いざ、出陣
「この馬車快適ですね!おしりが痛くないです」
「…そうですね」
アメリアとニールは珍しく馬車に乗り、夜会会場の王宮へと向かっている。
この馬車は、王宮から来た迎えだ。
ニールによると、一応ニールの家にも馬車はあるらしいのだが、わざわざ王家からお迎えがきた。こういう時、賢人という立場の凄さを感じる。
ますます、恋人役がアメリアで良いのか疑問に思うが、ここまで来たら仕方ない。役目を果たすのみだ。
ニールはアメリアの向かいに座り、ソワソワと視線を彷徨わせている。
やはり夜会に出るのは彼にとってかなりの負担なのだろう。アメリアだってさすがに緊張しているのだ。心中お察しする。
ニールは本日、ローブではなく正装を着ている。アメリアが以前仕立て屋で作ってもらったものだ。派手な装飾はないが、黒地に細かい刺繍が施してある。小さめのブローチはニールの瞳と同じ若草色。いつもは垂らしている前髪を今日は上げているので、瞳の色がよく見える。
背が高く、細身のニールに良く似合っていると思った。猫背だけど。
「ニール様」
「はっはい!」
「その服、よくお似合いですね」
「へぁっ?!」
「ニール様はスタイルがいいんですから、ローブだけじゃ勿体ないと常々思ってたんです。よくお似合いですよ!私の見立て、間違ってなかったです」
アメリアがどうだと言わんばかりの顔で笑うと、ニールは緊張が少し解けたのかふわりと笑った。
「…ありがとうございます。その、アメリアさんも」
「わっ…!あれが王宮ですか!?」
ふと窓の外を見ると、夜とは思えないほどきらびやかに輝く大きな城が目に入った。
思わず叫んだアメリアに、ニールが頷く。
「あ、はい…あれが王宮です」
「ニール様、普段あんなところで殿下と会ってるんですよね…改めて考えるとすごいことですね」
「僕も初めて見たときは腰を抜かしそうになりました…でも、執務棟は意外とシンプルですよ。これから行くホールはどんなところか、僕も知りませんが…」
「夜会を開催してるわけですし、なんか凄いことになってそうですね」
話している間に馬車は会場に着いたらしく、御者から声がかかった。
ニールが先に降り、アメリアをエスコートすべく震える手を差し出す。
アメリアも決意の眼差しで、その手を取った。
さながら戦場に向かう戦士と、怯える戦士の二人組みだ。恋人同士が出す雰囲気ではないが、本人たちは至って真面目である。
会場となっている大ホールに着くと、二人は圧倒されて思わず足を止めてしまった。
煌々と明かりに照らされる会場。きらめくシャンデリア。色とりどりのドレス。テーブルにこれでもかと並んだ料理。光を受けて反射するグラス。貧しい家庭の一生分くらいあるのではないか?
そして人、人、人。見渡す限りの人。
アメリアは瞬時に悟った。ここはアメリアが来るような場所ではない。
アメリアはしばらく呆けていたが、はっと気を取り直し隣に立つニールを見上げた。
可哀想に、顔面蒼白で目の焦点があっていない。気を失うのも時間の問題だろう。
アメリアがそっとニールの背中をさすると、彼ははっと意識を回復し、震えながらもこう言った。
「す、す、すみません、大丈夫です。今日は僕がアメリアさんを巻き込んだのだから、ちゃんと、エスコートします。僕のそばに、いてくださいね」
「は、はい」
思わぬニールの発言に、アメリアは驚きつつも素直に頷いた。
貴族社会のことなら、いくら引きこもりでもよっぽどニールの方が詳しいはずだ。ここは彼に素直に従うべきだろう。
「ニール・レヴナス様、アメリア・バーンズ様、ご入場です!」
2人が会場に足を踏み入れると、高らかに二人の名前が宣言される。やめてほしい。
その声を聞いた会場中の人が、ばっとこちらに目を向けた。
やめてくれ。これ以上注目を浴びたら死んでしまう。主にニールが。
ニールはガタガタと震えているが、何とか持ちこたえてくれたようで、アメリアをエスコートしつつ会場の奥へと進む。
