お屋敷へようこそ
長くなったので分割します。
アメリアとテオが意気投合してから、しばらくして。
アメリアは弟と共にニールの屋敷へと荷物を抱えてやってきた。
今日からここに住み込みで働くのだ。
「姉さん、本当の話なの…?」
「アルト、信じられないと思うけど、本当なのよ。今日からここに住むの」
アメリアの可愛い弟、アルトは、目も口もぽっかりと開けて屋敷を見上げている。
住み込みで働くためとはいえ、こんな大きな屋敷に住むなんて、想像もできなかっただろう。
アルトはアメリアに良く似た空色の瞳をパシパシと瞬くと、アメリアの方を向いた。
「…騙されてない?」
「アルト、姉さんがそういうのに滅法強いのは知ってるでしょ」
「そうだよね…」
伊達にハードな人生は送ってきていない。
アメリアが簡単に騙されるようなタマではないことをよく知る弟は、唖然としつつも受け入れたようだ。
「では、いざ」
左手で弟の手を握り、右手で屋敷の門に触れると、なぜか自動で門が開いた。
急な展開に驚いた姉弟は飛び上がって驚いたが、門の先にある屋敷の扉から見慣れた老紳士、テオが顔を出したので何とか持ち直した。
「アメリアさん!お待ちしておりましたよ!」
「テオさん、今日からお世話になります。こちら、弟のアルトです」
「アルト・バーンズです。よろしくお願いします…」
「こちらこそ、よろしくアルト君。ささ、中にどうぞ」
テオは2人を前回と同じ応接室に通すと、これからのことを説明してくれた。
「アメリアさんの仕事は侍女として、旦那様の身の回りの世話全般。あとは場合によっては雑事もこなしていただきます。なんせ人手が足りませんのでね」
「はい、大丈夫です」
「それとアルト君は、午前中は庭師の手伝い。午後は勉強に充てるということで良いかな?」
「え。…いいんですか?!」
「本来11歳の貴方を働かせるつもりは無かったのですがね。一日勉強は息が詰まるかと思いまして。庭師の仕事はいい運動にもなります。勉強は、旦那様が昔使っていた本をお貸ししますよ」
「…ありがとうございます!」
アルトは感激のあまり半泣きだ。
これまでアルトは、アメリアが外へ働きに出ている間の家事をやったり、ちょっとした小遣い稼ぎで近所の赤ちゃんの世話をしたりしていた。
そのことはテオに伝えていたが、どうやら屋敷に住むに当たって色々と考えてくれたようだ。
本当に待遇が良すぎて、姉弟は感謝する一方、警戒した。
甘い話には得てして裏があるものだ。
「では早速。ローズ!」
「はーい!」
テオにローズと呼ばれやってきたのは、先日お茶を出してくれたメイドだった。
「アメリアさんの仕事は彼女から教えてもらって下さい。アルトくんはこっちへ。住む部屋を案内しますね」
「よろしくお願いします!」
「よ、よろしくお願いします!」
こうしてアメリアとアルトの新生活はスタートしたのである。
「ニール様、起きて下さい!ニール様!!」
「は、ひゃいっ!」
アメリアがニールの屋敷で働き始めてから、一月近くが経った。
元伯爵令嬢とはいえ、侍女の仕事をするのは初めてだ。慣れるまで少し時間がかかったが、大分流れも掴めて、アメリアは屋敷を縦横無尽に走り回るようになった。
なぜって、走り回らないと仕事が終わらないからだ。
アメリアはニールの部屋のカーテンを開け放って、彼の様子を見る。
「ニール様、ちゃんと寝ましたか?…また遅くまで研究してたわけじゃ、ないですよね…?」
「あ、あはは…」
「今日は早くからお仕事だから早く寝てくださいって言ったじゃないですか!」
「す、すみません、つい熱中して」
アメリアの仕事は多岐にわたる。
まず、朝寝坊しがちな主人を起こす。ニールは普段、屋敷で魔法の研究を行っているとかで、テオの言っていた通り、熱中すると寝食を忘れてしまうのだ。
昨晩もあまり遅くならないよう念を押してから下がったのだが、案の定夜更かししたらしい。
ノロノロと起きてきたニールが部屋に備え付けのバスルームで顔を洗っている間、アメリアはクローゼットへと向かった。
今日は珍しく、王宮へ登城しなければならないらしい。普段は屋敷で仕事をするニールにとって、久しぶりの王宮だ。
アメリアはニールが今日着る服装を用意する。幸い、数年前まで貴族だったので、ある程度貴族男性が着る服装についても知識はあった。
この国の貴族男性はあまり華美な服は好まず、その代わり上質で動きやすい素材を重視する。
