第一話 無口な小鳥遊さん
「千葉から愛知に転校して来ました、羽賀大介です。よろしくお願いします」
特に面白味のない無難な自己紹介を済ませ、軽く一礼するぼく。
まばらに聞こえてきた拍手と共に顔を上げたあと、今日から一緒に過ごすこととなるクラスメートたちの様子を教壇から眺めた。
今回が初めてとなる転校──それもよく知らない他県の高校なので、それなりに緊張はしていたけれど、こうして見渡す限り、特筆するようなことはなさそうに思える。
少なくとも、転校初日から絡んでくる不良生徒とか、先生の話をまともに聞こうともしない問題児クラスだとか、そういうのはなさそうで少しホッとした。
いや、マンガやアニメであるような幼馴染との久しぶりの再会とか、お隣さんに住んでいた女の子が偶然自分と同じクラスだったとか、そういう転校あるあるを期待していなかったわけじゃないけれど、まあ現実なんてこんなもんだよね。
「えー。というわけで、今日からお前たちと同じクラスになる羽賀だ。転校したばかりでわからないことも多々あると思うから、その時は色々教えてやってくれ」
三十路くらいの男性教諭──もとい担任の言葉に各々無言で頷くクラスメートたち。
中には先生の話を聞かずに手鏡で自分の髪型をチェックしている女子や、眠そうにうつらうつらと船を漕いでいる男子もいるけれど、これくらいは許容範囲だ。だれだって転校生に興味があるわけではないのだから。
まして、それが可もなく不可もなくの頂点を極めたような男ともなれば。
「で、羽賀の席だが、小鳥遊の隣……窓際の一番奥だ」
先生に言われて、ぼくは教壇から件の席へと視線を向けた。
そこには転校生が来るとわかってだれかが磨いてくれたのか、はたまた新品を用意してくれたのか、陽光に照らされて煌いている机と椅子が置かれており、春の風に乗って窓から来訪してきた桜の花びらが、まるでぼくを祝福するかのように何枚か机の上に散らばっていた。
そして気になる隣の席の人は言うと、残念ながらその前の席に座っている男子の体が縦にも横にも大きくて、ぼくのいる位置からだと全然見えなかった。
まあ、行けばすぐわかることだし、あとのお楽しみということにしておこう。
「じゃあ羽賀、さっそく席に着いてくれ。お前らも今日から二年生になって新しいクラスになったばかりだし、朝のHRが終わったら全員の自己紹介と各委員を決めていくぞー。それはさておき、今日の連絡事項についてだが──」
先生の話を背中で聞き流しながら、ぼくは言われた通りに自分の席へ向かう。
途中、ぼくの席の前にいる陽気な感じの男子に「よっ」と気さくに挨拶された。ぼくも軽く頭を下げて「よろしく」と挨拶を返す。
なかなか幸先のいいスタートだ。慣れない土地での新しい学校生活に不安もあったけれど、今のところクラスの雰囲気もこれといって問題はなさそうだし、これなら平穏無事に過ごせそうな予感がする。
これで隣の席の人が可愛い女の子だったら、言うこともないのに。
なんて、これ以上はさすがに高望みしすぎか。
マンガやアニメじゃあるまいし、そうそう都合良く隣の席に美少女がいるはずも──
と、そんな益体もないことを考えながら自分の机に鞄を置こうとした際、なにげなく視界に入った隣の席を見て、ぼくはハッと息を呑んだ。
校庭で見かけたあの銀髪の女の子が、ぼくの目の前に座っていた。
折り目正しく、まっすぐ先生の話に耳を傾けながら。
その予想もしていなかった出来事に、ぼくは席に着くことも忘れてポカンと惚けてしまった。
嘘、だろ? まさかあの時見かけた女の子が──きっと関わり合いになることなんてないだろうと勝手に思い込んでいた絶世の美少女が、ぼくの目の前にいるなんて……!
しかも信じられないことに、同じクラスどころか隣の席……これはいよいよもって夢か幻かもしれないと、自分の頬をつねろうとしたその時、
「おーい羽賀―。どうかしたかー? なにか忘れ物かー?」
「! ああいえ、なんでもないです!」
先生の言葉にハッと我に返ったぼくは、慌てて自分の席に座った。
鞄を机のフックにかけ、先生の方を向きつつ、それとなく隣の席をチラ見する。
うーむ。やっぱり綺麗だ。
顔やスタイルはもちろんだけれど、こうして椅子に座っている時の姿勢とか、たまに前髪を払う時の仕草とか、そういうひとつひとつの所作が気品に溢れていて、思わず見とれてしまう。
おっと。そういえば挨拶がまだだった。
何事も第一印象が大切だし、これから隣の席になる者として、きちんと挨拶をしておかなければ。
「は、羽賀です。今日からよろしく」
緊張で少しどもりながらも、なるべく笑顔を浮かべて簡素に挨拶をしたぼくに対し、銀髪美少女──もとい小鳥遊さんの反応はいうと、
「…………………………」
無、だった。
それはもう、返事どころかこっちに目もくれないほどの完全なる無反応だった。
……あれ? もしかして聞こえなかったのかな?