できるだけ目立たなそうな、絶妙な壁際を探し出すと、柱の影に身を潜め、はー…と長い溜息を吐いた。
「は、吐くかと思った…」
「お疲れ様です…」
アメリアは側を通った給仕係から飲み物を受け取ると、ニールに手渡した。
自分もそれで喉を潤す。慣れない緊張感に、アメリアの口もカラカラに乾いていた。
「注目されることは覚悟してましたが、ここまでとは…」
「滅多に表に出てこない賢人様が来たんですから、皆驚いたんでしょうね。…しかも女性を伴って」
「!…そうでした…」
すでに会場に入っただけでヘトヘトの2人だが、今日の目的は、王太子フェリクスにニールに恋人がいるということをアピールすることだ。ここで挫けては駄目だ。
「そろそろ、殿下がいらっしゃるはずです。僕たちは一応、最初に挨拶できる立場に有るので…すぐに挨拶に行って、すぐに帰りましょう」
「最初に挨拶できるって、すごいですよね…」
「僕も未だに理解できてないです」
賢人のニールは、立場上この国の公爵より上なのだ。挨拶も当然一番最初となる。
「さっさと済ませましょう。そして家に帰って、美味しいご飯を食べましょう。ここじゃ、食べた気にならないですよね」
「アメリアさん…。そうですね、頑張りましょう」
2人で何とか呼吸を整えていると、不意に会場のざわめきが収まった。
どうやら王族の入場のようだ。
金色の髪に金色の瞳という、何とも輝かしい青年が入場する。大きな瞳に白い肌。端正な顔立ちは、どちらかというと中性的な美しさがある。
隣に立っているのは、彼の婚約者だろう。このご令嬢も豊かな黒髪に燃えるような赤い瞳、そして豊満な体の、極上の美女であった。
アメリアはもちろん、王族などに会ったことはない。
だから彼らが醸し出す王者の風格に圧倒された。ニールが震えてしまうのも分かる。一般人にはオーラの圧が強すぎるのだ。
むしろニールが仕事で彼らと関わっていることを改めて尊敬する。普通の人でも圧倒されるのに、内気なニールが何とか渡り合っているのだから、それだけでニールの努力がうかがえるというものだ。
「…では、今日はぜひ楽しんで。有意義な交流となることを祈る」
気付けば王太子の挨拶は終わっていた。
会場にはざわめきが戻るが、どこかそわそわとした雰囲気になる。この会場に賢人が来ていることが分かっている以上、皆挨拶のためニールが顔を出すのを待っているのだ。
「…い、い、行きます」
「はい」
ニールが腕を差し出してくれたので、そこに手を添える。
できるだけ猫背にならないように、まっすぐ前を見て。
テオに言われた注意点を二人で復唱して、アメリアとニールは柱の陰から会場の中央へと足を運んだ。
視線が痛い。
会場にいるほぼすべての人が、こちらを見ている気がする。
恐ろしいことに、多分気のせいではない。
王太子達が座っている場所までの道のりが、永遠に続くのではないかと思うほど長く感じた。
最初は添えるだけだったアメリアの手には段々と力が入り、気付けばニールの腕を力いっぱい握っていた。
それに気付いたのか、ニールが反対の手でそっとアメリアの手を包み込む。
「…あっ。す、すみません、力入っちゃって…痛かったですよね」
「いえ、痛くないです。でも、こうしてていいですか」
「えっ、は、はい」
ニールはアメリアの手をそっと握ったまま、ゆっくりと上座に進んでいく。
ようやく王太子とその婚約者の前にたどり着き、二人はゆっくりと頭を下げた。
「…やあ、ニール。来てくれてありがとう。正直断られるかなと思っていたから、本当に嬉しいよ」
「…滅相もございません。ご招待いただき、ありがとうございます」
「はは、顔を上げてくれ。私たちの仲だ、そんな世辞はいらないよ。本当は来たくなかっただろう?」
「……」
ニールは黙ってしまった。
普段の二人の距離感がわからないアメリアは、ハラハラと様子を伺うことしかできない。
