方が早かったような気がしてさ」

『あ、そういうことでしたか』

 そう返答すると、小鳥遊さんは意味深にクスリと微笑した。

『それは、着いてからのお楽しみということで』

 つまり、秘密というわけか。

 それなら、言葉通り楽しみにさせてもらおうとしよう。

 小鳥遊さんのオススメなら、ハズレということもないだろうし。

 そんなこんなで、お弁当屋さんまで来た道を小鳥遊さんと一緒に戻っているわけだけど、その最中に喉の乾きを覚えてしまった。

 まあ脂っぽいものばかり食べていたし、なにより飲み物を用意せずに来てしまったのだから、当然といえば当然の話ではあるけれども。

 そして一度喉の渇きを覚えたらますます気になるもので、今からでも水分を補給したくなってきた。

「あの、小鳥遊さん。コンビニに行ってきてもいいかな? ちょっと喉が渇いてきちゃってさ」

『コンビニですか? よかったら私も一緒に行きましょうか?』

 きっと方向音痴のぼくを心配してくれているのだろう──そんな小鳥遊さんの申し出にぼくは「ううん」と首を振った。

「一度行ったことのある道だし、それにすぐ近くだから一人でも大丈夫」

『そうですか……』

 ん?

 なんだか一瞬だけ、不安そうな表情をしたような……?

『では私は、そこの公園で待っていますね』

 そう何事もなかったかのようにスマホで応えながら、横手にある少し大きめの公園を指差す小鳥遊さん。

 そこは雑多なビルの中にある公園で、喧騒とした名古屋駅の周辺とは違い、比較的静かなところだった。

 ちらほらと公園利用する人もいて、ブランコや滑り台で遊んでいる子供や、ベンチに座ってお喋りしているご老人などがいる。きっと近所に住んでいる人たちなのだろう。

 ちょっとだけ不安そうにしていたのが気がかりだけど、あそこなら人目もあるし、変な人に絡まれる心配もないかな。

「オッケー。じゃあ、ちょっと行ってくるね」

『はい。ごゆっくり』

 小鳥遊さんの返事を確認したあと、さっそく踵を返してコンビニへと向かう。気持ち、足を早めて。

 ごゆっくりとは言われたけれど、女の子を長々と一人きりで待たせるわけにはいかないし、ここはやはり急ぐに越したことはない。

 そういうわけで、さっさとコンビニに行って飲み物を購入したあと、先ほど通った道を足早に戻る。

 片方に自分用の缶ジュースと、もう片方の手に小さいお茶のペットボトルを持ちながら。

 お茶の方は小鳥遊さん用に買ったもので、まだ少し肌寒いというのもあってホットの方を選んだ。お茶なら小鳥遊さんも持参していたけれど、もうそろそろ中身がなくなりそうな感じだったので、今のうちに購入しておいたのだ。

 この方が小鳥遊さんも余計な手間が省けるし、なによりその分、からあげ巡りに時間を割けるからね。

 それに小鳥遊さんに少しでも楽しんでもらえるのなら、お茶の一本や二本くらい、どうってことはない。

 なんなら、学校でも喜んでパシリにいく次第である。

「って、子分かぼくは」

 思わずセルフツッコミをするぼく。

 昨今、再び流行の兆しがあるヤンキーが主役のマンガを読んだせいか、今どき子分なんていう古くさい言い方までしてしまった。自分で言っていて、ちょっと恥ずかしくなってきた。