フロックコートにシャツ、トラウザーズにブーツがド定番。おしゃれな人は小物なんかにこだわるようだが、ニールはおしゃれとは対極にいるタイプだ。だって何を着ても、結局丈の長いフード付きのローブを羽織ってしまうから。
一応ローブは魔法士の正装でもあるので、文句は言えない。が、ニールは背が高く実はスタイルが良いので、たまにはローブ以外も着ればいいのに、とは思う。猫背だけど。
(まぁ、こればっかりは着る本人の好みだし)
ニールはバスルームから出てくると、用意された服に何の文句も言わず静かに着替える。
アメリアも時々手伝って、彼の身支度は完成。
その後は食堂に移動して、彼の食事の世話だ。と言っても、ここでの食事はシンプルで品数が何品も出てくることはない。
どうせ食べきれないし、実家でもそうだったからとニールは言っていた。
なのでアメリアの仕事は飲み物を出したり、カトラリーを用意したり、彼の話し相手をしたりするくらいだ。
「王宮…行かなくちゃだめなかなぁ…」
「駄目でしょう。今日はどんなお仕事なんですか?」
「殿下が…なんか相談があるとかで…はぁ、なんで僕なんかに」
「ニール様は賢人ですからねぇ」
「胃が痛い」
ニールはとにかく王宮が苦手だ。
何でも、人がたくさんいるし話しかけてくるし、王太子殿下はしつこいし(不敬!)、場合によってはご令嬢にも絡まれて、とにかく人見知りレベルMAXな彼にとっては辛いことしかないらしい。
ニールは学生時代はほとんど人と交流せず、今も任務以外は屋敷に閉じこもっている。そのため、「ドラゴンの群れを一人で倒した」「クールで知的」「俗世を厭う」「実は美男子」「でも冷酷」などと噂ばかりがどんどんひとり歩きしている状態らしい。ほとんど人前に姿を現さない賢人、と言われたら、こうなるのも仕方ない気はするが。
噂を信じる人たちが勝手に理想のニール像を生み出してしまい、また噂に尾ひれがつく。すでに人々の中のニールのイメージは、「それ誰ですか?」状態だ。
この状況が、ニールの王宮嫌いを加速させている。
「行きたくない…」
「気持ちはわかりますけど、お仕事ですから。気張っていきましょう!喉元過ぎれば熱さ忘れる、ですよ」
「うう、その慣用句の使い方合ってますかね…?」
ニールはもそもそと朝食を口に運んでいる。
「アメリアさんは…今日、何をする予定なんですか?」
「私ですか?今日もいつも通り、お屋敷を掃除したり、厨房を手伝ったり、テオさんを手伝ったりして過ごしますよ」
もはや侍女の仕事の範囲を超えているが、とにかく人手不足のこの屋敷では、もはやアメリアは何でも屋だった。
「なんかすみません…」
「え?全然ですよ。これが私の仕事ですから。お給料もたっぷりいただいてますし」
アメリアは笑いながら食後のお茶を用意した。
「あ、そういえば今日は仕立て屋にも行く予定です」
「仕立て屋?」
「あれ、忘れちゃいました?ニール様、持っている服が極端に少ないってテオさんから言われて、新しく仕立てようってなったじゃないですか」
ニールは服に頓着しないし外出も少ないので、国の賢人様とは思えない数の服しか持っていなかった。
いくら引きこもりとは言え、ニールは23歳の男盛りで、この国の賢人だ。
テオは前々からその状況を憂いていたらしく、アメリアに仕立ての手配を依頼した。
「ニール様ご自身が仕立て屋に行って採寸されるのは耐えられないっておっしゃったから、私が適当に注文するってことになったじゃないですか」
「そ、そうでした」
ニールが持っている服の量が少ないのは、これが原因でもある。
仕立て屋に行って、採寸してもらって、デザインを選んで…と、衣装一つにも仕立て屋との会話は絶対だ。
ニールにはそれが苦行なので、適当な既製品を最低限しか持っていない。
今回は事前に必要な採寸をアメリアがしたので、そのメモを持って注文に行く予定だ。
「本当に私がデザインとか決めちゃって良いんですか?」
「はい、大丈夫です。僕は気にしないですし…テオも、若い人に選んでもらった方がいいって言ってましたし」
「なら良いんですが…」
アメリアは正直ちょっとワクワクしていた。
自分の着る服ではないとはいえ、そもそも平民は仕立て屋になんて行く用事はない。
アメリアも15歳までは貴族だったわけだが、とにかく貧乏だったのでドレスから何から全部、母や親戚のお下がりだった。
なので、仕立て屋は初体験。
衣装のことなら少々ときめくのは仕方ない。アメリアだって華の10代なのだ。