「ニールにとっては迷惑だろうけど、私は本当に、君のことは弟のように思っているんだよ。だから、たまにはこういう会で交流するのもいい機会だと、お節介をさせてもらったんだ。まさか、本当に恋人と一緒に来てくれるとは思っていなかったよ」
王太子の視線がふいにアメリアへと注がれる。
アメリアはまだ目線を伏せていたが、注がれる視線を感じビクリとした。
「…殿下。彼女はアメリア・バーンズ嬢です。その…僕の、恋人です」
「アメリア・バーンズと申します。…お目にかかれたこと、光栄に存じます」
アメリアは何とか挨拶の定型文を言うと、礼をしてまた視線を伏せた。このまま王太子から何もツッコミがないことを祈る。切に祈る。が、そうは問屋が卸さない。
「アメリア嬢、顔を上げて」
「…はい」
「ニールとは、どこで出会ったんだい?」
「…私はニール様のお屋敷で、侍女として働かせていただいております。そのご縁で」
「そうだったの」
ここで嘘をついてもすぐにバレる。アメリアは正直に話した。
それに、侍女は良家の令嬢でもする仕事なので、違和感はないはずだ。実態は、もはや侍女というより何でも屋だが。
「ニールは内気だから、恋人がいるなんて、ちょっと意外だったよ」
「…そうでしょうか」
「そうだよ。ニールとは、最初は会話するのも大変だったでしょう?よく恋人になったね。それとも他に、何か理由があった?」
王太子はくすくすと笑っている。
彼は本当にニールのことを可愛がっていて、ニールがアメリアに騙されているのでは、と案じたのかもしれない。
言外にニールの地位や財産が目当てなのか、と聞かれている気がしたのだ。
確かに、女っ気のなかった人に急に恋人ができたと聞いたら、心配になるのもわかる。
でもアメリアは少々むっとした。なんだかニールを軽んじられている気がしたのだ。
「ニール様は初めから、穏やかでお優しくて、確かに少々内気ですが、そんなことは気にならないほど良くしてくださりました」
「へぇ?」
「お仕事や公の場では色々と大変なこともあるかもしれませんが、私個人としてはニール様の内気なところも人見知りなところも可愛らしいと思っておりますし、何の問題もございません。思いやりがあって繊細で、とても誠実な方です」
「あ、アメリア」
ニールが握っている手に少し力を込めてアメリアを呼んだ。
アメリアははっと口をつぐむ。
(…やらかした)
当たり障りない会話をして帰る予定だったのに、王太子に対抗してニールを語るとは、一体何をしているのだ。
アメリアは慌てて頭を下げた。
「…失礼いたしました。口が過ぎました」
「ふふっ、いや、こちらこそごめんね。ちょっと試すようなことをしてしまった」
「…?」
恐る恐る顔を上げると、王太子は穏やかに笑っている。
「ニールのことを弟のように思っているのは、本当だよ。だからつい、アメリア嬢が本当にニールを好いてくれているのか、気になってしまって。意地悪なことを言ったね。ごめん」
「!い、いえ、滅相もございません」
まさか軽いニュアンスでも王太子に謝られるとは思っておらず、アメリアは硬直した。
「…で、殿下、あまりアメリア…を苛めないで下さい。彼女はこういった場は初めてなので、緊張しているんです」
「おや、ニールにも怒られてしまったな。悪かったよ」
「…アメリア…は、ぼ、僕の恋人です、から。結婚するなら彼女としかしません」
「!?」
「へえ…?」
恋人らしくしようということでニールは本日アメリアを呼び捨てだ。慣れないのか、名前を呼んだあとに妙な余白がある。
だが、それは今は置いておきたい。ニールは今、結婚のことまで言及してしまった。台本にはない。
確かに王太子の勧める結婚を断るためにここへ来たわけだが、「アメリアとしか結婚しない」なんて、言い切ってしまって大丈夫なのだろうか。