「これじゃあ、小鳥遊さんに心酔するクラスの連中とあんまり変わらないな……」

 などと一人で苦笑しつつ、小鳥遊さんが待つ公園へと急ぐ。

「なあ、いい加減俺らとお茶しようぜ~?」

「そうそう。別になにもしないからさ~」

 と。

 もうちょっとで公園が見えてきそうというところで、男たちのチャラそうな声が不意に聞こえてきた。

 なぜだか、ものすごく嫌な予感がした。

「まさか……」

 単なる思い過ごしであってほしい──そんな切なる願いと共に、そっと近くの木陰から遠巻きに公園の様子を窺う。



「ほんと、一切エッチなことはしないからさー。一緒にお茶できればそれでいいから」

「つーかこの子、会ってから一口も喋ってなくね? ずっと首を振ってばかりで」

「あー。言われてもみればそうだな。けど、それはそれでアリじゃね? クール系美人って感じで」

「わかるわー。これだけ美人だと、冷たくされても逆に興奮してくるよな」

「それな」



 ギャハギャハと真っ昼間の公園で気持ちの悪い話をしながら、下卑た笑い声を上げる男二人。

 声からしてチャラそうだとは思っていたけど、見た目の方もだいぶ派手というか、片方はピンク、そしてもう片方はオレンジという目が覚めるような髪色だった。

 そして、そんな二人の男の前には──

「! 小鳥遊さん……!」

 じりじりと詰め寄るチャラ男二人に対し、強張った表情で後ずさりする小鳥遊さん。

 チャラ男たちはクールと言っていたけど、あれは絶対そういう顔じゃない。

 小鳥遊さんとはまだそれほど長い付き合いではないけれど、そんなぼくでもわかる。

あれは、内心の恐怖を必死に押し殺しているだけだ。

 下手に相手を刺激しないよう、健気にも声ひとつ上げようとせず、ぎゅっとポシェットを抱きしめながら。

「くそっ! こんなことなら、一緒に付いて来てもらえばよかった……!」

 思わず地団駄を踏む。今さら後悔しても遅いけど、自分の迂闊さがさが恨めしい。

 公園に老人や子供しかいないからと、大した根拠もなく安心しきっていたのがそもそもの間違いだった。

 もっと警戒すべきだった。公園に怪しい人物がいなかったとしても、他の道から来る可能性だって十分にあったのだから。

 まして小鳥遊さんは目を惹く容姿だ。それがあんなチャラついた奴らに見つかったらどうなるかなんて、簡単に想像できたはずなのに……!

「……落ち着け、ぼく。今は自分を責めている場合じゃないだろ……!」

 呼吸を整えて、改めて公園の様子を観察する。

 幸いと言うべきか、今のところ、チャラ男たちが手荒な真似をするような挙動は見られない。きっと周りの目があるせいだろう。

 でも、その周りの人も余計なトラブルには巻き込まれたくないと思ってのことか、どんどん公園から離れていっている。

 このままだと、いつチャラ男たちが野蛮な行為に出るか、わかったものじゃない。

 つまり、ぼくしかいないのだ。

 今、小鳥遊さんを救えるのは。

 とはいえ、相手は二人。しかも体を鍛えているのか、服の上からでも筋肉が隆起しているのが傍目からでもわかる。

 対するぼくはいえば、今まで筋トレなんてしたこともない華奢な体付きの上、護身術の心得すらない貧弱系男子。

 これでまともにケンカをしたらどっちが勝つかなんて、もはや問うまでもないくらい自明の理だった。

「どうしよう……どうしたらいい……」

 このままむやみに突っ込んだところで、逆にボコボコにされるだけ。

 だからと言って、小鳥遊さんを見捨てるなんてことは絶対にできない。

 なにか、なにかないのか!

 チャラ男たちとの衝突をやり過ごした上で、無事に小鳥遊さんを公園から連れ出す方法は……!

「あっ──」

 その時、天啓のようにある光景が脳裏を過った。

 この方法なら、あるいは──!