まあ先生の邪魔にならないよう、あえて小さめの声で話しかけたので、小鳥遊さんの耳には届かなかったのかもしれない。
うん。可能性は十分にある。今度はもうちょっと声量を上げて挨拶してみよう。
というわけで、気持ちを切り替えるために「こほん」と咳払いしたあと、ぼくはさっきよりも大きめの声で再度チャレンジしてみた。
「羽賀です。今日からよろしく」
果たして、小鳥遊さんの反応は──
「……………………………………………………………………………………」
変わらず、無でした。
あれれー!? 今度はちゃんと聞こえたはずだよね!?
それなのに反応がないってことは、ひょっとしなくても無視されたってこと!?
「……ぼく、なにか嫌われるようなことでもしたかな……?」
あまりのショックに、机に突っ伏しながら独り言を漏らすぼく。
そんなこんなで、幸先のいいスタートと思っていた転校初日の朝は、隣の席の美少女にガン無視されるという、なかなかハードな一日から始まってしまった。
「小鳥遊さんに無視されたって? そりゃしょうがないさ。だって小鳥遊さんだし」
自己紹介と委員会決めにあてがわれた一限目が終わったあとの休憩時間──次の時間に全校集会があるとのことで、みんなと体育館に移動している最中のことだった。
転校したばかりでまだ場所がわからないだろうと、親切にも案内役を買って出てくれた坊主頭の男子、もといぼくの前の席でもある上坂くんに、歩きながら朝のHRでの出来事を相談してみると、そんなやけにあっさりとした回答が返ってきた。
「小鳥遊さんは常時あんな感じだから。オレだってまともに会話したことすらないぞ」
「え? 本当?」
「おう。ていうか、ほとんどの人は小鳥遊さんと話したことなんてないと思うぞ。オレ、一年生の時も小鳥遊さんと同じクラスだったけど、他の人と仲良く話しているところなんて見たことねぇもん」
「そうなんだ……」
クールそうな人だとは思っていたけれど、一人でいる方が好きなタイプなのかもしれない。
思い返してみれば、クラスのみんなで一人ずつ自己紹介をしていた時もそうだった。
一人ずつ教壇に立って趣味の話や冗談を交えながら自己紹介していく中、小鳥遊さんだけは無言で頭を下げて、そのまま自分の名前を言うこともなく席へ戻るという、ぼくのような小心者には絶対真似できない芸当を披露していた。
おそらく、人と会話するのがあまり好きじゃないのだろう。
ちなみに当の小鳥遊さんはどうしているのかというと、一限目が終わったと同時に一人でさっさとどこかに行ってしまった。
たぶん体育会に向かったのだろうけど、一切迷いのない足取りだった。
それこそ、他人と馴れ合う時間なんて無駄の極みと言わんばかりに。
「だから、別に気にする必要はないって。小鳥遊さんに無視されるなんて、一種の通過儀礼みたいなもんだから。むしろ、オレたちにしてみればご褒美? いや、いっそご尊顔を近くで拝めるだけでありがたい存在と言っても過言ではないな!」
……宗教かな?
「とりあえず、小鳥遊さんがみんなから慕われているということだけはよくわかったよ」
上坂くんと隣り合わせで階段を下りながら、ぼくは話を続ける。
「でも、それってすごいことだよね。普通ならみんなから嫌われても不思議じゃないのにさ」
「そりゃお前、小鳥遊さんだもん。羽賀だって、小鳥遊さんに無視されても嫌いとまでは思わなかっただろ?」
「うん、まあ……」
それなりにショックは受けたけれど、あれだけの美少女を前にすると、嫌悪感を抱く気持ちにすらなれない。
そう答えると、上坂くんは我が意を得たりとばかりに何度も頷きを繰り返して、
「そうだろ、そうだろ。オレや他のみんなもそんな感じだったもん。美しすぎてなにをされても許したくなるっていうか、逆に自分という存在が汚らわしく思えてくるっていうか──それくらい生半可な覚悟で軽々しく近付いていい人じゃないんだよ、小鳥遊さんは。あれはもう、四六時中SPを付けた方がいいくらいだな。そんで、だれにも触れられないように堅牢な宮殿で一生を過ごしてもらうべきだと思う!」
宗教というか、もはや国宝のような扱われようだった。
けど、上坂くんの話を聞いてようやく腑に落ちた。
つまりみんなにとって、小鳥遊さんは神域のような存在というわけか。
どうりでみんな、だれ一人として小鳥遊さんに話しかけようともせず、遠巻きに眺めてばかりいたわけだ。
そんな周りの反応を、小鳥遊さん自身はどう思っているのだろう?
これ幸いと孤高ライフを楽しんでいるのか、それとも単にはた迷惑としか思っていないのか。
あるいは、ひょっとして──……。