再度ハラハラした気持ちでニールをチラチラ見るが、彼は何故か妙に落ち着いて構えている。
「…そっか。よくわかったよ、ニール。余計なお世話をして悪かったね」
「い、いえ…」
「お詫びと言っては何だが、今日は料理も酒も最高品質のものを用意している。アメリア嬢とゆっくり楽しんでいってくれ」
「…お気遣い、ありがとうございます。失礼いたします…」
挨拶を終えた二人は一言も発さず、元いた柱の陰を目指す。
戻るときも注目されたが、王太子への挨拶や貴族同士の交流が盛り上がり始めていたためか、最初よりも視線は感じなかった。
「…っはぁ…はぁ…お、お疲れ様です…」
「はぁ…はぁ…すごい疲労感ですね」
二人は視線の死角に入った途端、大きく息をついた。なぜか二人揃って、呼吸もせずここまで歩いてきたことに気付いた。
運動後のように肩で息をした二人は、数秒かけてなんとか落ち着くと、ゆっくりと見つめ合った。
「…作戦成功、だったと思います?」
「…多分、大丈夫、です…。信じてくれたような、気がします」
「だといいですね…」
アメリアは水の入ったグラスを呷ると、ふーっと息を吐いた。
「それにしてもニール様、結婚のこと、あんなにはっきり言っちゃってよかったんですか?」
「え?」
「いくら説得するためとはいえ、私以外とは結婚しない、なんて…今後本当に好きな方が現れたらどうするんです?」
「だ、大丈夫です。そんなこときっとないですから」
「でも…」
「ああっ!でも」
「ど、どうしました?」
「アメリアさんの今後の縁談に、影響があるかも…!ど、どどどうしよう、僕全然そこら辺考えてなくて」
「ああ、それは大丈夫ですよ」
アメリアは苦笑する。
「結婚なんて全然考えてないので。それよりも今はアルトを学校に行かせて、成人まできちんと見届けたいです。もし結婚とかするならその後ご縁があれば、になるでしょうし…そもそも貴族となんて結婚できませんよ。私はすでに平民ですし」
「そ、そうですか…?」
「はい。むしろ結婚なんてせず、ずっと侍女でいさせてもらった方が、私としてはありがたいです」
「ずっと、ですか?」
「ふふ、すみません。さすがにずっとは無理ですよね」
「そ、そんなことないです!アメリアさんが良ければ、いくらでもいてください」
「そうですか?嬉しい」
いつもの調子でニールと話していたら緊張も疲労感も落ち着いてきて、アメリアはヘニャヘニャと笑った。
ニールもしばらくもじもじしていたが、アメリアが水を飲み終わったのを見て、出口へと目を向ける。
「…帰りましょうか。料理とか、食べていきますか?」
「いえ、家に帰って食べましょう。ここじゃ絶対食べた気しない。…早くニール様のお屋敷に帰りたいです」
「…そうですね、同感です」
人混みを何とかかき分けて会場を出ると、とたんにシンと静まり返った空気に包まれ、二人は今度こそふーっと息を吐いた。
「…馬車を呼んできますね」
「あ、すみません、ちょっと化粧室に行ってきてもいいですか?」
「もちろんです。待ってますね」
「すみません」
アメリアは会場外にあるはずの化粧室へと向かった。
無事化粧室を発見し目的を達成すると、急ぎ足でニールの元へ戻る。
「…そこのあなた」
「?」
突然横から声をかけられ、アメリアは足を止めた。
そこには三人の少女が立っていた。皆着飾っていて、夜会出席者なのは確実だ。
その中でも特に派手な、桃色の髪に桃色のドレスを着こなした令嬢がアメリアを手招きしている。
(…用があるならそっちがくれば良いのに)
内心悪態をつきながらも、恐らく高位貴族と思われる彼女達の機嫌を損ねるのは得策ではないと考え、アメリアは素直に近寄った。
「はい、何でしょうか?」
「まぁ、近くで見るとやっぱり…」
「ねぇ…とても賢人様のお相手とは思えないわ…」
令嬢達はアメリアを舐め回すように見て、クスクスと笑う。
なるほどこういう用事かと、アメリアは瞬時に悟った。