ニールのお迎え
バタバタと出ていくニールをぼんやりと眺めていたアメリアは、はっと回想から我に返った。まだ仕事は山積みである。
アメリアは屋敷内を走り出した。
屋敷の主人を見送ってからは、使用人たちにとって怒涛の時間だ。
ローズやテオといった使用人仲間と朝食をとったら、ニールの部屋、執務室、玄関ホールに食堂、浴室と、主に使う場所の掃除。
時間があれば客室や使用人部屋も掃除する。その他の部屋は後回しだ。普段使ってないし。
その間にも必要があれば買い出しに行ったり、特に忙しそうな他の使用人の手伝いをしたり。本日のメインイベント、仕立て屋訪問を終える頃には、空は茜に染まっていた。
「…すみません、行ってきます!」
「はい、いってらっしゃい!気をつけてね!」
テオとローズに声をかけて、アメリアは暗くなり始めた町へ駆けていく。
今日は港の酒場での仕事の最終日だ。侍女の仕事が決まったのが急だったので、辞めると伝えてからもすでに働く予定だった日まではちゃんと働かないと迷惑がかかる。
テオは急だし仕方ないと許してくれたので、本日までは掛け持ちだった。
でも、今日でそれも終わりだ。
正直嬉しい。ニールの屋敷での仕事はなかなかハードなので、夜も働いていると、いくら体力のあるアメリアでも相当きつかった。
「いらっしゃいませ!」
「お、アメリア!いつもの頼むよ!」
「おじさん、他で飲んできたの?飲み過ぎじゃない?」
「うるせっ!今日は漁がうまく行ったんだ、こういう日は飲んでいいってお天道様が言ってんだよ!」
「はいはい」
港町の酒場は賑やかだ。漁師という男たちは活気にあふれていて、ただ喋っているだけでも声が大きい。
ここしばらく、日中は物静かなニールと過ごしていたので、対比がすごい。
「アメリア、お前ここ辞めるんだって?」
「そうなんですー。お世話になりました!」
「おいおい、アメリアがいなくなったらこの店の何を楽しみにすりゃいいんだよー!」
「普通にご飯とお酒を楽しんでくださいよ」
すでに出来上がっている常連の男がおいおいと泣き真似をしている。
「別に今生の別れじゃあるまいし。この町にはいますから、どこかで会ったらご飯でも奢ってくださいね!」
「なんだ、町を出るわけじゃないのか?新しい仕事はどこなんだ?」
「内緒でーす」
侍女だなんて言ったらこの男たちはアメリアには似合わないと笑うに違いない。
いつもの調子で客と雑談しながらホールを歩いていると、店の端、本当に隅っこに、いつのまにか客が座っていた。
「すみませんお待たせしました!ご注文は…って…!?」
「……………アメリアさん…」
アメリアは驚いて言葉を失った。
なぜか、ニールが客として来ていたからだ。
そしてニールはこの場が辛すぎるのか、ローブを深く被りすぎてもはや布の塊と化していた。蚊の鳴くような、アメリアを呼ぶ声が聞こえる。
アメリアは声を潜めてニールに近づいた。
「どうしてここにいるんですか…!?」
「あ、アメリアさんが、ここで働いてるって聞いて、来たんです…」
「なんで!?」
「いや…その…」
ニールはあうあうと呻いている。
この場の雰囲気に当てられているのだろう。
アメリアは急いでニールにジュースとサンドイッチを出した。
「私、あと少し働かなきゃなんです。終わるまでこれ食べて、待っててもらえますか?大丈夫、酔っ払いがニール様に絡まないように、見てますから」
「うぇ、は、はい」
ニールがそろそろとサンドイッチを食べだしたのを見届けて、アメリアは仕事に戻った。
そしてしばらく後。
「アメリアさん、お疲れ様でした…」
「もう、ニール様、突然こんなところにお一人で来るなんて、どうしたんですか?びっくりしました!」
「うう、すみません」
仕事を終えたアメリアはニールを回収すると、お給料を貰って店を後にした。
酔っ払った常連が泣きながらアメリアに追いすがり、一緒にいるニールを見て男か!男ができたのか!と騒ぎ、動揺したニールが店の前の花壇に突っ込んで転倒した。どっと疲れた。
ようやく常連達を振り切った2人は今、店から少し離れた路地を歩いている。
ニールは静かな夜の町で落ち着きを取り戻したのか、いつもの調子で話せるまでに回復していた。
「王宮から帰ったらアメリアさんがいなくて…テオから今日は酒場の日だって聞いたので、その、夜も遅いですし、アメリアさん一人でなんて…心配で」
「…まさか、心配して来てくださったんですか?」
ニールはこくこくと頷いている。
アメリアはまさか彼がそんな理由で来たとは思っていなかったので、心底驚いた。