食事の片付けを終えたアメリアは休む間もなく庭に向かう。
庭に咲いている花をいくつかもらい、玄関ホールに飾るためだ。
少ない使用人は屋敷の掃除やメンテナンスでいっぱいいっぱいだが、玄関ホールくらいには華が欲しいとテオからリクエストがあったのだ。
庭に向かう道すがら、ふと背後に気配を感じ振り返ると、なぜかニールが立っている。
「ニール様、どうかされましたか?」
「あ、いえ…その、何するのかなぁと思って…」
「あぁ、これから庭に行って、お花を貰ってくるんです。屋敷に飾ります」
「花を?」
「花を」
言いながらもアメリアが歩いていくと、ニールもヒョコヒョコとついてくる。
「ニール様?」
「…見ててもいいですか?」
「良いですけど…お時間は大丈夫ですか?」
「馬で行くので、まだ大丈夫です」
「そうですか」
ニールの移動手段は、基本的に馬か徒歩だ。
アメリアは最初それを聞いたときびっくりした。貴族といえば馬車だろうと思っていたからだ。
だが、ニールは馬車が苦手らしい。
「馬車ってガラガラ音がすごいじゃないですか…?あれが、通りますよー!ここにいますよー!って主張しているみたいで、苦手です」
アメリアはそれを聞いたとき、笑ってしまった。ニールは本当にどこまでもニールだ。
とにかくニールは遠くには馬で、伴も付けずに一人で行ってしまう。
テオ曰く、ニールは実はとても強いので、一人でも大丈夫、とのことだった。
そういえばアメリアが出会ったときもニールは一人で町にいた。あのときはバッチリ絡まれていたが…。一応賢人なのに、そんなんでいいのだろうか。
アメリアはニールを引き連れて庭へ出る。
屋敷には庭園に出来る広大なスペースがもちろんあるが、庭師は一人しかいない。とてもじゃないが一人で手入れできる範囲は限界があるので、庭の一部にこじんまりとした庭園を作っている。
庭師はダドリーという寡黙な人だ。テオよりは若いが、やはり40代くらいだと思う。
庭にはすでにアルトどダドリーがいて、何やら作業をしていた。二人の邪魔をしないように会釈だけすると、アメリアは小ぶりな黄色い花と白い花を少しだけ拝借した。
アメリアは花に詳しくはないが、やはりこうして見ると綺麗だ。顔に近づけて香りを堪能してみる。うん、いい香り。
視線を感じたので横を見ると、ニールがしげしげとこちらを眺めていた。
「ニール様、何か面白いですか?」
「あ、いえ…花が好きなんですか?」
「どうでしょう…人並みには?詳しいわけではないですけど、見てるとやっぱり綺麗だなと思いますよ」
屋敷に戻り花を花瓶に生けて飾ると、途端に玄関ホールが華やかになった。気がした。
アメリアは少しずつ、手の空いたときに、こうして花を生けたり、ポプリを飾ってみたり、倉庫に眠っていたよく分からない壺や絵画を出してきて飾ったりしている。
テオとローズが好きにしていいと言ってくれたからだ。
勝手にお金は使えないので些細な変化だけれど、何もなかった頃よりはちょっと良くなったと思う。
あんまり気の利いたことは出来ないが、少しでもニールの気持ちを前向きにできていればいい。
ニールはアメリアが働く様子をしばらく眺めたあと、時間が迫っていることに気づき、慌てて出かけていった。出がけに弟のアルトと遭遇すると、少し会話をして去っていく。
ニールは人見知りだが、アルトには早い段階で慣れた。流石に10歳以上も年下の子供に対してなので、大人よりも平気らしい。
アルトは魔法に興味がある。
それに気付いたのか、ニールは時々、アルトに魔法を教えてくれるようになった。
初めてニールの魔法を見た時のキラキラと興奮したアルトの瞳は、忘れられない。
アメリアとアルトは「色付き」だ。空色の瞳なので、先祖が水の精霊の加護を受けたと思われる。
だが、アメリアは全く魔法が使えない。なぜかは分からないが、そういう人は時々いるらしい。
「色付き」の子供たちは8歳頃に国から指定された魔力鑑定を受けるが、アメリアは魔力もほぼ無かった。アルトは鑑定を受けていない。もしも魔力が大きいと判断されると、王立魔法学園から特待生として招集がかかるらしいが、アルトが8歳の頃はちょうど親が蒸発した頃で、それどころではなかった。
王都に近い大きな都市ならそんな所業は許されないだろうが、残念ながらアメリアが生まれたような田舎町ではよくあることだった。
ちなみに、ニールは幼い時から適性ありと判断されていたようだが、内気すぎたためすぐの入学は諦め、13歳から一般入学したらしい。ニールの幼い頃、想像できる。