「もう少しだけ待っていて、小鳥遊さん。必ず助けに行くから……!」

そう小声で誓いを立てて、すぐさま駆け足で公園から離れる。

 うまくいく保証なんてどこにもない。

 けれど今はこの方法に──自分でも正直どうかしているとしか思えない奇策に懸けるしかなかった。





「ほら~。そんなに嫌がってばかりいないで、そろそろ俺たちとお茶しようぜ? このままじゃお昼も過ぎちゃうしさ~。俺もうお腹ペコペコだよ~」

「なんなら、好きなものなんでも驕るし。俺らといたらきっと楽しいよ?」

「…………(ふるふる!)」

「ちっ。強情な女だな。さっきからずっと首振ってばかりで一言も口利かねぇし。そんなに俺らが嫌ってか? ああ?」

「……なあ。もしかしてこいつ、喋りたくないんじゃなくて、喋れないんじゃね? なにかの病気とかでさ」

「マジで? それが本当なら、やりたい放題じゃね?」

「それな。おあつらえ向きにいつの間にかだれもいなくなっているし、試しにトイレの中にでも強引に連れ込んでみるのも──」




「待ちたまえ君たちぃぃぃ!!」



 と。

 突如として響いてきた高らかな声に、今にも小鳥遊さんの腕を強引に掴もうとしていたチャラ男たちの手がピタッと止まった。

「ああん? なんか用……って、はあああ!?」

「な、なんだこいつぅぅう病室」

 脈絡もなく現れた謎の男に、揃って目を剥くチャラ男たち。

 無理もない。なぜならその男とは──

「ふっ。私が何者かって? いいだろう、とくと耳を澄ませて聞くがよい。

 私の名前はパンスト仮面! パンストをこよなく愛する正義の味方である!!」



 ──頭から、パンストを被っていたのだから。



「パ、パンスト仮面? なに言ってんだこいつ……」

「あれじゃね? 変態じゃね?」

「なるほど、変態か。パンスト好きの変態か」

 変態変態やかましい。

変態でもなければ、別にパンスト好きでもないってーの。

 とまあ、そんなわけで。

 パンスト仮面の正体は、ぼくでした。

 ……………………………………。

 いや、本当にパンストが好きとかじゃないからね?

 こうしてパンストを被っているのも、ちゃんとした策略なのだ。

 とりあえず、順を追って説明しよう。

 小鳥遊さんがチャラ男たちに絡まれているところを見て、一瞬脳裏をかすめた光景。

 それはローソンで「からあげクン」を購入した際に見かけた、コスプレをしている人たちの姿だった。

 なぜあの時、コスプレ姿が脳裏を過ったのかはわからない。けれどそのおかげで、小鳥遊さんを救い出せるかもしれない打開案を思い付いたのだ。

 その打開策というのが、パンストを被った変態を演じることで、相手を怯ませるというものだった。

 そんなわけで、すぐさまコンビニに引き返してパンストを購入したあと、ご覧の通りパンストを被って公園に突撃したわけではあるけれども。

「君たち、今すぐその子から離れたまえ! 痛い目を見る前にね!」

 正義の味方よろしく、ビシッとポーズを決めて警告するぼく。

 内心、ものすごく羞恥心に堪えながら。

 ああ恥ずかしい! めちゃくちゃ恥ずかしい!

 パンストを被っているせいもあるけれど、高校生にもなって特撮に出てくるヒーローみたいな真似事をしている自分が一番恥ずかしい!

 コンビニでパンストを購入した際、女性の店員さんに怪訝な顔をされたのもだいぶ堪えたけれど、今はその比じゃないよ!

 はっきり言って一生のトラウマもんだよ、こんなの!

 けれどその甲斐はあったというか、効果は覿面だったようで、見るからにチャラ男たちが狼狽えている。

 これならば、すぐに襲いかかってくる心配はないだろう。ひとまず、第一関門はクリアといったところか。

 人間、真正面から刃向かってくる奴よりも、なにを考えているのかわからない奴を前にしている方がいっそう恐怖を感じるものだ──なんてセリフをなにかのマンガで読んだことがあるけれど、どうやら本当のことだったらしい。

 それに、こうしてパンストを被ることによってぼくの表情も読めなくなるし、なにより顔の判別もできなくなる。

 つまり今後、ばったりこいつらと出くわすことがあったとしても、向こうから気付かれる心配はないってわけだ。

 その代わり、人として大切なものを失ったような気もするけれどね!

 ただ不幸中の幸いと言うべきか、小鳥遊さんもぼくの姿にあっけに取られていて、今のところ通報するような素振りは見られない。いやまあ、きっと正体がぼくだってわかっているからだとは思うけれども。