そして何だか、気恥ずかしい。アメリアはずっと保護者無しで生きてきたし、女だからと危ない目に合わないよう、隙を見せないようにしてきたつもりだった。
だからアルト以外の人に純粋に心配されて、なんだかくすぐったかったのだ。
「…それは…あの、ありがとうございます…。ご心配おかけしました」
「い、いえ、僕が勝手に来ただけです」
「えっと、でも、どうして今日?これまでも何度か酒場の仕事には行ってたのですが」
「ええっ!?」
「急には辞められなかったので、約束の日までは店に出てたんです。一昨日も出てましたよ?」
「そ、そうだったんですか…あの、屋敷で仕事している日は、夕食後はずっと自分の部屋にいて…気づきませんでした…」
「そういえばそうですね」
夕食後のニールの寝支度もアメリアの仕事だが、酒場の日はローズに代わってもらっていた。
今までもローズがやっていたから、ニールもアメリアの不在に気づかなかったのだろう。
「酒場の人たち…すごい熱気でしたね…。いつもああなんですか…?」
「そうですね。お酒飲んでも飲んでなくても、この町の漁師はうるさいです」
「すごいなあ…」
ニールは心底感心したように呟いてる。
「ただ騒いでるだけですよ?」
「いえ、僕はあんな風に楽しくおしゃべりできないですから…皆さんすごいですね、勢いがあって」
「勢いだけのおじさんも多いですよ」
ニールは周囲に人がいないからか、もう夜だからか、フードは取り去っている。
彼の若草色の瞳が少し寂しそうに見えて、アメリアはなんだか悔しくなった。
「確かにあの人達はニール様の対極にいるような人たちですけど、だからってニール様が楽しくないわけじゃないですよ?」
「え?」
「まだ働き始めて1ヶ月くらいですけど、ニール様、案外色々おしゃべりしてくれるし、穏やかで、私はニール様と一緒にいる時間も好きですよ」
ニールは確かにおどおどしていることが多いし、物静かだ。けれど慣れてくれば結構よく喋る方で、食事の時は使用人のはずのアメリアに、今日何をする予定なのか、または何をして過ごしたのか、興味深げに聞いてくれる。今朝もそうだった。
アルトにも魔法を教えてくれて、二人のことを気にかけてくれているのが分かる。
アメリアは確かに、ニールの醸し出す優しくて穏やかな雰囲気が好きだった。
「?」
ニールから何の返答もないので不思議に思って見ると、彼は顔を真っ赤にして震えていた。
「えっ!?ニール様、どうしました!?ひっ…な、泣いてる!?私、泣かせました!?」
「ち、違うんですこれはぁぁ」
「え、ど、とりあえずハンカチどうぞ」
「すみません」
ニールはアメリアからハンカチを受け取ると、目元を押さえた。
「あの、違うんです…、穏やかとか、す、好きとか…言ってもらえて…嬉しくて…」
「え、ええ」
なんだかそんなに感動されると照れるし、好きとか言ったのが恥ずかしくなってくる。
今度はアメリアが顔を赤くした。
「あの、僕もアメリアさんといると楽しくて、好きです。アメリアさんがうちに来てくれて、良かったです」
ニールはそう言うと、へにょりと笑う。
(ふ、不意打ち…っ!)
年上の男性なのに、なんだかニールがとても可愛く見えて、アメリアは戸惑った。
そう、この感覚は、まさに…可愛い弟のアルトに感じているのと同じようなもの…!
(対人関係ポンコツなニール様がこれ以上傷つかないよう、守ってあげないと…)
アメリアは今一度、謎の決意を胸に固めた。
「あ、ここに馬を待たせてたんです…」
ニールはどうやら馬でここまで来ていたらしく、愛馬に駆け寄ると鼻先を撫でる。
そして当然のようにアメリアを抱き上げると、愛馬の上にそっと乗せた。
「わっ!」
「あ、すみません、急に…馬は初めてですか?」
「えっと、乗るのは初めてです」
「そうですか、じゃあゆっくり行きましょう」
ニールはアメリアを抱え込むように馬に跨ると、ゆっくりと歩き始めた。
「あ、そうだ…冷えるので、これ、持ってきたんです。使って下さい」
「あ、ありがとうございます」
ニールは思い出したようにショールを取り出すと、後ろからアメリアを包むように、肩に掛けてくれた。
(この人、たまに距離感おかしくなるのよね)
コミュニケーション下手のせいなのか、慣れてきたからなのか、時々こうして無駄に距離が近い時がある。
(…私だって一応、年頃の乙女なんだけど)
ちらりとニールを見上げると、なんだか機嫌が良さそうに微笑んでいる。
「帰りましょう」
「は、はい」
カポカポと小気味いい馬の足音を聞きながら、2人は町外れの大きな屋敷へ帰って行った。