地獄の招待状
アメリアがニールのお屋敷で働き始めてから、2ヶ月近くが経った。
掛け持ちしていた仕事も全て辞め、お屋敷での仕事に集中できるようになったアメリアは、以前よりもさらに熱心に働いている。
同僚達は皆いい人で、主人であるニールもあの通りの善人だ。
アメリアの侍女生活は充実していた。
ニールとは最近さらによく話すようになった。
アメリアのことを酒場まで迎えに来て以来、ニールは夕食後すぐに部屋に籠もるのをやめ、食堂や談話室などでお茶を飲むようになった。その時の話し相手は大抵アメリアである。
ニールはアメリアという存在にすっかり慣れたのか、話していても言葉に詰まることが大分減った。別に詰まっても止まってもアメリアは気にしないが、ニールが楽しそうに話してくれるので嬉しい。
「…それで、今日屋敷に珍しく訪問販売の方が来たんですよ」
「訪問販売が?」
「はい。珍しいですよね」
「そうですね…。僕がここに住んでから初めてかもです」
「テオさんたちも言ってました。特に何も買う気はなかったんですけど、一応お話だけ聞いたんです。で、その方は40代くらいの、少々小太りな方だったんですが」
「はい」
「お名前がデルビンさんという方だったんです。それで…なぜかローズさんが、デブリンさんだと思いこんでしまって」
「でっ!?」
「デブリンさん、デブリンさんって連呼していて…正直笑いを堪えるのがつらくて…」
「ふっふふふ…っ」
「デブリンさんも長居しないで帰っていきました。あれ、もしかするとローズさんの作戦だったんですかね?早く帰ってほしくて」
「あはは…っ!ローズらしい…!」
ニールは日中アメリア達が何をしていたのか、よく聞きたがる。屋敷にいてもニールは仕事をしているので、顔を合わせることは少ないからだ。昼食も、朝と夜はちゃんと食堂で食べるが、昼はサンドイッチなどを部屋で軽く食べて済ますことが多い。
「ニール様はお仕事捗りましたか?」
「ええ…かなりのペースで捌いているつもりなんですが、殿下も陛下も人使いが荒いので、全然仕事が減りません」
「あらぁ」
ニールの仕事は大抵、王太子殿下や国王陛下から直接依頼されている。詳しくは知らないが、魔法絡みの事件への見解を示したり、新たな魔法を考えたり、国防の結界に関わる研究をしたりと、色々とあるらしい。
話しているとテオがニール宛の手紙をまとめて持ってきた。
ニールはそれを受け取って確認すると、嫌そうな顔をする。
「噂をすれば、殿下からです…。何だろう、この前新しい任務が来たばっかりなのに」
テオからペーパーナイフを受け取るとニールはその場で開封し、手紙の内容に目を通した。
アメリアの目には手紙というよりカードに見えたが、特に気にせずお茶のおかわりを用意する。
が、しばらくするとニールがブルブルと震えだした。その顔は蒼白で、人見知りを発動しているときよりもヒドイかもしれない。
「ニール様…!?どうされたんですか!?」
「け、け、けけ…」
「けけ?」
ニールが人の言葉を発しなくなってしまった。アメリアは心配になって、彼の元へと駆け寄る。
ニールは指先が白くなるほど手紙を強く握っていた。
アメリアは彼の正面にかがんで目線を合わせるようにすると、ゆっくりと問いかける。
「大丈夫ですか?手紙に、なにかありましたか?」
「で、で、でんでんでん」
「でんでん?」
「殿下が…」
ニールはようやっとアメリアと目を合わせると、恐ろしく震える声で告げた。
「結婚しろって…」
「は?」
「殿下主催の交流会への招待状ですね…。ここに小さくメッセージが書かれてます。『ニールもそろそろいい歳だ、ここで相手を見つけて、結婚しろ!』…全く、嫌な冗談ですね」
「……多分、冗談じゃない…」
テオを呼んでニールが握りしめている手紙を解読してもらったところ、どうやらそれは手紙ではなく夜会への招待状で、そこには王太子の直筆で『結婚相手を探せ』と書かれていたらしい。
「しかし、急ですね。殿下は旦那様の性格をよくご存知で、こういった公の場には出なくて済むよう、配慮をされていたはずですが」
「…この前、王宮で会った時…、結婚しないのかって言われて、相手もいないししない、一人だと将来的にも身軽でいいみたいなことを言ってしまったら…。目の色を変えて結婚を勧められて…」
「ああ…」
ニールとテオは揃ってため息をついた。
「殿下は旦那様が賢人を辞めて隠居されるのを…特に国外に出ていかれるのを非常に恐れていますからね。学生時代の旦那様が殿下に、将来的には国外にも行ってみたいと言ったことがありまして。それからこの手の話題には敏感なんです。結婚して身を固めればいくらか安心材料になると思ったんでしょう」
「余計なこと…言わなければ良かった…!」
ニールが膝から崩れ落ちる。
なるほど、王太子によるニール引き止め作戦の一つだということか。
しかし、解せない。