 なんにせよ、問題はここからだ。

 相手が動揺している内に、小鳥遊さんをなんとかしてここから無事に連れ出さないと。

「聞こえなかったのかね? 早くここから離れたまえ。さもないと、君たちに正義の鉄槌が下ることになる」

 と、それまで面食らっていたチャラ男たちが、ぼくの警告を聞いてハッと我に返ったように凄んできた。

「あん? バカじゃねぇのこいつ? お前みたいな変質者が言えたセリフかよ」

「通報しようぜ、通報。こういうのは警察に任せるのが一番だろ」

「おや、本当に通報していいのかい? 警察が来て困るのはそちらの方だと思うが」

「は? なんで俺らが困るんだよ? 別になにもしてねぇのに」

「それはおかしいね。君たちのやり取りを先ほどまで見させてもらっていたが、私にはその子を強引にトイレへ連れ込もうとしていたように思えたのだが?」

 ぼくの指摘に対し、ピンク頭のチャラ男が露骨に「ちっ」と舌打ちを漏らした。

「面倒くせぇ……。見てやがったのかよ、こいつ」

「問題ねぇよ。どうせ証拠もなにもねぇんだから。だいたい、こんな変質者の言葉なんてだれが信じるかっつーの」

「あ、それもそっか。ぎゃはは!」

「ふむ。確かにそれは一理ある。が──」

 と、そこで一拍置いてから、ぼくはおもむろに小鳥遊さんを指差した。

「その子が証言さえすれば、さすがの警察も君たちを放っておかないのでは?」

「「………………」」

 ぼくの言葉に、チャラ男たちは揃って痛いところを突かれたとばかりに顔をしかめた。

「おい、どうするよ? あいつの言う通り、もしもこの女が警察に俺らのことを話しでもしたら……」

「大丈夫だって。だってこいつ、俺らにここまでされても悲鳴のひとつも上げてねぇんだから」

「ばか。口は利けなくても、筆談されたらおしまいだろうが」

「……だったら、どうするよ?」

「んなもん、ここで黙らせればいいだけの話だろ。俺たちの拳でな」

 そう言って、これ見よがしに拳を打ち付けるオレンジ頭のチャラ男。

 そんなチャラ男に同意する形で、

「なるほど。そりゃ名案だ」

 と、ピンク頭も口端を歪めてファイティングポーズを取り始めた。

「ほう。今度は暴力に訴えるつもりかね? だが私やその子に手を出したら、それこそ警察に言い訳できなくなると思うが それでいいのかい?」

「安心しろ。女には手を出さねぇよ。余計なことを言われないよう、しばらく俺らのそばにいてもらうことにはなるけどな」

「その代わり、お前はここでボコボコにする。上から下まで全身を徹底的に痛ぶって、口どころか手足すらまともに使えなくなるまでな」

 どうやら、本気で暴力を振るうつもりでいるようだ。

 けど、これも作戦のひとつ──勝てる見込みのないケンカをするほど、ぼくは無謀じゃない。

 だからと言って、この作戦がうまくいく保証もないけれど。

 それでも、ここまで来たらやるしかない。

 今ここで小鳥遊さんを助けられるのは、ぼくしかいないのだから……!

「待ちたまえ。本当に私を殴ってもいいのかい?」

「ああん? 今さらやめろとでも言う気か?」

「もう遅ぇんだよカスが! 俺たちにケンカを売ってしまったことを存分に後悔させてやるよ!」

「いや、私を殴ること自体は別段止めるつもりはない。というより、ぜひとも私を存分に痛めつけてほしいくらいだ」

「「……は?」」

 と、揃って口をポカンと開けながら放心するチャラ男たち。

 そりゃ面と向かって「痛めつけてほしい」なんて言われたら、耳を疑いたくもなるのも無理はない。

 だがもちろん、これも作戦の内。

 むしろ、ここからが正念場だ!

「私は正義の味方ではあるが、同時に愛の探索者でもある。愛とはなにか、愛し愛されるという行為の先になにがあるのか、私は常にそれを探求している……」

「……なあおい。あいつ、さっきからなに言ってやがんだ?」

「さ、さあ……?」

「心配ご無用。私は至って正常だ」

「いや、どこが正常だよ。どう考えても異常だろ……」

「それな。完全に異常者だわ、こいつ……」

 うん。そうだろうね。

 もしもぼくが同じような境遇に遭遇したら、即効逃げていると思う。

 言い換えるならば、チャラ男たちも同様の危機感を抱いているというわけだ。

 同じ男だからこそわかる。いかにも屈強そうな男よりも、見るからに異様な性癖を持った野郎の方が、本能的に恐怖を感じるということを。

 つまり、叩き込むなら今だ!