とにかく、アメリアはアルトに、魔力鑑定を受けさせてあげられなかったことを悔やんでいる。状況が状況だったとはいえ、もし鑑定の結果が良ければ、アルトの将来の可能性は拡がっていたのだ。
だからこそ、アメリアはアルトの学校入学にこだわる。今やアメリアはアルトの保護者だ。絶対に、これ以上彼の可能性の芽を潰したくない。
「…アルトくん。魔法って、難しく考えないほうが良いんですよ」
「え?」
初めてニールがアルトに魔法を教えてくれた時のことを、アメリアはよく覚えている。
「簡単に考える…ってことですか?」
「そうですね」
ニールがふっと手をふると、柔らかい風が吹き、アルトの髪を撫でた。無詠唱の魔法。無詠唱で魔法を放てる者はいるにはいるが、ここまで鮮やかなのはやはり、ニールくらいだろう。
「今僕は、アルトくんの髪は柔らかそうだから、風で撫でたら面白そうだなあ、と思っていました。それだけです」
「え、え?」
「そもそも精霊というものは、加護を与えた人間の魔力が好きなんですよ。だから、その人間の求めることをやりたがります。人間の望みを叶えることが、魔力を得る、つまり魔法を使わせる一番の手段ですからね。
詠唱をする人が多いのは、精霊に求めていることを伝えるためです。でも本当は、詠唱なんて必要ないこともあります。単純に、これをしたら面白そうだな、楽しそうだな、嬉しいな、と望めば良いんです」
「…そんな簡単なんですか?」
「はい、実は簡単なことなんです」
「でも…それは優秀なニール様だからこそ、できることなんじゃ…?」
「そもそも僕が魔法に関して優秀だと言われるのは、僕がたまたま、周りにいる精霊の言っていることを少し理解できるからです。だから彼らと自分の望みを同調させることが出来る。でも、彼らの言葉が理解できなくたって、彼らが望んでいることをわかっていれば、魔法は格段に扱いやすくなります」
「うーん…?」
アルトはいまいち理解できないようで、首をかしげている。
当然だ。魔法の参考書にも、そんなことは書いていない。
「そうですね、アルトくんは何か今、魔法でやってみたいことはありますか?まずは小さなことで」
「うーん…」
アルトは少し離れたところにある花瓶を指さした。
「あの花瓶に、水を入れてみたいです」
「それはどうして?」
「水が入っていたら、姉さんが花を飾るときに、わざわざ重い思いをして水を汲んでこなくて済むから」
「なるほど。じゃあ、そう考えてみて下さい」
「…考えるだけですか…?」
「はい。でももちろん、声に出してもいいです。声に出したほうが、はっきりと意識できることも多いですからね。できるだけ、望みで頭をいっぱいにして。具体的に、水が花瓶に入っていく様を想像する。アルトくんの周りには、精霊がいますから、語りかけるように。花瓶に水をいっぱいにしたいんだ。そうしたら良いと思わない?という風に」
アルトは花瓶に向かって手をかざすと、しばらくじっと考えていた。そしてゆっくりと、「…あの花瓶に水を、たっぷりと。姉さんの手伝いがしたいんだ」と呟く。
するとしばらくして、花瓶の上に小さな水の塊がぽんっと現れた。
アルト自身がそのことにびっくりしてしまって後ずさり、水の塊は花瓶に入ること無く床にこぼれた。だが、魔法が発動したのは間違いない。
「ニール様!い、い、今、僕、」
「はい、できましたね」
「僕、初めて、魔法、」
「はい。とっても美しい魔法でしたよ」
ニールは穏やかな笑顔でアルトを見ると、そっと彼の頭を撫でた。
「…ぐすっ」
「えっ、ど、ど、どうし、えっ、泣いてる!?え、ご、ごめ、…あ、アメ、アメリアさーーーん!!」
アメリアは2人が魔法の練習をしていると気づき、仕事そっちのけでこっそり見ていたのですぐ傍にいた。でも、すぐには出ていけなかった。
だって、アメリアはアルトに負けじと泣いていたから。
ニールのことは最初から、いい人だと思っていた。彼は使用人に慕われていたし、気が弱かろうが内気だろうが、それは本人の性格で個性だ。
でも、アメリアはあの瞬間初めて、ニールは信頼できると感じた。すでにニールはアメリアとアルトに十分な待遇を与えている。これ以上をする必要なんてないのに、それをするのは完全にニールの善意でしかない。
アメリアは侍女として、ニールが苦境に立つことがあれば絶対に支えようと、それが少しでも恩返しになるならばと、決意を新たにした。