「王太子殿下はニール様の性格をよくご存知で、結婚相手を探すどころか夜会へ出席するだけでもかなり難しいこと、分かってるんですよね?なのにどうしてこんな、嫌がるようなことをするんでしょうか」
「確かに…僕が夜会になんて出たら気絶するだけなのに」
「それはちょっとどうかと思いますよ、ニール様」
「…恐らくですが、殿下の中にはすでにめぼしいご令嬢がいて、この夜会で引き会わせたいのでは?旦那様は基本ここに引きこもっておりますし、王宮に行ったときに無理に会わせたりしたらすぐに噂になって、余計な火種となります。夜会で出会ったとするのが一番自然かと」
「うぇ…どこで出会っても無理…」
「ニール様…」
すでに吐き気を催しているニールの背中をさすりつつ、アメリアは考えた。
「でも、こういう夜会って女性をエスコートするのが必須なんじゃないんですか?ニール様にそういう方はいないので、それを理由に欠席するとか…」
「この国では独身男性はエスコートは必須ではないのですよ。むしろそれで独身をアピールして、出会いを探すわけです」
「そうなんですか…」
アメリアには夜会経験がないのでよく分からないが、そもそも王太子自らが招待状を出している時点で、断れないだろう。
可哀想なくらい顔面蒼白になったニールに、胃に優しいお茶でも用意しようかと思っていると、テオが突然顔を上げた。
「そうだ!」
「テオさん?何かいい案が?」
「アメリアさんをエスコートしていけば良いんですよ!」
「テオさん??」
突然のテオのびっくり発言に、アメリアもニールも目を丸くした。
「つまり旦那様はアメリアさんを連れて夜会に出席し、すでに相手がいることをアピールすれば良いわけです。さすがに今の恋人と別れて殿下おすすめのご令嬢と結婚しろとは言われないでしょう?」
「え、それってつまり、私が恋人のふりをするってことですか…?」
「そういうことです」
アメリアは焦った。アメリアは確かに昔貴族だったが、成人前に没落したので夜会の経験などない。というか、ずっと借金取りに追われていてそれどころではなかったので、貴族の常識やマナーなどにも全く自信がない。何より、今は貴族でもないのに夜会に出るなんて非常識ではないのだろうか?
「私、もう貴族じゃないですよ!夜会に平民が出るなんて、アリなんですか!?」
「賢人は平民でも貴族でもない、と国が決めているんです。その相手が貴族でなくたって、誰も文句は言えないでしょう。特別枠ですよ」
「屁理屈では!?」
「それに、アメリアさん。貴方は立派な伯爵令嬢です」
「元、ですよ!すでにバーンズ家は没落したって、お伝えしましたよね?!」
「それでもお生まれは貴族だったわけです。没落した家のご令嬢が路頭に迷うことを避けるために他家に嫁ぐことなど、よくありますよ」
「でも…っ!」
「ぼ、ぼぼぼぼぼ僕なんかの恋人役だなんて、あ、アメリアさんも嫌がってますし」
「嫌がってはいないですよ!!!」
「ひぃっ!ごめんなさい!!」
ニールが違う方向で落ち込みそうだったので慌てて否定したところ、逆に怯えさせてしまった。
アメリアは一度呼吸を整えると、静かな声で伝える。
「恋人役が嫌だとかそういうわけじゃないんです。ただ、ニール様が私みたいな没落貴族の女を恋人ですって連れて歩いたら、嫌な目に遭わないかなって心配なんです。ただでさえニール様に関する噂はひとり歩きしまくってますし」
「あ、アメリアさん…」
「ですが、他に解決策はないですよ。このままでは旦那様は一人で夜会に挑み、夜会でご令嬢に襲われるか殿下おすすめのご令嬢と結婚させられてしまうかも」
「うう…っ」
確かに、いくら賢人でも、王太子直々の見合い話を断るにはかなり勇気がいるだろう。
これまでもニールがかなり国側に融通を利かせてもらっているのは事実だ。本格的に不興を買って、立場が悪くなるのは避けたい。
「…とりあえず、やってみますか?」
「あ、アメリアさん!?」
アメリアは腹を括った。
「私なんかが恋人役をやって、ニール様の結婚話の防波堤になれるかは分かりませんが、何もしないよりは良いですよね?」
「あ、アメリアさん、無理しないで下さい。僕がなんとかしますから…」
「でも、他に解決策がありますか?夜会は2週間後みたいですけど、それまでに本物の恋人作れます?」
「…無理です…」
ニールは悲壮な顔をした。
通常の対人関係を築くのにも時間のかかるニールに、短期間で恋人は酷だろう。
「やりましょう、ニール様。私、これでも演技力はある方なんです。高いお給料貰ってますし、出来ることはやらせてください!」
「アメリアさん…」
アメリアはどんと胸を叩く。
ニールはうるんだ瞳でアメリアを見つめると、決心したのかこくりと頷いた。
「ありがとうございます…。お、お願いします」
「はい!誰もが認める恋人っぷりを演じてやりましょう!」
「は、はい!」
テオが何だか生温かい目でこちらを見ている気がしたが、待ち受ける試練に気を取られているアメリア達には気にする余裕はなかった。