「異常者か……いい言葉だ。愛を感じるね。具体的に言うと下半身に」

「うわっ。こいつ、なんかやべぇこと言い始めたぞ!」

「ああ……。思っていたよりだいぶ危ない奴かもしれん……!」

 よしよし。だんだんと向こうも怯んできている。

 あともうひと押しだ!

「そんな怖がらずに、もっと私とコミュニケーションを取ろうではないか。ほら、早く私を殴りたまえ! さあ今すぐ! 可及的速やかに私を快楽に浸らせておくれ!」

「ひぃぃ! 俺もう無理ぃぃぃ!」

「お、おいコラ! 俺を置いてどっか行くなよ!」

 オレンジ頭が逃げ出したのを皮切りに、ピンク頭もあとを追うように公園から走り去ってしまった。

 そうして、気を抜かず最後までチャラ男たちの姿が完全に見えなくなったところで、ぼくは盛大に息を吐き出した。



 あ~! ほんと怖かった~!

 なんとかなってよかったけれど、もしも本当に殴られたらどうしようかと思った~!



 これも、コンビニでコスプした人たちを見かけたおかげだ。あれがなかったら、パンストを被ってチャラ男たちを撃退するなんていう奇抜な方法は思い付かなかったと思う。

 まさかコスプレした人たちも、こんな形で人助けに一役買うなんて考えもしなかっただろうなあ。

 いや、別にパンスト仮面がコスプレだと言い張るつもりはないし、自分でも正直あれはどうかと思うけれど。

 というか、コスプレからパンスト仮面を連想するという考え自体、頭がどうかしていると言われてもなにも弁解できないけれども!

「って、そんなことよりも小鳥遊さんは……!?」

 思考を切り替え、慌てて小鳥遊さんの方を見ると、緊張の糸が切れたのか、茫然自失とした面持ちで地面に両膝を付いていた。

「小鳥遊さん!? 大丈夫だった!? ケガとかない!?」

 と、急いで小鳥遊さんの元へ駆け寄って声をかける。

 すると小鳥遊さんは、しばらくぼんやりとぼくを眺めたあと、ハッと両目を見開いた。

「は、羽賀くん……?」

「うん。ぼくだよ。助けるのが遅れてごめんね……」

 ぼくの言葉に、小鳥遊さんはぶんぶんと勢いよく首を横に振ったあと、震えた手でポシェットからスマホを取り出して、

『羽賀くんが謝ることなんてなにもありません。むしろ謝るのは私の方です。羽賀くんを危険なことに巻き込んでしまって……』

「いやいや。それこそこっちが勝手にやったことだから気にしないで。ちょっと恥ずかしいところを見せてしまったけれど……」

『そんなことありません! 私を必死に助けようとしてくれたのですから!』

「……でも、パンスト仮面だよ? それにほら、今になってこんなに手足が震えてきちゃっているし……。ほんと、カッコ悪いよね……」

 本当はもっとスマートに助けられたのならよかったのだけど、ぼくにはこんなことしかできなかった。

 それがすごく情けなくて、すごく悔しい。

 そんな風に自省するぼくに、小鳥遊さんは穏やかに微笑んで、

『私を助けるために、そこまでしてくれたってことですよね? だったらカッコ悪いことなんてなにもないです。それどころか、とても勇敢でカッコいいと思います。だって、だれにでもできるようなことではありませんから』

「小鳥遊さん……」

『それに、羽賀くんのおかげで危ない目にも遭わずに済みました。本当にありがとうございます』

 ぺこりと頭を下げる小鳥遊さんに、ぼくは「ううん」とかぶりを振った。

「お礼を言われるようなことはなにもしてないよ。けれどひとまず、無事に終わってほんとよかった」

『はい。お互いケガもなにもなくて本当によかったです。ですが……』

 と、そこで言葉を区切った小鳥遊さんは、少し恥ずかしそうに周囲を見渡したあと、再びスマホを操作して続きの文章をぼくに向けた。

『そろそろ、ストッキングを脱いでみては? その、だんだんと人が集まっているようなので……』

「あ」

 安堵するあまり、パンストを取り忘れたまま小鳥遊さんに話しかけちゃった……。



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